ハル
ゆっくり扉を開け、音を立てないようにベットに忍び寄る。そんなことしたってどうせばれてしまうというのに。
「ん? ハルか。どうした、また寝れなくなったのか?」
『‘また’寝れなくなった』、これは私が小さい頃から眠りが浅く、よくパパ上の布団に潜り込んでいたことを意味する。もちろん、この歳になって一人で眠れないなんてことはないのだが、私は黙ってそういうことにしていた。
しょうもない嘘をつきながら。
「うん。だから、入れてほしいのだ」
「しょうがないな。ほら、入れ」
毛布を上げ迎い入れてくれるパパ上。
私は高校生になってまで、このやさしさに甘えていた。
‘私、ハルはおとうさんが大好きであった’
「ハルちゃん、今日もいつもと同じ?」
「はい。色が抜けてきちゃったので」
「りょーかい。ちょっと待ってて」
道具を取りに店員さんが席を外す。
ここは小さい頃から行きつけの美容院だ。少し値段は高いが、腕と信頼があるところなのでパパ上には申し訳ないが度々利用させてもらっている。自分の身の回りのお金くらい自分で払いたいのだが。
私とナツはアルバイトをすることを許されていない。これは学校の規則ではなく、パパ上との約束であった。
パパ上はよく「お前らには不自由がないように育ってほしい」と言う。だから、お金が必要になったらアルバイトをせずに自分に言えとよく言い聞かせてくるのであった。
本来ならば子供たちにとってこれはとてもいいことなんだろう。だって、自分たちがしたいことにお金がかからないのだから。
しかし、私たちはその優しさに素直に喜べないでいた。
その時、足音と共に店員さんが姿を現す。
「すいません、お待たせしました。それじゃあ、いつもと同じように黒染めしていきますね」
「はい、お願いします」
‘だって、それは普通じゃない気がしたから‘
学校の窓から外を眺める。授業はあと一時間で終わりというところで、空には雨雲が見え始めていた。
「はぁーアルバイトしたいな」
「なになに? ハル、バイト探してるの?」
肘をつきながら私の独り言を拾ったクラスメイト。これは私の数少ない友達のゆう。小学校、中学校と学校が同じでナツとの共通の友達であった。
「いや、そういうわけじゃないんだけど.....」
「どういうこと?」
「うち、バイト禁止だから」
「あーね。あんたたちのお父さん親馬鹿だもんね」
「親馬鹿じゃない!」
パパ上は親馬鹿じゃないもん! ただ優しいだけだもん!
「はいはい。でも、確か欲しいものとかがあったらちゃんとお小遣いくれるんじゃなかったっけ? 小中の修学旅行の時もあんたらだけお小遣いの額のケタ一つ違かったじゃん」
「そうだけど......」
ゆうは私たちの秘密を知っている。知っているからこそ、これは言いたくなかった。
「あーわかった。自分で稼いだお金で大好きなお父さんにプレゼント買いたいんでしょ」
「な、な、なんでわかった!?」
「わかりやすー。あんたらよく言ってたもんね。十月十二日はお父さんの誕生日って。もうすぐ十月になるし、本当にハルはファザコンだなー」
「ファザコンじゃない! ハルたちは普通の家族だ!」
「へーでも」
次の瞬間、ゆうの顔が意地悪になる。
「普通の家族はそんなに仲良くないよ?」
そんなのわかっている。でも、
「普通の家族は一緒にいるだけで家族になる。でも、ハルたちは一緒にいるだけじゃ家族にならない」
「そっか......でも、」
『ベツニワルイコトッテイッテイルワケジャナインダケドナ』
その言葉は聞き取れなかった。でも、ゆうの悲しげな表情から何を言いたいか、少し分かった気がした。
「ゆう......」
休み時間の教室、二人の間に気まずい空気が——
「いいこと思いついた!」
「え?」
‘確証がないからこそ私は欲しがる’
「ゆう......これはなに?」
それは椅子に座っている私の周りに筆を構えた人がたくさんいるという光景であった。
「何ってスケッチだよ。スケッチ」
「なんで私が! あ、すみません」
優に抗議をしようと席を立った瞬間、一斉にイラつきの目線が私に集まる。
「バイトしたいんでしょ? ここなら面倒な手続きもいらないし、ハルのお父さんには友達の家で遊んでいるって言い訳できるよ」
ここはゆうの両親が経営するスタジオであった。そのため、保護者などの手続きが必要ないのだろう。それに友達の家で遊んでいる......確かにこれは嘘じゃない。
ゆうは私がパパ上に嘘をつくことが嫌いだということを知って、わざわざ『言い訳』という言葉を選んだのだろう。
「でも」
「でも?」
「恥ずかしい......」
その言葉を放った瞬間、一層周りの目線が集まった気がした。
何で私がこんな目に。
「お父さんにプレゼントしたいんでしょ? 頑張って!」
「ううぅ......」
帰ったらパパ上にたくさん甘えよう。
‘確証のない愛だからこそ嬉しい’
「パパ上」
「今日も来たのか。ったく、しょうがないな。ほら」
布団の中から伸びてくる腕。それに私は飛びつく。
「うお! 重いな!」
「ひどい! 女の子に重いっていうなんて!」
「はいはい。ハルは軽いよ」
「むーそうやってごまかす」
ごまかす。本当はパパって呼びたいくせにパパ上って呼んでふざけてごまかしているのは私だっていうのに。
「私のこと好き?」
「ああ。好きだぞ」
「ほんと?」
「ああ」
「じゃあ、パパからもぎゅーってして」
その言葉を発した途端、顔から火を噴きそうであった。
「......しょうがないな。ほら」
太い腕が私を包み込む。暖かい、なんて暖かいんだろうか。
しばらくしてパパ上が腕を放す。
「ほら、もう寝るぞ。ってお前」
「ん? なに? パパ上」
顔赤いのバレた?
「それは寝る時には外しなさいっていつも言っているだろう?」
「えーでも」
「でもじゃない。あっち見てるから外しに行きなさい」
「はーい」
わたしはしぶしぶ鏡台に行き、目を見開く。
「これでいい?」
月明かりが瞳をまるでサーチライトするように青色に照らす。
「ああ。じゃあ、寝るぞ。おやすみ、ハル」
「おやすみなさい。パパ上」