序章:平和な日常パート
こんにちは、谷崎です。今回の小説は、神様系のお話になっています。ちなみに、投稿済みの『白き日の夢見鳥』のヒロインの神様が、主人公たちの探し求める神様という設定になっています。まあ、読んでなくても話はわかると思いますので、気軽に楽しんで頂ければ幸いです。
《 序章・平和な日常パート 》
お世辞にも広いとは言えない――どころか、むしろ狭いアパートの一室に、彼と彼女は住んでいた。
彼は、面白味がないほど堅実な性格の十九歳の少年。平凡な顔立ちをしているが、髪は新雪のように純白で、蛍光灯の光を浴びて、キラキラと輝いている。身長は百七十センチをわずかに超えたくらいで、体格は中肉中背。頭脳も運動神経も忍耐力も、ありとあらゆる要素が平均値を超えない彼の名は、喜多村由宇。この家の頼れる大黒柱――といっていいものかどうか微妙な人物。
対して、彼女は、十一歳ほどの女の子。長い髪は、少年同様に白い。おっとりとした眠たげな瞳と口調、若干、のんびり屋で天然なところを除けば、これまた平均的な少女といえるだろうか。名前は、藤坂千鶴。和風な名前にふさわしく控えめな仕草の似合う日本娘。そんな彼女は、小さめの中古テレビを前に、何やら真面目な様子でメモをとっていた。
「…何してるんだろう?」
彼女は、特別テレビっ子というわけではない。むしろ、テレビ鑑賞よりも、読書をしたり、趣味の折紙で遊んでいる時間のほうが長いはずなのに、どういうわけか、今日は小学校から帰ってから、何やら真剣にテレビと睨めっこしている。
(…しかも、いかにも子供っぽいアニメとか観てるし…)
いつもの彼女からは考えられない行動だ。アニメなんて、これまで一度も興味を示したことがないというのに、一体、どういう風の吹き回しなのか。
(……気になる。もしかして、学校で何かあったんじゃないのか?)
彼女は、普通の小学生とは違うのだ。感性も行動も、考えかたもまったく合わない。それが原因なのか、これまで友達と呼べる相手と会ったこともなければ、友達と遊んだという話も聞かない。
(…ま、まさか、苛められてるとか!?)
あり得ない話ではない。彼女は、少々常識というものが欠けているのだ。集団生活に馴染めず孤立、その果てに、アニメのなかで友達をつくる、なんて寂しい行動に走っている可能性も無きにしも非ずだ。
「あ、あの、千鶴さん? ちょっと話があるんですけど」
夕食の支度を終えた由宇が控えめに声をかけると、千鶴は数秒遅れて反応した。
「! あ、あら、ユーくん。ごめんなさい、ちょっと集中してたものだから」
小学生らしくないお姉さんぶった口調で言った彼女は、長い髪を耳に引っ掛けながら、首を傾げた。
「で、お話って、なあに?」
「…いや、話っつーか……何で、いきなりアニメ観てんのかなーと思って。もしかして、学校で流行ってるんですか、それ?」
やたらと丸っこいキャラクターが魔法だのアクションだのを繰り広げ、愛だの友情だのを連呼する、勧善懲悪ストーリー。わかりきった結末に、やたらと現代風の萌え要素が加わった、子供だけでなく大きなお友達にまで大人気の、魔法少女系アニメ。その手の話題には無知な由宇も、題名だけなら聞いたことがあるくらいに有名な作品だ。
「うーん、流行ってるっていうか、知らないと罪みたいな感じ、かしら?」
千鶴は、ふうっと息を吐き、手元にあったメモ帳を見せた。そこには、気持ち悪いくらいにびっしりと几帳面な文字が並んでいる。
「どうやら、クラスでは知らない人はいないってくらい有名らしいんだけど、私はこういうことに鈍感でしょう? それで、先生が観てみたらってDVDを貸してくれたんだけど――…どうにも、こういう作品に対しての共感というか、良さが理解できなくて。とりあえず、セリフを書き出してみて、いいところを探そうとしてるんだけど、これがまた大変なのよ」
「え? さっきから一生懸命、何をメモってるのかと思ったら、わざわざセリフを書き出してたんですか? なんてクソ面倒くさいことを……」
「本当、面倒よねえ。子供心を理解するのって、純文学を理解するよりもよっぽど難しいわ」
そう言って、首や肩を回している彼女の姿は、どう見ても、子供らしくない。
「……っていうか、何でそんなことしてるんですか? だいたい、先生からアニメDVDを借りるって、何でそんな展開に?」
とりあえず、気になっていることを訊いてみると、彼女は頬に手を当てて、
「それがよくわからないのだけど…何でも、クラスで苛められてる子がいるとかで、いろいろ話してたら、貸してくれるって話になったのよねえ。っていうか、こんなものを持ってるってことは、最近じゃ先生までこういう子供向けアニメを観るようになったってことかしら? 時代は変わったわねえ」
「…?」
その言葉に、引っかかるものを感じた。そもそも、教師が生徒相手にアニメDVDを貸し出すこと自体、不自然だ。
「……あの、千鶴さん。その苛められてる子って、まさか千鶴さんのことじゃないでしょうね?」
漠然とした不安をぶつけてみると、千鶴がおっとりと笑いながら否定する。
「ふふっ、そんなことないわよ。こう言っては何だけど、私、クラスじゃ人気者なんだから」
「…へえ、どういうふうに人気なんですか?」
「そうねえ。まず、朝、学校に行くでしょう? そしたら、靴箱のなかの上履きに虫の死骸が詰め込まれてたりして」
「むっ、虫の死骸っ!?」
想像しただけで、ぞわっと全身に嫌な寒気が走る。
しかし、当の本人の千鶴は困ったように微笑んだだけで、嫌がっている素振りはない。
「そうなのよ。昆虫採集が趣味なんて言った覚えはないのだけど…まあ、せっかくくれるっていうんだから、好意は大切にしなきゃいけないものね。まずは、それを持参した袋にしまって」
「しまうなよっ! つか、千鶴さん! 毎朝、そんな感じなんですかっ!?」
女の子の下駄箱に虫の死骸とか、イジメにしても、悪質すぎる。しかし、彼女はまったく堪えてないどころか、ポジティブに受けとめているようで、にこにこしている。
「ええ、ときどき、押しピンだとか、釘だとか、草だとか、入ってるものはいろいろなんだけど……どうやら、私、みんなに収集癖があると思われているみたいなの。本当、困ったものねえ」
「って、困りどころが違うしっ! で、他には? 他には、何もされてないでしょうね!?」
「え? うーん、そうねえ」
千鶴は、詰め寄る由宇を不思議そうに見やり、
「教室に行くと、花好きな私のために、机の上に綺麗な花を生けた花瓶が置かれてあったり、こっちから話しかけても誰も応えてくれなかったり――ふふっ。きっと、みんな恥ずかしがり屋さんなのね。ほら、最近の子供って、習いごととかゲームばっかりだから、コミュニケーションの取りかたがわからないっていうでしょう? 仲良くなりたいけど、どうすればいいのかわからないなんて、可愛いわよねえ。うふふ」
「いやいや、単に苛められてハブられてるだけだから、それ! って、そうか、それで先生がDVDを貸してくれた意味がわかったぞ。共通の話題をつくって仲良くなれるように協力しようとしてくれてるわけだな。何か、納得がいった――…けど、許せないな、千鶴さんを苛めるなんて。できることなら、クラスのガキどもに正義の鉄槌を食らわせてやりたいトコだけど、そういうわけにもいかないしな」
昨今の風潮からして、子供を叱るイコール体罰、虐待と判断されかねない。悪いことをしても叱られなくなった子供の行く末なんてものは、ロクなものじゃないと思うが、他人がどうなろうと知ったことではない。問題は、大事な大事な千鶴がひどい目に遭わされているという現状にある。
「それで、千鶴さんはそいつらに何か言ってやったりとかしないんですか?」
「え? そいつらって…クラスの子たち?」
「そうですよ、その腐れガキどもですよ!」
「あらあら、口が悪いわねえ、ユーくん。そんなんじゃ、彼女もできないぞ?」
千鶴が悪戯っぽい口調で言い、小さな指先でちょんっと由宇の頬を突いてくる。
もちろん、子供にそんなことをされても嬉しくもなんともない。ましてや、ときめくなんてこともないはず――なのだが。
(ヤ、ヤバイ!)
どっと、嫌な汗が出る。ドドドドと耳の奥を血の激流が流れていく。
「? ユーくん、どうしたの? お顔が真っ赤よ?」
きょとんと首を傾げる少女のあどけない様子にすら、どぎまぎしてしまう自分は末期なのだと思う。
「千鶴さん。いい加減、子供扱いするのやめてくれません? 一応、今はオレのほうが年上ってことになってるんですから」
赤い顔で訴える由宇に、千鶴がくすりと笑う。
「あら、見た目はそうでも、私のほうが実質的にはお姉さんなんだもの。仕方ないでしょう?」
「そ、それはそうですけど」
「それに、ユーくんだって、敬語はやめてって何度もお願いしたのに、ずっと使ってるじゃない。昔は、普通に話してくれてたのに」
「いや、だって、これはもう癖だし…」
子供時代は、確かにタメ口だったが、いろんなことを意識するようになってから、敬語を使うようになった。今さら変えろと言われても、習慣や癖というものはなかなか直らない。
(……思えば、始めて会ったときの千鶴さんは、いかにもお姉さんって感じだったよなあ)
今の姿からは想像できないかもしれないが、初対面の彼女は、二十歳を前にした大人の女性だった。色白で、伏し目がちの目元がとても寂しげで、儚げで――その頬笑みは、淡い月光のように控えめに輝いていた。
(まさに、薄幸の女神っつーかさ…)
絶対的な縁、抗いがたい運命。今から思えば、そんなふうに言いかえられる出会いの瞬間だったといえるかもしれない。
だからこそ、由宇は千鶴に対して強く出られないし、癖になった敬語をやめるつもりもない。たとえ、子供の姿をしていたとしても、それは変わらない。
「――とにかく、千鶴さん。早く大人になってくださいよ。でないと、オレが子供相手に敬語を使う、変な人みたいになっちゃうじゃないですか」
思わず愚痴ならぬ無茶な要求をする由宇に、彼女はいつものおっとりとした口調で返す。
「だから、ユーくんが敬語をやめればいいのよ。そのためにも、まずは、私のことを呼び捨てで呼べるようにならなきゃね。ほら、言ってみて? 千鶴、って」
「! む、無理ですってば!」
「そう言わずに、チャレンジするだけしてみない? ほら、ちーづーるーって。簡単でしょう?」
「か、簡単じゃないです! むしろ、滅茶苦茶ハードル高すぎですよ!」
「そんなこと言わないで、ね? ほら、恥ずかしがらないで」
ずいっと顔を覗き込まれたうえに、ぎゅっと腕をつかまれて、由宇は逃げ場を失った。
「言うまで離さないんだからね? ほら、千鶴って呼んでみて?」
甘える子猫みたいな瞳と声で言われて、由宇はさらに追い詰められた。
「ちょっ、卑怯ですよ、そのおねだりの仕方! あざとすぎます!」
非難してみるが、彼女はしらっとしてやり過ごす。
「何のことかしら? ほら、ユーくん。観念して言いなさい? でないと、お姉さん、これからは、ユーくんのこと『お兄ちゃん』って呼んじゃうぞ?」
「!!!! や、ややややめてください!! とんだ羞恥プレイじゃないですか、それ!」
見た目的にはおかしくないのかもしれないが、人間、慣れていないことをするものではない。一度、からかいついでに『お兄ちゃん』呼ばわりされたことがあるのだが、何故か、ひどい罪悪感と周囲からの視線に耐えきれず、ギブアップしたのだ。
(…別に、子供に手を出そうとしてる犯罪者とかじゃないんだけどさ…)
正直、千鶴に対しては複雑な感情を抱いているためか、彼女といるとどうも世間体だの周囲の目だのが気になる。
(そもそも、オレと千鶴さんじゃ苗字も違うしな…)
二人の関係を説明するのは、かなり大変だ。そもそも、話して聞かせたところで、他人が信じるとも思えないが…。
(……つーか、オレらって、結局のところ、どういう関係になるんだろう?)
強いて言うなら、運命共同体? 共通の秘密をもった、同志? 友達…と呼ぶには違和感があるし、家族と呼ぶには、いろんなものが欠けすぎている。
目の前の十一歳の少女、千鶴。
そして、十九歳の自分。
一見すると兄妹のようにも見えるのに、実際は彼女のほうが十歳ほど年上で、人生の先輩だという事実を、誰が信用するだろうか。実は、二人とも年金生活をしていてもおかしくない年齢だと、誰が理解できるだろうか。いや、理解なんてできるはずがない。常識的に考えて、若返りの秘薬でもない限り、無理な話だ。
そんな二人の関係を一言で説明するなら――非現実。ファンタジー。そんな馬鹿げた、嘘くさい表現でしか、説明できない。
そもそも、二人の出会いそのものが、異常すぎたのだ。
だからこそ、こんなにも歪で不可思議な関係のまま、長い時間を生きる羽目に陥っているともいえるだろう。
それを悔いるわけではないが……このままでいいとも思わない。
だが――積極的に変えようという気が起きないのは、かりそめの平和とはいえ、現状に満足しているせいかもしれない。
長いモノには巻かれろというが、抗えないのならば、ただ流されるしかない。
たとえ、その先がどうなっていたとしても――。