第15話ー愛
気が付いた時、私はベッドの上で横たわっていた。
恐る恐る目を開けると、ベッド脇には母が付き添っていて、私が目を開けるのに気が付いた瞬間、泣き出しながら、半ば泣き叫んだ。
「大丈夫、体で痛い所は無い」
「大丈夫だから、安心して」
私は口先では答えたが、心が激痛に苛まれていた。
前世の事を全て思い出してしまった。
涙が溢れて、止まらない。
あの時、私のできる精一杯の事として、彼に抱かれた。
少しでも彼を慰め、癒したかったのだ。
間違っていたかもしれない。
でも、あの時の私にとって、これが私のできる精一杯だった。
あの後、彼は二度と私の前に現れなかった。
そして、数か月が経ち、自分が彼の子を身籠ったことに気づいた。
私の前世の父は、日清戦争の際に戦死している。
前世の母は、その時にまだ胎児だった前世の私を育て上げるために、大変苦労した。
そのために、少しでも母を助けようと、私が働けるようになってすぐ、芸者に私はなったのに。
20歳になるかならないかで、子どもを身籠るなんて。
身籠って、子どもを産んだら、私は、多分、芸者を続けられない。
苦悩していた私の背中を暖かく押してくれたのは、母だった。
「本当に馬鹿な子だねえ。母の私と同じように、父がいない子を作るなんて」
母は暖かい口調で、そう言って、私を抱きしめてくれた。
母が涙を溢れさせて、その涙が、私の背中を濡らしていた。
それに気が付いた時に、私は決意した。
この子を産んで、何としても育ててみせる。
私は芸者を辞め、仲居等に転職した。
そして、貧困に苦しみつつ、私は娘を産み育てた。
それから更に数年が経ち、私の事情を納得してくれた腕のいい板前と私は結婚して、夫と共に小料理屋を開いた。
そこに、北白川宮殿下が来られたのだった。
この人は信頼できる、と私は判断して、娘の事を北白川宮殿下に相談することにした。
「この子の父親の消息を知りたい?」
「ええ。恐らく戦死していると思うのですが。もし、子どもが無く、戦死しているのなら、娘がいることを遺族の方にお伝えしたいと」
「遺族がどう受け止めるかな」
北白川宮殿下は、私の頼みを聞いて、内密に彼の消息を探してくれた。
数週間後に店に来られた北白川宮殿下は、苦悩されていた。
「この子の父親は戦死している。そして、問題を引き起こしている」
「どんな問題ですか」
私は、慌てふためいた。
「正妻との間に男の子が出来ていた。そして、元婚約者と自称する女性が娘を産んでいた。そして、正妻との間で問題を引き起こしていた」
「えっ」
私は、北白川宮殿下の言葉に、呆然とした。
「君が嘘をついているとは、私は思わない。だが、こんな状況で、君が遺族の下へ娘を連れて行って、歓迎してもらえるだろうか」
北白川宮殿下の言葉に、私は俯いてしまった。
「君の娘の事は内密にせざるを得まい。本当に済まない。せめてものお詫びとして、私の名前を料亭に与えよう。そして、君に対して、できる限りのことをしたい。君にとって、何の慰めにもならないだろうが」
「いえ。充分です。有難うございます」
北白川宮殿下が続けて、頭を下げられながら言った御言葉に、私は頭を下げながら言った。
本当は、私の内心は違っていた。
どうして、私の娘は、彼の娘として、名乗りを上げられないのか、と思った。
でも、元芸者の私が、彼の娘を産んだと言い張っても、まず、信用してもらえない。
日陰の身をこの時程、恨んだことは無かった。
そう考えると、北白川宮殿下の御厚意を、私は受け入れるしかなかった。
それが「北白川」の女将が、母から娘へと伝えてきた本当の「北白川」の名付けのいわれ。
前世の私は娘に、実父の名を伝えなかった。
その為に、こんなことに。
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