食事と発表と忙しさと
頭のメモに付箋で選抜訓練のイメージを書き留めた白山に、サラトナが思い出したように口を開く。
「そう言えば、先の褒賞だった貴公の屋敷についても、準備が整っておる。
後程、引き渡しの手続きを取るゆえ執務室へ顔を出してくれるかな?」
港街での褒賞だった屋敷について、準備が進められていると少し前に言われていた。
それを思い出した白山は、軽く頭を下げて礼を言った。
そして、簡単に執務室へ入った招かれざる客に関する話を、サラトナに語る。
その話を聞いたサラトナは、俄に表情を曇らせると「すぐに手を打つ」と言ってくれる。
「どこかの貴族が飼っている影か、それとも他国の間者か…… いずれにしろ王宮深くに入られるとは何たる事か!」
そう言い放ったサラトナは、その場で従者に城の警備隊長を執務室へ呼び出すように申し付ける。
親衛騎士団が王都の前に出て、幾らか城の守りが手薄になったとはいえ、看過できないと憤っていた。
何かしらの手引があったのか、早急に原因を特定し、首謀者を捕えると白山に約束していた。
その言葉に頷いた白山は、正式に部隊が発足次第、執務室は基地に移すとサラトナに話し、その人手についても信頼できる人間を貸し出してくれると言う。
それほどの荷物はないのだが、その申し出はありがたく受けた白山は、明日以降のスケジュールについて考えを巡らせていた。
実際の作業や募集に係る業務は、基地で行わなければならないが、それ以外の業務は王宮で行うのが情報の伝達や効率的には良い。
暫くは往復になりそうだと白山が考えていた所に、従者が王の臨席を告げ白山とサラトナは食堂に向かうべく席を立った。
ピシリと皺ひとつないテーブルクロスと古いが磨き込まれた座り心地の良い椅子が、白山達を出迎える。
銀製の食器やカトラリーとグラス達も、しっかりと磨かれておりキラキラとランプの光を反射していた。
それほど大きくないテーブルの中央には、燭台と花が飾られておりテーブルに彩りを与えていた。
給仕が引いてくれた椅子に腰掛けた白山が、周囲を見渡すとしっとりと落ち着いた調和がそこには存在している。
一呼吸置くと、小さな鈴の音が鳴り王の臨席を告げ、それを合図に白山達は立ち上がる。
登場したレイスラット王は、ゆったりとした簡素な服を身に纏っている。
白いシルクのシャツと少しゆったりとした黒のズボンは、落ち着いた印象を見るものに与えていた。
それとは逆に、一緒に現れたグレースは薄い青のドレスだった。
ざっくりと背中のラインが大胆にカットされ、グレースの白い肌とドレスの対比は一種の芸術とも呼べる美しさだった。
王と王女は、優美な仕草で白山に視線を向けると僅かに微笑み、そして着席を促す。
社交界の中で洗練されてきたその仕草に、一種の様式美というべき優雅さを覚えながら再び白山も着席する。
さり気ないタイミングで注がれた食前酒は、さわやかな香りが漂うりんご酒で、その香りに白山は思わず目を細める。
保存料や大量生産などの概念がないこの世界では、品質の安定は望めないがその分、飛び抜けた逸品が出来る場合もある。
そして王宮には、そうした選りすぐりの品が、その権威の基に集まってくるのだ。
「ホワイト公の帰還と戦勝に……」
軽くグラスを掲げた王の音頭で、食事会が始まった。
最初の皿は、小さく切られたラスクに色とりどりの具材が盛られた前菜から始まる。
レバーのパテと香草、鮮やかな魚のカルパッチョなどが皿の上で彩られていた。
りんご酒とともに前菜を味わいつつ、ゆっくりと王が口を開いた。
「しかし侵攻の発覚から、これだけ少ない被害と日数で事態を収束出来たのは良かった。
そのほぼ全てに、ホワイト公の働きがあった事は王国にとって、誠に僥倖と言えるだろう」
そう言って視線を白山に向けた王は、改めてそう言うと柔らかな視線をむけてくる。
その言葉を聞いた白山はゆっくりと頷き、そして半年前に召喚されてからこれまでを思い返す。
「何故、私が召喚されそして私で本当に良かったのか、今でも考える時がありますが……
それでも、自分で出来る限りの事は行ってきたつもりです」
そう言った白山の言葉に夕食会の参加者はそれぞれが、何かを考えるようにその言葉を噛みしめている。
そして、僅かな静寂の後口を開いたのはグレースだった。
「そう言えば陛下は、政務も上の空で何度も皇国の動きに変化は無いか?と、何度もお聞きになったと聞いていますが?」
「確かにそうだな。いつもの真面目な王は、どこへ行ったのかという程だったな」
グレースの言葉に同意するようにサラトナが、笑いながらりんご酒を傾けいつもとは違う口調で王に語りかける。
少しだけ悪戯っぽく首を傾げてみたグレースと、王の前とは思えない寛いだ様子のサラトナの表情に、王は顎をわずかに引いて両者へ視線を向ける。
「そう言うグレースも、物憂げな表情で長い間外を眺めていたと聞いておるぞ?」
王のその言葉にグレースは恥ずかしそうに俯くと、やがて小さな声で反論する。
「大切な方が戦地へ赴いているのに、心配しない女など、私は見たことがありません」
何かを振りきったように真っ直ぐに王へ視線を向けたグレースの切り返しに、芯の強さを垣間見た王は少しだけ驚きそして笑った。
これまでの食事会とは違うなにか親密な雰囲気に、白山は少し驚いた。
その様子を見たサラトナが、面白そうな表情を浮かべ白山に声をかける。
「儂は、元々先代の王に仕えておってな。そして、現王の教育係を任せられ、そして宰相となった。
言わば、家族のようなものだ。 この三人で食事をする時だけは、堅苦しいしきたりを忘れられるようにな」
そう言って、りんご酒を飲み干したサラトナは、普段の厳しげな表情ではなく、実に穏やかな笑みを浮かべている。
白山はこの宰相の素顔に少し驚き、そして自身がそんな個人的な食事に呼ばれた事に、多少の遠慮を感じていた。
その表情に気づいたのは、他でもないレイスラット王その人だった。
すっかり平らげられた前菜の皿を給仕が片付ける最中に、会話を聞いていた王がゆっくりと口を開く。
「私はこの個人的な食事に、貴公が…… いや、ホワイト殿に参加して欲しいと思っておる」
その言葉に、白山はどう答えるべきか悩んだがやがて口を開いた。
「私で良ければ、何時でもお呼び下さい」
そう答え、少しだけ笑った白山にサラトナが爆弾を落とす。
「ならば、婚約者候補の件についても、叙勲と同時に発表する頃合いだな」
白山は最近の慌ただしさですっかり失念していたが、二度目の叙勲でラップトップを渡された時、グレースと王の賭けの対象にされていた。
家族のように親密なこの食事会の最中に、何故か外堀を埋められている事に気づいた白山は、飲みかけていたグラスが止まってしまう。
白山がふと視線を向けると、何処か嬉しそうな表情を浮かべているグレースと目が合う。
ぎこちなく、その視線を受け流すと王が更に畳み掛けてくる。
「ふむ、グレースも年頃だ…… 儂もいつまでも若い訳ではないからな。後継についても、そろそろ考える時期かのぅ」
そう言って、チラリと視線を白山に投げかけてくる……
「こ、婚約者候補と言う事は、私の他にも候補となっている方がいらっしゃる…… そう言う事ですよね?」
話題を誘導しようと、白山がそう質問すると、それについてサラトナが答えてくれる。
何でも、グレースが誕生した時はこれまでの慣習通りに婚約者となる、次代の王ないし王配となる人物を定めるべく動いたそうだ。
しかし、皇国の騒乱と流行病によって難航した選定が、貴族派の台頭によって更に混迷を深める。
どこから漏れるのか、婚約者に内定した名家での良からぬ噂や騒動、あからさまな派閥の隆盛から、著しく各家のバランスが崩れてしまったのだ。
そこでそうしたバランスを調整するために、複数の候補を出す事で、諸侯の目や意識を分散させる苦肉の策として、複数の婚約者候補を指名するに至ったのだと……
「今となっては、ホワイト公に一本化しても良いと思うがのぅ……」
ポツリと言った王の何気ない一言に、白山は身を固くし、何故かサラトナは王の意見に頷く。
そしてもう一人の当人であるグレースは、チラリと白山に視線を投げかけると、意味ありげな微笑みを向けてくる。
「婚約者候補となっているのはホワイト殿と、国内ではリンブルグ家の長子であるジュスト殿、国外ではオースランド王国の第三王子であるアウロ殿下か……」
南にあるオースランドの王子に関しては、王同士の酔った上での口約束らしく、正式な婚姻関係にはない。
事実、第三王子には国内に許嫁が居るとの事だった……
先日バルザムの息子であるフロッグが失脚した事で、実質上リンブルグ家のジュストが有力な候補と思われている。
ここに来て旗頭を失いつつある貴族派が、露骨に擦り寄っていると報告が上がっているらしい。
これまで伏せてきた白山の婚約者候補の指定を、叙勲と同時に発表するのは、そうしたバランスの調整も意味するらしい。
この場に味方は居ないと諦めた白山は、せめてもの予防線として口を開いた。
「婚約者候補についての概要は理解しました。
先日お話しました通り、その情報は如何ように使って頂いても構いません……」
そう言った白山は、しっかりとした視線を王に向けると再び口を開く。
「しかし私は軍人であり、この国の現状は決して楽観視出来る状況ではなく、万が一の事も有り得ます。
国が平穏となるまでは、候補のままでお願いしたいと思います」
そう言った白山の目は真剣で、これは決して言い逃れや先延ばしではなく、自身の行く末を見据えての言葉だと王は理解する。
「判っておる。 今は国の安寧が優先されなければならない事も、その為に主の活躍が不可欠である事もな……」
その言葉に一番敏感に反応したのは、他ならぬグレースだった。
ハッキリと分かるほど表情を暗くし、その瞳は燭台のゆらめきを映して少し光っているように見える。
その様子を見た白山は、一呼吸おいてゆっくりとグレースに語りかけた。
「先日の約束、覚えていらっしゃいますか? 無事、帰還しましたので近いうちに何処か遠出に出ましょう……」
白山の口から出た意外な言葉に、グレースはハッとし、それから溢れるような笑顔を見せてくれる。
宰相と王が、年嵩の中年らしい視線で冷やかしを送ってくるが、それを見とがめたグレースが釘を刺す。
「ホワイト様が、早く安心して生活を送れるよう陛下もサラトナ様も、しっかり御役目を果たして下さいね」
冗談とも本気とも取れるグレースの言葉に、思わず王と老宰相は視線を合わせると、やがて破顔する。
こうしてそれ以降の夕食は、和やかに過ぎていった……
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翌日から白山は溜まった書類と、本格的に始動した部隊設立に向けた準備作業に追われていた。
入口には、常時二名の兵が常駐するようになっており、早速警備が強化されている。
文官達も久しぶりに訪れた白山の執務室で、仕事をこなしてゆく。
白山がまず手を付けたのは選抜訓練の内容と、その準備作業。
そして基地の本格稼働に伴い必要になる兵達の食料品や生活雑貨など、細々とした発注作業だった。
早朝からそうした書類と格闘した白山は、昼過ぎになってようやく一息ついた。
そこで少し遅い昼食を済ませ、早々に基地へ向かい車を走らせる。
簡単に軍を設立すると言うが、その準備作業は多岐にわたる。
教育訓練の内容から装備品の選定や、それらを恒常的に機能させる後方支援や兵站の課題……
一概に訓練を施せば良い訳ではない。
この国では識字率こそ高いが、加減乗除などの基本的な計算や教養を備えた者はやはり限られてくる。
軍事教育だけではなくそうした教育も併せて行わなければならないのだ。
更に部隊長である白山は、これから運用する部隊をどういう使い方をするのか、戦略的な方向性も考える必要がある。
これだけの規模の部隊を立ち上げるなら、本来ならば準備室の設置から二年程度の年数と、十名単位の人員が必要になるだろう。
それを一人で行わなければならない……
無論、王国の人間を関与させ人員を増員する事も可能ではあるが、結局の所完成形が白山の頭の中にしか無い現状では、判断を白山が下さなければならない。
何より現場の人間である白山は、デスクに座って漫然と指示を飛ばすだけでは、どうしても納得出来ないのだ。
オーバーワークかと思いながら、ハンドルを操る白山は今後の予定を組み立てる。
北の裏道を辿りながら、早々に基地に辿り着いた白山は、親衛騎士団から回してもらった衛兵に敬礼を送った。
高機動車を認めた衛兵が、ゆっくりと門扉を開いてくれる。
車両を基地の内部に滑り込ませた白山は、本部の一角に設えた倉庫へ足を運んだ。
元は王家の菜園であった頃、農具や収穫物を収める場所だった倉庫は、かなりの広さがあり今は徒広い空間が、ポッカリと空いている。
その鍵を開けて、中に入った白山は一脚だけ残った椅子に腰掛けると倉庫を見回した。
その静かな空間に、少しだけ緩やかな時間の流れを感じ、白山は一息つく。
朝から慌ただしく動きまわって、忙しく指示を出しながら書類に目を走らせていたのだ。
そんな喧騒の中から、一転して訪れた静かな時間が貴重な物のように感じる。
しかし、いつまでもこうしている訳にはいかない。小脇に抱えていたラップトップを開き、電源を入れた。
明り採りの小窓から差し込む光が筋になって、薄暗い倉庫に差し込む中、冷却ファンの音が静かに響く。
今回の戦役で召喚に使用できる魂の量は大幅に増加していた。
『召還を実施しますか……?』
先日よりも迷いなく押されたエンターキーに呼応して、周囲に光の粒子が舞い始める。
米軍の総合補給廠と事前集積船から指定した大小様々な物品が、次々に倉庫を埋めてゆく。
「こりゃ、分類と整頓が大変だわ……」
ランダムに姿を現した品々を眺めながら、白山はひとり呟いていた…………
ご意見ご感想、お待ちしておりますm(_ _)m
予約投稿ミスで昨日更新出来ませんでした(汗
大変失礼致しました。