第五話 弓勝負
「それでは、弓の勝負を始めようではないか?エリオット王子」
ゴズウッドの王子ロキは自信に満ちた笑みを隠そうともせずそう声を張り上げた。
「いいだろう…」
エリオットはそう答えたが、辺りに漂う重い空気の中、場違いな声を発する者がいた。
「待って下さい!少しお待ちを!」
声の主はまたもやリューンだった。リューンは必死だった。それもそうだろう。この勝負が行なわれてしまったら、当然エリオットは無様に破れエリスがこの目の前にいるいけ好かない男のものとなってしまう。そんな最悪の結果が確信的に起る勝負を始めさせてはならない。どうする?リューンはこの危機を乗り越えるための何か良い案はないか、頭を回転させる。
「また、お前か」
ロキは二度に渡って口を挟んできたこの一兵士に少し腹が立った。
「お前なんぞ一兵士が発言するような場ではない。控えよ」
ロキの言葉には明らかに怒気が含まれている。
しかし、ここで引くことは出来ない。これは彼がエリオットの守護兵になって初めて訪れた正念場である。リューンは頭を深々と下げて、
「申し訳ありません!しかし、敢えて口を挟む事をお許しください!」
「こやつは何の階級の者か?」
ロキは露骨に怒りを込めてジーヴェルの者達に訊いた。それにはエリオットが答えた。
「この者はオレの守護兵を務めるリューンという者だ。ジーヴェルの名門貴族の公子だ。身分とて高く、貴殿と論ずるにも不足はないはずだ。ロキ王子よ」
「ほぅ…。貴族の公子ね…。ならば良い。申してみよ」
ロキは冷めた目でリューンを一瞥した。
リューンは頭を下げたままの姿勢で、
「怖れながらエリオットさまは最近山での狩りの時にだけしか弓を使っておらず、この訓練場では弓の修練をもう何ヶ月も行なっていません。ですから、動かない的を射る事にはブランクがあり実力を発揮できないものと思われます。そのような状態でこのような大事な勝負をさせるわけにはいきません」
「ほぅ…。ブランクとな…。それで貴公はどうしたいと言うのだ?」
「はい。それで、エリオットさまに代わり私に相手をさせてもらえませんか?」
「なんだと?貴公がか?」
リューンは顔を上げて、
「はい。私は狩りでの腕前はエリオットさまに遠く及びませんが、訓練場での的を射抜く技量はエリオットさまにも引けを取らぬと自負しております。ですから、もし私が勝てばロキさまはエリオットさまにも勝てません。この時点でエリスさまの事は諦めてください。しかし私が負ければロキさまは今度は外に出て、狩りでエリオットさまと勝負して、そこで貴方様が勝ったならエリスさまの事は好きになさいませ。その上、ロキさまが負けた場合は土下座もエリオットさまに謝る必要も御座いません。この条件でどうでしょうか?」
ロキはせせら笑って、
「つまり貴公らは一度の負けは許され、オレは二つ続けて勝たねばならんという事か…。随分不公平な話だが…」
しかし、この王子には己に対して絶対の自信がある。それはエリオットの様な狩りが得意であるなどという薄っぺらな自信ではなく、自分自身の力を他者に誇示し、いかなる者にも勝ってきたいう揺ぎ無き自信である。
「いいだろう。その条件で受けて立つぞ」
「有難う御座います」
リューンは心の中でほくそえんだ。この二段構えの策に、自分に自信を持つがあまり、奴は引っ掛かったのだ。
「では、早速始めるぞ」
一同は的が設置されている訓練場の隅に行き、勝負をするリューンとロキは30メートル先にある的を見据えて弓と矢を持って並んで立った。
「お先にどうぞ」
ロキはここでも余裕を見せる。
「はい。では私から」
リューンは遠くの的を正面に置いて弓に矢をつがえてゆっくりと弦を引いた。
そして狙いを定めると――フュッと矢を放った。矢は空気を切り裂いて一直線に飛んで的に刺さった。皆が見ると見事に的のど真ん中を射抜いていた。
「おぉ!」と、一同どよめく。
(自分から挑んでくるだけあってなかなかの腕前だ)
続いてロキがリューンが射た的の右隣りの的を正面に置いて、弓をぐぐっと引いて狙いを定めて矢を放った。そしてそのロキの放った矢も的のど真ん中に突き刺さった。
「おぉ!さすがロキさま!」
「ゴズウッドの王子も噂通りの腕前だ」
ロキはフフンと鼻を鳴らして「どうだ!」と言わんばかりの表情を見せた。対してリューンは彼特有のポーカーフェイスは崩さない。
第二回戦。リューンは弓を構えて弦を引き矢をフュッと放った。
そして、その矢は先にリューンが的の突き立てた矢の棒の部分の中央を貫いて的に刺さり、その棒の部分は四方八方に割れて木切れとなった。寸分たがわず先の矢と同じポイントを射抜いたのだ。
「おおぉ!!」「あの衛兵。出来るぞ!」「リューンどのの腕前もエリオットさまに引けを取らぬのでは!」
しかし、この結果に一番驚いたのは対戦相手のロキだった。ロキも弓の達人であるから、今のリューンの業が如何に優れているかが分る。
(こいつ…。オレでも3、4回に1度しか出来ない業を何食わぬ顔であっさりとやってのけおった)
ロキは心中穏やかではなかったが、リューン同様表情には出さず的を見て弓を引いた。
そして矢を放つと、ドッと的に刺さった。
「おおおぉ!こちらもだ!」「凄い!」
と、感嘆の声の通り、こちらも先を矢を八方に割れさせ的のど真ん中に突き刺さり、全く同じポイントを射抜いていた。
(ふー。なんとか成功か…。しかし、こやつ…)
ロキの表情から余裕が消えていた。
リューンは的をじっとみて構え、再び弓から矢を放つ。すると、その矢はまたもや第二射した矢の棒を割って、三度同じポイントを射抜いたのだった。
「おおおおぉぉぉ!なんという腕前か!」「神業だ!!」
ロキは一瞬にして顔から血の気が引いた。
(何て奴だ!?こいつ…。何者だ!?)
明らかに動揺していたが、(まだまだ)と自分に言い聞かせ自分を奮い立たせる。
しかし、ロキはこの時、すでに自分で負けを覚悟してしまった。二回続けて出来るはずが無いと思ってしまったのだ。
こうなってしまうと勝負事というものは決着がついてしまうもので。案の定ロキの第三射は的の中央にこそ刺さったが第二射の矢の棒に当てる事は出来なかった。
ここでリューンの勝利が決定した。
「そんな…。王子が負けるなんて…」「誰にも負けたことがないロキさまが」
と、ゴズウッドの従者達は落胆し、互いに慰めの言葉を掛け合っている。
それとは反対にジーヴェル側の者達は狂喜乱舞。なにせ高慢ちきなゴズウッドの王子を負かしたのである。皆気分がスーとした。それと同時にいつもエリオットの影に隠れて目立たなかったリューンの才能を皆口々に賞賛の言葉を並べて労った。
しかし、ジーヴェル側の人間の中で一人だけ浮かない顔をしている者がいた。
エリオットだ。
彼はこの結果を喜びこそしたが、自分とて余り知らなかったリューンの弓の腕前を見て、度肝を抜かれ、ある事が心に浮かんだ。
(オレはこんな男と競争して狩りで勝っていたのか!?)
エリオットは明らかに可笑しいと思った。自分の実力では今リューンが見せた離れ業をする事など到底出来ない。では、なぜオレはリューンにいつも勝っていたのだ?
エリオットの妹であるエリスは喜びの輪から離れて一人落ち込んでいる兄を見つけて、なんだろうと近づく。
「兄さま?どうかいたして?」
と、気遣うがその目を虚ろで返事はない。
「兄さま?」
と、エリスが肩を揺らすとハッと我に返り、自分の正面にエリスがいる事を確認すると、
「ン?なんだ、エリス。どうかしたのか?」
「もう、どうかしたかじゃないです。兄さまがぼーとして。せっかくリューンさまがあの自信家を打ちのめしたというのに。まるで兄さままでリューンさまに負かされたみたい」
「!?」
エリオットの身体が一瞬固まる。そう、エリスの言う様にエリオットは今、恐ろしい敵と遭遇し、自分も知らぬ間に叩き潰されたのだった。
(これは何か裏がある。リューン…お前は一体どういうつもりで…)
エリオットは事の真実を今はっきりと自覚したのだった。
いつもこの物語を読んで頂いて有難う御座います。さて、今回の登場人物の紹介は何かと目立つロキに登場願います。ロキ・ウッドノード。18歳。男。身長178センチ。体重80キロ。黒髪に青の眼。ゴズウッドの勇猛果敢な若き王子。剣術、弓術、馬術などこと戦う事にかけてはエキスパート。自信過剰で高慢ちき。ただ礼には厚く仲間内での評判はいい親分気質の青年。リューンに弓で破れ、それ以来何かとジーヴェルに対抗心を燃やすことになる。