第9話ー卒業シーズン2
そんな海兵隊との交渉が終わって帰宅すると、相次いで、教え子4人から、浦賀女学校に合格して、入学が決まったよ、という連絡がメールで入った。
僕は、急いでそれぞれにお祝いの返信をしたら、それぞれから、4月からもよろしくね、等のメールが送り返される有様で、僕は嬉しい思いがした。
ああ、4月からは、こんなふうに女学校の教師として、過ごしていくのだな。
そう思うと、僕の心は和んだ。
海兵隊との交渉にもかかわらず(いや、それで疲れていたのもあるだろう。)、熟睡できた程だ。
「本当に、あくまでも海兵隊士官への任官を拒否するというのかね。兵役は国民の義務だ。そして、国連の平和維持活動は、ノーベル平和賞を何度も受賞している立派な活動だ。確かに任官拒否の権利は認められているが、それは、国民の義務から逃げており、世界平和の為に献身するという尊い活動に自分から背を向けるもので、恥ずべきものだと考えないのかね」
海兵隊の某尉官の僕への交渉は、本当にしつこかった。
おそらく、土方伯爵家等の意向も、裏であったのだろう。
僕は表向きはひたすら頭を下げ、任官拒否をします、と言い続けた。
「その理由は?」
更に某尉官は、詳しく問い詰めてきたが、僕は、言を左右にして逃げ回った。
本当に、日本の憲法、大日本帝国憲法は、ある意味でカビの生えた代物だ。
1889年2月11日に公布されてから、120年以上、一度も改正されていない。
だから、兵役の義務が未だにあり、男女を問わず徴兵制が施行されている。
だが、皮肉なことに、憲法を改正せずに、民主化が進んでもいる。
天皇主権という建前に反しない限り、事実上の権利を認めるのに寛容なのだ。
気が付けば、労働三権が事実上認められ、一般の国家公務員でさえ、団結権どころか、争議権を持っているし、政治活動を時間外にするのは、当たり前になっている。
裁判官の労働組合が立憲政友会の支持団体なのに、裁判所職員の労働組合が立憲民政党の支持団体で、衆議院選挙のたびにいがみ合うのは、有名な話だ。
そして、日本の国民は、それを異常に思わない。
こんな状況なのに、憲法改正の必要があるのだろうか、と僕は思うことさえある。
話がずれたが、ともかく、僕が海兵隊士官になりたくない理由は、自分が戦死したくないし、人を殺したくもないということに尽きる。
国連の平和維持活動への参加は、自発的志願と言うが、半強制なのは、無言の事実なのだ(大体、軍人が上官の命令を断れるか。)。
国連の平和維持活動、というが、それがもたらす平和とは墓場の平和だ、と仏の某雑誌が皮肉ったことがあり、自分もそれに共感する。
国連がもたらそうとする平和を受け入れずに武力に訴えたとして、平和を理由に国連平和維持軍に殺される人が何と多い事だろうか。
国連発表でも年に数万人以上が、国連平和維持活動に批判的な人に言わせれば、年に数十万人以上が国連平和維持軍に世界で殺されている。
では、他にどうやって平和がもたらされるというのか、平和と唱えれば、平和になるというのか、実際に世界各地でテロ活動が起きており、日本も標的になっているではないか、等と国連の平和維持活動を批判する者は再批判されるが、それに対して、僕は答える術を、正直に言って、持っていない。
だが、何かが間違っている、と思わざるを得ないのだ。
そういった理由から、僕は海兵隊士官への任官を拒否し、逃げ回った。
家族、親族からも海兵隊士官になるように、僕には圧力が掛けられ、本当に辟易する羽目にもなった。
そして、3月末に、とうとう海兵隊士官への任官拒否に、僕は成功した。
これで、4月からは教師になれる。
そして、と僕は考えていた。
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