(001) 花嫁の入れ替わり?
「お姉さま。わたくし、アルトサス殿下と結婚したい」
エスペランサの妹、マリアンナ・パクトゥームには、姉のものをなんでも欲しがる悪癖がある。
「あなたがそうしたいなら、構わなくてよ」
そして。マリアンナの姉、エスペランサ・パクトゥームにも、妹のそれと大差ない「悪い癖」があった。
「ありがとう、お姉さま。マリアンナはお姉さまのことが大好きよ」
姉のものをなんでも欲しがる妹と、妹が欲しがるものをなんでも与えてしまう姉。
お互いの性格が上手く噛み合って、奇跡的に、エスペランサとマリアンナの姉妹仲は良好だった。
「それじゃあ、今からあなたがエスペランサね」
「え――?」
けれど、それが偏にエスペランサの無関心の上に成り立つ危うい関係であることを知る者は少ない。
「結婚おめでとう、エスペランサ」
「エスペランサ……わたくしが、エスペランサ・パクトゥーム……」
見るからに様子のおかしくなったマリアンナへ、エスペランサは平然と背を向けた。
「ラクス、それはいい」
エスペランサの傍に控えていた侍女は、エスペランサが発したその一言を切欠に、それまで微動だにしていなかった姿勢を揺らがせる。
「エスペランサお嬢さま……?」
「なぁ、に?」
困惑混じりの呼びかけに応え、侍女を振り返ったのは、部屋の中で立ち尽くしているマリアンナ。
すっかり顔色を失くし、額に脂汗を滲ませた妹君を、本当のエスペランサから声をかけられるまでなんの疑いもなく「エスペランサ・パクトゥーム」その人がそこに立っているのだと誤認していた――。
そんな、怖気立つという言葉一つでは到底言い表せないほど恐ろしい事実を自覚して。ふるりと体を震わせた侍女は、じわじわと迫り上がってくる恐怖を振り払うよう、遠ざかっていく主人の背中を大急ぎで追いかけた。
「――申し訳ございません」
「気にするな」
気心の知れた侍女と二人きりになったことで、伯爵家の令嬢として恥をかかない程度に取り澄ましていたエスペランサの言葉遣いはがらりと崩れる。
束の間のこととはいえ、仕えるべき主人を見失った侍女の失態を「無理もないことだ」と寛容に許してみせるエスペランサの口振りは、機嫌を損ねるどころかいっそ楽しげでさえあった。
「お前の中に棲まわせている精霊はあくまで私に仕えているのであって、お前を心から己の主人と認めて力を貸しているわけじゃあない。私の『暗示』はむしろ、お前のよう半端に精霊と関係を結んだ徒人にこそ効きやすいものだ」
「では、これまでも……?」
世界に普く存在する「精霊」への影響力の強さから、エスペランサが強い望みを込めて発した言葉は、それがどのようなものであろうと精霊の御力――魔法――によって実現される。
それ故に。エスペランサが「暗示」と称するその行為は、耐性のないものに対しては効果覿面、洗脳もかくやと作用する――。
エスペランサが度々用いる暗示が己に効力を及ぼさないのは、エスペランサに仕えるため、貸し与えられた精霊の御力によって護られているからなのだと。そう信じ込んでいたシルエラは、自惚れも甚だしい自身の思い違いに深く恥じ入った。
「いや? ラクスも少しはお前のことを認めているから、私がちょっとしたことで使う軽い暗示は、お前にまで効力を及ばせる必要が無いと勝手に弾いているのさ」
「なるほど。……ラクスさまの御高配に感謝を」
エスペランサの狂信的なシンパであり、敬虔な精霊信仰者でもあるシルエラは、今夜からラクスへ捧げる祈りの時間を倍に増やすことをひっそりと決意した。
(賞味期限が切れたので削除しました)




