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63話 誰も殺さず生き残る

──鋭利なナイフが、身を貫く。腹部から受け入れがたい痛みが、全身を電流のように駆け巡る。暗闇の噴水広場、血の奴隷と化した少女は寸分も違わずに、それこそ流れるような身のこなしで、獲物が致命傷を負う位置を確実に刺し穿ったのである。


「・・・・・・!?」


ところが俺としては、そう易々と被捕食者に成り下がるつもりも無いのだ。相手が急所を外さない強者でも、その急所にこっそりと緩衝材を忍ばせておくぐらいの些細な反抗は、いかなる時も可能で、それも有効なのである。簡単に言えば、弱者にのみ宿った『弱者なりの知恵』という、悪足掻きというか、無様で滑稽な意地こそが『必殺技』だということだ。強者がする付け焼刃の工夫とは、追いつめられ方が違うのである。


「もらった、なッ・・・!」


振り上がった右手が狙わせた弱点は、辛うじてではあるが、刺突による致命傷を免れたようだ。そして今、攻撃の瞬間に生じた隙を大事に摘み取り、俺が伸ばし始めていた左手は確かにその手首を掴んだ。痛みで揺らぐ意識を強引に抑え込んで、反撃の一手を返す。悲鳴を上げる頭脳を酷使してバインドのスキルを継続発動した俺は、腹に刺さったナイフを引き抜いて投げながら、動きを封じられた彼女と共に倒れ込んだ。


「・・・ハァッ、ハァッ、・・・おかげで意識が飛びそうだ、畜生が・・・。」


実を言うと、バインドの継続発動は負荷が重すぎる。相手の抵抗力で負荷が増し、この意識とこの相手ではまっすぐ立つことすらままならないというのが、無敵にも見えるこの技の現実だ。少女は獣の本能に身を委ね、俺を仕留めて吸血を果たすために、凄まじい力を以て抵抗していた。ひたすら熱い腹部の痛みも相まって、俺の意識は遠のく一方である。


「・・・!!!」


向かい合わせの彼女が見せた、必死な表情。大多数が狂気に染まったその表情から、恐怖と哀愁、後悔とやるせなさが垣間見えた。俺はその小さな身体を抱き寄せ、ほんの少しだけ気を緩める。


辺りは闇に覆われ、地面には血だまりができている。満月だけが微かに照らし、彼女の髪に血液より鮮やかな赤色を付けた。



「・・・俺の血で良ければ、好きにしたらいい。・・・・・・ッ!!」


差し出した首元に、彼女は大きく成長した牙を突き立てる。首と腹、その両方から力が抜けていく。だがこの程度の痛みなど、彼女の苦しみに比べれば本当に些細なものであろう。激痛は全身を蝕むが、俺は気絶などしているわけにもいかなかった。


「・・・本能に身を委ねてしまった方が、ずっと楽だったはずだ。・・・けどお前は、理性があるうちに吸血することを選んだ。・・・誰も殺さず生き残るためには、そうするしかなかったんじゃないか・・・?」


望まなくても、どう転んでも自分は、人を傷つけてしまう。そのあまりに残酷な定めに絶望しながらも、彼女は抗った。抗う事で自分が傷つくと分かっていても、尚である。その彼女の前で俺は、物理的な痛みなどに屈してしまうわけにはいかないのだ。彼女のために流れ出る血液を、惜しむわけにはいかないのだ。



「・・・今までよく、頑張ったな・・・赤髪。・・・もう、大丈夫だ。」


「・・・っ!」


彼女の髪にそっと手を添えると、頭上に生えた耳がピクリと跳ねる。彼女が正気を取り戻したことは、牙が突き刺さっていた場所が急に甘嚙みになったところからも確かだった。


「やっと戻ってきたか。・・・・・・あーあー。起きて早々しくしく泣き出すとは、本当に困ったミニガキだよ。」


彼女にかけていたバインドを解き、肩の力が抜けていくのに安堵する。ようやく俺は、彼女を救えそうである。肩にしがみつく彼女に向けて、俺はキリキリと痛む喉を気にもせずに口を開いた。


「・・・吸血鬼のお前に、提案がある。俺は訳あって傷の治りが早いから、その俺の血液をお前に差し出すというのは───」


「──それはだめだ・・・!!」


言い終える前に、彼女は拒絶の色を示す。


「・・・それだけは、・・・ダメなんだ・・・!!せっかく止めに来てくれたのに、・・・ごめん。誰かから貰った血で生き延びることだけは、どうしても嫌なんだ。それに甘え続けて、最後にあんたが死んじまったら、あたしはっ・・・!!」


意外にも、彼女は悲しみと後悔に満ちた声で答えた。どうやら彼女の絶望は、まだ終わりを迎えてはいないようである。もしかすると、彼女は誰かの血を吸うという行為だけでも、心に強い痛みを覚えてしまうのかもしれない。もしかすると、彼女は自分が吸血鬼であるという事実があるだけでも、苦しくて仕方がないのかもしれない。



「・・・なんであたし、吸血鬼なんかに生まれちゃったのかな・・・なんで・・・なんでぇ・・・!」



涙をこらえる声、ひくひくと震える小さな背中、伝わってくる心臓の鼓動の全てが、痛々しくてどうしようもない。俺はその苦しみに顔を歪め、意識して息を吐いた。


「・・・そうか。・・・・・・」


俺が彼女の意志をねじ伏せて強行に走ったところで、彼女が本当に救われることは無いのだろう。静けさと冷気が、辺りを覆った。


「それなら・・・もう一つの策でいこう・・・。」


「・・・もう・・・一つ・・・?」


彼女の声は震えている。だが、だからこそ、俺はその震えを拭い去るために来たはずだ。どうしようもなく熱かった腹部が冷えてきたことなど、知ったことではない。まだまともに口が回るうちに、俺は最後の一言を残す。



「・・・赤髪には、吸血鬼をやめてもらう。・・・っ───・・・・・・・・・」


そう言い残してから意識が飛ぶまでの数秒間で、俺は確かに発動した。


失ったそばから血液が湧き出てくるような、死ぬに死ねない絶望の『呪術』を。

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