水中を駆ける
「夢なら良かったのに」
目が覚めるとベッドの上にいて、ちょっと嫌な夢を見たなと気落ちしつつ、家を出る頃には忘れている。
そんなことをすこし期待していたけれど、そんなことはなかった。
「体が軋む……食糧問題が済んだら拠点作りだな。いてて」
強張った体を解すために足や腕をうんと伸ばす。
「ふぅ」
毛布を畳んで手乗りサイズにまで圧縮。
雑嚢鞄に突っ込んで朝食の用意をした。
「ボックス。森林エリアに湖とかある?」
「高い確率で存在します」
「よかった。もう水も尽きそうだ」
水筒が随分と軽い。
水が尽きたらいよいよヤバい。
早いところ森林エリアに辿り着かないと。
「美味いけど、起き抜けに肉はな」
熱した煉瓦の上で焼けるキメラ肉。
食欲をかき立てる焼ける音も、今ばかりは胃袋まで響かない。
とはいえ、食べなければ持たないので、重い両手で口へと運ぶ。
「水も飲めないし」
手早く朝食を済ませ、昨晩の寝床を後にした。
森林エリアまではまだ少し遠く、道中で水が尽きる。
雨が降らない以上、このまま水が補給できなければいよいよ最後の手段をとらざるを得ない。
それだけは避けたいという思いで通路を進み、何度かの戦闘を越えて辿り着く。
「ここか! 森林エリア!」
そこは岩と土ばかりのダンジョンとは思えないほど緑に溢れていた。
乱雑に生えた木々。枝葉に覆われた天井。隙間から指す木漏れ日。
それに照らし出されて、何人もの冒険者によって踏み固められた道が見えた。
「ここは明るいんだな」
視線を持ち上げる無数の光の粒が明滅する。
枝葉が揺れるたびに明滅するそれは、星の瞬きのようだった。
昼間の星とは、すこし可笑しい気もするけど。
「このエリアの天井部には太陽に近い光を放つ鉱石の鉱脈が存在します」
「あぁ、陽光石だっけ。昔に習ったな」
だからこのエリアは緑が多い。
「しかし、もう喉がカラカラだ。水か果物を探さないと」
乾涸らびてミイラになってしまう前に動く。
周囲の警戒と平行して湖か果物を探して森を行く。
すぐ見付かるかと思ったがそうでもなく、木の実一つ見付からない。
そろそろ限界。手足が重く、何度か木の根に躓きかける。
「なにか、なにかあるはず……」
口の中が乾燥するのを感じながら歩くことしばらく。
木々の隙間から反射した光が目に飛びこむ。
「もしかして」
重かった手足が驚くほど軽くなり、光を目指して駆ける。
長い距離を駆け抜けたような思いで木々の間をすり抜けて辿り着く。
「水だ!」
目の前には澄んだ色の湖が陽光石の光を反射していた。
「チェック。水質に問題なし。飲用可能」
「最高!」
すぐに両手で水を掬い、口へと流し込む。
「あぁー……」
人生史上、これ以上ないほど美味い水。
思わずバシャバシャと音を立てて、何度も水を掬ってしまった。
今なら何リットルでも飲めてしまいそうな気がする。
「助かったぁ」
一旦、満足するまで水を飲み、一息を付く。
これでまたしばらくは飢え死にや脱水の心配はなくなった。
あとは木の実や果物を探せば、やることリストのその一は完了だ。
すこし休んだら探してみよう。
「警告。魔物の反応を感知」
「ええい、ちょっとは休ませろよな」
一息入れる間もなく立ち上がって剣を抜く。
背後は湖とあって警戒する範囲はいつもより狭い。
「どこだ? どこにいる……」
いつ木々の陰や茂みから魔物が飛び出して来ても言いように身構える。
濡れた手から雫が指先へと伝い、ぽたりと落ちた。
瞬間、背後から何かに巻き付かれる。
「うし――触手っ」
巻き付いたのは水のように透明な触手。
首や腕、足に絡みついたそれは、俺を水面に引き釣り込もうとしていた。
「吸収ッ」
魔法を使い、絡みついた触手から魔力を吸収する。
これだけ触れた面積が多ければ枯れるのも時間の問題だ。
だが、それでも触手は更に俺の体を捉え、抗いがたい力で水面へと引き釣り込んだ。
「ぐっ」
水中に落ちてもなお触手は水底へと俺を誘う。
その先を視線で辿れば、一頭の馬が待ち構えていた。
触手だと思っていたものは鬣で、蹄は飴のように溶けている。
その姿から判断するに、ケルピーでまず間違いない。
狙いは窒息のようでじっとこちらの様子を伺っている。
吸収で魔力は吸っているが、枯らす前にこっちの息が持たない。
獲得した能力は水の操作で、息をどうこうできるものじゃない。
こうなったら執る手段は一つ。
火衣。
全身に火炎を纏い、鬣を焼く。
水中でも火炎を絶やさなければ燃え続ける。
それで触手を蒸発させて拘束を破り、火炎放射による推進力で水面を目指す。
しかし、水中はケルピーの独壇場。
あっという間に追い抜かれ、先回りされてしまう。
「くぅッ」
再度、鬣に絡みつかれてしまう。
締められた首に鉄鱗を生やして防いだが、状況は更に悪くなった。
火炎で蒸発させようとしたが、先ほどとは違い至近距離にいるからか、どれだけ蒸発させても拘束を破れない。
火力が足りない。
どれだけ振り絞ろうと火炎はすでに最大火力。
ヘルハウンドじゃ足りない。
せめてキメラの火炎ほどじゃなければ。
だが、キメラから得た能力は――
「――ッ」
息が持たない。
窒息する。
どうせ死ぬなら。
そう決めた瞬間、全身を纏う火炎が勢いを大きく増す。
それはケルピーの拘束を破り、湖の水を瞬時に水蒸気へとかえる。
「命名。炎鱗」
ケルピーの背後に、飛びこんできたであろうボックスを見る。
言う通り、融合で鉄鱗と火衣を融合させた。
二つはキメラの如く混ざり合い、鉄以上の硬度と、より盛る火炎となる。
これだけの火力があれば仕留められる。
自由になった両手をケルピーに向けて突き出し、最大威力の火炎を放つ。
水中に立つ火柱が、逃れようとしたケルピーの半身を蒸発させる。
その反動で俺も水底へと逆戻り仕掛けたが、器用に火炎放射を回避したボックスに腕を掴まれて何とか踏みとどまれた。
そのまま水面まで引き上げてもらい、随分と久しぶりに感じる地面に手を駆ける。
「――息だっ、息が出来るっ! はぁ……はぁ……死ぬかと、思った」
荒い呼吸のまま肺に空気を送り続け、湖から上がることも忘れて呼吸に努めた。
自由に息をすることが、こんなに幸せに感じるとは思いもしなかった。
「ケルピーはどうなった?」
「全身の五十パーセントを消失。生命維持は不可能と推測」
「そうか……なら、よかった」
また引き釣り込まれたらたまらない。
きっちりトドメをさせていたようで安心した。
「はぁ……」
危機を脱して、大きく息を吐く。
「あの……大丈夫ですか?」
声がして視線を持ち上げると、側に冒険者がいた。
黒髪と茶髪の二人組。
彼女たちは心配そうにこちらを見ていた。
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