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魑魅魍魎の街  作者: 毒パンツ
大学二年目の懊悩
4/10

怒られる一人の青年

かたはらいたきもの。客人などに会ひてもの言ふに、奥の方にうちとけ言など言ふを、えは制せで聞く心地。学生の、いたく酔ひて、はしたなきわざしたる。


ーーーーーーーーーー

 俺は、久々に泣いた。いい歳した大人が、いい歳した大人にどうしようもない理由で本気で怒られて泣いた。泣いてなんかない、と口にしようと思ったが、涙と鼻水に塗れた顔で何を言っても詮無きことである。はじめに思いっきり怒られた。定食屋で、天津飯を頼んだ俺はいつもの調子でふざけていたら、はじめの頭部に天津飯を落としてしまったのだ。反省している。どんなにふざけたとしても、二度と人の頭に天津飯を落とさない。そう誓って、俺はただただ俯いていた。気まずい空気が、定食屋の一角を支配する。その、水銀のように重い空気の中で、鉛のように重く、砂のような味のする食事を取った。

 食事の最中、はじめの言った言葉が幾度となく頭の中に響く。

「上原、お前……食い物を粗末にするんじゃない!」

小学生でもなかなか言われない一言だ。

「同期に言われるのはどんな気分だ? 俺だって言いたくはないよ。ただな、友人として言っておく。二度とするな。以上だ」

尤もだ。返す言葉もない。ただただ情けなかった。

「ここは俺が払うよ」

とはじめがバツが悪そうに言って全額払って、俺たちは店を出た。

「集合、どうする? 結局僕の家かな?」

ひろぽんがはじめに聞いた。俺に話を振らない優しさが、却って哀しくなってくる。

「そうだね、そうしよう。たけっちもそれでいい?」

俺は無言で頷いた。はじめはいつもの表情に戻っているが、わだかまりのようなものを感じてしまう。はじめは知ってか知らずか、特に気にしてもいないような様子で

「二人で先に飲んでてくれ。俺はシャワー浴びてから行くから。それじゃあ、後でな」

と言うと、足早に去っていった。はじめに向かって俺は

「ごめんよお、はじめ!」

と、謝罪をした。心から出てくる謝罪なんて、何年ぶりだろう。はじめは後ろ手に手を振り、先にやってろよ、とでも言いたげに信号を渡って行った。


 ひろぽんの家についてから、俺の記憶は定かではないが、泣きながら何か強い酒を煽ったことは覚えている。気づいたら横向きに寝かされていた。いつの間にか、はじめも来ていたらしい。

「たけっち、大丈夫か?」

と、いつものはじめの声が聞こえてきた。

「大丈夫だよ」

「さっきは言い過ぎた、ごめん。まあ、これでも飲んでくれ」

俺は体を起こす。はじめがラフロイグを注ぐと、俺に渡してきた。いつもの三人に戻っている。なんだかんだ、居心地がいい。彼女がいなくても、特段問題はないのではないか、とすら思うほど、俺はこの「馬鹿げた」やり取りやそれをさせてくれる友人がいるこの状況に満足していた。

 ところが、どうもひろぽんはその限りではないらしい。この男は、彼女ができたらしい。断じて許せない、と思った。少なくとも当初はそう思ったし、それは決してルサンチマンとかそんなものではない。もっとこう、純粋な、清廉潔白な、そんな思いだ。俺だって、純粋に乳繰り合いたいんだ。その思いに一切の嘘偽りはない。その欲求を満たすためには、ひろぽんを敵対視するのは得策であるとは言い難い。むしろ、ヒントをもらうべきなのだ。持続可能な交友関係と恋愛関係を。これが俺の当面の目標である。

「ところでさ、ひろぽん」

「なんだ、たけっち、腹でも痛いのか?」

茶化すようにひろぽんが返した。

「違うわ! 理系の彼女について、教えてくれない? めちゃくちゃ気になるんだ!」

ひろぽんは一瞬真顔になった。俺は見逃さなかった。次いで、はじめが「自慢してやれ」とでも言いたげな視線をひろぽんに送った。ところが、ひろぽんは

「たけっちにはまだ早いよ」

と呟くように口にした。俺を傷付けまいとしているのか。そういう気遣いが一番キツいということを理解しているのだろうか。

「なんでだよぉぉお!!!」

悔しい。この上なく悔しい。勝者の余裕を見せつけられた俺は悲しさと切なさと、少しばかりの恨みつらみでごろごろと転げ回った。

「はじめえ!彼女が欲しいよお!」

そのまま、俺ははじめに泣きついた。

「ほら、たけっちにはあれがあるじゃん。オークとゴブリンの出てくるソープランド」

はじめが笑いながら茶化してくる。なぜこの男は彼女がいないにも関わらず、こんなにも余裕を見せつけてくるのか。俺一人だけ余裕がない。この上なく情けなかった。

「俺はホモ・サピエンスがいいんだよお!」

二人は俺を尻目に顔を見合わせる。やれやれ、という顔をしながら一口飲むと、俺の肩に手を置いた。

「たけっち、まあ、飲んどきなよ。はじめが持ってきた酒、まだあるから」

ひろぽんが俺のグラスに酒を注いだ。スモーキーな酒は、涙の塩辛さが丁度よくマッチしていたように思う。

「旨えよ……はじめえ! この際はじめでもいいから付き合ってくれえ!」

「俺にも選ぶ権利があるから! ほら、ひろぽんの左側なら空いてるからそっちなら迎え入れてくれるよ!」

勿論、シラフに戻って考えてみてもそんな気はまったくないし、到底付き合おうとは思わない。酒の勢いと、その場の雰囲気が自然と俺にそう言わせていた。

「ひろぽーん!!」

俺はひろぽんに跳びついた。

「空けねえよ!」

避けたのだろう、跳びついたはずの場所に何もなく、俺はそのままクッションにダイブした。そのまま、俺の記憶は朝まで途切れている。


ーーーーーーーーーー

 期末テストが終わった。二つの意味で終わった。

 テストが終わっただけでそう口にする奴らは二流だ。俺の戦いはこれからだ。男たるもの、頭を下げねばならぬときがある。恥を忍んでも、勝ち取らねばならぬものがある。皆が皆、同じタイミングでその時が来るわけじゃない。ただ、それが、俺にとっては、「今」がその時だ。これから俺は土下座回りに行く。戦いを前にした俺の顔は、どこか悲しげで、どこか勇ましく、そして精悍だったと思う。

 結果、俺は今ラウンジで突っ伏している。教授は取り合ってはくれなかった。教授なんてクソ食らえだ。鬼畜。悪魔。ひとでなし。思いつく限りの罵詈雑言を頭の中で反芻しながら、俺はいつまでも突っ伏していたい気分だった。そんな打ちひしがれている俺にひろぽんが声をかける。

「たけっち、何笑ってるんだ?」

「笑ってなんかないよ!」

男泣きしているんだ、と言いかけたところで、はじめが無言でタオルを手渡す。買った覚えはないが、幾度となく使った覚えはあるそのタオルを手に取ると、俺は顔を拭いて、ついでに鼻をかんだ。

「はじめ、それ僕のタオル……まあいいや。たけっち、ここラウンジだから。みんな見てるから。な、いいじゃん。ほとんどレポートで単位認定だし、まあ、今日はパーッと飲もうよ、な?」

ひろぽんがそっと、そのタオル捨てとけよ、と付け足す。


 松本城から一本奥まった道のあたり、そこには大正ロマンをそのまま持ってきたかのような一角がある。そこにしよ、と、ひろぽんが提案する。

「じゃあ、松本城に五時に集合で。僕は一足先に帰ってるよ」

先程から同じ学部の女子学生からの視線が痛い。こんなところに一人でいたら、俺は心細さのあまり、消え入りたいと思うに違いない。気づいたらひろぽんに泣きついていた。

「いかないでよぉぉおお!!!」

「わかった、わかったから騒ぐな!」

ひろぽんがやや迷惑そうに宥める。畜生、こいつは彼女がいるからと、余裕綽々に振る舞いやがって。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 俺たち三人の背中を、太陽が灼きつける。焼きとうもろこしの気分だ。松本城のお堀の中の鯉も、心なしか暑そうである。

 店のあたりまで来る。飲み屋街なのだが、やや上品で、丁度近代の小説にでも出てきそうな街並みだ。蕎麦屋やカフェが立ち並ぶ一角に小洒落た居酒屋があった。「商い中」の看板が出ている。

 店の中には入ってすぐカウンター席とテーブル席があり、少し奥に座敷があった。

「いらっしゃい。初めてかな?」

五十歳くらいの店主が気さくに声をかけてきた。

「はい。ちょっと街散策してたら良さそうなところがありまして」

はじめが無難な挨拶を返す。学生向けというよりは、割と大人向けな雰囲気だ。体育会系のサークルのコールが似合う店とは対極にあるような、そんな雰囲気で落ち着いてボーイズトークに花を咲かせられそうだ。

「三人でいいですか?」

店主が確認する。

「はい、三人です」

「こちらへどうぞ」

テーブル席に案内された。飲み物を見ると、日本酒と焼酎が並んでいる。日本酒は飲むには飲むが、銘柄は詳しくない。焼酎はほぼ飲んだことがない。

「注文はお決まりですか?」

という店主の言葉に、俺は二人と顔を見合わせる。二人とも詳しくないみたいだ。ひろぽんが口を開いた。

「すみません、僕ら日本酒や焼酎詳しくなくて……おすすめってありますか?」

「はいよ、じゃあ三人ともこのお酒でいいかな?」

「はい、じゃあそちらでお願いします。あとおつまみなんですが、ごぼうの唐揚げと、つくね、あとはクリームチーズの味噌漬けでお願いします」

あまり食べたことのない品物ばかりだったが、どれも美味しそうだ、と思う。

「はい、しばらくお待ちください」

店主が店の奥へと戻ると、三分ほどで枡とグラスが運ばれてきた。枡の中にグラスを入れると、酒が枡ギリギリまで注がれる。米の香りがあたりに漂った。

「乾杯!」

の一言とともにまずはコップの酒を舐めるようにして飲んでみた。普段俺が飲むような蒸留酒とは別の、柔らかな香り高さが心地良い。

 やがておつまみも運ばれてきた。唐揚げくらいしかおつまみというおつまみを知らなかったが、こういう食べ方もあるのか、と思う。おつまみ単体というよりは、酒に合わせたのおつまみ、といったメニューだった。

 三人で飲み食いしていると、店のドアがガラガラと音を立てて開いた。

「いらっしゃ……バイトだっけ? 今日?」

「いやだなぁ、忘れないでくださいよ」

咄嗟に入り口を見ると、セミロングの黒髪がよく似合う「文学少女」とでもいうべき美女が立っていたのである。俺は見惚れていたが、その美女の声にはっと我に返った。   

「あら、お客さん? いらっしゃいませ。初めてですか?」

「は、はい!」

俺は返事をするが、声が裏返ってしまった。

「もしかして、あそこの大学の学生かな?」

「そうですよ。僕ら人文学部の友人同士でして」

はじめが明らかに声を作って返す。はじめは見えっ張りなところがあるんだな、と思った。

「私もなんですよ、理学部で。よろしくお願いします」

何故か一言も発することのないひろぽんと、やけにひろぽんを見ているように見える美女。俺は美女が話しだした時から嫌な予感がしていた。初対面のはずなのに、初めてではない。そんな感覚がした。その予感がそのやり取りを目の当たりにし、いくつか言葉を交わすうちに確信へと変わった。以降、平静を装うのに必死だった。

 会計をして店を出る。店主が「負けといたよ」と言ってくれた。大分負けてくれたようだったが、「アリガトウゴザイマス」と片言のような返事しかできなかった。

 店を出ると、先程の女性が出てきて

「また来てくださいね!」

といって、手を振って見送ってくれた。俺たちはしばらく歩いた。やがて、彼女の姿が見えなくなった。俺は人が周囲にいないことを確認してから、精一杯の大声を張り上げた。

「ひろぽん……裏切りものー!」

「勘違いだよ!」

この期に及んで見苦しい。俺の鼻は誤魔化せない。初対面のはずなのに初めてではない。あの美女のほのかな香水の香りは、ひろぽんの家のベッドから漂っていた香りと同じだったのだ。

「だって! ひろぽんの家の枕の香水と同じ匂いがしたもん!」

「香水くらい同じの使ってる可能性あるだろ」

「ちくしょうぉぉお!!」

俺は、満点の星空の下、これでもかというくらいの大声を上げた。蠍座のアンタレスが、あざ笑うかのように俺を見下ろしていた気がした。

 とりあえず、話を整理しよう、という流れになった。俺たちはスーパーで酒を買うと、はじめの家に集合することになった



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