第1話ー岸家
1人目の教え子の話になります。
この後、順次、4人の教え子を紹介していく予定です。
「ねえ、ねえ、この間、学校であった出来事なんだけど」
「はい、はい、まずは、この算数からだな」
「可愛い従妹の話を聞く暇くらいあるでしょ。お兄ちゃん」
「算数をやりたくないだけだろ。お前が、従妹でなかったら、この家庭教師を断っている」
「いつもながら、冷たいね、お兄ちゃん」
「それを止めろ」
僕は、半ばうんざりする思いをしながら、従妹の岸澪を教えていた。
全く、こいつが従妹でなければ、そして、ちゃんと正規の家庭教師代金を払う、と叔父が言わなかったら、僕はこの家庭教師を断っていたところだ。
澪は、自分から見れば、母の弟の娘になる。
母方の叔父は、不妊治療の末にやっと授かった一人娘の澪を溺愛している。
澪が、地元横須賀の名門女学校である私立の浦賀女学校に入りたい、と言い出したことから、僕を澪の家庭教師として、叔父は目を付けた。
そして、僕が親族であるという弱みも絡めて、僕を澪の家庭教師にした。
その代り、僕も正規の家庭教師として、時給3000円を叔父からせしめ、週4時間(月曜夜に2時間、土曜午前2時間)で、1万2000円の週給を得ているので、お互い様と言ったところか。
いろいろ苦労した末、2時間の家庭教師分、何とか働いた。
「それにしても、何で浦賀女学校に入りたいんだ」
「お兄ちゃんが、浦賀女学校の教師になるからに決まっているじゃない」
澪は、平然と言った。
「はいはい、ありがとう」
僕は冷たく言った。
僕は東京帝大の学生だ。
更に海兵隊の予備役士官養成課程も受講している。
予備役士官養成課程を受講していれば、給付型奨学金が貰える。
しかも、月々15万円(6月、12月には特別手当がプラス10万円なので、年収200万円)貰える。
だが、その代償として。
8年間の御礼奉公を士官としてしなければならない。
しなかったら、4年間の奨学金の総額800万円を年利1割で返済義務を負う。
月7万円近い返済なんて、新社会人には無理な話だ。
だから、大抵が、御礼奉公の道を選ぶ。
日本は世界の三大大国、米英日の一つだ。
大国の義務として、世界平和の維持に努めねばならない。
そのために、日本はアジアを中心に世界に軍を展開させて、国連に協力して平和維持活動を行っている。
だが、それは綺麗ごとだ。
実際には、米英日の都合の良いような平和を作りたいだけだ。
だから、国連は、ある地域では民族宗教の独立運動を支援し、ある地域では逆に弾圧する。
平和維持活動に赴いた日本の軍人が、毎年一千人程が死ぬのは、そのためだ。
僕は、冷めた想いを抱いていた。
そして、死ぬ大部分の士官は、予備役士官養成課程を卒業した士官だった。
海軍兵学校や陸軍士官学校を卒業したエリートは、まず平和維持活動には行かないのだ。
後方支援活動が何よりも大事という大義名分を掲げ、まずエリートは前線に行かない。
僕が、いわゆる海兵隊一家の一員でなければ、苦学生として東京帝大を目指したろう。
大学の授業料等は無料なのだから、何とかなったはずだ。
実際、家庭教師として、月に15万円近い収入を自分は得ている。
親と同居しているのだから、その点でも何とかなった。
だが、海兵隊一家の一員として、東京帝大に入るのなら、予備役士官養成課程を採れ、と親族全体から僕に圧力が掛かった。
特に土方家が酷かった。
「明日は、土方鈴の家庭教師だっけ」
「そうだよ」
僕は、澪の問いかけに答えた。
「鈴さんによろしくね」
「お前、面識は無いだろう」
「そうは言っても、一応は血縁だしね。同じ教え子仲間の礼儀よ」
「分かった。一応は伝えるよ」
鈴は、土方本家の娘で、澪と同い年だ。
鈴も浦賀女学校を目指している。
「鈴さんに、浦賀女学校で会うのが楽しみだわ」
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