第3話 覚悟
午前6時15分
悠は札幌郊外にある真駒内駐屯地に到着していた。
悠はいつも通り正面ゲートへと車を走らせるが、そこにはまたいつも通り数名の隊員が立っている。
悠は車のドアを開けて身分証明書を提示する。
その身分証明書を隊員が入念にチェックし、
「よし!」
と合図する。
やっとのことで到着した駐屯地はやはり物々しい雰囲気で、兵員輸送装甲車が行ったり来たりしている。
また、何人もの隊員らが深刻な顔で敷地内を駆け回っていた。
悠は急いで駐車場に車を停め、集合場所へと走った。
「第二中隊は揃ったか!?」
「まだだ!むしろ連絡が取れん奴が何人も…。」
色々な情報が飛び交う。
そんな混沌とした状況の中で、悠は集合場所である駐屯地内の体育館へと走った。
体育館には既に沢山の隊員らが集まっていた。
制服を着た者。迷彩服を着た者。上が迷彩服に下がジャージといういわゆる"ジャー戦"と呼ばれるカッコをした者。
皆、わけもわからずといった様子だった。「不破!」
体育館に足を踏み入れた悠に駆け寄りながら声をかけてきたのは、悠と同じ中隊に所属する数人の隊員たちだった。
「巻!一体どうなってんだ!?」
悠は自分と同期の隊員のひとり、巻健太二等陸曹の顔を見て叫ぶ。
「ガチで新華と戦争っぽいぞ!」
巻は言う。
「ガチ!千歳からF-4がめっちゃ飛んでってるみたいだぜ!?」
請け合ったのはこれまた悠と同期の中嶋光輝二等陸曹である。
「携帯のニュースで沖縄と北海道に侵攻って書いてますよ!」
更に後輩の赤西一等陸士も続けた。
「これはいよいよ俺たちも戦地へかり出される…ってヤツか!?」
中嶋は状況を確認するように言った。
「いや、とにかく今は落ち着いて説明を待とう。何かの間違いかも…」
悠は好き勝手口々に喋る彼らを制するように喋ったが、さらにそれを遮るかのように赤西が叫んだ。
「間違いな訳ないッスよ!」
赤西の顔は不安に満ちていた。
いや…、不安を隠せないのは皆一緒で、ただただここにいる隊員たちは状況を把握することで冷静になろうとしていた。
すると申し合わせたかのように、各部隊を束ねる士官らが体育館に入ってきた。
少し早めの歩調、厳しい顔つき。
これは自衛隊なら当たり前のことだが、額に滲んだ汗や、厳しいと表現するよりは緊張した面持ちと表現すべき顔はやはり何かの異常を物語っていた。
士官たちは体育館の中の空気を切り裂くように叫んだ。
「第一中隊集合!」
「第三中隊集合!」
体育館の中には第18普通科連隊に所属する各中隊が集まっていた。
士官たちは各部隊に集合をかけたのだった。
ざわめきに溢れ、統制など存在しなかった体育館に規律が生まれ、一糸乱れぬ動きで隊員たちは整列してゆく。
「なんだそのカッコはぁ!!」
悠がそそくさと自分が所属する第三中隊の列に加わろうとしてる最中、いわゆるジャー戦姿の隊員が尻に蹴りを食らっている姿も見受けられた。
もっとも、本来なら各隊員らのカッコがバラバラなんてことはめったにないので珍しい光景であったが、緊急事態ということもあり蹴りを入れた士官もその後は何も言わなかった。
ジャー戦姿の隊員らはほぼ駐屯地の中にある官舎住まいのようで、彼らは"叩き起こし"を食らったのだとすぐに想像ができた。
呆れた面持ちでその様子を冷たく眺めていた悠も、
「わき見すんな!」
と上官に頭をスパンと叩かれた。
その上官こそ悠が所属する第三中隊の中隊長、栗林和将三等陸佐であった。
栗林は全員を整列させると前に出てきて静かに口を開いた。
それと同時に申し合わせたようにやはり各隊でも士官らが口を開いていた。
「状況は非常に深刻であるので、手短に説明する!」
栗林が各隊員らの目を見て何かを投げかけるように喋る。
「本日未明、新華軍が我が国の領空領海内に侵攻すると共に、新華政府から日本政府に対して宣戦布告がなされた!」
皆、それは知っていた。誰も何も言わなかった。
栗林は隊員らに動揺がないことを確かめてから続ける。
「これに伴い、本日0400(マルヨンマルマル)に三自衛隊(陸海空)に対して防衛出動が発令された。新華軍は現在沖縄諸島に上陸。また、ここからほど近い稚内への上陸も予測されている。
我々はこれに対処すべく出動することとなった。」
「質問は!」
別の士官から隊員に向けられて発せられた。
すると沢山の隊員らが口々に、
「もっと状況を詳しく教えて下さい!」
と言う。
そのざわめきにも似た質問の数々にやはり士官は、
「静かにしろ!」
と自ら質問を求めたにも関わらず叫ぶ。
一般人がみたら滑稽に違いないだろう。
栗林は口を開いた。
「状況は現場までの移動中に更に詳しく説明する。わかっているとは思うが、状況が状況のため、我々は早急に出発し国土防衛に当たらねばならない。残念だが暫くは帰ってこれない。」
「そんなバカな!」
隊員らは更に不平を喚きたて始めた。
「まだ集合してない奴もいますよ!」
「出発は何時ですか!?」
まさに混沌とした状況になりつつあった。
悠はそんな中思い出していた。
遥に言い残してきた言葉を。
約束を破ってしまったような罪悪感を噛み締めていた。
栗林が叫ぶ。
「静かに!現時刻は0640、出発予定時刻は0800だ!この1時間ちょっとで諸君等は速やかに準備をし、家族に連絡を取れ。間に合わなかった者は置いていく。通勤組で満足な準備が出来ない者は家族に荷物を送付してもらうように!以上!」
栗林は最低限を告げ、また士官らと共に足早に去っていった。
取り残された隊員らはただただ呆然とした。
「ウソだろ!?俺は戦争するために自衛隊に入った訳じゃねーぞ!?」
「1時間って…女にも会えねーよ!」
隊員らは怒りを爆発させる。
怒りの矛先を向ける先もなく、あるものは怒鳴り散らし、ある者はオロオロし、ある者は足早に体育館を出て行く。
覚悟など出来ていない隊員らが圧倒的に多かった。
本音と建て前が矛盾して存在する自衛隊という組織における現状がまさに浮き彫りとなった形だ。
悠も例外ではなかった。
悠の場合、防衛出動を想定せず、伊達に自衛隊で訓練を積んできたわけではない。
ただ、
「まさか」、
「まさか本当に」。その一言であった。
悠は気を取り直してまず自分が何をすべきかを整理した。
悠は携帯電話を手に取り、体育館を出た。
体育館の外には電話する隊員らが沢山いた。
悠は急いで電話をかけた。
コール音の後に聞こえてきた言葉は、やはり遥の声だった。
『悠!?』
「遥?あのさ…やっぱり今日は帰れない。」
暫くの間の後に
『うん、だいたい予想してた。っていうか暫く帰ってこれないんでしょ?』
という落ち着いた声が聞こえてきた。
「うん。ホントゴメン。やっぱり…稚内に行くみたいだからさ。」
『いいよ…。確実に帰って来てくれさえすれば。』
遥がしみじみと言う。
「…。」
しかし悠からは何も言えなかった。
帰って来れる保証なんて無いのだから。
逆にそれを悠より遥の方が先に想定していた。
その事に悠自身呆れるほどに感心してしまった。
「帰って来ないと許さないよ。」
遥が続ける。
「うん。約束する。」
悠は自信もなくこう言うしかなかった。
「でさ…」
悠は気を取り直して遥に必要な荷物を送るように頼んだ。
「待って、メモとるから。」
遥は適切に対処していく。
悠は必要物品を読み上げながら、自らの日常を省みて、このかけがえのない存在の大切さを噛み締める。
「わかった。急いで送るから。」
遥がそう言った直後に悠はそっと口を開いた。
「なぁ…遥…。」
「ん…え?何?」
「ありがとう。」
悠の口からは普段絶対出ないような言葉がこぼれ落ちた。
「え?う…うん。」
遥は不思議そうに返事した。
「んじゃ、行ってくるから。」
悠は寂しそうに言った。
「うん。気をつけてね!死ぬなよー。」
遥は励まそうとしてくれているのか明るい声を返してくれた。
「遥、お前の事ずっと好きだから。向こうに行っても連絡する。ぜってー帰ってくるから!」
悠は涙をこらえて電話に叫ぶ。
「…。」
電話の向こうから声はない。
「…んじゃ、遠野のお義父さんとお義母さんにもよろしくな。」
「うん…。」
泣いていた。
悠はそのまま携帯の電源を切る。
周囲には未だに必死に電話で話をする隊員らで溢れている。
「0709か…。」
悠は携帯の時計を見る。
「よし、着替えて…荷物準備して行くか。」
悠は普段迷彩服などの荷物を保管しているロッカー室へと走る。
午前7時10分
札幌出発まで50分に迫った。