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終章:退屈で愉快な日常パート

      《 終章・退屈で愉快な日常パート 》



 夜、八時を過ぎた頃。

 暗い空を見上げつつ帰宅した八九は、思わず溜息をついた。

「…はあっ、人間というモノは本当に面倒ですねえ」

 吐き出された物憂げな声に、由宇がぴりぴりした声を返す。

「面倒とか言うな! とにかく、今日こそは、絶対に風呂に入ってもらうからな、八九っ!」

「ええー? 別に、風呂なんていいじゃないですか。だってほら、三日前に入ったばかりですし、そんなことしなくても、私は充分に清潔で綺麗ですからねえ」

 由宇は、何をするにもいちいち文句を言わないと気がすまないのか、話しかけてくるときは常に喧嘩腰だ。今回も、ちょっと風呂に入るのをサボったくらいで、世紀末が訪れたかのような興奮ぶりで怒鳴りつけてくる。もう慣れたとはいえ、うんざりしてしまう。

「何、言ってんだ! 三日とか、マジでありえないから! つか、お前、ただでさえ性根が腐ってるんだから、せめて風呂で身を清める努力をしろよっ! あと、寝るときは、ちゃんと靴下を脱げ! 蒸れて水虫になったらどうするんだ!?」

「…はあっ、由宇くんは私のお母さんか何かですか?」

 いちいち、人の生活に口を出さないでもらいたいものだ。というか、神もどきである自分が、何故、こんな人間みたいな生活を強要されなければいけないのか、未だに納得がいかない。

 心底迷惑そうな八九の言葉に、由宇は怒髪天を衝くような勢いで怒鳴る。

「だ、誰がお母さんだ! これ以上妙なことを言うと、その無駄なロン毛を引っこ抜いてやるからな、この薄毛野郎!」

「なっ!」

 よりにもよって、最近、何気に心配している頭髪に矛先を向けるとは。敵もなかなかやるものだ。

「う、薄毛じゃないですよ、薄毛じゃ! ほら、見てください! 立派な毛根に支えられた艶やかで太い黒髪が、もっさりと無数に生えてるじゃないですか! しかも、どこに出しても恥ずかしくないレベルのキューティクルですよ、これは!」

「見せんでいい! とにかく、さっさと風呂入れってんだ!」

 そう言って、着替えとバスタオル一式を投げつけてくる。それをキャッチした八九が、疲れた声で呟く。

「…はあっ、由宇くんは、短気は損気って言葉を知らないんですかねえ? どう思います、千鶴さん?」

 さりげなく、リビングにいた千鶴に話を振るが、返事がない。

 どうやら、アニメDVDを観つつ眠ってしまったらしい。その肩には柔らかなハーフケットがかけられている。

「…そういえば、珍しいですねえ。千鶴さん、いつの間に趣味が幼児化したんです?」

 普段の千鶴は、アニメなんか観ない。というか、テレビそのものにあまり興味がない。

 八九の問いに、由宇が吐息まじりに応えた。

「それが、千鶴さん、学校で苛められてるらしくってさ。学校の先生が、他の生徒と話が合うようにって貸してくれたらしいんだよ」

「おや、イジメとは、昨今の子供は命知らずですねえ。土地神を標的にするだなんて。報復が怖くないんですかね?」

「そこは、ほら、千鶴さんだから。苛められてること自体、まったく気づいてないから」

「…ああ、なるほど。彼女、少々、鈍いといいますか、アレですからねえ…」

 由宇を生き返らせたのはいいが、もちろん、何の後遺症もなく、というわけにはいかなかった。

 由宇と千鶴に起きた悲劇――といっていいものか。

 神様は歳をとらないはずなのだが、どういうわけか、二人は、定期的に成長と退行を繰り返すようになった。

 どういうことかというと、子供だった由宇が成長すればするほど、どういうわけか千鶴の時間が巻き戻っていき、由宇が二十歳になると、今度は千鶴が成長し始め、由宇はゆっくりと子供へと戻っていくのだ。そして、千鶴が二十歳になった段階で、再び、由宇が年をとり始め、千鶴が若返っていくという、実に奇妙な事態に陥ってしまった。しかも、あの聡明だった千鶴は、記憶の欠損のせいか、怖いくらいに能天気になってしまい、由宇をヒヤヒヤさせ続けている。

「…とにかく、千鶴さんはオレたちが守らないとな。というわけで、お前、明日、千鶴さんの学校に直談判に行って、千鶴さんを苛めから救い出してくれ」

「はあ? 何故、私がわざわざそんなクソ面倒くさい真似をしなければいけないんです?」

挿絵(By みてみん)

 神様関連の敵が相手ならばともかく、人間、それも子供のすることにわざわざ首を突っ込んで引っ掻き回したところで、労力の無駄というものだ。

 しかし、由宇は言う。怒りに満ちた瞳で。

「仕方ないじゃんか! オレは千鶴さんの兄貴ってことになってるし、この間も、給食の件で乗り込んだばかりなんだ! 次は、問答無用で追い出されるのがオチなんだよ!」

「…あー、そういえば、乗り込んでましたねえ、小学校。何でしたっけ? 給食にピーマンが入ってて、千鶴さんがそれを残したら、食べるまで家に返さないとか言われて、夕方まで居残りさせられたんでしたっけ?」

「そう! ウチの千鶴さんは、ピーマンが食べられないんだ! それなのに嫌いなものを強要されて帰宅した千鶴さんが、何て言ったと思う!?」

「え、さあ、知りませんけど」

 いささか、恐怖を感じるほどの勢いに引きながら言うと、由宇が血走った眼で詰め寄ってきた。

「うるうるした目で、泣くのを我慢しながら『私、すごく頑張ったけど食べれなかった。ごめんね』って! くうーっ、なんて健気! 頑張り屋さん! なのに、あの先公、千鶴さんに何て言ったと思う!?」

「さ、さあ」

「次はちゃんと食べなさい、ときた! なんてヤツだ! 千鶴さんが泣くのを我慢しながら頑張ったってのに、その頑張りを褒めるどころか、死の宣告をしやがったんだ! これはもう、乗り込んでいくしかないだろ!?」

「…え、そんなことで乗り込んじゃったんですかあ?」

「そんなことじゃない! まあ、他にも国語事件とか焼き芋事件とかいろいろあるけどさ。本当、昨今の人間はどうなってるんだろうな! 幸い、今は、ものわかりのいい優しい先生に変わったみたいだから、ちょっとはマシかもしれないけどさ」

「――…要するに、すっかり学校側からクレーマー扱いされているってことですよねえ、それって」

「クレーマーじゃない、ウチの千鶴さんがよりよい学校生活を送れるように意見しているだけだ!」

 そう断言する由宇は、本気でそう信じ切っている様子だったので、八九は反論するのを諦めた。

(…やれやれ。何とかならないもんですかねえ、コレ…)

 千鶴が変わったように、由宇もまた、千鶴愛に侵されている。

 彼曰く、千鶴さんのためなら悪をも貫く! のだそうで、学校側からクレーマー扱いされようと、言うべきことは言うことにしているらしい。しかし、さすがに学校側もそれなりの対応を心得ているらしく、最近では警備員らしき人物を雇ったと聞く。

(…というか、ここまでくると、由宇くんは、立派なモンスターペアレントですよねえ?)

 神様が人間相手に喧嘩を吹っ掛けるなんて、聞いたこともないが――この数十年の彼らを見る限り、それも仕方ないのかもしれない。

 一定の時間軸のなかを行ったり来たりし続ける彼らには、他の人間たちのように特定の友人や住処などはない。神としての自覚がないうえに、人間としての感覚や生活習慣が抜けきらないため、人間社会で生きることは仕方ないとしても、当然ながら、同じ場所に長くはいられない。いつまでも若いまま、もしくは、だんだんと幼くなる人間なんてまともな人には受け入れてもらえないからだ。だから、一定期間ごとに人々の記憶をぼかしながら町中を転々として、誤魔化しつつ生きている。いっそのこと、すべて消去してしまえればいいのだが、それだといろいろと負担が大きすぎるし、何よりも面倒くさい。だが、どんなに頑張ったところで、神である彼らは、人間社会に馴染めるはずもない。由宇が千鶴に入れ込むのは、その苛立ちもあるのだろうとは思う。思うが――。

(…私に面倒ごとを押しつけるのは、勘弁してほしいですよ、本当に)

 学校なんて生気に満ち溢れた場所に行ったりしたら、それだけで疲弊してしまうではないか。

(……まったく、由宇くんは私を何だと思ってるんでしょうねえ?)

 厄病神もどきは、雑用係ではないのだ。確かに、世間的には若い父親か歳の離れた兄のような立場ではあるが、微塵も興味のない事柄に関してクレームをつけに行けと言われても気が乗らない。

(…というか、由宇くんがクレーマーなせいで、千鶴さんが苛められてるんじゃないんですかねえ?)

 そう思ったが、口には出さない。これまでの経験上、一人で熱血をしている由宇に余計なことを口走ると痛い目を見るのがわかっている。こういうときの正しい対処法としては、話を逸らすのが一番だ。

「それじゃ、私は風呂に入ってきますので」

 嫌いな風呂を口実に、そそくさとその場を立ち去る作戦は、見事、成功した。由宇は、一人でぶつぶつ文句を言いながら、ゆっくりと台所へと消えていった。

 八九はというと、静かな脱衣所にこもって長い息を吐いた。

「…はあーっ。鬼嫁を持つ亭主が家に帰りたがらない気持ちがわかっちゃいますねえ。何でああも口うるさいんでしょうか」

 ぶつぶつ文句を言いながらも、手早く洋服を脱いで、浴室へ入る。浴槽の八分目まで溜められた湯は、ほこほこと白い湯気をあげている。

 掛け湯をしてから湯に身体を沈めると、無意識に声が出た。

「はあーっ」

 じんじんするほど湯が熱く感じるのは、由宇が意地悪をして設定温度を上げているからではない。単に、八九の体温自体が低すぎるせいだ。

「あー、痺れますねえ」

 浴室は、小さな声でもよく響く。

 新米の神様である二人の面倒を見ることになってからというもの、一緒に暮らす以上は風呂に入れと怒られて、渋々入ることになったのだが。

「…私、人間じゃないですから、入る必要ないんですけど」

 汗をかいたりしないし、埃や花粉なんかもくっつかない。それは、由宇や千鶴にも言えるのだが、半分は人間だと思い込んでいる彼らにとって、入浴は生活の一部らしい。

「…半分は人間ってのは、言い得て妙ですねえ」

 彼らは、本来ならば神と呼んでも差し障りない存在だ。問題があるとすれば、人間としての記憶が中途半端に残っているせいで、人間社会に順応しようと本能が働くことだ。

「…それにしても、一体、いつになったら気づくんですかねえ? 自分たちが人間ごっこしてるだけだってことに」

 湯を両手で掬い、じゃばじゃばと音を立てて浴槽のなかに落とす。

「…いつまで続くんですかねえ? この馬鹿げた平和は」

 湯の消えた手のひらを見つめて、八九は笑む。

「――…ふふっ。そうですねえ、何事も待つだけではいけませんよねえ」

 穏やかな水面を乱すには、誰かが行動しなければ。

「…そう、誰かが、ね」

 呟いて、鼻歌まじりに立ち上がる。

「入浴終了っと」

 与えられた一大任務を終えて、軽快な動作で着替えて居間に戻る。

 すると、ちょうど居間で寛いでいた由宇が冷めた目を向け、文句をつけてきた。

「カラスの行水は駄目だっつったろ。ちゃんと肩まで浸かって、百、いや、せめて五十は数えてから出ろ。んでもって、頭はちゃんとドライヤーで乾かせ。髪が痛むだろ」

「――…由宇くん、私、人間じゃないんですけど」

 髪も含め、この姿は仮のものであって、痛むも何もない。神との決戦ならともかく、乾燥だの栄養不足だの血流が悪いだのという理由でどうこうなるものでもない。まあ、若干、口うるさい由宇のせいで、心なしか頭部が涼しくなってきたような気がしないでもないが…。

「いいから、やり直せ。千鶴さんに示しがつかないだろうが」

「……横暴ですよお。っていうか、千鶴さんは寝てるじゃないですかあ」

 すやすや机に突っ伏して眠っている千鶴を指差すと、彼女の肩がぴくりと動いた。そして、寝ぼけ眼をこすりつつ、大きなあくびをした。

「――ふわあ。なあに、二人とも、仲良くお話しちゃって」

「! 仲良くなんかないですよ、こんなチャラ男と一緒にしないでください!」

 思わず顔を歪めた由宇を見た八九が、にまあと笑う。

「いやですねえ、照れないでくださいよ、由宇くん。そうです、私たち、仲良しなんです。千鶴さんも一緒に、仲良くしませんかあ?」

 言って、がしっと肩を組んでやる。由宇が本気で嫌がっている様を見るのは、何とも心地いい。

「な、馴れ馴れしいんだよ! は、離れろ! チャラ男が移ったらどうするんだ!」

「安心してください、そのときは、一緒にコンビを組んであげますよ」

「いらん! つかコンビって何だ、漫才でも始める気か、お前っ!?」

「へえ、ユーくんと八九さんは、漫才師になりたかったのねえ。道理で、よく言い合ってると思ったわ。ボケとツッコミの練習だったのね、あれ」

 にこにこと微笑んで一人納得した様子の千鶴は、ふと何かに気づいたように立ち上がった。

「あ、そうそう、忘れてたんだけど、二人にプレゼントがあったの」

「え、プレゼント? な、何ですか?」

「おや、プレゼントですか? これは、嬉しいですねえ」

 由宇がちょっと浮かれ気味に、八九はさほど興味なさげに、千鶴がランドセルから何かを取り出すのを見守った。

「今日の家庭科の授業で作ったんだけど、二人の役に立ちそうでよかったわ」

 そうにこやかに微笑んだ彼女の手に握られていたのは、見慣れない物体。

「……あ、あの、千鶴さん? 何ですか、それ?」

「え? ああ、コレ? これはね、うふふ。何だと思う?」

「――…さ、さあ。オレにはちょっと理解できないっていうか…理解したくないっていうか」

 明らかに戸惑っている由宇を尻目に、八九が真面目な顔つきで正解を口にする。

「そうですねえ、私の知る限り、これは日本男児には欠かせない代物に見えますねえ。フンドシという、かつての日本で大活躍の逸品じゃなかったですかねえ?」

 まじまじと白い布を見やって言うと、彼女は天使のような笑顔を浮かべた。

「さすが、八九さん。よくわかりましたねえ。もしかして、ご愛用ですか?」

「いえいえ、まさか。私は生粋のトランクス派ですよ」

「あら、そうなんですか?」

「ええ、実は、そうなんです。私、和物よりも洋物が好きなもので。ああ、でも、別にフンドシが嫌いというわけではないですよ? この辺りがいい感じに肌に食い込みそうで、何とも癖になりそうな感じがたまりませんねえ」

 はっはっはと笑い合い、和やかに話していたら、由宇が強引に割り込んできた。

「こ、こらーっ! 千鶴さんに変な話をするなよ!」

「変って、嫌ですねえ。大事な話ですよ。それとも何ですか? 由宇くんは、下着は重要ではないとでも言うんですか? もしかして、何も穿かない主義だったりします?」

「んなわけあるかあっ!」

「え、ユーくん、何も穿いてないの? 駄目よ、下半身を冷やしたらお腹を壊しちゃうわ」

 本気で心配する千鶴に、由宇が慌てる。

「い、いや、穿いてますから! トランクス、めっちゃ穿いてますから! っていうか、オレが言いたいのはですね、何で、学校の家庭科でフンドシなんかつくるんですかってことですよ! 今どきの小学校の教育方針はどうなってんですか!?」

 鼻息荒く詰め寄る由宇に、彼女は不思議そうに首を傾けた。

「あら、ユーくんは嫌いだった? フンドシ」

「好き嫌いの問題じゃないですよ! 第一、小学生がつくるものじゃないでしょう、そんなの! どんなマニアですか!」

「そ、そうかしら? 家族への贈り物っていうテーマだったから、二人が喜びそうなものと思って、いろいろ悩んでつくったんだけど」

「よ、喜ぶって――オレ、フンドシが好きだなんて一言も言ってないですよね? 欲しいとか言ったことも、一度もないですよね??」

「でも、この間、テレビで相撲を観ていて、二人仲良く盛り上がっていたでしょう? だから、てっきり好きなのかと」

「…いや、別にまわしに興奮してたわけじゃないですからね? 単に、力士同士の取り組みに熱くなってただけで」

「そうなの? 道理で、作品採点のとき、先生が変な顔をしていたわけね」

「……ちなみに、何点だったんですか、このフンドシ」

 白い布を指差して問う由宇に、彼女は少し寂しそうな表情になった。

「…十点満点中七点だったわ。どうやってつくればいいのかわからなくて、いろんな本を調べて頑張ったのに」

「…な、ななてん…高得点ですね…」

「そうかしら? でも、そうよね。どうせなら、トランクスをつくるべきだったわね。フンドシだと、ズボンが穿きにくいし、トイレのときに困るものね。考えなしでごめんね、ユーくん」

「い、いや、だから、何でわざわざ下着をつくろうとしたんですか? もっと普通に、ハンカチとかエプロンとかでよかったんじゃないですか」

 由宇の指摘に、彼女ははっとした。その手があったか、とばかりに、ぽんっと手を打つ。

「…そういえばそうね」

「何で、他のが思いつかなかったんですか?」

「それは――」

 答えようとした千鶴を制し、八九がからかうように口を挟む。

「それはですね、どう頑張っても力士にはなれない由宇くんのために、気分だけでも力士になってもらおうと、彼女なりに気を遣ったんですよ。そうですよねえ、千鶴さん?」

「! そ、そうなんですか、千鶴さん?」

 二人に見つめられ、彼女はうつむいた。

「…ええ。どんなに頑張っても、由宇くんは二十歳になると、ゆっくりと子供に戻っていってしまうし、八九さんに至っては、人間社会に馴染む気すらないでしょう? だから、せめて気分だけでも人間らしい大人の男になれるようにと思ってつくってみたんだけど――失敗しちゃったみたい」

 少ししょげたように言う彼女は、どこからどう見ていじらしい少女に見える。由宇はというと、すっかり千鶴の気遣いに感動している。

(…馬鹿ですねえ、由宇くんも千鶴さんも)

 互いに気遣ったところで、現状は何も変わらないというのに。

 結局のところ、人間として生きた記憶のない自分にはわからない価値観なのだろう。無駄としか思えない言葉のやりとり、心配り。それに意味を求めたがる人間の行為は、今も昔も変わらないが――。

(…でもまあ、退屈はしませんから、暇潰しくらいにはなりますけどねえ)

 呑気に人間ごっこをしている二人から視線を逸らして、八九は閉じられたカーテンの向こうに目を向ける。

(…そろそろ、楽しい余興が欲しいところですよねえ、実際)

 そう考えながら、八九の口元にかすかな笑みが刻まれる。

 暗い空の向こうから、かすかに何かを感じる。楽しげな予感がそっと足音を忍ばせてやってきているのがわかる。

 今はまだ、遠い。

 厄病神の前身である自分だからこそわかる、この気配は――。

(……これはまた、珍しい。渡り神ですか)

 その土地に根を張る土地神とは真逆の存在。常に、世界を行脚し続け、何にも縛られない神。逆に言えば、一か所に留まってはいけない存在。ときに幸運を撒き散らし、ときに不運をばら撒く。幸、不幸。どちらを撒くかは、土地によって違う。

(…面白くなりそうですねえ、これは)

 かつてこの地を治めていた土地神は、幸運を呼ぶ存在だった。その力を受け継いだ千鶴や由宇もまた、この地に幸せを呼ぶ。

(渡り神は、平等を愛する神。ということは…)

 幸せすぎる場所には、不幸を。

 不運に愛された地には、幸福を運ぶ。

(――…ふふ、気長に待ち続けた甲斐があったというものです。渡り神は強力ですが、この地を治める二人を利用すれば、勝てない敵ではない)

 そのために、これまで二人の信用を得られるように、人間ごっこに付き合ってきたのだ。問題は多いが、基本的に人のいい彼らを利用するには、情に訴えるに限る。

(……もうすぐ始まりますよ、私のための戦いが)

 せいぜい、彼らには働いてもらわなければ。

(…呑気に平和ボケしている時間はありませんよ、お二人とも。くだらない人間ごっこも、もうすぐおしまいです)

 そう思いながらも、決して口には出さない。

 余計なことは、言わないに限る。楽しみは、ぎりぎりまで黙っておいたほうが、より面白くなるからだ。

(…でもまあ、くだらなくも退屈しない今を生きるのも、嫌ではありませんけどねえ)

 望む望まないにかかわらず、終わりも始まりも唐突にやってくるものだ。

 無慈悲に。非情に。

(……ああ、本当に楽しみですねえ。その日が来たら、どうなるんでしょうねえ?)

 平和が乱れる瞬間。

 希望が絶望に切り替わる、その一瞬。

 彼と彼女がどういう表情をするのか。

 恐怖するのか、泣き喚くのか、それとも――。

(……ふふ、実に待ち遠しいですよ)

 せいぜい、その日のために、影ながら爪を研いでおくことにしよう。そう決めた八九は、ひっそりと邪悪な笑みを浮かべたのだった。


                          《 完 》

読んで頂き、ありがとうございました! 個人的に、八九みたいな墓穴を掘るタイプの腹黒キャラは好きなので、書いてて楽しかったです。続きは……実は、書こうかどうしようか迷ってるところだったりします。何故かというと、今、書きかけの話がいくつもたまっているからです。まずはそっちを仕上げないと落ち着かないので、未完成品を最優先に執筆していく予定です。内容的には、ファンタジーかラブコメか、そういう作品がメインになっていますので、よろしければ、また目を通して頂けると嬉しいです。

ではでは、今回はこの辺で失礼します。また、お会いできる機会を願って。

      谷崎春賀

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