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神楽姫は聖女志望ではありません

 無数に(から)み合った悪意の果てを、無造作(むぞうさ)()(くだ)いていく情愛は、ひたすらに真摯(しんし)で。

 だが、それは、どこまでも呪詛(じゅそ)としてでしか、()れなかった。


 ――どうか、どうかどうかどうかどうかどうかどうか――


 エマは、己の指先が(かな)でる旋律(せんりつ)の合間に、痛烈な無音の(いの)りを聴く。




 し あ わ せ に 、 お な り




 願うは、ただ、それだけを。


 エマに対して向けられてはいない声音(こわね)は、どうしてか、涙が出る程優しく感じられた。

 静かな男の声は、自らが生み出した蠱毒(こどく)坩堝(るつぼ)に、()き散らされるはずだった災厄を引き()り込んでいく。

 その余波の残り香である(よど)(はら)いながら、エマは、幸福なままで終わらなかった愛情に(おも)いを()せ、知らず、(くちびる)()()めていた。


 欲しがった願いも、手に入らなかった夢想も、声の主に愛された対象が(うしな)ったものと同じく、千々の残骸(ざんがい)となって、どこにも(かえ)らないままだ。


「――え、ちょ――、ジャン、なに呪詛(じゅそ)の核なんか食べちゃってるの~~~~~~~っ?!

 お(なか)壊すから、ぺっしなさいっ!!

 ぺっ!!!!

 ぺ~っっっ!!!!!!!」


 衝撃(しょうげき)の光景から再起動したエマの従兄(エドにいさま)が、必死の形相で、黒髪黒目その上黒衣という、全身黒づくめの青年を()さぶりだした。

 本来、白皙(はくせき)容貌(ようぼう)であるはずの青年の皮膚(ひふ)には、今は、肌の色さえ見紛(みまが)うほどの密度で、禍々(まがまが)しい紋様(もんよう)の黒い(あざ)が浮かび上がっている。

 ()頓狂(とんきょう)なエド兄様の(さけ)びに、あるべき何かが決定的に欠落した声が、淡々と答えを返した。


「我が君、父さまの呪詛に()(つぶ)される程度であっても、侵食性(しんしょくせい)の呪詛を放っておく訳にはいきませんでした。

 それに、俺はこの程度の呪詛を取り込んだところで腹は下しませんので、我が君はお(かま)いなく」

「――ジャン、そういう問題じゃないからね~~~~~~~~~~っ!!!!」


 エド兄様は最早(もはや)半泣きだが、当の青年は、自分を()さぶり続ける己が主君の仕打ちにも、常の無表情を(つらぬ)いている。


「呪詛の対処は、聖職者とか専門家の仕事で、(おう)(しょう)の役割じゃないのっ!

 だから、ジャンが無理して身体を張る必要はないのっっ!!」

「我が君、今の呪詛を浄化可能な程度の能力を持つ聖人や聖女は、七十年前に激減してから、数が回復しきっておりません。

 アレクサンドリアへの悪感情が大きい『教会』が、虎の子の彼等を派遣(はけん)するとは思えませんが?」


 空虚(くうきょ)に過ぎて、(かわ)きさえ感じられない青年の言葉に、エマの背に、冷たいものが走る。

 エド兄様の臣下(しんか)は、怖くなんかない。

 王の(さや)を自称する青年は、魂の欠損(けっそん)があるだけで、エド兄様の敵以外に向ける(きば)を持たない。


 本当に、エマが怖いのは。


 ――一瞬。

 ほんの一瞬だけ、普段から怒りたがらないエド兄様の、心からの憤怒(ふんど)を感じたからだ。


「違うってばっ!!!

 あんなにお父さんに大事にされていたんだから、自分を大事にするのが、ジャンの義務なのっ!!」

「――我が君、俺は、貴方の(おう)(しょう)です」


 ぷんすか怒るエド兄様に、当代の王鞘たる青年は、慣れていなければ分からない程(わず)かに、語気を強める。


「それは、――そうで()ることは、俺が自分で決めました」


 (かたく)なな王鞘の台詞(せりふ)に、エド兄様がへにょりと(まゆ)(じり)を下げる。

 エド兄様とエマは、髪と瞳の濃いめの茶色以外、外見的な共通点に(とぼ)しいのであるが、こういう部分は、やっぱり従兄妹(いとこ)、だそうだ。

 彼女等を良く知る、伯父(おじ)や王鞘の言葉である。


 エマの血筋――アレクサンドリア王家から、代々唯一の(あるじ)を見出してきたウェイン伯爵家(はくしゃくけ)

 王の忠臣であると同時に、アレクサンドリアに存在する神域の番人でもあるその家の当主は、時に、人の姿をした玉座(ぎょくざ)と評されることもある。

 それは、彼等の(ほとん)どが、その時々のアレクサンドリアの王を、主君と(あお)いだ為だが、本当は――


「――ああ、聖女様、この様な場所にいらしたのですかっ?!」


 突如(とつじょ)至近距離から発せられた、感極まった叫びに、エマは腰を抜かしそうになる。

 エマの意思に反して上がった悲鳴は、(のど)につかえて、奇妙な音が口から()れただけだった。

 エマが、ギクシャクとした動きで辺りを見回すと、()()()()()()()()()と、目がかち合った。

 涙さえ(にじ)む若草色の瞳は、存外の幸運に輝いて。


「――ふぁ?」


 気の抜けそうなエド兄様の声が聞こえなければ、エマはそのまま、意識を飛ばしていたかもしれない。




 ああ、それは。

 違うけれど、同じものだ。

 同一ではなくても、同質だ。




 固く抱きしめた腕に、冷たくも温かくもない竪琴(たてごと)の感触があった。

 エマの一部で、エマの罪の一部である、()れ。


 硬直したエマの前で、エド兄様より年嵩(としかさ)であろう、柔らかい金髪の青年が(ひざまず)く。

 目の前の青年が身に(まと)う、『教会』の儀礼服に、エマは目を回しそうになった。

 だって、エマの記憶が正しければ、それは、よりにもよって、『教会』の中枢の地位を担う、枢機(すうき)(きょう)のものである。


 思想信仰に制限が無いアレクサンドリアだが、地神と共存する在り方(ゆえ)に、唯一神を奉じる『教会』とは、昔からそれなりに干戈(かんか)を交わしている。

 そして、諸々(もろもろ)の意味で(ひど)かったのが、唯一神の威光を(あまね)く広めようとした聖王との『聖戦』であった。

 当時の王であった『賢王』の命と引き換えに、聖王の軍を殲滅(せんめつ)したアレクサンドリアは、今でも『教会』からは『悪の王国』扱いだ。


 だから、どうしてある意味敵方の上位者がアレクサンドリアにいるのかといえば。


 ――今が、神域の魔物が荒れ狂う星無時(ほしなしどき)を、無事にやり過ごしたことを(ねぎら)う、アレクサンドリアの中でも重要な祭りがあったからで。

 それは、普段から部屋に引きこもっているエマでも、前よりはましになったという理由で、エド兄様に泣いて参加をお願いされる程、重要な行事な訳で。


 ……アレクサンドリアの威信(いしん)に傷をつける為に、強力な呪詛が()められた贈り物が叩きつけられる位には、招待客の格も高い式典の真っ最中だったのだ。


「――聖女様」


 いやいやと、呼びかけに首を振るエマの拒絶は、首を垂れる枢機卿の目には入らない。


「そのお力で、どうか、(みな)をお救い下さいませ」




 ――どうか。




 王鞘が父親から与えられた呪詛の中、狂う程に繰り返された祈りと同じ言葉は、エマにとっては、救いでも何でもない。


 ――皆?


 エマが救うことを強要されそうになっている、皆の中に、エド兄様が――アレクサンドリア王家自体が入っていないことは確かだ。

 (わざわい)を招く大凶星たる、『殺戮(さつりく)覇王(はおう)』。

 代々の宿星が、災厄の星というろくでもない家系なぞ、『教会』にとってはとっとと()えてもらった方が、よほど気楽だろう。

 そして、覇王の対たる『(うつ)ろの騎士(きし)』を宿星とする、王鞘の血筋もまた、同様に。




 それなら。

 わたくしは。




 あのひとたちを、すくわなければいけないの?




 思い至り、ひゅっと、エマは息を()む。




 いやだ。

 どうして。

 ひどいこと、ばかりだったのに。

 わたくしをたすけてくれなかったひとたちを。




 どうして、わたくしがたすけてあげなければいけないの。




 頭の中に飛び交う記憶と一緒に、世界がぐるぐると回る感覚がする。


「――無理です」


 毅然(きぜん)とした声と背が、枢機卿の思惑からエマを(さえぎ)る。


「聖女なんて、エマには(つと)まりません」


 きっぱりとしたエド兄様の宣言に、エマの涙腺(るいせん)はあっさり崩壊(ほうかい)した。


『困った時の、エド兄様』。


 それは、エマの中で確立している、絶対的な法則である。


「――え、えどにいさま~~~~~~~~~~っっ!!!」


 自分の背にしがみ付いて大泣きする従妹(いとこ)(ひめ)に、アレクサンドリアの王太子は肩を落とす。

 三人兄弟の次男である彼にとって、従妹姫は本当の妹の様で可愛いし、きちんと従妹姫を想ってくれる誰かと、幸せになってほしいとも思っているのだ。

 が、しかし、彼の最愛の妻が選んでくれた服を、涙と鼻水だらけにされるのは、また別問題なのである。


「アレクサンドリアは、聖女様の御力を独占するつもりですか?」

「……エマの力は、(とうと)んで濫用(らんよう)していいものじゃないし、……エマが聖女なんて、本当に無理ですから」


 声を鋭くした枢機卿に、エド兄様は困り果てた様だった。


「――聖女は、いつでも部屋の中にこもっていられる役職でも、合う相手を選べる役職でもではないでしょう?

 それなのに、重度の対人恐怖症のこの子に、どうやって聖女なんてやらせるつもりですか?」


 エド兄様の背に、ぴったりとしがみ付きながら、エマはこくこくと(うなず)いた。

 実の家族との確執が原因で、エマは現在、重度の対人恐怖症を(わずら)っているのだ。

 十三歳からの三年間、エマは完全無欠の引き()もり生活を送っており、多少回復した現在も、慣れた人間以外は本気で受け付けない。

 エマなりに頑張(がんば)ろうとしたが、……身体が持たずに、エド兄様に()しゃ物をぶちまけたぐらいだ。

 せめて、エマから半径十歩ぐらいは、無人であるのが望ましい状態である。

 ……今回の式典とて、現王たる伯父やエド兄様の、エマに対する細心の配慮(はいりょ)があったからこそ、何とか出席できたのだ。


 そんなエマが、聖女。


 見ず知らずの人々と話をして?

 見世物よろしく、大勢の人間の視線を集める様な式典に出席して?

 救いたくない相手まで救えと?


「――せ、聖女なんて、絶対なりませんっ!!!」


 エド兄様の背中の温度に勇気をもらい、エマは声を張り上げた。


 聖女とか、絶対無理だから。

 エマは、澱の浄化が出来ても、ただ、それだけだ。

 生憎(あいにく)と、エマのココロには、聖女に求められるような、清らかさや強靭(きょうじん)さの持ち合わせが無いのである。


 エマがなりたいのは、聖女ではなく――


「――わ、わたくしは、悪女になりますっ!!」

「――ええっ?!」


 エド兄様が、愕然(がくぜん)とエマを振り返る。


「なんで悪女なのっ?!」

「だって、だって、エド兄様、悪女になったら、いじめられませんっ!

 言いたいことも言えますし、やりたいこともやることが出来ますものっ!!」

「……あれ?

 エマ、それちょっと違うと思う。

 ――確実に何かがおかしいよっ?!!」


 引き()った顔のエド兄様に、エマは両手をグッと(にぎ)りしめた。

 エマは、いつまでも、エド兄様の手を(わずら)わせるだけの女の子でいたくないのだ。


「――エド兄様、わたくし、悪女になって、わたくしに都合の良い殿方を捕まえて見せますっ!!!」

「―――ちょっと義姉(ねえ)さん、エマにどんな本貸したの~~~~~~~~っ?!」


 純粋(じゅんすい)培養(ばいよう)引きこもりな従妹姫の、まさかの宣言に、アレクサンドリアの王太子は、両手で顔を(おお)って地面に(ひざ)をついた。


 Copyright © 2019 詞乃端 All Rights Reserved. 

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