第十話 奈落の底
ひたひたひたと、氷柱のような天井の突起から水滴が落ちる。
それを顔で受け止めながら、俺は必死に現状を打開しようと藻掻いていた。
「あ、ぁぁぁああああっ!!」
喉が枯れるほど声を荒げ、ジタバタと暴れる。
そのたびに体のどこかから白ムカデが飛び出す。
俺は何とかムカデを体の中から取り除こうと、のたうち回った。
しかし、身体から出て行くムカデよりも、
肌を突き破り、入り込んで肉を貪ろうとするムカデの数の方が圧倒的に多いようだった。
やがて、俺の前に一際巨大なムカデが現れた。
その全長は、俺の腕の長さほどであった。
巨大ムカデが、のそり、のそりと近づいてくる。
「嫌、だ……嫌だ嫌だ嫌だ来るな来るな来るな来るなっ!」
巨大ムカデは、俺の言葉に首を傾げるように体を傾けると――、
――その体を、俺の口の中に捻じ込ませてきた。
「ぉ、ぼ、がぁぁァアアアアアアアアアアッッッ!!」
腕ほどの大きさのムカデが食道をその無数の足で冒しながら内臓を突き破っていく。
異物を追い出そうと嘔吐感に苛まれるが、それを無視する勢いでムカデは侵入してくる。
巨大ムカデだけじゃない。
巨大ムカデに触発されたのか、他のムカデもその活動を活発化させてきた。
――痛い、痛い痛い痛い痛い痛い嫌だ嫌だ嫌だ嫌だイヤ…………
ムカデたちは耳や鼻、肛門など、体中の穴という穴から侵入してきた。
さらに、そのうちの二匹が俺の目の前――「目」の前に現れた。
「やめ……あ…………っ」
二匹は、俺の眼球を突き破った。
「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ」
カチカチカチと、頭の裏側で音が鳴る。
喰われていく。喰われていく。喰われていく。
あたまのなか、はいまわる、むかで。
びちゃびちゃびちゃ。
あ、いま、なにか、とびでた。
なんだろう。
め、みえない。
なにもみえない。
わからない。
「―――――あはは」
もう、なにも。
「はははははっ」
なにも、わからない。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは――――――――――――――っっっっっっ!!!!!!」
――――――――――――――――――――
身体を喰われ孔を空けられる激痛と不快感に、何度も目を覚ました。
どれだけの時間が経ったのだろう。
何十時間も経ったか、
それとも、ほんの数分を永遠のように長く感じていただけか。
正気と狂気を行ったり来たりしているうちに、心は死んでしまっていたようだった。
俺はとにかく、疲弊して、疲弊して、疲弊して……。
疲弊した俺は、逃れることができないと思っていた痛みすらすでに感じなくなっていた。
今ここにあるのは、絶望感と無力感と――、
――そして、後悔だけ。
俺は、彼女を――ティナを、守ることができなかった。
彼女は、俺の全てだったというのに。
守れなかった。
死なせてしまった。
――なら、なぜ俺はまだ生きている?
そうだ。
俺は死ぬべきだったのだ。
死神に剣を向けられたあのときか。
迷宮の底に落ちたあのときか。
骨兎に喰われたあのときか、巨人に棍棒で殴られたあのときか、
黒犬に襲われそうになったあのときか。
どれでもいい。
命を絶つ機会は何度もあったはずだ。
自らナイフで首を切る選択肢もあったはずだ。
なのに、なぜ生き残った?
なぜ、醜く足掻いた?
どれだけ生き延びようと、彼女の笑顔はもう取り戻せないというのに。
――もう、死なせてくれ……
俺が、心の中でそう願ったとき――、
『――そんなこと、言わないでください』
聞きなれた鈴を転がすような声が聞こえてきて。
俺は、見えないはずの緑色の光を幻視した。