第六話 ロキの執念
エリオットが剣術の勝負でロキに破れ、そのロキを弓の勝負でリューンが破ったという話は日が沈まない内に城中の噂話、引いては国の危機を救ったリューンの英雄談として騒がれる事となっていた。
この事にリューンは悪い気はしなかったが、余り手放しでは喜べない。裏方の仕事である彼にとって、自分の事を騒がれるのは何か居心地が悪いのである。それにエリオットの手前、自分が褒められエリオット以上に目立つ事は感心は出来ない。
そのエリオットはリューンの予想通りお世辞にも機嫌がいいとは言えない状態だった。
その夜エリオットは自室でリューンに詰め寄っていた。
「なぁ、リューン…。お前、何かオレに隠してないか?」
「……」
リューンはすでにエリオットの言わんとしていることが分っていた。
しかし、その事を口にするのはためらう。出来るならば暗黙の了解の下に話題にしないでほしいとさえ思っている。
しかし、何事もはっきり白黒つけねば気が進まないのがエリオットの性分。リューンもその事を良く知っていたからもはや言い逃れは出来ないと腹をくくってもいる。
「お前のことだから、オレが何を言っているか分ってるな?」
リューンは一つ深い深呼吸をして、
「ええ。全ては私の浅慮ゆえの出過ぎた真似でした」
「狩りのことだな?」
「はい」
フーとエリオットも溜息を洩らし天井を見つめて暫く黙った。
薄々何かおかしいとは思っていた。自分のように弓の訓練もろくにしない者がいつも得物を見事なまでに急所を射抜いて仕留めていることなど、どう考えても常識的には有り得ないことだった。
しかし、楽しかった。馬にまたがって山道を駆け、弓で獣を射止め、持ち帰っては賞賛の嵐。皆からは尊敬され、どこに言っても笑顔で歓迎された。例えそれが他人の力であっても、自分にとってかけがえの無い3ヶ月間であった。それを考えると怒りはスーと静まっていった。
「もう良い。この事は水に流す」
「え?」
リューンは酷く怒られるものと思っていたので、このエリオットの反応に驚いた。
エリオットは話を続ける。
「リューン。お前の気持ち…。オレのことを思ってのことだろうから、オレはむしろ感謝さえしている。ただ、狩りはもうヤメだ。いつまた今日のようなことが起きるかもしれん」
エリオットは昼間剣術の勝負で、ロキに子供のように扱われ、奴の従者達にあざけ笑われたことを思いだしていた。
「しかし、どうにかしてあの男に仕返しが出来ないものか…。このまま国へ帰られるのも口惜しいな」
だが、エリオットは何一つ取り得のない少年である。自分だけの力でやり返すことは出来ない。それに相手はつわものの王子。王子としての立場こそ互角だが能力の差は歴然だ。
しかし、エリオットは大がつくほどの負けず嫌いである。彼はロキが国に帰る前に何とかやり返せるアイデアが無いかリューンに訊いた。
リューンは首をかしげ、考え込む。しかし、良い案はすぐには思いつかない。大体エリオットに何も能力的に秀でた所が無い以上、他者をやり込めるのは難しい。
それに、確かにロキは気に食わない男だが、今回彼がわざわざこの国に赴いたのはジーヴェルとゴズウッド両国の親睦を深めるためにこちらから招待したからである。その招待客をやり込めて負かせてやろうと思うのは少し話の本筋から外れている。
「エリオットさま…。やはり、ここは我慢のしどころかと。ゴズウッドとの同盟は我がジーヴェルにとっても天の恵み。ギーエンと対等に戦うにはゴズウッドとの同盟が必要不可欠です。ここであの王子と事を構えて怒らせでもしたならこの同盟がご破算になることも有り得るかもしれません。彼らが気持ちよく国に帰るまで、ここは穏便に済ませるべきかと思われます」
「う〜む…。その通りだな…」
エリオットは腕を組んで頷く。
「ここはエリオットさまが一歩引いて、寛大なるお心と大きな器量をもってお振る舞いなされば万事が上手くいくことと思われます」
「そ、そうだな。オレが大人の態度で臨めば良いという事だな!」
「はい。そうです」
「そうか、そうか。宜しい。そうしよう!」
と、最後に「あっはっは」と笑ったが、顔は少々引きつっていた。
やはり負けたままでいるのが悔しいのだ。
一方、客室を宛がわれているゴズウッドの王子ロキは、室内で独り厳しい表情をし、椅子に腰掛けて手を組んで何やら考え事をしていた。
それは、やはり昼間、弓の勝負でリューンに敗北したことであった。
ロキは子供の頃から同年代の者達には剣術も弓も、そして素手での格闘(ケンカを含む)でも負けた事は無く、18歳になり大人並の体格に成長した最近では、大人も含め誰にも敗れたことは一度もない。それが今日、自分よりも遥かに小さい体躯の優男に敗れてしまった。弓での勝負なので体格の優劣が関係なかったとはいえ、昼間の勝負はロキの完敗だった。しかしロキは破れて尚、対戦相手であったリューンの神業ともいえるあの弓術に舌を巻いた。
(あんな芸当はちょっとやそっとの腕前では出来ぬ。しかも奴は始めからオレに勝つつもりで勝負を挑んで来た。一国の王女の身を賭けての事。自分の腕を心底信じていなければやれない勝負だった)
ロキはおもむろに椅子かた立ち上がると、その椅子を力いっぱい蹴飛ばした。椅子は勢い良く飛んで室内の壁に当たり床に落ち、背もたれや足が折れて無残な姿となった。
「クソ!あの野郎!このままでは済まさんぞ!」
ロキは般若のような醜い形相になり、リューンへの報復を心に誓った。
暫く怒りに打ち震えていたロキだったが、昼間の事を色々と回想している内に何か心に引っ掛かるものを感じた。自分を負かしたあのリューンよりもエリオットの方が狩りがうまいなどと有り得るわけがない。一体どういう事だ。その答えはすぐに出た。
(あのへなちょこ王子…。まさか、な。いや、そうだろう。ならば!)
ロキはその切れ長の青い瞳をギロッと光らせた。
翌日からエリオットとリューンはなるべくゴズウッドから来た招待客とは会わないように心掛けた。
同じ場所にいなければ、何かのトラブルが起きる事は無いと考えての事。
しかし、その作戦はもろくも崩れた。ロキがエリオットに話があるというのだ。
エリオットとリューンは顔を見合わせた。
「何を企んでいるのだ。あの高慢ちきな男は!」
「エリオットさま。仮病でも使って会うのをお止め下さい」と、リューンの助言。エリオットもそう思い、風邪と偽って会わないようにした。すると、次の日もロキが「話したい事がある」との言伝があり、エリオットはまた「風邪具合が悪い」と言って断った。
すると――その日、エリオットの寝室をロキが尋ねてきた。「お見舞い」だというのだ。
ロキは衛兵の制止を強引に振り切ってエリオットの室内へと入ってきた。
慌ててベッドに潜り込んだエリオット。リューンはエリオットの前に立ちロキと対峙した。
「これはエリオット王子。何でも風邪を引いたと聞いてお見舞いにあがりました。これはほんのお気持ちで」
と、リンゴやナシ、メロンなどのフルーツが山盛りに積まれているかごを近くにあったテーブルの上に置いた。
ロキはあの訓練場での勝負の時に見せたような卑下するような眼でエリットを見ている。
「顔色も良く。元気そうですな。これなら明日にでも風邪は治まるでしょうな」
エリオットとリューンは硬い表情を崩さない。こんな男がただ単に病人の見舞いなどに来るはずがない。それも昨日今日接点が少し合っただけの者の見舞いなど。この男の狙いは何だ?
(何か企んできたのであろう。話とやらを聞いては向こうのペースになる)
「エリオットさまはまだお体が万全ではありませぬ。さ、ロキさま。どうかこの辺りでお帰りください」
と、リューンは低姿勢でそう言った。ロキはこの目の前の男リューンを射る様な眼で見た。この優男が誰にも負けたことがない自分を打ち負かしたのだ。
その眼をチラッと見たリューンはこの男の狙いがエリオットではなく、自分であることに気づいた。
ロキは気合を漲らせていたが、パッと態度を紳士的に入れ替え、エリオットに視線を移して、
「この間のことはオレのいたずらがすぎた。許されよ。それでお詫びとして一緒に狩りに出かけようではないか。エリオットどのがいつも行っていると聞いている。最近は日も照って気持ちの良い天気だ。皆で出かけてわいわいと楽しもうではないか」
エリオットはこのロキの言い回しに「おや?」と思った。言葉通りの意味なら非礼を詫び、そのお返しに仲良く狩りでもしてみな水に流さそうと、いう風に聞こえる。
しかし、リューンはそうは取らなかった。こんな自意識過剰でトップ志向、それで自分に絶対の自信を持っているこの男が負けたままで仲良くしようなどと、言葉に出す事すれ、心の中では思うはずがない。これは罠だ!とリューンはすぐさま見抜いた。
「どうですかな、エリオットどの?」
エリオットは一応と思いリューンを見る。するとリューンの眼が異様に険しい。そこでエリオットも「罠か?」と気づかされた。
エリオットは無理やり笑顔を作る。
「せっかくのお誘い嬉しい限りですが、風邪をこじらせてはいかないので後2、3日はこの部屋に篭っていようと思う。狩りはまた貴殿がこの城に来た時にでも楽しみましょう」
リューンは(なかなかの理由と言い回しだ)と、感心した。
ロキは口の端を吊り上げて、
(こっちの思惑に気づいたか。しかし逃げられはせん)
「それではエリオットどのの体調が回復するまで狩りはお預けといたそう。2日でも3日でも一週間でも10日でも待とう」
「え!?」
おかしい。ゴズウッドの招待客がここホーリーウォールに留まるのは半月だと聞いている。彼らがやってきて既に13日が過ぎている。あと2後に自国へ戻るという話の筈だ。
その事をエリオットがロキに尋ねると、ロキはこう答えた。
「オレとオレの従者達は日数に融通が利く、親父は政務で忙しい身だから2日後に国に帰るが、オレはまだここに残る。ここが気にいったのでね。もう少し居候させてもらう。この事はもう親父にもジークムント王にも言って許可を貰っている。心配することはない。ゆっくりと風邪を治して供に狩りを楽しもうではないか」
そこまで言ってロキは部屋から出て行った。
エリオットとリューンは目を丸くしてお互いに顔を見合わせた。
「本当だろうか?」
「はい。そうなのでしょう。つまりそこまでして私かもしくはエリオットさまに何か仕出かしたいのでしょう」
「こまった、な…」
「ええ、困りました、ね…」
二人は呆然としてあの嫌味な男が去って行った部屋の扉を見つめるしかなかった。
どうする?
今回の登場人物の紹介はお休みです。
ロキが随分活躍してますが、彼のモデルは孫策です。今そう思いました。悪い奴ではないので嫌わないで下さい。
では、次話も宜しかったら読んで下さい。