悪役も、悪役なりの苦労があります
リクの武骨な指が、岩肌に並べられた、古惚けた絵札を捲る。
現れたのは、屍の山を築きながら、血塗れの剣を片手に歩む独りの男の絵柄。
其は、『殺戮の覇王』。
数多の破滅を従え、死と憎悪を量産し、世界を転変させる者。
とびきりの凶兆を示す絵札に、リクは蒼穹の瞳を細める。
生まれ持った異能と組み合わせることで、占術の精度を向上させる術は、夢見の異能を有した、流浪の氏族の末裔たる老婆から教えられたものだ。
――が、実を言うと、占術の技術があることと、示された予兆を解することは、全く別の話であったりする。
特に、リクの場合は。
「……淀む悪意、閉じた箱庭、覇王が行く先に道があるって、――分かるかぁっ!!」
リクは、半ばキレながら持っていた絵札を地面に叩きつけた。
ぶっちゃけ、リクの占術の腕は、無いよりまし程度のへぼさである。
なんせ、予兆は読み取れても、その指し示す意味がさっぱり理解できないのだから。
ふわっとしすぎるリクの占術の託宣は、本職の占術師たる老婆に、指を差されて笑われた事もあるくらいには、使えない。
【……落ち着け、リク。
道具に当たっても、仕方があるまい】
リクの頭の上に顕現している小竜の幻影が、なだめる様に彼に語りかける。
なお、リクにくっついて、占い婆から占術の知識を得たティレルは、リクよりも占術の腕が上だった。
ただしかし、ティレルが出来るのは星見による占であり、星が見えない場所では役に立たない事には変わりない。
「……あの、すいません、リクさん。
とりあえず、この場所には僕たち以外の人間が居ないということで、間違いないんですよね?」
「俺たち以外の人間なんかいねぇって、何度も言ってんだろうがっ!!
さっきからしつこいんだよ、お前はっ!!!」
いきり立つリクは、おずおずと問いかけてきたアレクサンドリアの王太子に、八つ当たり気味に怒鳴りつけた。
いかなへぼい腕前でも、リクとて、そこにあるかないかぐらいは占術で読み取れる。
また、『遠見の蒼穹』由来であるリクの異能により、彼等が飛ばされた空間は、ある程度探査済みだ。
――確かに存在しているのに、どこにも繋がっていない、誰かに創られた場所であったのは、完全に誤算だったけれども。
新たな空間の創生は、魔法の中でも大変高等な技術であり、普通は、暗殺なんかの為に無駄遣いするようなものではない。
もし、血肉を喪おうとも、魔法に秀でた真竜であるティレルが一緒でなければ、控えめに言っても詰んでいた場面だ。
……確かにクマさんは凄かったが、安定にへっぽこしているアレクサンドリアの王太子も、聖女候補なはずの『神楽姫』も、逃げる以外に役に立っていないし。
通路の袋小路に逃げ込んで、出来る限りの情報収集を行っていたリクは、やってきた方向を見やって、死んだ魚の目になった。
そちらでは、既にリクの身の丈を超えてしまったクマさんが、闇の奥から次々と湧いてくる魔物達を鏖殺している真っ最中である。
目から光線を発射するわ、攻撃力皆無に見える腕を振り回して相手を爆散させるわ、腹部の隠し収納からちびクマさん軍団が溢れ出して魔物達をボコボコにしているわ、――もう、やりたい放題だ。
見た目は可愛いクマさんなだけに、魔物達への行為の凄惨さが噛み合わなさ過ぎて、最早怪奇現象と大差ない。
少なくともリクは、クマさんを相手にするより、この場に不在の悪鬼と殺し合う方が遥かにましだと思う。
いかに高性能であろうとも、こんな馬鹿みたいな魔道人形に返り討ちにあったら、恥の極みで死んでも死に切れまい。
「――エド兄様」
へっぽこ王子にしがみ付いていた『神楽姫』が、なぜか安堵の表情を浮かべた従兄を見上げる。
「良かったですねっ!!」
「――本当にねっ!!!」
「何がだよっ?!!」
感極まった様に抱き合った『悪の王国』の王族たちに、リクは全力で突っ込んだ。
脱出方法は不明、クマさんが迎撃しているとは言え、次々と魔物が湧いてくるような状況下の、一体どこに良かった要素があるのか。
『神楽姫』は、従兄と抱き合いながら、潤んだ瞳をリクに向けてくる。
「だって、だって、――他に誰も巻き込んでいないのでしたら、エド兄様が悪者扱いされませんっ!!」
「あのですねリクさん、濡れ衣を被されると、本当に大変なんですよっ!!
――やっていない事なんて、一体どうやって証明すればいいんですかっ?!」
人はそれを、悪魔の証明と呼ぶらしい。
従妹姫と抱き合って、目頭を押さえる王太子に、リクは憐みの目を向けるしかなかった。
なんか『神楽姫』に巻き込まれた人間の勘定に入れてもらえなかったが、それが気にならないくらいには、アレクサンドリアのへっぽこ組がふびんである。
――もしかして、アレクサンドリアが黒幕とされる出来事のいくつかは、単なる偏見と誤解であるだけなのであろうか?
珍しく相手に対して同情的な意見を抱いたリクをよそに、ティレルが言い辛そうに口を開く。
【……ぬしらが苦労しているのは分かったが、それでも敵対者を殲滅するのは、やり過ぎではないか?
そのせいで、ぬしらはいらぬ恨みを買っているだろう】
「――それが出来たら、うちは『悪の王国』なんて呼ばれていませんからっ!!」
ティレルの言葉に叫び返し、へっぽこ王子が泣いた。
仮にも、成人した男にあるまじき、ガチ泣きである。
その所業の苛烈と酷薄により、敵の屍を山積みにしてきた『悪の王国』の王太子とは、まるで思えぬヘタレっぷりだ。
「――もう、どこにも逃げようがないし、話は聞いてくれないし、下手に戦争を長引かせたら、泥沼になって死ななくていい人まで死にかねないし――。
――一気に殲滅して、相手のやる気を削ぐのが、一番犠牲者が少なかったんですよぉっ!!!!」
えぐえぐとべそをかく王太子の台詞が、普通に怖かった。
まず、犠牲者の中に敵の数が入っていないのは、明らかである。
「え、エド兄様、泣かないで下さい。
アレクサンドリアの民を殺そうとした者を全て殺したから、わたくしたちの父祖は、アレクサンドリアを護れたのでしょう?」
おたおたと従兄を慰めようとする、『神楽姫』の言葉に、リクは戦慄を覚える。
――アレクサンドリアの王族は、己の民を害そうとする者を殺すことでしか、彼等の国を護れない。
大凶星を宿星としてきた王統の、その、あまりの呪わしさ。
王太子は鼻をすすって、自分を気遣う従妹姫の頭を撫でる。
「ぞう、なんだげど、ぞのせいでひっどい悪循環になっちゃってるがらね……。
――本当は、誰も死なないのが、一番なんだけど……」
そう言って、情けなく眉尻を下げる王太子は、アレクサンドリア王家の行為の不毛さを、嫌と言う程理解していたらしい。
でも、戻る場所も逃げ場もどこにもない。
彼等が歩んできた道は、死体と憎悪が積み重なり、血の大河に阻まれてしまって久しいから。
その瞳の静けさに、リクは、無意識に『悪の王国』の後継から距離をとった。
また、ティレルの気配に、一握りの緊張が混ぜ込まれる。
――彼等は、目の前の青年が、隣の大陸まで悪評鳴り響く、気狂いの悪鬼を飼いならした理由を、察してしまったのだ。
いくら、情けなくても、ヘタレていても、逃げ足しか、取り柄が無くとも。
……己の民を護るためならば、この青年もまた、自らの意思で屍と悲劇を量産してのけるだろう。
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