アイツは今日から 一
運命というものは人の生まれおちた時よりすでに決定づけられているものであり、やはりこの俺、宝田稔の運命も天より定められているのだ。
アイツとは、一目見た時からそれを感じていた。アイツの仕草、言動、姿全てがパルスとなって、俺の心を震わせ燃やす。
ああ、アイツはどうしてこんなにも愛らしく、いとおしく響くのだろう。彼は――――牧田清隆は、男の子だというのに。
勘違いをしてほしくはないが、決して俺はホモではない。普通にかわいい女の子が好きだし、清隆以外の男に興奮したりはしない。ただ彼が他の女よりもかわいくて、俺はそれに惚れただけなのである。
しかし、彼と俺は男同士なのだ。
この俺の滾る気持ちをぶつけたら、彼はきっと愛の重さに溺れ、潰れてしまうだろう。世間から逸脱した愛を受け入れることを恐れ、俺の側からいなくなってしまうかもしれない。それは絶対にダメだ。
清隆とは一年の頃からの付き合いであり、その関係はいまや親友以上恋人未満。俺が告白することを、きっと彼も心のどこかで待ち望んでいるはずだ。
分かっている。足りないのは俺の勇気なのだ。一線を越え、彼と結ばれるための一息が俺には足りていないのである。
男が好きなのではなく清隆が好きなのだ、と心中で叫んでも、男である彼と結ばれることに臆病な自分がいる。
ああ、もしも彼が男でなかったならきっと俺は――――。
・・・・・・
旧校舎の掃除をしていた時のことだった。掃除といっても以前使っていた教室の中から必要なものを運びだすだけで、それはどちらかというと整理作業に近かった。
化学Aの棚橋先生に頼まれ、古典部のやることではないとは思いつつも、俺はカビ臭い部屋をあさり、メモに書かれた剥製やらなんやらを丁寧に袋に詰め込んだ。
「んー……。この箱は?」
先生は薄汚れた木箱を見て目を細めた。
「俺に聞かれても知らないですよ」
「いやぁ、こんなのメモに書いたかなぁって」
「俺はメモの通りに取ってきただけです」
手についた埃を払って、先生はふぅんと鼻を鳴らした。
彼が蓋の端をちょっぴり開けてみると、薄紫の煙が音もなく漏れでた。慌てて箱を押さえつけ、先生は汗を拭いた。
「なんかの薬品だろう。あぶないあぶない」
「戻してきますか?」
「そうしてくれ。また今度それが何か調べて、改めて処分するとしよう」
渋り渋りと、再び旧校舎の階段を上がった。職員室と旧校舎はそれなりに距離があいていて、往復するだけでも文化部の足に堪える。
まったく、面倒なものだ。せめて清隆がいっしょにいればいいものの。
平中高校古典部の部活は土、日両方にあった。文化部がそんなことをする意味は分からない。実際どちらかの曜日は仕事もなく暇な時間をただ浪費するだけのことが多い。
清隆も「無駄な時間を過ごしたくはない」と土、日のどちらか片方しかこないのだ。素っ気ないことを言いながらもきちんと一日は来るところがかわいいと思う。俺は清隆に会いたいから毎日来るが、正直彼がいない日は一刻も早く帰りたいと考えている。今日だってそうだ。
シンとした旧理科室に入り、さっさと用事を済まそうと駆け足気味で動き出した。それがよくなかったのだ。
俺は何かにけつまづき、持っていた木箱を床に叩きつけてしまった。
木箱は壊れなかった。しかし蓋は外れた。
怪しい煙が一面に上がり、俺は咄嗟に口を塞いだ。
……おかしい。なんだろう、煙が固まって一ヶ所にとどまっている。
普通煙というのは空気に溶けていくものである。俺は首を傾げながらも窓を開いたが、煙が出ていく気配はない。
先生を呼んできたほうがいいだろうか。
窓越しに現校舎の方を見た瞬間、煙の固まりは動き出した。鼻先が触れそうな距離にまで迫り、突然のことに固まる俺の眼前でそれはニタリと笑った。
「オマエのネガイをイエ」
「……願い?」
夢でも見ているのだろうか、俺は困惑した。
いや、これは現実だ。俺の夢であるならば、清隆が側にいないはずはない。
「ソウ、ネガイだ」
「叶えて、くれるのか?」
「アアそうダ!」
いかにも怪しい。だがこの煙野郎、もしかして絵本でよくあるようなすごいヤツなんじゃないか?
もしかしてすごい物を手に入れてしまったのではないだろうか。俺の心は小さく踊りはじめた。
「願いならなんでも?」
「一日一個、ナンデモ」
「見返りとか取られる?」
「イラナイ。けれどネガイの取り消しも、今までのネガイに反したネガイもデキナイ」
「一度願い事をしたら、取り返しがつかないってことか」
「ソウ!」
煙は嬉しそうに応えた。
こいつ、いいヤツじゃないか。対価も無しに願いだけ叶えてくれるなんて、本当に絵本のランプの魔人のようだ。
「よし。じゃあ、俺と清隆が今後病めるときも健やかなる時も末永く共に幸せに暮らせるようにしてくれ」
「グタイテキにタノム」
「なんだと」
はっきりと言葉にしろというのか。俺と清隆はいつくっついてもおかしくないラブんラブんな関係であると自覚しているが、それを口に出せと言われると、やはり気恥ずかしさが喉に詰まる。
いや、よく考えるとそれは清隆も同じなはずだ。いくら可憐な顔立ちをしているからといって、彼だって男なのである。きっと俺への想いを押し殺し、気丈にも素っ気なく振る舞おうとするだろう。それはいけない。
「そうだ、清隆が自分の心を偽らないようにしてくれ!」
「ソレは、思ってルコトを喋るヨウニしろというコトカ?」
「ああいやいや、そうじゃない」
「デハ、どうイウ」
「俺の言ったことを素直に聞くみたいに、あいつが自分の心に従うようにしてくれ」
「……ワカッタ、お前のイウコトを聞クヨウに」
こいつ、本当にわかっているのだろうか。なんというか、不安の残る顔をしている。
「願いは叶ったのか?」
「タメシテみればイイ」
そう言って、煙は透き通るように消えていった。
今目の前で起こっていたことは紛れもない現実だったが、俺は半信半疑だった。
とりあえずケータイを取り出し、清隆とのトーク欄を開いた。が、いざ彼と会話するとなると何を言っていいのかわからない。
十五分ほど悩んだ結果、「会いたい」とだけメッセージを送り、直後に後悔した。
これでは清隆が素直になったとか全く分からないじゃないか。俺はいつもそうだ。普段はそうでもないのに彼と対すると言葉に迷い、目を反らしてしまう。
共に過ごした部活での蜜月の一年から、俺と清隆はもはや言葉を必要としないほどわかりあっているはずだが、それでも彼と素直に話したい俺がいる。しまった、素直にならなきゃいけないのは俺の方じゃないか。
既読はつかなかった。
いきなりなに言ってんだと思われたのか、いや、きっと突然のことに照れているのだろう。そうでないと俺が悲しい。
・・・・・・
空はもうオレンジに染まる時間だった。
俺は肩を落とし、小声で「帰ります」と言って部室を出た。
「あれ、帰るのかい?」
不意に聞こえた可愛らしい声。
振り返ったら、そこには清隆が立っていた。
驚いてケータイを確認してみると、いつの間にか既読の文字が付いている。
「清隆、どうしてここに」
「どうしてもなにも、宝田君が僕を呼んだんじゃあないか。来るべきか迷ったけど、わざわざ連絡してくるってことは忙しいのだろうと思って」
清隆が部室を覗いた。しかし中には何か文章を書くのに精を出しているデコメガネだけである。清隆は首を傾げた。
「特に何かあるようには見えないけれど」
「ああ、すまん。もう終わったんだ」
咄嗟に誤魔化し、やはり俺は目を反らした。
「そうなのか、だったら来なければよかった。せっかく着替えたのに」
「本当にすまん」
「いやいいよ。もう済んだのならそれで」
「今日はどうしたんだ? いつもは呼んだって来てくれないのに」
「気まぐれだよ。どうしてだか、呼ばれたから行かなくてはー、って気持ちになったんだ」
そう言った清隆を見て、俺は願いの成就を確信した。
彼は、俺に会いたいという心に素直に、俺のもとへやってきたのだ。
「じゃあ、僕は帰ろうかな」
「……なあ」
「何?」
「明日も来てくれるか?」
清隆はうーんと小さく唸り、俺に背中を向けた。
「まぁ、気が向いたら行くよ」
・・・・・・
翌日、俺が部室のドアを開けると清隆はすでに座っていた。
いつもは誰よりも遅く席につく彼が、俺に会いにこんなにも早く来てくれたのだ。
「今日は早いんだな」
「なんとなく、目が覚めちゃったんだ」
俺は清隆の隣に座り、その幸せを噛み締めた。
静かだが、暖かい時間が過ぎていく。パラパラとページをめくる音だけが響き、俺の心は高揚した。
退屈そうに小説を読み進める彼の顔を横目で見ては、恥ずかしくなって視線を反らす。
「なんだい? さっきからこっちを見ているけれど」
「い、いやなんでもない! それ、面白いのかなー……っと」
「これ?」
清隆は手に持った本を閉じると、つまらないよと言って俺に手渡した。
俺は本に残った彼の温もりを握りしめた。手渡しが彼も恥ずかしかったのか、彼は早々にケータイに目を移した。
会話が終わってしまうのが惜しい。そう思った。
「……なぁ」
「なんだい」
思わず声をかけてしまったが、次に言う台詞は浮かばない。少しの間のあと、俺は苦し紛れに鞄から例の箱を取り出した。
「これ、旧校舎で見つけたんだ。なんだと思う?」
「んー……?」
「本当にすごいんだ、これ」
「宝田君がそう言うのなら、そうなんだろうね」
口では興味を寄せつつも、彼はケータイから目を離さない。
「ほうほう、そんなにスゴいのですか! ならばこの私にも見せてほしいものですね!」
嫌味な声に振り向くと、広いおデコの眼鏡がいた。
「部長、いたんですか」
「さっき来ていたよ。泥棒のようにこっそりとね」
「気付いていたのなら挨拶くらいしなさいよ」
部長はじろりと清隆を睨み、いつものように黒板へ乱暴に文字を書きなぐった。
「これが、今日のお仕事ですッ!!」
・・・・・・
結局、あのあと清隆と二人っきりになれる機会は訪れなかった。
現代文の伊藤先生は相変わらず人使いが荒い。こちらは奴隷ではないんだ、もう少し加減してほしいものだ。
デコメガネは用事とかで4時に帰ってしまったし、副部長はいつの間にかいなくなっていた。
まったく薄情な奴らだ。清隆がいなければこんな部活辞めてやるのだが。
学生服に付いた埃を払いながら、部室のドアを開いた。
夕明かりに照らされる狭い部屋に、一人、寝息をたてて机に伏している者がいた。愛しの清隆である。
オレンジの光が頬をやわらかく染め、彼が男であることを一瞬忘れさせた。
なんてかわいいんだろう。本当に女の子みたいだ。
俺はそう思って、こっそり清隆の寝顔を写真に撮った。
「んぅ……」
パシャリという音に反応したのか、彼が頭を上げる。俺は慌ててケータイを鞄に隠した。
「お、おう。起きたか、清隆」
「……そっか、部室か。今は何時だい?」
「ええと、5時半を回ったとこだな」
「もうそんな時間かぁ。僕はもう帰るよ。今、家族がいなくてご飯を自分で作らなきゃいけないんだ」
「そうか、じゃあまたな」
「うん。また明日」
パタンとドアが閉じ、部屋には寂しく俺一人が残った。
・・・・・・
結局、今日二人っきりで話したのは朝の少しの時間だけだった。
俺は膝を抱え、ベッドの上でため息をつく。
これじゃあ昨日までと何も変わらない。せっかく何かを変えてみても、関係を進展させなければ意味がないのだ。
「何か、清隆とより親密になれるような何か」
「ネーガーイーのーニーオーイー」
鞄に仕舞いこんでいた箱から、煙が染みだした。
「おい煙、まだ箱を開けていないぞ」
「オレは強いネガイを持つ者の前に現れるノヨ」
「蓋をしてようがお構い無しなのか……」
「ソレヨリネガイ」
「願いなんて、今はそんな」
「イイヤ、心の内にアル。ずっと思ってるハズ」
「ずっと……?」
俺には清隆と結ばれる以外の願いなんてない。しかし、清隆と恋仲にしてほしい、というのが願いかと言われれば、そうではない。彼とはよくわからない不思議な力よりも、確かな愛の力で結ばれたいのだ。
しかし、今は清隆も俺の気持ちに応える踏ん切りがついていない段階。彼が俺を受け止められるようになれば、その時こそ……。
――――それはいつになるんだろう。
「なぁ、煙」
「ナンだイ」
「清隆を女の子にすることって……できるか?」
煙はニンマリと笑って答えた。
「アア、モチロン」
これは、運命なのだろうか。