クマさんは意外と頼りになります
「――で、勝算はあるんだろうな?」
一緒に逃げる王太子に、リクは問いかける。
眼鏡が無くてもただのヘタレな青年は、お見合いの為に着飾った、重装備の従妹姫を抱えてなお、祖父に嫌と言う程鍛えられたと自負するリクと並走していた。
流石と言えば良いのか悩むが、唯一の自慢と言うだけあり、王太子の逃げ足は相当なものだ。
「大丈夫ですっ!
『森のすっごいクマさんスペシャルエディション』は、小父さんが自信満々で持ってきた魔道人形だから、性能は高いんですよっ!!
《原初の魔》や真竜以外だったら、大体何とかなると思いますっ!」
【名前はどうにかできなかったのかっ?!】
「――っつーか、それ、フェルメリア製だな?
フェルメリア製なんだろっ?!
アレクサンドリアの王族なら、アレクサンドリア製の魔道人形でも使ってろっ!!」
爽やかな笑顔で言い切った王太子に、リクは、確信をもって突っ込みを入れた。
疵物とは言え、良質な素材を産出する神域を擁しているアレクサンドリアならば、もう少しましな魔道人形など、いくらでも手に入るだろう。
余談であるが、フェルメリアとは、リクの故郷と同じ大陸に在る『異端の王国』と呼ばれる国の事だ。
国全体が巨大な『竜穴』そのものであるその国は、生息する魔物の異常な強靭さと共に、製作される魔法具の高性能ぶりでもその名が知られている。
「そんな、小父さんが、折角エマの為だけに用意してくれたものなのに、断るのとか失礼でしょうっ!!」
「お前見た目と名前を考えろっ!!
――明らかに嫌がらせだろうがっ!!!」
へにょりと眉尻を下げて言い返してきたヘタレ王子に、リクは頭が痛くなってきた。
権力者の癖に、否と言えないのか、こいつ。
どうせこの様子では、押せ押せの外交官辺りに押し込まれ、不利な契約を結ばされるに違いない。
……リクには関係ないし、関わる気も皆無だが、アレクサンドリアの未来が、暗過ぎる。
「ほ、ほらっ、フェルメリアって、奇人変人の名産地じゃないですかっ!
感性とか思考回路が他の国の人達とずれているのが、むしろ普通なんですよっ!!
――だから、こんなのでも、小父さんの優しさなんですっ!!!!!!!」
こんなのって言った。
――恐らく、自分の父親の親友でもある、フェルメリアの『竜王』からの贈り物に対して。
……まあ、フェルメリアは、この世に顕現した地獄とも称される、文字通りの危険地帯だ。
そんな環境で生まれ育ったフェルメリアの民は、他国に比べ、かなり独特な国民性を有していることもまた、厳然たる事実であった。
その為、フェルメリア製の魔法具は、性能こそ大陸一と謳われるものの、名前見た目その他諸々の理由で、他国の者には使い勝手が悪いと評判なのである。
よって、ヘンな魔法具を見つけたら、フェルメリア製だと思え、と言うのは、巷の常識だった。
具体的に言うと、目の前のクマさんとか。
不意に、妙なる音色が響いた。
聴く者の意識を根こそぎ奪い取る様な旋律に、リクの視線は、自然とその調べの発生源へ向けられる。
……いつの間に、手にしていたのだろか?
美麗な装飾が施された竪琴の弦の間を、白魚の指先が踊る。
頼りなげに揺れていた双眸は静謐に伏せられ、凛然とした横顔には、戯れに触れることなど許されない、清冽な気品が漂っていた。
【……『神楽姫』、か】
リクの頭に響くティレルの声音には、滅多に聞けない人族への感嘆の響きがあった。
――綺麗だ、と。
リクが、ひとに対してそんな感想を抱くのは、一体いつぶりだっただろう。
ひとはみにくい、と。
リクは、嫌と言う程思い知らされていたから。
ひどく、惜しいと感じた。
……へっぽこ王子と、青年の背中にへばりついているクマさんが、添え物どころか、激しく邪魔だ。
「五分ぐらいでクマさんの調整が終わるので、そこまで逃げ切れたら、こっちの勝ちですっ!」
【いや、そもそも、逃げ切れるのかっ?!】
ティレルの問いかけに、『悪の王国』の王太子が、実に堂々と胸を張って答える。
「大丈夫です。
僕、剣の才能も、戦う為の才能もありませんけど、――逃げ足だけは、小父さんに鍛えてもらいましたからっ!!」
王太子の台詞と同時。
唐突に、リクの脳裏に映像が浮かび上がる。
濃いめの茶色の髪と瞳。
眼鏡をかけた、幼い顔立ちの、目の前の王太子だろう少年が。
――べそをかきながら魔物の集団に追い回され、半泣きになりながら次々転がってくる岩を避けまくり、両手で顔を覆って――etc.
へっぽこ王子のあんまり過ぎる『過去』に、血が滲む黄昏色に変じたリクの目が、点になった。
――『追憶の黄昏』。
それは、『遠見の蒼穹』と同じく、その稀なる色彩と人々から忌まわれた異能故に、この世から姿を消すこととなった、流浪の氏族の名だ。
祖父の家系の、遠い遠い祖から、リクは、血が滲む黄昏色の髪と、過去視の異能を継承した。
……リクが忌み子扱いされる原因は、『追憶の黄昏』の血のせいでもある。
誰だって、隠したい過去を勝手に読み取られるのは、厭わしく思って当然だろう。
――ただ、リクだって、制御しきれない異能が垣間見せる、ひとのみにくさなど、『視たくて』『視ている』訳ではないけれど。
リクと感覚の一部を共有しているせいで、過去視の映像も筒抜けになっているティレルが、震える声で言葉を紡ぐ。
【エドワードよ。
……ぬし、苦労したのだな】
「ええ。
――がんばりました」
人嫌いのティレルには珍しく、心からの労わりに満ちた台詞に、王太子は儚げな笑みを浮かべた。
へっぽこ王子が頑張ったのは分かったが、逃げ足を鍛える為になぜか死にそうになっていたのは、気のせいなのか。
まあ、リクが今まで『視た』中で、このヘタレ王子の過去が一番ふびんなものであったのは、確かであるものの。
……逃げ切る云々の前に、大切なことがあるだろうが。
「おい、それ、――護身用としての意味あるのかっ?!」
クマさんの調整にかかる時間が、五分。
そんなのではもう、護身用として役に立っていなかろう。
実は、『竜王』がアレクサンドリアの断絶を虎視眈々(こしたんたん)と狙っているのかと、リクは疑いたくなってくる。
現在進行形で襲われている真っ最中に、調整なんかの為に五分もの時間を捻り出すぐらいなら、もう別の魔道人形にするべきではないのか。
全力で突っ込んだリクに対し、王太子はきょとんとした顔で首を傾げる。
「え?
だって、殲滅兵器が簡単に使えるようだったら、いらない濡れ衣を着せられますよっ?!
そんな事になるくらいなら、五分間逃げ切ればいいだけじゃないですかっ!!」
「その前に兵器なんか持ち歩くなっ!!」
【……まず、ぬしは、何を相手だと想定している……?】
リクの頭の上に顕現している小竜の幻影から、何やら慄いた気配が伝わってくる。
流石は『異端の王国』製の魔道人形。
機能の前提が、根本的に違っていたとか。
リク達のトンチンカンな会話の間にも、王太子が抱えた姫君は、一心不乱に竪琴を奏で続ける。
……そして、姫君の演奏が進むにつれ、ぴこーん、ぴこーん、と間抜けな効果音と共に、クマさんの両目にあたる緑色の結晶が、点滅しだした。
ついでに、なぜかクマさんの体が、むくむくと大きくなってゆく。
これを背中にくっつけて、逃亡に支障が出ないのだから、王太子の逃げ足は、確かに自慢するだけある。
言いたいことは満載なのだが、リクは既に、クマさんが搭載している機能に対し、突っ込む気も失せていた。
癖があり過ぎるフェルメリア製の魔法具に対し、いちいち疑問を抱くのは、単なる時間の浪費なのである。
困った顔をした王太子の口元が、動く。
多分、ヘタレ王子はリクに反論しようとしたのだろう。
けれど、リクが、その言葉を聞くことは無かったのだ。
王太子が口を開いたのと同時に、リク達の進行方向の空気が、ぐにゃりと、捻じ曲がる。
それから、リクにも覚えのある臭気が、鼻についた。
強いて言うなら、壊された巣から、蟻が湧き出るように。
わらわら、わらわら、わらわらと。
大きさは、リクの腰あたり。
リク達人族とは明らかに異なる、暗緑色の肌に、目だった体毛はなく、つるりとした頭部と尖った耳が目立つ。
細長い瞳孔の、ぎょろりとした黄色い目玉は、似た様な瞳のティレルとは違い、多少の知能はあっても、知性はない。
その証拠に、人族に近い姿のそれが纏うのは、獣の皮の粗末な腰巻で、手にしているのは木の棒や、ましなので石斧、辛うじて原型を留める錆びついた剣ぐらい。
「ふぁっ?!」
ヘタレ王子が変な声を上げ、リクは思わず呻き声を漏らした。
「うげぇ、こんなところで小鬼かよ……」
小鬼。
一匹見かけたら、その辺りに三十匹はいるのが鉄板の、繁殖力と適応力が取り柄の人型魔物。
駆け出し冒険者の定番討伐対象とされている通り、個体としての小鬼の脅威度は、最底辺である。
それこそ、一匹だけなら、いざとなればそこら辺の一般市民が袋叩きにして殺せる程度だ。
しかしながら、それは、決して、小鬼が人族の脅威にならないと言う意味ではない。
それどころか、小鬼の魔物としての性質の悪さは、ある面で、真竜の下位種である亜竜にも勝り、どこの国でも忌み嫌われている魔物の一つだ。
子供程度の知能はあっても、『ヒト』と定義付けられる知性はない彼等に、獲物への敬意や尊厳など、望むべくもない。
ただの食い物と扱われるだけ、本能で動く獣の方が、まだましである。
知能があるから、小鬼は、獲物が抱く感情を理解でき。
だが、知性無き故に、彼等はどこまでも無邪気に、残虐だ。
また、小鬼の旺盛な繁殖力を支えるのが、同族同士で番う以外に、他種族の胎を借りることで繁殖が可能であるという特性だ。
流石に、あまりにも姿形が違い過ぎる種は使う気も起きない様だが、だからこそ、一応形が似通った人族の、長く使える若い娘にとっては、最悪の魔物なのである。
小鬼にとって、生きていれば事足りる借り胎は、故に、ただ獣に喰われる方がましな目に遭うからだ。
リクも、大量繁殖して、まともな冒険者では手に負えなくなった小鬼の巣の駆除に、祖父と共に駆り出されたことがある。
その小鬼の巣は、放棄されて久しい廃鉱山にあったのだが、借り胎を気にした依頼主から小鬼達を燻し出すのを禁じられ、非常に難儀したのだ。
下手に威力の高い魔法を繰り出せば、脆くなった地盤が崩れ落ちかねない閉所に、小鬼、小鬼、小鬼、小鬼、小鬼。
普通なら、繁殖力が取柄な小鬼の数の暴力に圧倒され、身動きもままならずに嬲り殺されていた案件だ。
が、常日頃から脳筋専用武器を扱う祖父は、組み付いてきた小鬼諸共、壁やら天井やら他の小鬼の集団やらに体当たりをかましまくり、結局通路を一つ崩落させていたけれど。
リクは、ティレルファードの――圧倒的上位種である真竜の咆哮により錯乱させ、ただの個になった小鬼を駆除して回ったが、数が多すぎて中々終わらなかったものだ。
ぶっちゃけ、初めから廃鉱山を破壊していた方が、遥かに手っ取り早かった。
――依頼主が案じていた借り胎達は、リクが、介錯しようとする祖父を止める気にもならない程、小鬼共に壊されていたのだし。
あっという間に通路を塞いだ小鬼の集団に、リクは舌打ちした。
個々の能力は低くとも、条件次第でどこまでも性質が悪くなるのが、小鬼という魔物の厄介なところだ。
「――ティレルっ!!」
【ああ】
リクの鋭い呼びかけに、『竜剣』が応じる。
身体の何処かが軽くなる感覚と共に、リクの掌に大剣の柄が落ちてきた。
両刃の刀身は、滑らかな乳白色。
刃の半ばから根元にかけて存在する銀灰色の装飾は、人を愛した真竜の魂を捕らえる、強固な枷だ。
「あ、本当に、身体の中に『竜剣』が納まっていたんだね」
状況が良く分かっていないのか、ヘタレ王子は、小鬼ではなく、リクが取り出した『竜剣』の本体に反応する。
『竜剣』には、鞘が無い。
かつて、真竜を友とした鍛冶師は、友より贈られた爪牙を用いて、一振りの剣を作り上げ、――それに相応しい鞘を作る前に、欲深き人間達に殺された。
そうして、友を救おうとし、けれど人間達に裏切られ、友の剣に魂をぶち込まれた真竜は、友以外の者が作成した鞘を拒み続けたのだ。
――半ば形ある呪詛と化していたせいなのか、リクに何かがあったのか。
『竜剣』が、自分の身体に納まった理由を、リクは知らない。
……傍にいてくれるだけで充分だから、リクは、そんなものに興味も持てない。
リクと親しい僅かな人間以外は、大概気味悪がるが、今は、彼が『竜剣』の鞘代わりだ。
【……リク、気を付けろ】
「分かってる、ティレル」
申し訳なさそうなティレルの声に、リクは獰猛に嗤って応える。
大体、相棒に頼りきりにならねば、満足に身も守れぬほど、リクは祖父に扱かれた覚えはない。
ぎょろりと、無数の黄色い目玉が、一斉にリク達の方向を向いた。
かちりと、リクは、自分だけが知る場所で、固く閉ざした箱の鍵を開ける。
……『ひと』の振りをするには、邪魔なだけであるもの。
祖父によって鍛造された、――祖父からリクが引き継いだ、『普通』の人間に、狂気、と評されるそれ。
家族がくれた大事で、しかし、今は不必要なものをより分けて、心の中の棚に、そっと置いていく。
リクの意識が、身体が、戦闘の為に純化したものへと、瞬く間に傾く。
切り替えるリクを見る王太子の目が、ほんの少し悲し気であったのを、小竜の幻影だけが気付いていた。
リクの身体が、低く、沈む。
そして。
――びびびび~っ、と。
意味不明な効果音付きの光線が、通路を塞いでいた小鬼の集団を蒸発させた。
【……クマさんとやらは、調整中ではなかったのか……?】
「クマさんって、元々対魔物用の自動迎撃機能が付いているんですよっ!
調整中でも、小鬼ぐらいなら問題ありませんっ!!」
ビミョウな感じのティレルに対し、へっぽこ王子はキッパリと答えた。
――話題のクマさんは、既に王太子の背からはみ出すまでの大きさになってしまっていて、一体どこまで巨大化する気か、問い詰めたくなる有様だ。
おまけに、光線を発射した、クマさんの作り物の双眸が、不気味に底光りしているものだから、異様なまでの怪談的迫力を醸し出してしまっている。
確かに、性能は抜群だ。
小鬼相手に、体力を無駄に浪費せずに済み、助かったのも事実である。
けれども。
……例え、目の前に一生遊んで暮らせる金を積まれようとも、これは使いたくない、と。
顔を引き攣らせたリクは、心の底から思ったのであった。
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『森のすっごいクマさんスペシャルエディション』:
略称クマさん。
フェルメリアの『竜王』が、親友の姪っ子の為の作らせた、護身用魔道人形。
『竜王』の素材集めへの気合と、フェルメリア国立魔導研究所所属の職人達の、浪漫と暴走によって爆誕した産物である。
見た目は、とっても可愛いクマのぬいぐるみ。
収納状態では、掌サイズのクマさん。
対魔物用自動迎撃機能、殲滅モード、楽しい効果音等を搭載している、無駄に多機能かつ高性能な魔道人形なのだっ!
(*殲滅モードは、『神楽姫』の調整でのみ使用可能)
フェルメリアの奇人変人に慣れているアレクサンドリア王家は、普通に有効活用しているが、アルトビャーノ生まれのリクは、金を積まれても使いたくない仕様。