2 城
町にメッセンジャーが入ろうとしていた。しばらくメッセンジャーの絶えていたその町は要塞のようなとても堅牢なつくりだった。その町の進む速度はほかの町々よりもだいぶ速かった。鍛え抜かれた町サイクラー達が死に物狂いでペダルを踏み続けていた。しかも人目を避けるようにほかの町がほとんど通らない、通る意味のない危険なルート、沼地側を走っていた。広大な道の片方の端に陸地がありもう片方の端に沼地があることはこの世界に生きるすべての人々は知っている。陸地はまだしも沼地はと言えば実際には見たことがない人々が大部分だ。知っているのは旅人、探検家などやメッセンジャー達によってもたらされる情報によって知っているのだ。揺れ動く陸地は恐ろしさの反面大地の恵みを与えてくれる。だが沼地には何も無い。うっかり入り込んだら破壊されるだけではすまない。どんなに大きな町でもあっという間に奥深く飲み込まれてしまう。沼地に近寄ることは恐ろしいだけではなく意味の無いことだった。大部分の町は時たま陸地の方角に向かって舵を切ることはあってもけっして沼地に舵を切ることは無かった。時たま興味本位に沼地に近づくことがあっても左側の視界にどんよりとした広大な沼地が現れてくるとそこに吸い込まれる恐怖におびえてすぐに舵を戻す。そして沼地の姿を見たという満足感に満たされてもう二度と沼地には近寄らない。沼地に近づいたとき恐怖のあまりその景色すら見ない人々も多い。昔々ある町が沼地に近づきすぎて沼地側に傾き吸い込まれて消えてしまった。その町の人々は沼地の姿を一目見ようと町の左側に住民の全員が集まってしまい住民の重さで町が左側へ傾いたのだ。いったん傾いた町は強い風にあおられてもう元に戻ることはできず、きりもみ状態で蛇行しながら沼地に向かって吸い込まれるように近寄り続け町の住民たちの必死の努力も空しく少しずつ少しずつ沼地に近寄りついに沼地にはまり込んだと思うとあっという間に沈んでいった。そんな話がさまざまなバリエーションに変えられてまことしやかに伝えられていた。
その沼地に沿ってその町は走っていた。人目を避けるように。他の町からの一切の情報も必要とせず旅人は勿論メッセンジャーの侵入も拒否していた忘れられた町だった。
そこに年若い一人のメッセンジャーが降り立った。
「この町にはメッセージを受け取るような人間は居ない。」
メッセンジャーは開口一番、町の扉の窓から顔を出している門番に押しとどめられた。風の強く吹き付ける戸外でメッセンジャーと門番は押し問答している。サイクルを停車することも許してもらえない耳をつんざく暴風の中、門番とメッセンジャーは声を出さずお互いの口の形を見ることでやり取りしている。この町の出入り口は左側にしかないため町と並行して走り続けるメッセンジャーのすぐ横にはもう今にも吸い込まれそうな沼地が広がっている。大概のメッセンジャーはこの仕打ちにあきらめてそして受取人は居ないという門番の言葉を信じてすぐに町を去る。そしてその話がメッセンジャー同士に伝わりこの町を訪ねるメッセンジャーはやがて居なくなったのだ。
だがその年若いメッセンジャーはしつこかった。諦める素振りさえなかった。押し問答にうんざりした門番は窓をぴたりと閉めた。メッセンジャーは今度は呼子を吹き始めた。
呼子はメッセンジャーが緊急のときに吹き鳴らす手製の笛だ。通常木製か鉄製でできていて手のひらに包めるほどの小さな物だ。メッセンジャーは呼子の鳴り響く音がいかに遠くまで鳴り響くか苦心惨憺して自ら作り上げる。その音は姿などけっして見えないはるか彼方まで鳴り響く。呼子の音を聞いたほかのメッセンジャーたちや旅人たち、場合によっては他の町そのものも呼子の鳴り響く場所へ舵を取る。それほどの緊急事態の発生を伝えるものだ。吹き方にも決まりがある。例えば、ピ、ピーと短く長く繰り返すのは遭難信号救助を頼む。ピ、ピ、ピ、と短く続くのは危険近寄るな。注意しろ。などだ。そして今年若いメッセンジャーが吹き続けるのはピーといつまでも途切れることなく響き続けた。長く長く息が続く限り途切れることなく響き続けている。
その音は遠く遠く離れたところを走るメッセンジャーたちの耳にも届いた。その音を耳にした老いたメッセンジャーはつぶやいた。
「ほう、まだいたか。こんな奴が。」
その長く続く音は、俺はあきらめない誰の助けもいらない。そういう意味だった。その音が長く続くほどその決意を表しているのだ。
呼子を吹き続ける年若いメッセンジャーはやがて息が続かなくなり咳をしながらいったん止めた。口から鉄製の呼子を離し、ちらりとそれに目をやるとポケットにしまった。そのまましばらく考え事をしているように前を見ていた。相変わらず町の扉にぴたりと貼りつくようにしてサイクルを漕ぎ続けている。やがて胸ポケットから古びた木製の呼子を取り出しそれを口にくわえ、長く息を吸うと静かに吹き始めた。
そして呼子の音は静かに長く響き始めた。
その音色はさっきまでの耳を劈く神経に障るような響きではないが、はるかに遠くまで響き渡り、物悲しい遠い昔に忘れてきてしまったものを思い出させるような後悔に苛まれる気持ちを湧き立たせるような胸をきりきり締めつめてくるような、哀しくやるせない響きだった。そしてさっきのときよりも数倍長く響き続けている。
カイも遠い町を出たところでその音色を聞いた。訳も無く体がぶるぶる震えてきて涙が溢れてきた。
そのうち呼子を吹き続けるメッセンジャーは息が続かなくなり気が遠くなってきた。だがそれでも呼子を途切れずに吹き続けた。呼ぶ子の音にまるで扉を開く力があると信じているように。そろそろ限界が近づいてきた。遠くなる意識の中、吹き荒れる暴風の轟音に混じって錆び付いた金属の軋む音が聞こえた。メッセンジャーは呼子を吹き続けながらチラリと音のする方へ目をやった。扉が開いたのだ。扉の向こうには大勢の顔があった。どの顔もじっと走り続けるメッセンジャーを見つめている。
「メッセンジャー、どうぞお入りください」
そう聞こえた。微笑もうとしたが口が呼子から離れなかった。まずい気が遠くなってきたとぼんやりと考えた。風に体をさらわれる。ハンドルを握る手に感覚がない。サイクルががたがたと左右に揺れ始めた。扉の向こうから伸びてきた何本もの力強い腕に体を掴まれるのを感じながらそのまま気を失ってしまった。




