5 サキ
「メッセンジャーよ、名を名乗れ」
「卑怯者ダキの弟子サキだ」
サキは町の中へ引き上げられた後、要塞のように堅牢で巨大な町の中でもひときわ堅牢そうな建物に連れて行かれた。衛兵のように武装した男たちを従えた背の高い老人の前へ引き出された。衛兵たちの言葉からその男が長老と呼ばれていることがわかった。
「卑怯者の弟子か。そなたも卑怯者か」
「そうだ」
「くくく、そんなはずはあるまい。」含み笑いをして長老はサキを見つめた。
「命を賭けて呼子を吹き続けた。命のいらない卑怯者か」
「そうだ」
「命は必要だがそれほど重要じゃない。重要なのはメッセージを届けることだ。」
「死んだらメッセージを届けられないぞ」
「私は死なない」
「もう少しで死ぬところだったぞ」
「もう少しで死ぬところだったが生きている」
「確かに、生きている。くくく、おもしろい」
「気に入った」
「そうまでして届けたいメッセージ。受け取ろう」
「あなた宛ではない」
「なに、」一瞬にしていままで穏やかだった長老の顔が憤怒に塗れた凄まじい形相に変わった。
「この町のすべてを取り仕切るのはこのわしじゃ。わしの知らない事などこの町には何一つ無いのじゃ。わしに無断で誰にもメッセージなど渡すことはさせん。」
「さあ、わしに渡せ」
「あなた宛ではない」
「ぬぬ、この者を縛り上げろ。」長老は周りを取り囲んでいる男たちに指示をした。
「裸にして縛り上げるのじゃ。メッセージを探し出せ」
超然と立ち、身動きしないサキを男たちが押さえつけた。メッセンジャーからメッセージを奪い取るという恥ずべき行為に男たちは逡巡しながらも長老を恐れる気持ちがそれに勝った。だがあまりに超然として無抵抗なサキの態度に男たちは戸惑いサキの体に触れるだけで服を脱がせることができなかった。
「何をしている」長老がそこに分け入りサキの顔を持っていた杖で叩いた。サキの頬から血が流れ出た。男たちを突き飛ばして長老が自らサキに掴みかかり服を剥ぎ取った。老いぼれたしわくちゃの指でもたもたとサキを裸にして剥ぎ取った服を男たちに向かって抛った。
「早く探し出せ」
素っ裸になったサキはそれまでと全く変わらぬ態度で超然と立ち続けた。その瞳は空のように真っ青で深く澄んでいた。
「おい、まだ見つからないのか」いらいらとした声で長老が服とバック、手袋や靴の中までナイフで切り開いて調べている男たちに怒鳴った。男たちはもう何度も同じところを調べている。もう何も無いことがわかってきたが長老が怖くてその作業を続けていた。
「ぬぬ、貴様はうそつきだ。メッセージなど無いわ」
長老は思い直したように裸のサキに尋ねた。
「メッセンジャーよ。お前がメッセージを持っていないことがわかった。それともお前の言うメッセージとは形の無いものなのか。それならその形の無いメッセージを誰に届けるのだ。言ってみろ」
じっと黙って立ち続けていたサキが静かに口を開いた。
「あなたにそれを言うことはできない。あなたは受取人ではない」
「ぐぐ、、」
長老は真っ赤になりいきなり腰の剣を引き抜いた。その勢いでそのままサキの頭の上から振り下ろした。
「おお、」二人を取り囲んでいた男たちが悲鳴のようなどよめきを上げた。
剣はサキの額を割り真っ赤な血が吹き出した。サキは微動だにせず流れ落ちる鮮血を全く気に留めることも無く立ち続けた。長老の老いた力ではサキの額には剣は食い込まなかった。表面を切り裂いただけだった。毅然と立ち続けるサキを見て長老は狂ったように剣を振り回して今度は刃先をサキの首に突き刺そうとした。肩の上に剣を構えてサキに向かって突進してきた。
どん、と大きな音がして囲んだ男たちの悲鳴が上がったとき長老が床に転がっていた。
長老と一緒に一人の大きな男が床に転がって長老を抱きかかえていた。
男は涙を流していた。
「もうやめてください。やめてください」
「こんな立派なメッセンジャーになんていうことを」
「く、貴様、何をするか。」長老はその大男に切りつけようとした。今度は別の男が剣を振りかぶった長老の手を捕まえた。
「やめてください。長老」
「く、貴様もか、何をする。追放だ」
「この二人を捕まえろ。」
「みんな何をしている」
だが男たちはみんな動かなかった。みんなうなだれて下を向いている。
「お前たちみんな追放だ。町から出て行け」
長老は叫びながら部屋を出て行った。
「疑問が二つあります」サキが大男に尋ねた。
「なぜ私を助けてくれたのですか」
「なぜあの老人が長老なのですか」
大男の名前はベキといった。サキはあの後、傷の手当をされて大男ベキの家に連れて行かれたのだ。ベキはこの町の衛兵隊長だった。落ち着いた質素な部屋だが、生活感が感じられない。一人暮らしのベキはほとんどの時間を外で過ごしこの家では寝るだけなのだろう。家族の存在を思わせるような家具や食器も見当たらない。
「一つ目の疑問の答えは私にもわからない。あの時はそうするしかなかった」
「二つ目の疑問にも答えられない。コウ長老はとても老いてしまった。昔は町のために私利私欲を持たずわが身を捨てて尽くしてくれたと聞く。かつて何人かいた長老たちは皆老いて死に絶えた。ただ一人コウ長老が生き残った。一人になって少しずつ変わっていってしまった。コウ長老はかつて大破壊で家族も知り合いもすべて失ってたった一人でこの町へ流れ着いたと聞く。この町はとても古い。おそらく太古の大破壊を切り抜けた古代の町だ。今は亡き長老たちがこの町にたどり着いたときこの町はただ一人のサイクラーもいないのに無人で道の上を漂っていたという。そこに長い間にさまざまな人々が流れ着き次第に町としての機能を持ち始めた。メッセンジャーよ、この町をよく見ろ。この町はほかの町とは違う。堅牢な壁と扉、高速で進行するサイクルの機能。それに町のいたるところに備え付けられた巨大な武器。すべてもともとあったものだ。かつてこの町は攻撃を受けそして攻撃する要塞だったのだ。そしてこの町は世界の番人の役目を果たしてきた。海賊とも呼ばれる略奪者たちの町から善良な町を守るのもわれわれの役目だった。誰が何のためにこの町を作ったのは誰も知らない。そして伝え聞く太古の大破壊がいかなるものだったのか。何もかもわからないことだらけだ。ひとつだけはっきりしているのはコウ長老はメッセンジャーをひどく憎んでいるということだ。メッセンジャーサキ、あなたは私が知る限りこの町に入ったただ一人のメッセンジャーだ。」
「それよりもメッセンジャー。わたしからもあなたに訊きたい事がある。あなたはなぜ自らを卑怯者と呼ぶのだ。あなたはわたしが今まで見てきたどんな兵士やどんな勇者よりも誇りたく勇気を持ち毅然とした強い意志を持っている。そのあなたがなぜ卑怯者なのだ。それともただの言葉遊びか。」
「言葉遊びなどではない。わたしは心底卑怯者だ。もうすぐそれはわかる」
そう言ってサキはジャケットのポケットから畳んだハンカチを取り出した。あまりに小さな薄いそれはコウ長老の捜索のときポケットに貼りついて見逃されたのだった。そしてもし見つかったとしても何の興味もわかないようなものだった。
「衛兵隊長ベキ殿。メッセージです」
それはいきなりだった。サキは両足を大きく開いて不動の姿勢をとった。左手をまっすぐ前に伸ばして手のひらを上に向けてその上に畳んだハンカチを載せている。それをベキの目の前に差し出したまま右手でつまんでゆっくりと開いていく。ベキは驚愕して直立したまま凍りついた。ベキは開いていくハンカチの中を一心に見つめた。サキは何重にも小さく折りたたんだハンカチを慎重にゆっくり開いていく。少しでも震えたら壊してしまうのかと思えるほどゆっくりと慎重に右手だけで開いていく。だがハンカチはまるで重さなど無いようにサキが片方を持ち上げて片面を開くごとに浮き上がる。サキの目はベキをじっと注視したままその行為は続けられた。しきたりではベキの目は本来はサキの瞳を見つめ返すのだが、ベキはハンカチの中身を見ずにはいられなかった。
そしてハンカチがサキの手のひらの上で何回か裏返った後とうとう最後の面が開いた。
「これは、」ベキが思わずつぶやいた。
ハンカチの中身は何も無かった。
ベキはサキの顔とハンカチを交互に見た。全身から汗が噴出している。サキがゆっくりと口を開いた。
「いつまでも愛しています」
ベキはそれだけですべてを理解した。両目に大粒の涙が溢れてきた。
このメッセージは遠い昔別れ別れになった今はもう消えてしまった妻からのものだった。生きていたのか。
だがこのハンカチは何だ。中身の入っていない。
「このハンカチは誰のものだ」ベキはたずねた。
「このハンカチは私の師匠のものです」サキは答えた。
「妻は生きているのか」
「死にました」
「妻に会ったのか」
「いいえ、会いません」
「妻に会わずにどうして妻からのメッセージを託されることができる」
「それは長い話になります。私はメッセンジャー。メッセージを運ぶだけです」
「質問を変える。このハンカチは何だ。なぜ私に見せる。」
「このハンカチはかつてあなた宛のメッセージを包んでいた。とても長い間。」
「メッセージがちゃんとあったのか。それはどうした。失くしたのか。」
「失くしました。」
「貴様、簡単に言うな。メッセージを無くしただと。」
「このハンカチの中にわずかに燃えカスが残っています。今はこれが全部です。」
ベキはすばやくサキの手を掴みハンカチを覗き込んだ。舐めるように目を近づけた。
「こ、こ、これが、メッセージの燃えカス、、妻からのメッセージの。」
ベキは大切そうにハンカチを両手で掴み顔を近づけた。
「あああ、このにおい、ああ、これは妻のにおいだ。おお、」
ベキは泣き崩れた。サキはベキが泣き続けている間そのまま見下ろしていた。
しばらくするとベキは不意に立ち上がりサキを睨みつけた。
「サキ殿、メッセージは確かに受け取った。」ベキは自らの指先を腰の剣の横に備えられた小さなナイフで傷をつけ溢れる鮮血でサキのジャケットの背中に指印を押し付けた。サキは深々と頭を下げ姿勢を戻し立ち去ろうとした。
「待て」
後ろからベキが大声で呼びかけた。
サキが振り向くと目の前にはベキの腰から抜かれた剣が突きつけられていた。
「サキ殿。答えてもらおう。答え次第ではあなたを殺す」
サキはそのまま目を閉じた。
「どうぞ」サキは答えた。
「ぬぬ、そうではない。答えるのだ。誰がこのメッセージを燃やしたのだ」
「私です」
「くく、なぜ燃やしたのだ」
「私が卑怯者だからです。」
ベキは突きつけた剣を振りかぶった。今にも剣がサキに向かって振り下ろされそうとベキはサキの瞳を見た。深い深い空のように澄み切った青い瞳はかつてないほどの穏やかな色になった。サキの顔は心の底から辛苦から開放されたような穏やかな表情になった。
ベキは剣をおろした。
「わかった。確かに貴様は心底卑怯者だ。はじめから死ぬつもりだったな。貴様など斬っては要塞の町の衛兵隊長ベキの剣が穢れるわ。貴様は殺さない。一生苦しみ続けるのだ。もういいとっとと失せろ」
そういうとベキは剣を横に払い鮮血が飛び散った。サキの顔には深い傷跡を負わせた。
メッセージの配達は終わった。まだ生きているのか、サキはこれからのことを何も考えられなかった。そして処刑されたダキのことを思い自分が情けなくなった。
「ダキ、」と小さくつぶやくと冷たい氷のような瞳に戻りサイクルを漕ぎ始めた。
要塞の町では衛兵隊長ベキが捕らえられていた。親指の傷が長老に見つかりメッセージを受け取ったことが知れたのだ。長老はメッセージの内容を知りたがった。ベキは自分がどのようなメッセージを受け取ったのかをどんな拷問にも口を割らなかった。メッセージを憎むコウ長老にどんなに責められても決してその内容を教えなかった。ベキはとうとう責め殺されてしまった。激しい拷問に関わらずその死顔はとても穏やかなものだった。そのことがさらに長老を怒らせた。そしてメッセージを届けたサキに対しても激しい怒りを燃やし追跡命令を出した。サキを捕まえ、メッセージの内容を知ろうとしたのだ。
サキは追跡されるものになった。
長老の触れに対して足に自慢の二人の男が追跡者として名前が挙がった。メッセンジャーを追跡するのだ、どちらも町一番の脚力を自負するサイクラーだ。
「何日、何ヶ月、何年かかってもいい。必ず捕まえろ。捕まえるまで追跡は終わることはない。たとえあのメッセンジャーがお前たちよりも早く進み続け、追いつくことができなくても追跡をあきらめることは許さない。」
二人ともこんなくだらないことに、とは思わなかった。町サイクラーのジェイ。彼は長老が提示した賞金をどんなことをしても手に入れたかった。長老は自分の財産の半分を賞金にした。それは追跡者の二人で均等に分けても気の遠くなるような金額だった。ジェイはその百分の一の金額を前金として要求した。その前金はもし捕まえることができなくても先に使ってしまってもかまわないことを要求した。その代わり追跡は捕まえるまで永遠に続けると申し出た。長く辛い追跡になるだろうことは長老にもわかっていた。そして金もかかる。長老はその要求を認めた。百分の一でも普通の庶民が一生暮らしていける額だ。
もう一人の追跡者エルはベキの部下だった。エルは前金を要求しなかった。人々はエルを馬鹿だと思った。要求さえすればもらえるものを断ったのだ。この追跡は一生かかるかもしれない。もし追いつけなければまったくの無駄死にだ。それでもエルは長老も町の人々も首をかしげる中、前金を受け取るのを硬く固辞した。結局それでも衛兵仲間たちの勧めでわずかな旅費は受け取った。最速でメッセンジャーに追いつけた場合の最低限の生活資金だった。いざとなればもうひとりの追跡者ジェイの受け取った前金がある。二人が協力して追跡することを誓わせ、そして人々は二人を見送った。
エルはジェイをいぶかしんだ。早く追跡を終わらせたい気持ちはわかる。だから二人とも全力で休み無しに走り続けているのだ。だがエルはっきりとした計画を持っていた。もしメッセンジャーサキが追跡されていることを知って逃走を始めたらもはや決して追いつくことはできないだろう。追いつくことができるのはサキがメッセンジャーの仕事を相変わらず続けて受取人を探しながら旅を続けている場合だけだ。その場合ひとつの町に受取人を見つけるまでの間ある程度滞在しなければならない。追いつけることができるのはそういう場合だけだ。ひたすら逃げられたら決して捕まえることはできないのだ。既にサキが出発してから丸一日が過ぎている。すぐに追いつける距離ではない。それなのにジェイのようにこんなにも休まず走り続けたらこちらの体の方が参ってしまう。もしサキを見つけることができたとしてもその時点で疲れでぼろぼろになっていたらせっかくのチャンスをふいにしてしまう。たった一度のチャンスを。
次についた町で番人にメッセンジャーの消息をさりげなく尋ねた後、今この町にメッセンジャーは滞在していないことが確認できるとジェイはまたもや休まず出発しようとした。
「ジェイ。いい加減にしろよ。体がぶっ壊れるぞ。」
ジェイは気だるそうな態度でエルを振り返った。
「いいや、大丈夫だ。それよりも早く追いつかないと、」
「いい加減にしろよ、ジェイ。一日や二日で追いつけるわけないだろう」
「万が一やつがどこかの町で手間取ってうろうろしていたとしても、その場合しか追いつける可能性はないけど、奴を見つけたとき俺たちがふらふらだったらせっかくのチャンスを逃してしまうかもしれないんだぞ。チャンスはただの一回だ。奴に追われていることを気がつかれたらもう捕まえることはできない。気長に慎重に行くしかないんだ。それしか方法はない。お前に付き合ってもう二日寝ないで走ってきた。俺はもう限界だ。」
「俺一人で行く。お前は休んでいろ」
「俺が言ったことが聞こえなかったのか。ジェイ。チャンスは一回だ。お前一人にそのチャンスをぶち壊しにされてたまるか」
二人はそのまま睨み合った。
「俺には時間がない」ジェイはそう言うと頭を抱えて座り込んだ。
「わかった。あと一日だ。あと一日だけお前に付き合う。だがその後は必ず休憩するぞ」
とうとうエルが折れた。エルの言葉にジェイは頷かなかったがエルは強引に了解と受け取ることにした。
「よし、そうと決まれば出発だ」エルは努めて明るく声をかけた。だがジェイは座り込んだまま立ち上がろうとしなかった。俯いて下を向いている。
面倒くさい野郎だな、今度は何が気に食わないんだ。
「ジェイ、ジェイ。判るように言ってくれないか。俺は頭も飲み込みも悪くてお前の考えがさっぱりわからない。今度は何が気に入らないんだ」
ジェイは俯いたまま自分の世界に入っているまったくエルの声が聞こえない様子だ。
「おい、」返事をしない。
エルは力加減に気をつけながらそうっとジェイの肩に手を置いた。
訳のわからない奴だ、うっかりしたことで大喧嘩になることを気をつけたのだ。だがエルの手がジェイの肩に触れるか触れないかの距離に近づいたときジェイの体がゆっくりと動いた。横にそのまま斃れるように地べたに崩れ落ちた。
「ジェイ、」エルは呆然としてジェイを見下ろした。




