大凶星が招く、災厄は
結論から言おう。
「――リクさん達を巻き込んで、申し訳ありませんでしたぁっ!!!」
半べその謝罪は、情けないにも程があり、王族の威厳など、どこにも見出せない。
潔過ぎて眩暈がしてくる青年の土下座に、リクは米神を揉みながら、足元の濃いめの茶色の後頭部を見下ろした。
そもそも、ヘタレだろうと、忠臣が居なければ何もできなかろうと、仮にも数百年の歴史を誇る大国の王太子に、リクが土下座されている意味が分からない。
無意識のうちに、リクの眉間に皺が寄った。
――リクに占術の手解きをした老婆が、アレクサンドリアの当代に真正の『殺戮の覇王』がいるとか抜かしていが、きっと、彼女は大分前からボケていたに違いない。
それに、例え、占い婆が正気であろうと、少なくとも、目の前のこれでは無かろう。
……『覇王』が土下座って、一体何なのだ。
このヘタレ王子も、父親の隠し子あたりに『悪の王国』の後継の地位を譲った方が、たぶんきっと幸せだろうし。
現実逃避気味に下らない事を考えていたリクの頭の中で、薄衣越しの思惟が響く。
【……ぬし、エドワードと言ったか。
――アレクサンドリアの後継の頭は、平民よりも軽いものなのか?】
呆れ返った相棒の言葉は、ビミョウにとげとげしい。
元々、ヒトに裏切られ、自らの爪牙より造り上げられた『竜剣』に、その魂をぶち込まれた少々お間抜けな真竜が、ティレルファードだ。
――更には、人間の都合の為にさんざん利用され、『教会』の都合で『竜剣』ごと封印されたのだから、ティレルファードが人族を赦せる理由もなく。
挙句の果てに、裏切り者や理不尽な境遇への恨みつらみを募らせ続けた結果、半ば形ある呪詛になりかけていた『竜剣』は、基本的に人間が大嫌いである。
ひょんなことから、リクに憑りつくことで『教会』の封印から逃れることが出来たものの、ティレルの人嫌いは、ごく一部の例外を除いてそのままであった。
ティレルの台詞に、土下座中の王太子は、しょぼんと肩を落とす。
そして、どう贔屓目に見ても、情けないとしか表現できない青年の仕草に、リクは思わず遠い目になってしまった。
……このヘタレ王子、権力者であるのは同じ癖に、常に居丈高に振舞うアルトビャーノの王子と態度が違い過ぎて、調子が狂ってくるのだが。
リクは視線を上に動かすも、見上げた先に空はない。
ごつごつとした岩肌が剥き出しになった天井が、一切の光を遮り、ティレルの魔法による灯が無ければ、周囲は闇に包まれたままであっただろう。
何もかもが碌に分からぬ状況に、リクは深々と溜息を吐いた。
よりにもよって、危険性も脱出方法も不明な場所で一緒にいる人間が、リクが命じられた暗殺対象の主君と、雇い主が狙っている『神楽姫』とか。
まあ、リクが、『悪の王国』に関わるあれこれに巻き込まれたのだけは、確かだ。
それが起こったのは、『神楽姫』のお見合い会場となった庭園の隅。
――主役のはずの『神楽姫』及び、お見合いから逃走した彼女を探し回っていた姫君の従兄と、リクがたまたま遭遇した時だった。
何の脈絡もなく、突然出現した魔方陣により、みんな仲良くこんなところに飛ばされたのである。
こうなった理由は知らない。
現状では、犯人も分からない。
だが、平民でしかない『竜剣の忌み子』と、『悪の王国』の王太子+『神楽姫』の二人組の、どちらが狙われやすいと問われれば、答えは断然後者であろう。
リクの目の前の王太子が、即行で土下座してきたのも、それを身に染みて理解していたせいか。
が、だからといって、土下座は止めろ。
王太子の第一の忠臣と名高い『アレクサンドリアの悪鬼』に、リクが目を付けられたら、何とする。
「……だって、リクさん達の協力が無いと、僕、色んな意味で詰みそうなんですよ……。
眼鏡は無いし、ジャンはいないし、エマは一緒だし、――眼鏡が、無いし……」
そうティレルに返答し、べそべそと泣き出した『悪の王国』の王太子に、リクは軽く引いた。
大の男が泣くなどみっともないと思うよりも、これ程ヘタレた人種は、リクにとって未知の生き物なので、気後れが先立つのだ。
また、目印の丸縁眼鏡を付けていない王太子の容姿は、精悍なものであったが、表情のせいで諸々が台無しなのである。
――しかも、忠臣の前に、眼鏡がきた。
そして、眼鏡が無いって二度言ったよ、こいつ……。
「……眼鏡が無いと詰むような呪いにでもかかってんのか、お前……?」
【ぬし、視力に問題など無いではないか……】
「し、視力以外でものすごい差支えがあるんですっ!!!」
ティレルの突っ込みに、力一杯返されても困る。
そも、何処とも知れぬ洞窟で、どうやって失くした眼鏡の代替品が用意できると?
――と。
仮にも『悪の王国』の王太子の、あんまりなへっぽこ具合についていけないリクの背筋に、ぞわりと、悪寒が走る。
魔素が凝る故郷の『竜穴』より、狂乱する魔物達が溢れ出す『沸き』の前兆に、よく、似た。
すっと、半べそだった王太子の顔が、真剣みを帯びる。
リクの蒼穹の瞳とは違い、大変地味な濃いめの茶色の双眸には、つい数秒前のまでのへっぽこぶりは何だったのかと首を傾げたくなるくらい、力強い光があった。
ヘタレ王子の変貌に、呆気にとられたリクの耳に、清流のせせらぎを連想させる声が届く。
「――エド兄様、あちらから、何かが、たくさん来ます」
とっても可愛いクマのぬいぐるみ(これでも護身用の魔道人形らしい)を抱きしめ、壁際でぴるぴると震えていた『神楽姫』が、暗闇の奥を指差した。
ティレルの灯の光でも払いきれぬ、闇の帳の目隠しのせいで、これからやって来るであろうなにかは、まだ杳として分からない。
いきなりシャキッとした従兄と違い、涙目のまま、未だにぴるぴるしている姫君に、リクはなんとなく安心感を覚える。
「――よし、みんなで逃げましょうっ!
エマ、クマさんの殲滅モードの準備をお願いっ!!」
「――逃げんのかよっ?!」
【……と言うか、殲滅モード……?】
いくらきりっとした表情をしていても、ヘタレ王子はへっぽこだった。
なんせ、何が来るか確認すらせずに、とっとと逃走を選ぶのだから。
突っ込んだリク達をよそに、アレクサンドリアの王太子は、いっそ堂々とした足取りで従妹姫に歩み寄り、クマさんから手を放した姫君を横抱きにする。
俗に言う、お姫様抱っこというやつである。
が、勝手に動き出したクマさんが、王太子の足をよじ登り、青年の背中に引っ付いたものだから、見た目の残念感が半端ない。
「リクさん、こっちですっ!」
さっきまでべそべそしていたのが嘘の様な、大変凛々しい顔付きでのたまう王太子殿下の行動は、表情とは真逆の情けなさである。
……こんなのが次代の王とか。
大丈夫なのか、アレクサンドリア。
――リクは、アレクサンドリアの民ではないし、『悪の王国』と関わる意味も義理もない。
だから、リクがヘタレ王子に付き合ってやる理由は、どこにもないのだ。
けれど。
なぜ、だったのか?
普段のリクなら、へっぽこ過ぎるにも程がある王太子の行動も言葉も、鼻で嗤っていただろう。
それなのに。
力の籠った声に背を押され、リクの足は、従妹姫を抱えて走り出した王太子を追って、自然と動いていた。
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