第三話、僕の娘を自称する異世界のお姫様が夜這いしてきたんですけど⁉
気がつけば僕は、巨大な石造りの城のバルコニーにたたずんでいた。
「……何だ、これは」
その時、眼下に広がっている光景を目の当たりにして、僕は完全に言葉を失ってしまった。
──それも、当然であろう。
何せ、遮るもののまったく無い地平線の彼方までが、人や動物や建物どころか、草木の一本も見当たらない、荒涼たる大地のみが続いていたのだから。
しかもいまだ至る所でくすぶっている、炎と黒煙。
そして全天は、あたかも血糊のような、赤黒い雲に覆われていた。
まさしくそれは、文字通り『この世の終わり』そのものの、凄絶なる有り様であった。
「どうして、こんな……」
無意識に、そうつぶやいた、
──その刹那であった。
「これでやっと、二人っきりになれましたね♡」
唐突にすぐ隣から聞こえてきた、あまりにも場違いな、涼やかなる声音。
思わず振り向けば、いつしかそこには、一人の少女がいた。
年の頃は一五、六歳ほどか、白衣に緋袴といういわゆる巫女装束に包み込まれた、華奢なれどすでに女性らしき丸みを帯びた肢体に、月の雫のごとき白銀色の長い髪の毛に縁取られた、日本人形そのままの端麗なる白磁の小顔。
そしてその中で煌めいている、あたかも満月のごとき縦虹彩の、黄金色の瞳。
まさしくそれは天使や妖精そのものの、人ならざる妖艶さをかもし出していた。
「……詩音、様?」
そうそれは、僕こと御神楽響の同い年の遠縁の幼なじみであり、『主』たる本家の御令嬢その人であった──はずなのだが、
彼女の深紅の唇から返ってきたのは、予想外の言葉であった。
「いいえ、私はシオンではございません、ルーナです」
「へ? ルーナ、って……」
戸惑うばかりの僕を尻目に、居住まいを正して真摯な表情となる、自称『ルーナ』嬢。
「ええ、我ら魔族の主、『破滅の魔王』様だけにお仕え申し上げる、『過去詠みの巫女姫』でございます」
……魔族の主? 破滅の魔王? それに過去詠みの巫女姫って?
「それでは君は、魔族なのか? そもそもここは一体、どこなんだ? 本当に日本なのか? どうして何もかもが、燃え尽きてしまっているんだ⁉」
もはや何が何やらわけがわからず、我を忘れて食ってかかれば、途端に哀しそうな表情となる少女。
「……やはりあなたは、忘れてしまわれたのですね」
「わ、忘れたって、一体何を?」
「ここは、ニホンどころか、あらゆる意味で、もはや世界とは呼び得ません。──なぜなら、すでにここは、すべてが死に絶えているのですから」
──なっ⁉
「すべてが死に絶えたって、一体何が起こったんだ!」
あまりに予想外の言葉に、意気込んで問いかける僕だったが、
──それはいかにも、うかつな質問であったのだ。
「何をおっしゃいます、すべてはあなた様の御業によるものではないですか?」
……え。
そして恍惚の表情でしなだれかかってくる、自称巫女姫の少女。
「そう。まさしくあなた様こそが、すべての魔族の王『破滅の魔王』であり、たった今この世界そのものを滅ぼし尽くした、私のご主人様にして、最愛のお兄様であられるのです」
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
「──はっ⁉」
誰かに「お兄様」だか「お父様」だかと呼ばれたような気がして、目覚めてみれば、そこはホワンロン王国の王都中央にそびえ立つスノウホワイト城の、今や勝手知ったる僕専用の客間の豪奢な天蓋付きのベッドの上であった。
「……夢、だったのか?」
ふわふわの毛布を払いのけて上半身だけを起こせば、夜着に包み込まれた身体は、すっかり汗びっしょりとなっていた。
「今の夢では、僕は例のごとく『御神楽響』になっていたようだけど、するとあれは『ゲンダイニッポン』だったのか? それにしては、あまりにも様変わりしていたし、それに詩音様──いや、『ルーナ』とかいう女の子も、否定していたし。しかも『魔王』とかが、普通に存在しているとなると……」
ということは、まさか、まさか、まさか──。
「……もしかして、この魔術と科学のハイブリッドワールドの、なれの果てとか?」
普通だったら、ただの夢だと、笑い飛ばすところであるが、
ほぼ100%の的中率を誇る、『正夢体質』の僕が見たということは、
ひょっとしなくても、さっき見た文字通り『この世の終わり』そのままの光景が、近い将来本当に実現するとでも言うのか⁉
そのように、あまりにも不吉な予感に、心の底から苛まれていた、まさにその時。
「──別に不吉な夢をいくら見ようが、構わないではありませんか? 未来なんていくらでも変えることができるのです。何せ、そのための『正夢体質』ですから。ねえ? お父様♡」
………………………………は?
いつの間にかほんの目の前で四つん這いの格好をして、妖艶な笑みを浮かべながら僕のほうを見つめていたのは、年の頃は十六、七歳ほどか、大きめのブラウスだけをまとった、華奢で均整のとれた肢体に、黒絹のごとき長い髪の毛に縁取られた、まさしく人形そのままの端麗なる小顔。
そしてその中で艶めいている、黒曜石の瞳と深紅の唇。
それは間違いなく、我がホワンロン王国において、最も高貴なる女性のお姿であった。
「……女王様?」
「ああん、お父様は私のお父様なんだから、私のことはどうぞ、『キリエ』とお呼びください♡」
そのように、昼間の『できる女王様』のイメージ台無しの、馬鹿っぽいを台詞を言いながら覆い被さってくる、自称『僕の娘』。
「いや、何その、年下の男子に対する、強制『父娘』ごっこは⁉ ──つうか、一国の女王様が、『ゲンダイニッポン』の裸ワイシャツもどきの格好をして、夜這いなんかしてきていいわけ?」
必死に少女の柔肌を引っ剥がしながらまくし立てるものの、更に電波じみたことを言い募ってくる暴走クイーン。
「だってあなたがご自作の中でご自分の分身として書かれた、『御神楽響』様こそは、かつて『ゲンダイニッポン』からこの世界へと転移してきた勇者様であり、先代女王である私の母と結ばれた、まさしく私のお父様その人なのですもの♡」
「だったら、何で自分の父親と目している相手に対して、夜這いなんかしてくるんだよ⁉」
「あら? 『御神楽響』様はあくまでも『ゲンダイニッポン』から転移してきた、『精神体』のみの存在であるからして、私たちは肉体的には近親の関係にはございませんので、どのような行為に及ぼうが、何ら問題は無いのです」
「問題あるよ! そもそも一国の女王様が、村人Aに夜這いしようとすること自体が──いや、待てよ。何ですって、『御神楽響』が『ゲンダイニッポン』から転移してきた、『精神体』のみの存在ですって? 彼は僕にとっては、何度も夢の中に出てくる、あくまでも架空の『前世の記憶』的存在じゃなかったんですか⁉」
「確かにあなたは人並みならぬ『正夢体質』であられるでしょうが、それに対して『同じようなシチュエーションの夢を何度も見る』とか『前世の記憶に目覚める』などといったことは、また別の超常的現象であって、むしろそこには作為的な仕掛けが存在してしかるべきでしょうが?」
「作為的な、仕掛けって……」
「元々『御神楽響』様は、『ゲンダイニッポン』に実在なさっているお方で、我が国の王室魔導師が召喚術によって、この世界へと『勇者』として転移させた存在なのです」
──っ。
「……じゃあ、僕が『ゲンダイニッポン』において、『御神楽響』となる夢を見るようになったのも」
「ええ、私の指示によって、あなたの身体に『御神楽響』様──つまりは、お父様の精神体を転移させたからです」
「何で僕の身体に、そんな異世界の人間の精神体なんて、転移させたんですか⁉」
「あなたが庶子とはいえ、公爵家の血を引いており、私の婚約者となり得る資格をお持ちであることが、最近になって新たに判明されたからですよ」
「いやいや、ちょっと待って。僕の夢の中に出てくる『御神楽響』は、あくまでも『ゲンダイニッポン』のただの学生に過ぎず、異世界に勇者として転移したり、先代の女王様と結ばれたりなんかした記憶なんて、まったくないんですけど⁉」
「そりゃそうですよ。『ゲンダイニッポン』においてはいわゆる『集合的無意識』そのものである夢を介して、あなたの脳みそに刷り込まれた『御神楽響』様の『記憶』は、私が生まれる前に母によって召喚された『御神楽響』様ではなく、母と結ばれて私を儲けるどころか、この世界のことなぞ何も知らない、前回の召喚より以前の『御神楽響』様の『記憶』なのですから」
へ?
「そんな馬鹿な! 何で前回の召喚より以前の『御神楽響』を、時系列を無視して再召喚することができるんだ⁉」
「できて当然ですよ。これまた『ゲンダイニッポン』における物理法則の根幹をなすいわゆる『量子論』に則れば、世界というものは停止した時点の集まりでしかなく、世界間転移が可能であれば、転移対象の世界のあらゆる時点に転移することが可能となり、同じように異世界の『勇者候補者』の方を、前回の召喚の際よりも過去の時点からこの世界へと転移させることだって、十分に可能となるのです」
りょ、量子論って、何そのハード極まる論理的設定は。これって異世界ファンタジーではなく、ひょっとしてSFだったの?
いきなり「世界というものは停止した時点の集まりでしかない」とか言われても、わけがわからないんですけど?
「まあ、難しいことは脇に置いといて、要は前回の召喚の時点よりも『過去の御神楽響』様──すなわち、いまだ母とは結ばれていないお父様を召喚することによって、今度こそ私はあなたを自分のものにできるって寸法なんですよ」
「父親を自分のものにするって、何そのマジキチファザコン発想は⁉」
「大丈夫です。私たちは肉体的には、誰もが認めている婚約者同士ですから」
「精神的には実の父娘なんだから、全然大丈夫じゃないでしょうが⁉」
「……ああ、私が生まれる前に『ゲンダイニッポン』に帰還されてしまって、お母様の自慢話とのろけ話でしか聞けなかった、勇者であり救国の英雄であるお父様と、やっと結ばれることができるのね。──さあ、お父様、夜は短うございます。さっさと私にとっての子供であり、あなたにとっての初孫を、お互いに力を合わせて、つくろうではありませんか!」
そんな意味深すぎることを口走るや、再び飛びかかってこようとする女王様であったが、僕はすかさず足下のベッドのシーツを全力で引っ張り上げた。
「きゃんっ」
盛大に尻餅をつく、暴漢女王。
すかさず彼女をシーツでぐるぐる巻きにして、完全に自由を奪う。
「何をなさるのです! これは立派な不敬罪ですよ!」
「自分の父親を力尽くでモノにしようとする女王様なんて、そもそも尊敬の対象になるかよ⁉」
そう言い捨てるや、命の次に大事な母親の形見であり商売道具でもある、魔導書(型タブレットPC)だけを抱えて、脱兎のごとく部屋を飛び出していく。
「何でほんの一、二歳とはいえ年上の女王様なんかから父親扱いされて、あまつさえ夜這いをされなければならないんだよ⁉」
城内の長大な廊下を疾走しながら、あまりに理不尽な出来事の連続に堪えかねて、そう叫んだ、その瞬間──。
『何言っているのよ、すべては「ゲンダイニッポン」におけるあなた自身である、『御神楽響』が紡いだ小説のようなものに過ぎないのであり、あなたにとってもけして他人事じゃないのよ?』
唐突に手元の魔導書から聞こえてきた、幼くもどこか皮肉っぽい少女の声。
「……なろうの、女神」
分厚い革表紙を開けば、液晶画面に映し出されていたのは、年の頃は一二、三歳ほどの、フリルやレースに飾り立てられた禍々しくも可憐なる漆黒のワンピース──『ゲンダイニッポン』で言うところのゴスロリドレスをまとった、髪の毛や瞳を始め全身黒ずくめの妖艶なる美少女、自称『なろうの女神』のお姿であった。
「何だって? この世界が、『御神楽響』が書いた小説のようなものであり、しかもそいつは、『ゲンダイニッポン』の僕自身だって?」
いきなり思わぬことを言われて、完全に面食らう僕であったが、
──更に絶望的な、『とどめの言葉』を突きつけてくる、自称女神の少女。
『ええ、そうよ。つまりはこの世界におけるすべてが、あなた自身も気づかないでいた、秘めたる願望が具現化したようなものであるわけ。類い稀なる美少女の女王様から、盲目的に求愛されるのはもちろんのこと、先ほどの夢の中で見たように、この世界そのものを滅ぼしてしまうこともね』
──‼
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
「──これは一体何事ですか⁉」
何人とて侵入不可能な大陸の最果てに存在する、『魔王城』地下最深層に秘密裏に設けられた、最重要監視対象用座敷牢『コキュートス』。
唯一の『収容者』も常に深い眠りについており、本来なら静寂そのものであるはずが、現在においてはかつてなき異様なる雰囲気に包まれていた。
巨大なる『魔気』の発現を察知した、城内一の術者であり四天王の一角である、女男爵のスザクが駆けつけてみれば、すでに我が目を疑う惨憺たる有り様となっていた。
凶悪かつ絶大な魔気に当てられて、牢の手前の通路において死屍累々と昏倒している、屈強なる獄吏にお世話係の巫女たち。
そして、恐る恐る牢内を覗き込んでみれば、
「──っ」
そこでたたずんでいたのは、年の頃は一五、六歳ほどか、白衣に緋袴といういわゆる巫女装束に包み込まれた、華奢なれどすでに女性らしき丸みを帯びた肢体に、月の雫のごとき白銀色の長い髪の毛に縁取られた、日本人形そのままの端麗なる白磁の小顔とその中で煌めいている、あたかも満月のような縦虹彩の
黄金色の瞳をした、絶世の美少女であった。
──妖艶な笑みを浮かべている、鮮血のごとき深紅の唇。
それはあたかも天使や妖精そのものの可憐さとともに、人ならざる禍々しさをもかもし出していた。
「……過去詠みの、巫女姫様」
少女の足下にバラバラになって散らばっている、四肢はおろか五感さえも完全に拘束し得る、強大な呪術が込められた荒縄や目隠しや猿轡を認めて絶望する、魔王城指折りの術者。
なぜならこれらの戒めこそ、過去詠みの巫女姫においても更に忌むべき存在、『禍苦詠むの巫女姫』の、あくまでも不幸な未来しか予知できない、最凶最悪の予言の力を戒めるものだったのだから。
「──案ずるに及ばぬぞ、スザク」
唐突に鳴り響いた、久方ぶりに耳にする己が御主人様の朗々たる声音に、思わずうなだれていた面を上げる女男爵の魔族。
「どうせこの世は滅びの道を走り始めたのじゃ、もはや我が禍言を防いでいても、何の意味もなかろう」
「──! ま、まさか⁉」
愕然となる女四天王の前で、その不幸のみを占う巫女姫の少女は、大輪の花が咲き誇るかのような満面の笑みをたたえながら、心底うれしそうに託宣を下した。
「──そう。我ら魔族の主、『破滅の魔王』様が──私の最愛のお兄様が、ついに目覚められたのだ」