表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/12

第二章:打算と妥協の果てにある、何か・其の四

     《 第二章・打算と妥協の果てにある、何か・其の四 》



「――何? あの女に協力を頼んだだと?」

 夜遅く、自宅に訪ねてきた八九の報告に、東雲は眉を曇らせた。

「どういうつもりだ? あの女は、ただ死ぬのが役割のはずだろう。何故、話す必要がある?」

 ぴりぴりと空気を震わせて問い詰める東雲に、窓枠に腰かけた八九が飄々と応じる。

「いえいえ、まさか。人がただ死ぬだけでは、神には会えませんよ。言ったではありませんか。神は、死にゆく者の声に応えて姿を見せるのだと。ですから、千鶴さん自身に神に会いたいと思わせなければ意味がないんですよ」

「しかし、あんな死に損ないに神を呼び出すほどの力なんかないだろう」

「死に損ないだからこそ、できることもあるってことですよ。ええ、世のなか、誰にでも存在意義ってものが与えられているってことでしょうかねえ。さて、それでですね、東雲さん。あともう一人、協力者が欲しいと思ってるんですが――構いませんかねえ?」

「――もう一人、だと? あの女だけでは不充分だということか?」

「いえ、まあ、それがですねえ。と、その前に、ちょっと失礼」

 イライラする東雲を尻目に、八九はゆっくりと立ち上がり、テーブルの上に置いてあった急須に手を伸ばした。軽く揺らしてみて冷めた茶が残っているのを確認して、そのまま急須を高く持ち上げて、傾ける。

 そして、冷めた緑茶をこぽこぽと直接口に流し込み、満足そうにげっぷをしてから、

「もちろん、彼女だけでも大丈夫なんですがねえ…ほら、ちょっとした保険って奴ですよ。千鶴さんが裏切る可能性も無きにしも非ずですからねえ」

「――確かに、あの女はときどき薄ら寒く感じるときがあるからな」

 まるで、自分は何もかも知っているのだといいたげな余裕さえ感じられる。死を前にしているというのに、恐怖も不安もないみたいに微笑んでいるだなんて、異常だ。

「…あの女は、得体がしれない」

 脳裏に、痩せた白い顔の女を思い浮かべて、ぎゅっと唇を噛む。

 彼女と話していると、ときどき、自分がちっぽけな存在に思える瞬間がある。そんなことがあるはずないのに、どうしてそう感じるのか――未だに謎だ。

 物思いに耽り始めた東雲を楽しげに見やり、八九は再び窓枠に腰かけた。

「……先日、ちょうど、面白い子供を見かけたんですよ。死期の定まった子供。ふふ、神は子供の声に敏感ですからねえ。もしかすると、千鶴さんに頼むよりも手っ取り早いかもしれませんよ?」

「……今度は、子供か。お前が必要だと言うから、あの女と婚約までしたというのに。無駄だったというわけか」

「いえいえ、逆ですよ」

 八九は、蜘蛛みたいに長い足を組み、

「子供に言うことを聞かせるには、女の力は絶大です。千鶴さんは、あの子供の母親と雰囲気が似てますからねえ。そう、いわゆる、薄幸の女って奴です。そんな女に助けてほしいと言われれば、あの子供もすんなりと承諾してくれるでしょう」

 やや浮かれたような明るい声音に、東雲は顔をしかめた。

「…死に損ないの女に、病気の子供。そんなものに頼らなければ神になれないのか、僕は?」

 誰の手も借りず、自力で得るのが一番理想的だが、現実はそう甘くないらしい。

 しかし、それにしたって、何故、自分よりも無能で愚鈍な人間に手助けしてもらわなくてはならないのか。どうしても納得がいかない。

 すると、八九が細い目をさらに細くして言った。

「……こう考えてはどうですかねえ? 二人は、神をおびき出すための餌だと。相手を人間だと思うから、いろいろと複雑な感情がわくんですよ」

「――餌?」

「ええ、そう。彼女たちは、ただの餌です」

 よくあるでしょう? と、八九は何でもないことのように言う。

「魚をおびき寄せる撒き餌、もしくは、猛獣の前に放り込まれた肉塊と同じ。生きていても死んでいても、関係ないんですよ。ただ、獲物をおびき出し、捕食されるためだけに存在しているだけの餌なのですから」

「――…なるほど、餌か。そうだな、そう考えればわかりやすい」

 要するに、千鶴は神様を呼び出す餌であり、同時に、新しい協力者を引き込む餌でもあるというわけか。

「…あの女らしい、くだらない役割だ。しかし、それこそ、あの女に相応しい」

 惨めに、愚かしく死んでいくためだけに生まれてきたような彼女だ。

 最後に、他でもない東雲のために死ねるのならば、これ以上の幸福はないに違いない。

「……せいぜい、役に立ってもらわなくてはな」

 歪んだ笑みに、八九が同様の笑顔で応じる。

「――そうですとも。それくらいしか役に立ちませんからねえ、人間というモノは」

「そうだ。人間など、くだらない。僕のように選ばれた存在でもないくせに、厚顔無恥な言動を繰り返す。まるで、自分が支配者か何かのように」

「まったくもって、その通りです」

 八九の侮蔑の視線に気づかず、東雲は忌々しげに吐き捨てる。

「…僕が神になったとき、奴らは気づくだろう。自分の無力さを。人間の限界という奴を。そして、はっきりと思い知るだろう。他でもない、この僕こそが人類の頂点にいるのだということをな」

「ふふ、そうですとも。人間は、自分こそが特別だと思い込んでいるものです。自分だけは、誰にも騙されず、傷つけられることもない。だからこそ、平気で他者を騙し、傷つけることができる。自らが同じ目に遭う可能性を考えもせず――それどころか、報復を受ける覚悟すらなく」

「――…それこそが、人間の限界だ。誰もが、自分が世界の中心にいると信じて疑わない。愚かな話だ」

 自分のように、神になるべくして生まれた特殊な存在ならいざ知らず。

「そういう愚かな連中は、僕が神になった暁には家畜にでも変えてやろう。せいぜい、人間どもに追われ、殺される恐怖を味わえばいい。他者の血肉となるためだけに存在する虚しさを実感すれば、己の矮小さを知ることができるだろう。ただし、自らの生命という高い授業料を払うことになるがな」

 その光景を思い浮かべるだけで、にやにやとだらしなく頬が緩む。

「……それでは、明日にでもあの子供を引き込みましょう。そろそろ、いい月が拝めそうですしね」

 妄想に思いを馳せる東雲に向けられた八九の含み笑いに、薄い笑みを返す。

「――ああ、革命の日は近い」

 その言葉に、八九は頷き、

「そうですとも。ただし、願いは成就しなければ意味がないということをお忘れなきよう」

 そう言った声音には、ぞっとするような執念と怨念めいたものが込められていたが、自分の理想に酔い痴れる東雲には、察することができなかった。


            *           *


 子供というイキモノは、大人以上に面倒くさい。

 口を開けば生意気な口調で戯言を放ち、人を苛立たせる。どんな無礼を働こうが、悪さをしようが、しょんぼりとうなだれて謝れば許されると勘違いしている。それどころか、泣けば何をしても無罪放免だと信じきっている。

 愚かな人間のなかでも、さらに手に負えない無能集団。それが、子供だ。

(……もともと子供は嫌いだが、あの子供は特に気に入らない)

 八九の言っていた、協力者の子供。

 喜多村由宇とかいう、名前だけは無駄に響きのいい小生意気なクソガキは、とにかく腹立たしかった。

 まずムカつくのは、あの目だ。

 まるで、敵を見るような、鋭い眼差し。子供のくせに、自分のほうが偉いのだと言いたげな、あの目つきはどういうわけだ。しつけがなっていない。

 それに、敵意を隠そうともしない、あの口調も気に入らない。年上への畏敬の念を知らず、自分が礼儀知らずだということにすら気づいていない。

 何より、気に食わないのは――千鶴の態度だ。

 子供好きなのかどうかは知らないが、東雲には見せたことのない表情と声で接するのだ。優しく、穏やかに――打算と妥協とで繋がっている自分には、絶対に向けない瞳で、少年に向き合う。

 別に、嫉妬しているわけではない。ただ、面白くないのだ。この世界で唯一特別な存在であるはずの自分を無視して子供を優先する、千鶴のあの態度が。

 子供の姿が見えなくなってすぐ、千鶴はいつもの憂鬱な青白い顔でうつむいた。

 艶のない髪から零れる陽の光は弱々しく、その横顔は、どこか寂しげにも見えた。

「――何を考えている?」

 我ながら、柄にもないことを訊いてしまったと思う。

 その問いに、彼女は小さく微笑み、答えた。

「――…実は、あの子のこと、噂で聞いたことがあるんです。まだ十歳かそこらで、余命宣告されたって。私と同じ歳まで生きられるかどうかわからないんだそうですよ」

「…それがどうした? お前には関係のない話だろう」

 家族でも友人でもないというのに、彼女はひどく落ち込んでいる。

「そうかもしれません。でも、東雲さん。知り合ってしまったら、もう他人ではないでしょう? あんなに元気で聡明そうな子が、これから先、私と同じように苦しんで死んでいくのかと思うと、可哀想でならないんです」

「可哀想? それは違いますよ、千鶴さん」

 不意に、脇から八九が顔を覗かせた。

「可哀想なんて感情は、所詮、自己満足にすぎませんからねえ。慈悲深い自分を演出する演技のようなもの。貴女の今の心境を的確に表現するとすれば――自分と同じ運命を課せられたあの子供を、何とかして救えないか、という実にお綺麗な願望にすぎないんじゃないですかねえ?」

 その言葉に、千鶴は顎を引いてうつむき、目を閉じた。

「…そうですね。そうかもしれません。私に、何かできることがあればいいんですけど…」

「まあ、貴女にできることといえば、せいぜい、願うことくらいじゃないですかねえ。ですが、一心に願い続ければ、その声を拾ってくれるかもしれませんよ? たとえば、慈悲深い神様とかが、ね…」

 八九が、にいっと唇を歪ませる。

 意味ありげな口調に、東雲は顔をしかめた。

「おい、八九。妙なことを言うな」

 神に祈ったところで、何も変わりはしない。何故なら、神は東雲自身であり、それ以外は本物の神ではないからだ。

(……あんな生意気な子供は、惨たらしく死ねばいいんだ)

 そうだ。神になったら、思いきり寿命を縮めてやろう。それくらい、あの子供は無礼すぎた。

 そんなことを考えていると、八九が真面目な顔つきで思い出したように言った。

「――そうそう。幸い、今夜は満月だそうですよ。運が良ければ、今夜にでも願いは叶うかもしれませんねえ」

「? 満月だと都合がいいのか?」

 そんな話は聞いていない。

 問いただすように訊く東雲に、彼は空とぼけた様子で「そうでしたっけねえ」と頭を掻いた。

「我々が探しているのは、忘れられた神と申しましてね。その呼び名の通り、人々の目から隠れるようにして存在しているのですよ。つまり、人々の目を眩ましやすい夜にこそ、表に出てきやすい。無防備になる、と、言ってもいいかもしれません。そして、満月には、隠れた神の姿を暴く力があるのです」

「――その、忘れられた神様って、詳しくはどういうものなんですか?」

 千鶴が問うと、八九は眩しげに青空を見上げて、

「たとえば、月が映えるのは、夜の闇があってこそです。日中、太陽が眩しく世界を照らしている間、月はまるで添え物のように身を潜めているでしょう? 見えているのに、どういうわけか記憶に残らない。見ようとしなければ、そこにあることに気づかない。つまりは、そういう存在なのですよ」

「そうだとしても、神様は神様なんでしょう? 私、ずっとこの町に住んでいますけど、この辺りでそういう話を聞いたことがないんです。本当に、この病院のどこかにいるんでしょうか?」

 確かに、彼女の言い分には一理ある。

 今さらだが、この地に神域があったなんて話は聞かない。もっとも、東雲も千鶴も、まだ若い。知らないことがあっても不思議ではないが――それでも、親も親戚も、この病院のスタッフも、入院患者の年寄り連中も。誰も、そんな話はしない。最初から、この地には病院があって、それ以外は何もなかったかのように。

 八九は、言う。それこそが、忘れられた神がいる証拠なのだと。

「神がこの地にいた証拠――社なり祠なり、そういった神に関する知識や記憶のすべてが人々の頭から消去されているという前提があって初めて、忘れられた神と呼ばれるようになるのです。ただし、神に関するすべての記憶が消せるわけではありません。奇妙な噂や伝承、眉唾ものの胡散くさい話として残ってしまうんですよ」

 たとえば、と彼は薄汚れた病棟の白壁を見つめて言う。

「この病院には、夜になると少女の幽霊が出るという噂があるでしょう? それは、一体、いつから、誰が言い出したんでしょうねえ? その出どころや時期がわからず、ただ、何となく、病院にありがちな怪談話として伝わっている。そういう形でしか存在を許されない哀れな神、それこそが忘れられた神の正体なのですよ」

「――待て。それは神と呼べるのか?」

 それではまるで、ただの怨霊ではないか。

 夜、幽霊のように徘徊するだけの少女。そんなものが、自分を神へと進化させる鍵となるだなんて思えない。

「八九、貴様、僕を騙しているのではないだろうな?」

 そんな問いが出てくるのも、自然な流れだろう。

 思えば、八九の話はあまりにも都合がよすぎる。耳に優しい言葉ばかり並べ立てているが、実際のところ、どこまでが本当なのか。それを探る術はこちらにはない。

 じっとりと見据える東雲の視線に、八九は肩をすくめてみせた。

「ふふっ、そう警戒しないでも大丈夫ですよ。私は、嘘は言いません。何せ、こう見えて私は神様ですからねえ」

「それでは何の説明にもなっていないだろう。八九、僕を騙そうとしているのなら、やめることだ。貴様如きが、この僕をどうこうできるわけがないのだからな」

 そう、何人たりとも、神となるべき自分を害することなどできはしない。

 何故なら、自分は選ばれた人間で、この世界には必要な存在だからだ。

 堂々と言い切る東雲を、千鶴が思いやるような静かな瞳で見つめる。

「――何にせよ、私たちは、神様に会わなくてはいけないのでしょう? いるかどうか、それはそのときになって初めてわかる。それなら、それでいいのではないですか、東雲さん」

 諭すような彼女の口調に、東雲は眉の端をぴくりとさせた。

「…僕に偉そうな口を叩くな。お前は、黙って僕の言うことをきいていればいいんだ」

 命令口調で言ってから、薄ら笑いを浮かべている八九を睨みつける。

「いいだろう。もし、神がいなければ、貴様は僕を謀ったことになる。そのときは、それなりの報復を受けてもらうからな」

 暴君のように言い放つ東雲に、彼はにやりと笑った。

「ということは、逆に神が本当にいた場合、嫌疑をかけられた私は、貴方に報復してもいいということになりますよねえ? いやあ、貴方に疑われた私の傷心を癒すには、どれほどの罰が相応しいですかねえ。ふふ」

 獲物を前に、毒蛇が舌をチロチロと覗かせているような不穏な気配に、千鶴がわずかに身体を強張らせた。しかし、自身が特別な存在であると自負している東雲を怯えさせるには至らない。

「貴様には報復の権利などない。貴様は、僕のために働く以外に生きる価値がない男だからな」

「ふふ、そうでしたねえ。それでは、夜までに準備をすませておきましょう。それでは、お二人さん。今夜、美しい月の下で再びお会いしましょう」

 楽しげに肩を揺らしながら、八九は足音もなく立ち去る。

 その背中を不気味そうに見つめ、千鶴が囁いた。

「――あの人を信用し過ぎると痛い目に合いますよ、東雲さん。あの人は、本当に神様なのかもしれませんから」

 その忠告に、東雲は笑った。馬鹿にするように、蔑むように。

「ふん、死に損ないが僕に意見するな」

 そう言う瞳には、警戒どころか嘲笑の色が濃く落ちている。

「僕を誰だと思っている? 僕は、神になる男だぞ? この僕をひどい目に遭わせられる者などいるものか」

 それは、確信だった。

(――そう、僕は神だ!)

 それ以外の何でもない。だからこそ、言える。断言できる。

「僕は、すべてを思い通りにできる! 生も死も、すべてが僕の手中にあるんだからな!」

 よって、他者を痛めつけても、許される。

 すべてを奪い、殺したとしても、罪にはならない。

 何故なら、自分こそが規則であり、世界そのものなのだから!

 何の疑いもなくそう信じ、語る東雲を、千鶴が痛ましそうに見つめている。そして、それ以上、何を言っても無駄だと言わんばかりに吐息する。

「……今夜…神様に会ったら、私は……」

 呟く彼女の顔色は、かなり悪い。

 紅を差していなければ、唇は真っ青で、本物の死人のように見えただろう。

 彼女は、何かを決意したように、ぎゅっと細い手を握り締めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ