手弱女二人と怒れる二人の青年
世の中にある男、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。
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「上原、お前……食い物を粗末にするんじゃない!」
俺は珍しく声を荒げた。何よりも俺は食い物を粗末にするやつが許せない。端的にいうと。ふざけていて天津飯を俺の頭にぶちまけたのだ。頭に天津飯をぶちまけたのはまだいい。一口も食わぬ食べ物を粗末にした事が許せない。
「ごめん……なさい……はじめ……いや、斎藤くん……ごめんなさい……すみませんでしたぁあ!」
正直、見るに耐えない。たけっちの顔は涙と鼻水で、キャンバスの中に無作為に絵の具を混ぜてぶちまけたかのような様相を呈していた。友人としての申し訳なさと、そしてどう伝えようかという思考が脳裏を交互に行き交った。店員に頭を下げ、ぶちまけられた天津飯を片付ける。
「同期に言われるのはどんな気分だ? 俺だって言いたくはないよ。ただな、友人として言っておく。二度とするな。以上だ。終わり。メシ食うぞ」
寸鉄、人を刺す。長々と説教を垂れるのは好きじゃない。
結局、三人とも炒飯を食べたのだが、三人の楽しい夕飯の予定がお通夜の馬鹿みたいに味のしない食事みたいになってしまった。
「ここは俺が払うよ」
多分飯が不味いのは俺だけじゃない。三人分、俺が払った。今度たけっちになにか奢ってもらおう。
「集合、どうする? 結局僕の家かな?」
ひろぽんが話を切り替えるように話しかけてきた。この切り替えは、ありがたい。
「そうだね、そうしよう。たけっちもそれでいい?」
たけっちは、怯えたような顔でおずおずと頷いた。ここで変に気を使うと、後々面倒だ。
「二人で先に飲んでてくれ。俺はシャワー浴びてから行くから。それじゃあ、後でな」
とだけ言って、ややひりひりする頭を洗いに家に帰る。
「ごめんよお、はじめ!」
たけっちの声が聞こえてきた。多分、手を振っているのだろうな、と思いつつ、俺は後ろ手に手を振って信号を足早に渡った。
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「あ! はじめくん!」
「なんだ、また松田さんか」
二日連続で松田さんに話しかけられた。相変わらず美人である。黙っていれば。
「なんだって酷いな、はじめくん。ん……? なんか髪濡れてるけど、ぶっかけられた?」
「天津飯をな」
「あー、そういうプレイか。ひろぽんくんと? それとも上原くん?」
「どうしてもそちらに繋げるのな。たけっちだよ」
「お楽しみだったようで」
「久々に本気で怒ってきたところなんだよ」
「ごめんって、茶化して。ところで頭洗わなくていいの?」
「これから帰って洗うところ」
「なるほど、それで大人のお風呂屋さんに……」
「自宅だよ。それで、何か用?」
「たまたま見かけただけだよ。ところで夏休み実家帰るの?」
「あんまり考えてないや」
「そっかー、まあ、あっちの方暑いもんね」
「そうだな」
「じゃあ、二人待たせてるんだよね、どうせ?」
「ご名答」
「それじゃあ、また来週!」
「じゃあな。あ、来週の課題忘れんなよ」
考えたら松田さんとは変な仲だ。恋愛という感じではないのだけど、割とあけすけな話もする。別に女として意識している訳ではない。どちらかというと、女の形をした爆竹である。その程度に予想外の方向から変な発言が飛んでくる。松田さんはというと、こちらに手を振りながら
「また会うぜ、きっと会う。滝の下で」
と自転車に跨って行ってしまった。なぜ滝の下なのだろう。
俺はシャワーを手早く浴びてから、親父から送られてきたウィスキーを持ってひろぽんの家に向かった。あの男汁で煮詰められた、むさ苦しいアパートの一室へ。
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「たけっち、さっきはごめん、言い過ぎ……あれ?」
アパートの扉を開けるなり、開口一番にたけっちに謝罪をする、そんな予定だったのだが、たけっちがまさか既に酔い潰れているとは思わなかった。ひろぽんがやや疲れたような顔をしている。余程介抱にエネルギーを使ったのだろう。
「おう……ひろぽん、大変だったな……とりあえず飲み直そうか」
俺はウィスキーを取り出した。ラフロイグの十二年。学生には勿体ないかもな、と親父が言っていた酒だ。
「はじめ、なんでこんな高い酒……?」
「ああ、親父が仕事の関係で貰ったらしいんだけど、親父飲まないからくれたんだ。たけっちの分も残しとくとして、まあ、こんなもんかな」
ラフロイグはロックかストレートだ。混ぜるのには向いていない。二人で話に花を咲かせていると、夜ももう更けていた。何を話したのかは取り留めもなさすぎて、覚えていないか、それか醜聞になるものだった気がするので覚えていないことにする。話し込んでいると、うーん、というような声とともにたけっちが目覚めた。
「たけっち、大丈夫か?」
「大丈夫だよ」
「さっきは言い過ぎた、ごめん。まあ、これでも飲んでくれ」
俺はラフロイグをストレートでたけっちに渡す。たけっちも大分落ち着いたようで、あの時の蟠りも既に消えていた。
駄目学生の典型のような生活を送っているが、当然三者三様単位の心配もせねばならない。だが、俺は特段気にもしていない。留年しても最悪何とかなるだろうし、多分留年なんぞしない。絶対的な根拠はないが、まあ良いだろう。俺は成績は割と上の方なんだ。ひろぽんとたけっちがどうかは、俺の口からは語るまいし、書き置く気もさらさらない。多分明言してしまえば、優秀かそうでないかという話になってしまうし、俺の立ち位置はわからないけど、多分変な気を使われることは、俺も含めて誰一人望んでいないのだ。多分、こういうのを三竦みというのだろう。俺が蛇で……ひろぽんが蛞蝓、たけっちが蛙というところだろうか。例えてみると全員ぬめっていそうで気持ちが悪い。否定できないのが悔しいので、これ以上考えるのは止めておこう。
「ところでさ、ひろぽん」
ぼんやりと考えていると、たけっちが口を開く。
「なんだ、たけっち、腹でも痛いのか?」
「違うわ! 理系の彼女について、教えてくれない? めちゃくちゃ気になるんだよ!」
俺はその瞬間のひろぽんの表情を見逃さなかった。今、一気に酔いが覚めた、というような顔をしていた。恐らく、いや、十中八九、彼女ができたというのは嘘だ。
「たけっちにはまだ早いよ」
いないと思わせずに、当たり障りのない一言を言い放つひろぽん。
「なんでだよぉぉお!!!」
俺はこちらをちらりと見たひろぽんに思わず親指を突き立てた。
「はじめえ!彼女が欲しいよお!」
たけっちがやや錯乱気味に俺に縋りついてくる。
「ほら、たけっちにはあれがあるじゃん。オークとゴブリンの出てくるソープランド」
仮にソープランドに行くにしてもまさかそこは選ぶまい、という店を選んでしまったたけっちには同情の念を禁じ得ないが、申し訳ないことに本当に笑えてしまう。
「俺はホモ・サピエンスがいいんだよお!」
子供のように泣きじゃくるたけっちに、今度はひろぽんが酒を注いだ。
「たけっち、まあ、飲んどきなよ。はじめが持ってきた酒、まだあるから」
グイッと飲む類の酒ではないが、たけっちは酔いに任せてグイッと流し込む。
「旨えよ……はじめえ! この際はじめでもいいから付き合ってくれえ!」
「俺にも選ぶ権利があるから! ほら、ひろぽんの左側なら空いてるからそっちなら迎え入れてくれるよ!」
「ひろぽーん!!」
「空けねえよ!」
勢い良く飛びついたたけっちをひろぽんが避ける。たけっちが飛び込んだ先には、おしゃれなクッションがあった。多分、粘液まみれになっているし、そのクッションを、悟りの境地みたいな表情で見つめるひろぽんの、その悲しそうな目がそのクッションに対するひろぽんの思い入れを如実に物語っていた。たけっちはその表情を見ることなく、すやすやと寝てしまった。ひろぽんと顔を見合わせて、溜息をついてから、少しだけ笑った。少しだけ間を取って、俺はひろぽんに話しかけた。
「ひろぽんの彼女って、何学部のどこの学科なの? 学年と名前、あとサークルとかも教えてもらえるかな?」
そろそろネタばらししてもらおうか。
「えーと」
「とりあえず、たけっちには隠しておこうか。しばらくこのままにしたほうが面白そうだから」
「そ、そうだな」
たけっちにはあとしばらく隠しておこう。そちらの方が面白そうだし、大丈夫だ、多分いい方向に行く。
たけっちは、寝言で思いの人のことを言っていた。高校の頃の同級生で、松川さんと言っていたか。彼があだ名で「まっちゃん」と呼ぶその人の顔はついぞ知らぬが、多分その松川さんは遠くの大学に進学したのだろう、高校卒業以来、顔を合わせていないようだ。
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期末テストが終わった。二つの意味で終わった。そんな雰囲気を、二人が醸し出していた。俺は多分、大丈夫だ。
「たけっち、何笑ってるんだ?」
ひろぽんが、素っ頓狂なことを言った。彼自身、テストが二つの意味で終わっているので、余裕がないのだ。当然、ひろぽんの問いかけに対して顔を上げて
「笑ってなんかないよ!」
と言ったたけっちの顔は先日彼女ができずに嘆いていたときの表情そのまんまだった。俺は無言でタオルを手渡す。渡してから、ひろぽんに返すために持ってきたタオルだと気付いたが、既にそのタオルでたけっちが鼻をかみ始めていた。
「はじめ、それ僕のタオル……まあいいや。たけっち、ここラウンジだから。みんな見てるから。な、いいじゃん。ほとんどレポートで単位認定だし、まあ、今日はパーッと飲もうよ、な?」
たけっちに気を使ってか、ひろぽんは今夜飲みに行く店を探しだした。
松本城から一本奥まった道のあたり、そこに大正時代をカラーのまま持ってきたかのような通りがある。そこに一軒の飲み屋がある。俺たちはそこに行くことにした。
「じゃあ、松本城に五時に集合で。僕は一足先に帰ってるよ」
ひろぽんが一足先に帰ろうとすると、たけっちが袖を掴んで泣きついた。
「いかないでよぉぉおお!!!」
「わかった、わかったから騒ぐな!」
たけっちは人文学部の中で有名人だ。
「言動がぶっ飛んでるが、見ていて飽きない」
とか
「遠くから見ていたいし、なんなら画面越しに見ていたい」
と言われている。つまり、「面白いから眺めたいけど、直接近くには寄りたくない」ということなのだが、たけっちはそのことを知る由もない。以前たけっちが俺に
「恋は野鳥のごとしだな……」
といったのは、即ちそうしたことに起因しているのだが、彼にどう伝えるか考えあぐねている間に、伝えぬまま今に至る。
時間を確認しようとスマートフォンに目をやると、一件のメッセージが入っていた。
「右見ろ、右」
そのまま右に視線を移すと、松田がにやりとしながらこちらに手を振っていた。
「本当に面白いな、君たち」
松田から更に一件メッセージが来る。
「やかましいわ」
と一言返信すると、俺はスマートフォンをポケットに仕舞った。
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結局俺たちは三人揃って行くことになった。日差しが暑い。夕暮れ時になっても、暑いものは暑い。長野県は涼しいと思っていた。たしかに一年目は涼しいと感じたのだが、人体は慣れるもので、ニ年目になったら「涼しさ」に慣れたのか、地元よりも遥かに涼しいこの地でもひたすら暑く感じる。
店の前まで来ると、日陰が多くなりやや涼しさが勝ってきた。「商い中」の看板が目に入る。
店に入ると、やや暗い店内に沢山の酒。壁に貼られた手書きのメニューが目に入る。
「いらっしゃい。初めてかな?」
マスターと思しき五十歳くらいの男が声を掛けてきた。
「はい。ちょっと街散策してたら良さそうなところがありまして」
実際は来る店を決めてきたのであるが、無難に返事をする。
「三人でいいですか?」
「はい、三人です」
「こちらへどうぞ」
テーブル席に着くと、お通しが運ばれてくる。
「注文はお決まりですか?」
「すみません、僕ら日本酒や焼酎詳しくなくて……おすすめってありますか?」
ひろぽんが口を開く。日本酒を嗜むほど、俺たちは舌が肥えている訳ではない。
「はいよ、じゃあ三人ともこのお酒でいいかな?」
「はい、じゃあそちらでお願いします。あとおつまみなんですが、ごぼうの唐揚げと、つくね、あとはクリームチーズの味噌漬けでお願いします」
ひろぽんがいくつか注文してくれた。どうやら、先におつまみを調べてあったようだ。
「はい、しばらくお待ちください」
グラスに枡。小洒落た飲み方だと思う。
「乾杯!」
俺たちは舐めるように酒を味わった。すっきりしていて飲みやすい。おつまみも運ばれてきた。ごぼうの唐揚げが特に旨い。追加で注文しよう、と思案にくれていると、店の扉がガラガラ、と空いた。
「いらっしゃ……バイトだっけ? 今日?」
「いやだなぁ、忘れないでくださいよ」
僕らが入り口を見ると、ロングヘアの、見目麗しい、「深窓の美女」とでもいうべき女性が立っていたのである。三人で固まっていると、その女性がこちらを見た。
「あら、お客さん? いらっしゃいませ。初めてですか?」
「は、はい!」
声が裏返った声でたけっちが返事をした。
「もしかして、あそこの大学の学生かな?」
「そうですよ。僕ら人文学部の友人同士でして」
俺は冷静を装って落ち着いた声で返した。
「私もなんですよ、理学部で。よろしくお願いします」
ひろぽんがなにか言いたげな表情でグラスを眺めている。どこかで嗅いだことのあるような仄かな香りがしたような気がした。
俺は横から何やら、たけっちの異様な雰囲気を感じ取った。
「今日は疲れているし、あと二杯にしておこう」
と提案すると、早めに切り上げようという話に持っていった。一旦店を出たほうが良さそうだ。俺の勘がそう告げた。ごぼうの唐揚げをおかわりし忘れたが、次に頼もう。何故店を出ると、先程の女性が出てきた。
「また来てくださいね!」
というと、手を振って見送った。彼女にするならば、あんな感じの人がいいな、と思う。思うだけで、彼女に出来るかはわからない。ただ、そんなことを考える時間もそこそこに、案の定たけっちが暴走した。
「ひろぽん……裏切りものー!」
盛大な勘違いをしたのであろう、たけっちがひろぽんに詰め寄ったのである。
「勘違いだよ!」
「だって! ひろぽんの家の枕の香水と同じ匂いがしたもん!」
「香水くらい同じの使ってる可能性あるだろ」
あの時の「嗅いだことのあるような仄かな香り」は、ひろぽんのむさ苦しいアパートの一室で咲いていた一輪の花の如き、あの香水の香りだったのだ。明らかな勘違いだったのだが、案外勘違いをしている当人は気づかないものである。
「ちくしょうぉぉお!!」
たけっちの慟哭は、松本城の天守閣よりも遥か上空にこだました。さぞ、蠍座もうるさいと思ったことだろう。
俺たちはスーパーで酒を買うと、仕切り直すことにした。




