シュート
「あ、姉貴! おい! 目を開けてくれよ姉貴!」
膝をつくことで初めてわかる生ぬるいアスファルトの感触。遠くから聞こえてくるサイレンと野次馬の声がめざわりなBGM。なら、その真ん中にいる血まみれの姿で横たわっている姉貴はこの物語の主人公か? それとも、俺の腕の中にいるこの子たちが......
「シュート......聞いて」
「姉貴?」
「手......」
「手? 手を握ればいいのか?」
俺は目が見えないのか虚空に手を伸ばす姉貴の手を握る。血まみれの手。その手からは握り返す力を感じず、今にも死んでしまいそうであった。
「シュート......あなたには大変な思いをたくさんさせてしまったわ。そのせいであなたは暗い性格に! ゴホッゴホッ!」
突然、血を吐きだし苦しそうに咳をする姉貴。その赤い色が俺をさらに焦らせる。
「姉貴! もういいからしゃべるなよ!」
「シュート、最後のお願いよ」
耳も聞こえないのかそれとも自分の最期を悟ったのか姉貴は口を閉じずに話し続けた。そして、次に発した言葉が姉貴の最期の言葉になった。
「この子たちをお願いね」
崩れ落ちる腕。タイミングを見計らったように駆け寄ってくる救急隊員。俺はその光景を黙って眺めながらある決心をした。
『この子たちを必ず幸せにする』と。
目覚ましがなる十分前。その時間によく俺は目を覚ます。いつからだろうか? 起きなくちゃいけない時間。それが目覚ましを設定する時間だ。しかし、眠りが浅くなってしまった俺はその時間の前に自然に目を覚ますことが多くなったのであった。
「ハル?」
布団をめくる。しかし、そこにはいつも俺が起きても呑気によだれを垂らしているはずのハルの姿はなかった。
あれ? 昨日も夜、ハルが来た気がするんだけどな。気のせいだったか?
下へ降り洗顔をしに行く。
水を出し、顔を洗いながら俺は考える。
今朝の夢......姉貴の最期。今日だけじゃない。俺はトラウマのように何度も同じ夢を見ていた。
『姉貴の死』
俺には一人、姉がいた。しかし、両親はいなかった。俺が中学生、姉が高校生の時に事故にあった俺の親は少ない財産と家のローンを残しあっけなく亡くなってしまったのだ。
思春期真っ盛りだった俺は当然のようにぐれた。学校にも行かず一人、家に閉じこもっていた。
しかし、姉貴は逆だった。今まで帰宅部だったはずの姉貴が気分転換のためか急に部活を始め、家でも積極的に俺に話しかけてくるようになった。
料理を教えてあげると部屋から無理やり引っ張り出されキッチンに立ち、掃除洗濯を教えると言われ今度はベランダに立たされることもあった。
俺はそんな姉を疎ましく感じ「姉貴」と呼ぶようになり、家の中でもなるべく避けるようになっていった。
しかし、今だからわかる。姉貴は気分転換のためなんかに部活を始めたんじゃない。俺にアルバイトをしていると悟られないように嘘をついたのだと。両親の残した財産は多くはなかった。それにローンもある。働かなければ生活ができないのは当然であった。その証拠に姉貴の遺品の部活道具は新品のままであった。
家事を教えたのもいつか自分がいなくなっても一人で生きていけるようにと願いを込めて行ったことだと。そのおかげで今では家事を完璧にこなせるようになった。
そんな何でもかんでも勝手に決め自分で背負い込んでしまう姉貴は勝手に外国へ留学し、勝手に結婚をし、勝手に子供を作って家に帰ってくることになった。しかも、双子を。しかも、金髪、青目の子供!
名前はハルとナツ、可愛い女の子の赤ちゃん。
『そう、俺と娘のハル、ナツは血が繋がっていない義理の親子であった』
高校を中退してプログラミングの勉強をし、自分で起業をして家のローンを返せる目途ができるくらいは稼げるようになっていた俺は亡き姉貴の娘を引き取り今に至っていた。
水を止め、顔を拭こうとタオルが入っている引き出しに手をかける。しかし、その時タオルがすでにかかっていることに気が付く。
昨日寝る前に洗濯籠に入れてたはず......まさかもう起きているのか?
時刻はまだ七時前だ。休日の朝だっていうのに早起きだな。
確認をしに行こうと二人の部屋へ向かうが、そこには二人が寝ている姿も起きている姿もなかった。
リビングかダイニングで食べ物でもあさっているのかと思い一階へ戻るが、そこも同様であった。
キッチンの流しに二人が朝食をとった跡がある。どうやら二人は朝食を食べた後、出かけてしまったようだ。
朝練か友達と遊ぶ約束でもあったのだろうか? それでも一言言ってくれればいいのに。
朝食をとらずに仕事机に向かう。俺は朝食、昼食を二人がいる時は食べるが、抜くことが多い。それは両親が亡くなってからできた習慣であった。誰かと一緒じゃないと行為自体が機械的に感じ、食事をとる気が起きないのだ。そのなれの果てが朝昼食わずお腹が空いた夜に食べるという不健康な生活リズムであった。
それも今ではハルとナツがいるおかげか治すことに成功していた。子供というものはいつでも気をかけていなくてはならない。それも死んだ姉貴の子だからなおさらだ。
俺は常に二人を目の届くところにおいて育ててきた。それが生活リズムを正常に戻すきっかけになったのだ。二人には感謝をしている。
俺は社会不適合者だ。両親と姉は事故死し家族はおらず、学校は高校で中退をし、一日中部屋に閉じこもる毎日。
そんな社会不適合者を少しでもまともにしてくれたのが二人の存在であった。小さな命を相手にする初めての育児に困っていたところに声をかけてくれた近所のベテランの主婦さん達や二人が高熱を出し駆けこんだ病院で診察順番を譲ってくれた町の人たち、二人と過ごすことで俺は色々な人達のやさしさに触れることができた。
それも全部ハルとナツが俺と家族になってくれたおかげだ。本当に感謝してもしきれない。
パソコンのキーボードを打つ手がなかなか進まない。今頃、二人は何をしているのだろうか?
その時、頭に「親馬鹿」という言葉が浮かぶ。前に主婦さんたちと世間話をしていた時に言われた言葉。
『シュートさんは本当に親馬鹿ねぇ』
親馬鹿、『子どもかわいさのあまり、親がおろかなことをしたり、はたからおろかに見えたりすること』という意味らしい。俺は親馬鹿なのだろうか?
だって、それは気になったり心配になったりするだろう。今二人が何をしているかなんて......
俺は‘普通’ではないのだろうか?
俺たちは本当の親子じゃない。だから、ハルたちに自分がしていることが一般的な家庭でもしていることかどうかわからない。
それに最近では二人との距離の取り方でさえもわからなくなってきてしまった。すぐ俺に抱き着いてくるナツとこの歳になってまで一緒に寝たがるハル。一応これらは許してはいるが、この判断は正しいのだろうか?
だって、俺は異性とは姉貴とハルナツの三人としか関わったことがないんだぞ? こんなの分かるわけがない!
それに物心がついてからの二人の行動......
既にハルとナツには小さい頃に俺が本当の父親ではないことを明かしている。隠せるはずなかった。髪と目の色が違うのだから。
それを知った二人は髪と目の色を俺と同じの黒にしたがるようになった。二人の存在を否定するように感じ一度は止めた俺だったが、二人は嫌がりその行為は今でも続いている。さらに俺の前で元の姿を見せるのを最も嫌がり、寝ている時でも黒色のカラーコンタクトをつけたがるほどであった。
俺は二人のこの行為をどう受け止めればいいのだろうか。喜ぶのか嘆くのか、どうすればいいのだろうか。
それと同時に俺は度々、あることをよく考えてしまう。それは二人が本当の父親に会いたがっているじゃないかということだ。二人にももちろん、本当の父親はいる。どこの国かはわからないが恐らくヨーロッパ系だろう。二人がやっていることは父親と姿を似せるということだ。本当の父親なら髪を染めることも、カラーコンタクトをつける必要もないであろう。
本当の父親がいるなら?
今の時代、インターネットを使うことでいくらでも自分の親を探せるだろう。時間はかかるかもしれないが、ネットで呼びかけ続ければいつかは本当の父親と出会えるのではないだろうか。本当の父親が現れたら二人はそいつのもとに行ってしまうんではないかと。
俺はその事実が怖く、恐ろしかった。何より怖いのはその方法を知っていながら二人に言い出せない自分に対してであった。
俺は二人の幸せを願っているのではないのか? なら本当の父親に合わせるべきなのでは——
その時、インターホンが鳴る。
気が付くと外は暗く、すでに夕方を迎えていた。
こんな時間に誰だ? 配達か?
そんなことを思いながら玄関に向かう。そして玄関を開けると——
「はーい。どちらさ——」
『パァン!』
「おとうさん!」
「パパ上!」
「「お誕生日おめでとう!!」」
二人の歓声とともにクラッカーの爆発音が鳴る。そこにはプレゼントボックスとケーキ持ったハルとナツの姿があった。
「お前ら......うっ!」
そうか、今日は。
「なに? おとうさん泣いているの? ほら、ナツ特製のケーキ作ってきたから泣き止んで」
「馬鹿、もっと泣いちまうだろうが」
「ハルも自分の稼いだお金でプレゼントを買ってきたぞ」
「自分の?」
「うん......パパ上に内緒で友達の家でバイトしてたの。怒ってる?」
「怒ってるわけないだろ。ありがとな、ハル」
「うん!」
「ナツもありがとな。これ、自分で作ったんだろ? 凄いな」
「今日のためにたくさん練習したんだからね! おいしいって言わないと怒るよ?」
「そうか。じゃあ、早速三人でナツのケーキを食べるか!」
「うん。食べよ食べよ!」
「盛り上がってるところ悪いけど、まずは家の中に入ろ? 二人とも」
「そうだな。で、ハルは何をプレゼントしてくれたんだ?」
「キングサイズの枕」
「「え?」」
“俺達は本当の家族じゃないかもしれない”
“それでも触れあい、似せあい、愛し合い、必死に抵抗をする”
“だから、今日も私達はカラコンでファザコンする”