31話 俺もいい買い物をした
空間全体に巨大な根を張る肉塊の中心、磔刑にかかった男に手を触れ、状態転流を発動させる───
「──間に合えッ・・・!!」
「・・・」
──刹那の斬撃。
根に縛り付けられていたはずの男の右腕は、その腰に提げた剣を引き抜き、既に振り切っていた。
・・・俺の腕が、宙を舞っている。今の今まで俺の肩と繋がり、目の前の男から呪詛を取り除かんとしていた右腕が、鮮血を散らしながらひとりでに、ただ宙を舞っている。壮絶な痛みとめまい、それから時を刻む隙を与えず、俺の身体は為す術なくその男に突き飛ばされる。
「・・・ッッ!!・・・・・・ハアッ、ハァッ・・・!!・・・嬉しくて手が滑ったなら許すが・・・そうでもないみたいだなッ・・・!!」
かろうじて受け身を取るも、暴れる、叫ぶなどして気を紛らわせなければ、割り切って耐え忍べる痛みではない。腕が切断されただけにしても、痛みで視界がグラグラしてすぐに気絶しそうだ。縛っていた肉の根を振りほどいた男は、毅然とした立ち振る舞いで近づく。
「君も、僕と同じ偽善者なんだね。見てよこの空間を、と言っても暗くて見えないかもしれないけど。僕の腕を五十本近く伸ばしてあったのに、君のせいでたったの二本になってしまった。」
左手を膝に着いたまま目を凝らして見ると、洞穴全体に根付いていた巨大な肉塊は全て、風化して塵となっている。そう、俺は確かに先手を取った数秒の間に、奴の持っていた呪詛の根源を奪い取っていたはずなのだ。現に俺の内側には、邪悪な種子のイメージがちゃんと納まっている。・・・だからこそ、それを失ったはずのこの男、本来の優しさを取り戻したはずの王子が俺の腕を斬り飛ばすという状況は、全くの想定外なのである。
「殺戮兵器みたいな肉塊が約五十本と、ちんけな右腕が一本。アレが全部大事な腕だったってんなら、俺もいい買い物をしたな。・・・ああ、痛ぇ。」
「どうだろうね?僕の本体をギリギリ押さえつけていた鎖が解けたから、これから何万人も死ぬかもしれない。」
「・・・へぇ、そりゃどうして。」
「君はすぐにこっちに来るだろうし、聞きたいなら教えよう。君が引き取ったのは、自分勝手なお姫様が持っていたものだ。・・・僕の中にはまだ、僕の呪詛が残っている。・・・・・・絶望させたかな。それなら嬉しいけど。」
・・・予想外、いや、もしかすると予想できていたのかもしれないが、考えたくもなかった未来が、確かに目の前に広がっている。この王子は呪詛の根源を受け取った後、自らの心のうちに新たな呪いの火種を宿してしまっていたのだ。
「この呪いを持つ者は、多分そうそう死ねないんだ。絶対に勝てない邪竜に挑んで、ズタズタに引き裂かれてやろうと思ったんだけどね、っはは、引き裂かれたそばから肉が増えて、痛いだけで死ねなかったよ。」
「──ッ!!」
「そう悲しそうな顔をしなくてもいい。結局はまた、王都中呪術まみれになる。僕がやったことも、君がやったことも、ただの偽善なんだからね。僕は馬鹿だから最後の最後まで粘って、邪竜と一緒に封印されてみたけど、やっぱり駄目だった。膨れ上がる呪詛に絶望して、どうにもできない自分自身を呪って、むしろ呪術の根っこをもう一つ増やしてしまったくらいだ。」
穏やかな口調で語られる言葉から、底の見えない絶望が心臓に伝わる。この男は自身の持つ底知れない優しさによって、想像を絶する痛みを味わった挙句、希望を持って抗い続けた報酬として、絶望を手渡された。俺はこの時、血しぶきを上げる腕の痛みよりずっと強く、腹の内で煮えくり返るものの熱を感じていたが、握りしめようと思った拳は遠くに転がっており、ただ不甲斐なさが心を抉るのみだった。俺は膝立ちしたまま俯き、痛みから逃げるように想起する。
この前も、同じような気持ちになっていたように思う。その時は確か、団長の言葉で立ち直ったんだったか。確かその言葉は、『安心しろ』というような意味だっただろうか。・・・その言葉は元々、・・・今目の前にいる男が放ったものだったか。俺はその言葉でどれほど救われただろうか・・・俺はその言葉を、誰にかけてやりたいと願ったのだろうか。
(俺はこの命を、どう使おうと思っていたんだったか・・・)
どうしてか、痛みが少し和らぎ、視界が少し晴れた。時間が止まったような感覚のまま顔を上げると、王子が剣を大きく振りかぶっているのが見える。
「そんなわけで、今の僕は大人しく、絶望を増やすことにするよ。・・・塵芥の八つ当たりだ。そして教えよう、ヒトという生き物は、どれだけ醜い生き物なのかをね!!」
「・・・そうかよ。」
俺はゆっくりと踵を持ち上げ、そして唱えた。
「・・・ステップ・・・!!」




