0話 序章 鏡を見るよりよく分かる
「あなたの転移特典は、『スキル弱化』です。」
「・・・弱化、相手の『スキル』を、か?」
「いえ、あなたが発動したスキルはあら不思議、極限まで弱体化します。」
「っはは、随分とお茶目なキャッチコピーじゃあないか。・・・結構結構、一向にかまわない。使命も何もありやしないんだろう?・・・好きにやってやるさ。」
──────
────────────
騒然とする教室。落ち着きのない足音を立て、男はつかつかと歩み寄って俺の前に立つ。そいつは頬杖をつく俺の肘が乗っている机に向かい、無遠慮にも両手を叩きつけながら言った。
「お前、玲子に何した。」
過ぎる日々に連れて新鮮味を失っていく四限が終わるも、この時間の教室はまだ春の風が吹き抜けている。開け放たれた窓をガタガタと鳴らす、可愛げのない強風。俺は退屈しないこの風を受けて一服した後に、楽しみな昼食をぶら下げて外へ出るのが日課だった。
にも関わらず、優等生で容姿端麗、『クラスの人気者』である道明寺は、怒りの表情を隠しもせずに行く手を阻んでいるようなのだ。
「玲子、ね。・・・・・・誰だそいつは」
「お前が殴った女の子だよ!!告白を装って体育館裏に呼び出し、彼女に暴力を振るったんだろう!?」
俺、問題児の真田誠が雨宮玲子という美少女をボコボコにした、という噂は、気づけば学校中に広まっていた。『美少女』に、『問題児』。愉快な肩書で印象づけられた、いかにも大衆が好みそうなトレンドニュースである。
「ああ、あいつか。・・・そうだな、ああ確かに殴った。しかし、何したか聞いた割にはよくご存じのようで。」
真剣な表情で問い詰める道明寺に、締まりのない返事と欠伸を返してやる。コミックの主人公が格好良く怒るときのセリフは良いが、次の一言でもう矛盾が生まれているようだ。
「男として恥ずかしくないのかって聞いてんだよ!」
俺はそのようなことを聞かれた覚えはないが、道明寺がそう聞いたというのなら、俺の読解力が欠如しているのだろう。彼の一言は昼休みの教室に騒々しく響き渡り、ほとんど需要のない緊迫感が辺りを包む。俺はお昼ごはんがこんなにも楽しみだというのに、全く人騒がせな連中だ。
「筋金入りのクズだな」
「女の子だけは傷つけちゃだめだと、なんで分からないかなぁ。」
「返事ぐらいすればいいのに。」
全く人騒がせな連中というのは、訂正しよう。どうやら、人を騒がせているのは俺みたいだ。周りの生徒がこうも容易く便乗するのは、始業式から三か月の現在、『リーダー格には同調せよ』という風潮が存在しているのが主な理由だ。しかしそれでも原因は俺、返事をしろとのことで、何を言っても叩きのめされるだろうと思いつつも、俺はごく素直に返答してしまうのである。
「・・・まあ、恥じてはいないが・・・痣だらけの顔を見た時は少し、後悔したのかもしれないな?」
「はぁ!?ほんと最低。」
「マジでふざけんなよテメエ!」
「お前みたいなのがいるから!!」
制裁、二巡目。大衆は顔を見合わせ、不自然な間を空けてから騒々しく畳みかける。男子諸君は今にも殴り掛かりそうな表情、を、キープしたまま周囲に目を配り、実際は眼前の邪悪に対して踏み込みすらしない。優しいのか、それとも機を見て動くタイプなのか。どちらも違うのなら、偽善とか中途半端とかの、ちょっとつまらない言葉が出てきてしまう。
道明寺も不自然に時間を空け、一通りの悪口が済んだところで口を開いた。
「外野は黙っていてくれ!大事な話をしているんだ。」
タイミングが圧倒的に遅れているが、道明寺は俺のようなクズにも気を使ってくれるようだ。お優しいことこの上ないが、もう少し贅沢を言うなら、外野が騒ぐことぐらいは想定して欲しかったものである。こいつはクラスの人気者で俺は学校中の人気者なのだから、野次馬が囃し立てるのもごく自然なことで、俺からすれば横暴もいいところだ。
まあ、外野も外野である。多数派が正義だと信じて疑わず、正義の罵詈雑言がことを好転させると確信している。例によって贅沢を言うなら、俺はもう少し気の利いた悪口を言ってもらいたいのだ。俺の好物は気の利いた皮肉であって、利己的で退屈な正論とは違うのである。まして今しがた受けた言葉は、正論ですらないように思えた。
「場所を変えるか。大事な話と言ったら屋上だろ?」
このままでは、教室で静かに食事を楽しみたい生徒が、『道明寺君に賛同しない変な奴』として扱われてしまうだろう。それも俺のせいで、である。そんなはた迷惑な理由によって、みんなの疫病神である俺は息を吐き、茶化しつつも場所替えを提案する他なかった。
「危ないよ!道明寺くんまでやられちゃうかも!」
「大丈夫だ。・・・分かった。要求を呑もう。」
俺の提案を『要求』だと言い切った上で、道明寺は了承してくれたようだ。弁当の包みを人差し指の関節にかけ、俺は心地良い重みを感じながら教室を出た。
「・・・お前みたいなのがいるから、ね。楽しいことを言ってくれるじゃないか。」
日の光がよく入る階段を上り、屋上のドアノブを捻る。
抜けるような青空と胸を通る風、お互い心地良く話せそうだ。
「人っ子一人いないのは、やたら長いあの階段のせいか・・・?まあなんにせよ、こいつはいい気分だ。昼飯スポットにするのも悪くない・・・っと、悪いな。なんの話だったか。」
「玲子は・・・玲子はつい最近まで虐められていたんだ。それがやっと収まったのに、今度はお前が虐めるのか!玲子に謝れよ!!」
いつも通りの絶景を見向きもせず、道明寺は声を張る。感情的で字面の良い、自他に言い聞かせるような言葉の羅列。まさかこいつは演劇部志望なのだろうか。それとも逆上する俺の深層意識が、身勝手に胡散臭さを訴えているだけなのだろうか。疑問は平行線をたどったから、そこを考えるのはやめた。
「謝る分には構わないんだが・・・俺の前のそれは、どうして収まったんだろうな?」
「彼女は別の女子たちに陰口を言われていたんだ。そこに僕が割って入って、陰口だって立派ないじめだからもうやめろと言ったら、すんなり受け入れてくれたよ。」
『陰口だって立派ないじめ』だそうだ。それには賛成だが、そのまま行けば先の俺は、さしずめ集団リンチでも喰らっていたことになるだろう。あれが悪意でなく純粋な敵意だったと言うのは、少し無理があるのではなかろうか。
しかしながら、である。俺がこの男に何をされようが、この男が行った善行はまぎれもなく本物俺はそこをきちんと見て、何なら褒めてやった方が優しい世界ではないか。こいつが一歩踏み出して平和を導こうとしたのなら、そこは大いに評価されるべきだと思うだろう。俺は壮大な雲を眺めつつ、道明寺を試すように口火を切った。
「・・・・・・で、どうして俺が謝るんだ?」
「ッ──!!」
痛打、ではないが。次の瞬間、道明寺は大げさに振りかぶって、俺の顔面を殴り飛ばした。
「・・・あーあー。十七にもなって、人を殴るんじゃあない。成熟したのは拳だけか?・・・っと、それは俺もなんだったな。」
鈍い音は響きもせず、俺は頬をさすり息を吐く。
痛みを与えただけの凶器は、もしかすると、本人の目には正義の鉄拳として映っているのかもしれない。だが俺にしてみれば、チャンスを見つけて愉快にストレスを発散させただけの、退屈で隙だらけななまくらにもなってしまうのだ。視点の違いによって、彼の怒りは悪足り得るのである。
だから俺は、そのなまくらを打ってみることにした。
「まあとにかく、だ。お前が悪化させたものを俺が未然に防いで、代わりに俺が殴ったなら、別に俺は悪くないと思うんだが?」
さてどうだ、俺は都合の良い持論を持ち出した。道明寺は目を見開いたが、すぐに文字通り睨みを利かせて言った。
「僕が・・・悪化させただと?」
勝手なことを言うなと、そう言いたげな面持ちである。
「・・・そうだ」
道明寺の整った顔が醜く歪む。ブレなかった俺の表情から、悲劇の可能性を感じ取ったのだろう。
「ふ、ふざけるな!そんなはずは───」
「──あるんだ。残念なことにな。」
湧いてきた不安からの単純な逃げ道はやはり、正面からの否定であろう。そんなはずはないと、そう思うのは当然のことだ。だが、無根拠な虚勢は今、無意味である。
「ッ──!!・・・・・・」
音のない間が空いて、道明寺が纏う雰囲気が一変する。
俺の一言でプツンと、大切な何かが切れてしまったのだろうか。およそ優等生とは程遠い笑みを浮かべて嗤いだした。だがこの時の俺は、こいつが今までで一番弱々しい表情をしているように見えたのである。
「フフ・・・ハハハ!・・・そ、そうなんだ!!・・・・・・でも、しょうがないかもね!折角助けてやったのに、全然僕になつかないんだからさぁ!!恩を仇で返す奴なんて、いじめられても仕方ない・・・ああ仕方ないよ!!っとぉ、みんなに報告したくなった?まあみんなが信じるのがどっちか、せいぜい試してみると良いよ!僕は正義の心なんて、何処にも持ってなかったってね!!」
「・・・・・・・・・」
ペラペラと事情を話すこいつは、おそらく自分に酔っている。陰口に介入したのも雨宮に近づくためだった、実際裏で彼女が何をされようが知ったことじゃないと、それが彼の言い分らしい。激しく息を荒げる道明寺の眼前で、俺は空を見上げた。
「──いや、違うな。」
「・・・は・・・?」
息を吸って、吐く。雲は出ているが、それも綺麗だ。
「俺を殴ったお前の面は、そんなじゃなかったぞ」
「っ──!!」
探りだしてほしいのは、あの怒りの根底だ。知った事ではないのなら、怒りに顔を染める必要はあっただろうか。雨宮を殴ったからなんだと、そう開き直った俺を殴る理由はあっただろうか。答えは否だ。
「正義の心が何処にも無いだと?冗談じゃない。少なくともあの一瞬は、他人のために怒っていたはずだ。今は燃え尽きたんだとしても、燃やしてたのは正義だろうが。」
「お前に・・・僕の何が分かる!!」
「分かるさ。自分が一番可愛くて、仕方ないって言葉が大好きだ。・・・ああそうだ、鏡を見るよりよく分かる。甘い上に、浅い。本当に、世も末だ。」
中身が薄く、詰めが甘い。その上最後は自衛に走るのだ。知っている。揃いも揃って、やりたいことは自己陶酔、つまり自分に酔っぱらう事のただ一つだけなのだ。
「・・・だが聞けよ、道明寺。邪な理由があったとしても、実際どうにもならなかったとしても・・・どうにかしようと思ったのは、お前だ。」
「でも、・・・悪化したんだろう・・・?彼女は僕のせいで、今も苦しんでいるんだろう・・・!?」
ポケットに手を突っ込んで、弱々しく呟く道明寺の真横を通り過ぎる。開けた屋上の出口、そのドアノブに手をかけてから、俺は振り向きもせずに吐きこぼした。
「雨宮がお前に振り向くかどうかは知らんが、悪化した虐めについては、何とかなったみたいだぞ。」
「そ、そうか。・・・・・・それは、良かったよっ・・・!!」
声を震わせて言った道明寺を残し、扉を閉める。再びズボンに手を戻して歩き、カツカツと音を立てる階段を、心底愉快に思った。
「それで喜べるんなら、お前は大丈夫だ。・・・気張れよ、道明寺。」
一言呟きながら踊り場を曲がると、下に雨宮玲子が立っている。
道明寺に何か用だろうか。たった今奴は愉快な面で泣いてやがるかもしれないが、まあ知ったことではない。とりあえず無視して通り過ぎるとしよう。
「ちょっとこっち来て」
と、問題児なりに何も知らぬふりをした俺の配慮も虚しく、彼女は急に俺の腕を掴んで歩き出した。ついていくと、無人の教室に入る。
暗がりの理科準備室、まあベタと言えばそれまでである。
「・・・この間の仕返しか?」
「そんなんじゃない。・・・なんで本当のこと言わないの?」
「何のことだか」
「とぼけないで。」
相手に距離感が狂ってしまった雨宮、グイグイと顔を近づける彼女に軽く舌打ちをしつつ返す。
「・・・まあ、話くらいは聞こう。」
──────
つい先日の出来事。
「あんたが、顔が良いからって調子乗ってるから悪いのよ!!」
「別に・・・顔が良くて得したことなんてないしっ・・・!」
「ッ・・・そういうとこがムカつくだっつの!!」
俺の一人飯スポットである体育館裏には、先客がいた。
見ると、一人の女子生徒がガラの悪そうな女子生徒複数人に囲まれ、暴力を振るわれている。
セリフといい場所といい、ベタすぎると指摘したいところだが、撮影機材も無いようであるし今はいいだろう。
「何してんの?」
声をかけると、周りの仲間と目配せをしてから、余裕の表情を持ち直す。
「あんたには関係ないだろ、ああ!?」
「おー吠える吠える。よくもまあそこまでチープな威嚇ができたもんだ。・・・自分を大きく見せるにしても、もうちょい上手くやるんだな。」
言葉と同時に壁を殴り、木の板をバキバキに折って見せる。
ここの壁は体育館の舗装前のもので見た目より脆いが、嘘に意味を見出すマジシャンからすれば面白いタネだ。もちろんこれも矮小な行為であるが、今の彼女らに対してなら、この程度の対応で十分なのである。
女子生徒たちは案の定、恐怖に顔を染める───
「──なに、やってるんですか?」
と、反対側の曲がり角から出てきて言ったのは、別の女子生徒だ。現場には、怪我だらけの雨宮と複数の女子生徒。俺の立ち位置は遠く事は一目瞭然、ベタな暴行現場である。
「さて、と。・・・どうすっかな。」
ちょっとしたイレギュラーで、状況がややこしくなってきた。眉間にしわを寄せるリーダー格を睨むが、さも俺が加害者であるかのような目を向けるのだから情けない。一般生徒に見つかるような場所でポカポカ人を殴った自分らの落ち度を、ほんの少しは自覚してもらいたい。
「(問題児からヒーローに昇格ってわけ?言っとくけどアンタなんか───)」
「──そういうの間に合ってっから。黙って反省してろ・・・はぁ、退屈だ。ッはは」
ヒーローに昇格?彼女の傷を瞬時に癒せない時点で、英雄気取りの偽善者だろう。全く、皮肉にしてもユーモアに欠ける。次はもう少し気を利かせてくれることを願おうか・・・
・・・狂気の笑みを浮かべ、女子生徒たちを睨みつける。
「楽しいショーの始まりだ。一人目は・・・お前にしよう。避けるなよ?」
俺は拳に力を入れ───
「やめてっ!」
女子生徒を守った雨宮玲子の前で、ピタリと止める。
女子生徒に殴りかかる俺、庇う雨宮、動揺した第三者。・・・これで舞台は整った。
「なんで邪魔するんだァ!!?」
狂ったように怒鳴って彼女の腕を押さえつける。かなり気合の入った演技だったと思うのだが、彼女の顔から怯えは消え去り、その瞳から折れない覚悟が垣間見えた。
「・・・離してよ。」
「良い顔だな、やってみろ───グッ・・・!!」
膝蹴りが腹に刺さる。
か細い膝で痛いはずもなかったが、俺は膝をついてその場に倒れ込んだ。
「・・・、・・・ああもうっ!あんたらも行くよっ・・・!」
「んなっ!・・・あんた何言って───」
「──いいぞ、走れ・・・。残った奴から、・・・『殺す』・・・!!」
「ひっ!!」
「・・・ほら、早く掴んで!」
──────────
今の今までいたぶられていた少女が、憎むべき加害者の手を引いていく。
「皮肉なもんだ。・・・大分気が利いているじゃあないか」
逃げていく彼女らを見届けたあと、俺は笑って弁当を取り出した。
「あーあ。・・・・・・今日も美味いな」
──────
執筆力向上も兼ねて別視点バージョンなんかも書き始めましたので、道明寺のことなどがもっと知りたいと感じていただいた方は是非、そちらもよろしくお願いします。