序章~皇国のうごめき
シープリット皇国の皇都であるフェリシタスでは、新光教団の祈りの儀式が厳かに行われていた。
王城の側に新たに建てられた大規模な礼拝堂は、荘厳かつ豪華な造りで見る者を圧倒する。
皇都に住まう住人が動員され、埋め尽くされた礼拝堂では、皇王が祭壇に向かい、祈りの言葉を彼らの神に捧げている。
儀式は続く…… 両手に紙のような物を持った皇王が、一際大きな声を発すると、青白い炎が両手に灯り、その火を祭壇の燭台に移す。
その神秘とも魔術ともとれる儀式に、礼拝に来た信徒は神の奇跡と信じこみ、感嘆のどよめきが広がる。
「祈りなさい…… 信仰深き者は必ずや救われます」
そう言って、踵を返して退出する皇王に、信徒達は懸命に祈りを捧げ、その姿を見送った。
教団の幹部、そして護衛の信仰騎士団が周囲を取り巻き、王宮に戻った皇王は、玉座に腰掛けると深いため息をつく。
「まったく、祈りの儀式も疲れる……」
週に一度の祈りの場では、浄財として『洗貨の泉』に投げ入れられるお布施が教団の大きな収入となる。
心ない信仰司教などは『銭貨の泉』などと呼び、意地の悪い笑みを浮かべていた。
新光教団の教祖であるフロスライ教皇が、退位するシープリット国王から王位を譲り受け、7年になる。
皇王として政治を取り仕切るようになり、数々の案件や報告が玉座に座った男にもたらされ、それを処理してゆく。
最も、この玉座に収まる神経質そうな痩せ型の男は、二言三言小さく言葉を発するだけで、専門的な事項は国を取り仕切っている、教団の幹部が処理していた。
そこに一人の黒装束に身を包んだ性別のハッキリとしない人間が、静かに報告に訪れる。
この人間は、教団の抱えていた影であり、教団が力をつけるに伴い対立する宗教関係者のスキャンダルや、教団を危険視する人間の弱みを握り、排除してきた。
フロスライが皇王に収まると、これまで王国の影だった者たちを吸収し、その勢力を拡大する。
レイスラット王国のバルム領における扇動や、王の暗殺を焚き付けたのも、この影達だった。
「王国の攻略に向かいました騎馬隊が敗れました。
詳細については、こちらを御覧下さい」
珍しく「おや?」といった表情を浮かべた皇王は、側近が受け取ったその資料に目を通すと、愉快な様子で顔を歪める。
「あれだけ自信満々に勇んで出発しておきながら、敗れるとはなんと情けない」
自軍の将が敗れたというのに、笑いをこぼす皇王に周囲の側近も同意する。
「こちらの渡した情報が、全て正しいと信じて疑いませんでしたからな。あの隊長殿は」
その声に、周囲から笑い声が響き軽く手を上げた皇王がその声を制する。
「まずは、我らに牙を向く可能性がある者共の粛清は、これで一段落か。 あとは、軍の立て直しだな……」
その言葉と視線を受けて、側近の一人が報告を始める。
「重装歩兵師団は幹部の懐柔が効いており、掌握済み。信仰騎士団と魔装具連隊の増強を急がせます」
そう言った側近に、鋭い視線を向けて皇王が声を発する。
「軍備が整うまでにどの位掛かる?」
「2年頂ければ、北の帝国にも勝てる軍を育ててご覧に入れます」
そう言った側近に、皇王が厳しい声をかける。
「いや、1年でやれ。 手始めにレイスラットを平らげる。 必要なら税率を上げても良い…… 急がせろ」
その言葉を受けた側近は、頭を垂れて奥に引っ込む。
ひと通りの報告と指示を出した皇王は、ゆっくりと豪華なマントを翻して玉座を後にする。
そして後宮へ戻った皇王は、重苦しい装飾の礼拝服を女官に脱がせ、着替えをさせた。
そして絹布で作られたシャツと、ゆったりとした刺繍の入ったズボンに着替えた皇王は、後宮から出ると極小数の護衛を連れ城の外れに向かう。
城の左右に造られた大きな尖塔は、この城の特徴的な外観を醸し出している。
渡り廊下で城とつながったそこには、明り採りの天窓から差し込む光が揺れており、暖かな日差しが規則的な陰影を廊下に映し出す。
その入口へやって来た皇王が、入口を守る兵士に目線を向けると、兵士は直立不動の姿勢を取り、それから尖塔の入り口を解錠した。
カキリと、特徴的な音が響き片開きの扉が開かれる。
兵士には目線も合わせず、その扉を潜った皇王は、護衛達にここで待つように手振りで指示を出し、単身で螺旋階段を登り始める。
程なくして尖塔の上部まで登り切ったフロスライは、少し息を整えると懐に手を突っ込む。
そうして、鍵を取り出した皇王は、尖塔の上部に設えられた扉を開くと、嫌らしい笑みを浮かべながら部屋に入って行った。
「これはこれは、前王よ。 息災な様子で安心致しました」
ニヤニヤと鉄格子越しに、ベッドに腰掛ける一人の男を眺める皇王は、簡素な丸椅子に腰掛けると、ゆったりと足を組み語りかける。
皇王のその言葉に、鈍い反応を示して視線を向けたベッドの男は、コケた頬と病的なまでに白い肌を持っている。
だらしなく薄っすらと開いた口を少し動かすと、なにか語り出したいと言いたげに、口を動かすがそれが言葉になることはなかった……
「おやおや、魔法薬が効きすぎている様子ですねぇ」
そう言ってさらに愉快そうな顔を浮かべた皇王は、緩慢な動作でベッドから立ち上がった『前王』を眺めていた。
フロスライは、元を辿れば王国教会の下級司祭だった。
それが、王族が出席する祭事において失敗をした事により、教会を追われ、そこから王国や教会への復讐が始まる。
自身の教団を興し、違法スレスレの手段で信者を獲得してゆく。
そして、裏の世界に通じる影がその金の匂いに誘われ、与し始めてから爆発的に、その勢力を伸ばす。
一歩ずつ、鉄格子に近づいてくる前王は、悲しみとも歯がゆさとも取れる表情を『皇王』に向けている。
「貴方の利用価値は、まだあります。 それまでは、もう暫く生きていて頂きましょうか……」
クツクツと忍び笑いをこぼしながら、立ち上がった皇王は踵を返し、部屋を後にする。
扉を施錠して、螺旋階段をゆっくりと降りる皇王は、これまでの経緯を思い出していた。
王の側近達を少数ずつ入信させ、その伝手から徐々に王宮へ、その搦め手を伸ばす。
その手練手管は、実に10年近い歳月をかけて、蜘蛛の糸が王宮に静かに、水面下で張り巡らされてゆく。
王の側近達が、その危険性に気づいた時には、既に手遅れで、王は原因不明の体調不良に苛まれていた。
そこへ王の回復を祈念するとの名目で、教皇となっていたフロスライが接見を行う。
魔法薬の量をコントロールし、回復の兆しを演出したフロスライは、国民の信頼を得てゆく。
そうして民心と王の周囲を徐々に籠絡したフロスライは、最後の仕上げとして王の意識を誘導し、王位譲渡の証書を偽造した。
それに朦朧とした王がサインを認め、形式的には正式な書類となったそれを根拠に、王位奪取の仕上げを行ったのだ。
当然数少ない、王国の良心と言える王の側近たちは、それに反抗するが、既に大多数を占められているフロスライの息のかかった者達に、押さえつけられてしまう。
あるものは粛清され、またあるものは地方へと飛ばされた。
唯一の誤算は、第一子である王女が行方不明になった事だ……
王妃は巧妙に偽装した毒薬で衰弱に見せかけて、昨年暗殺してある。
王子については、港街に側近と共に逃げ反乱を起こそうとしたが、重装歩兵師団によって忽ちに鎮圧された。
そして王子の反乱については、王位に就けない事を恨んで反乱を起こしたとの風評を流し、王も同様の声明を出した事で沈静化させる。
ここで、皇王となったフロスライと王女の婚姻が出来れば、国内の支配体制が盤石となるのだが……
肝心の王女の行方が判らず、この件は棚上げになっている。
全力で影が探しているが、それでも出てこない所を見れば、国外に逃げたか、余程巧妙に隠されているのか。
その現状を思い起こしながら、息災だった頃の王が失敗を犯した祭事で、自分を見下ろしていた冷たい目と、先程の虚ろなめを思い出し一人悦に入る。
ようやく尖塔の基部まで降りてきたフロスライは、側近の一人に声をかける。
「午後からの予定は?」
その問いかけに、恭しく腰を折った司祭服を着た男が声を上げる。
「午後からは魔装具連隊の閲兵となっております」
その答えに頷いたフロスライは、昼食を摂るべく後宮へと引き返していった……
食事が終わり豪華な馬車で城の外に出たフロスライは、前後を白銀の鎧を着た信仰騎士団の騎兵に囲まれながら、大通りを郊外に進む。
途中、道行く人々が馬車を見るなり跪き、祈りを捧げている。
フロスライは、そうした民衆に先程の下卑た笑みを消し去りにこやかに手を振り続けていた。
皇都は、丘の上に立つ左右の尖塔と中央の大きな前宮が特徴的な旧王城を中心に、丘の斜面に放射状に広がるような造りになっている。
低い城壁が旧市街地を区切り、その外側に一般的な住民が暮らす新市街が存在し、そして真新しい高い城壁の向こうは、皇都とは見做されていなかった。
西と北側の城壁近くには、粗末な小屋が並びスラムが形成されている。
スラムには、近年増税された税を払えず家を失った者や、生まれのせいで市民権を得られなかった者達が身を寄せ合っている。
しかし、フロスライはそんな光景には目もくれず、自身を支える皇都の市民にのみ手を振り続けた。
そして到着した郊外の平原は、一種異様な兵達が揃っている。
槍や剣などの光る装備を持たず、手には水晶がはめ込まれた杖を持って整列していた。
そこへフロスライが降り立つと全員が胸元に杖を引き付けて、直立不動の姿勢を取る。
それを見てた指揮官と思しき男が、ゆっくりと近づいて来た。
「猊下、本日は閲兵の機会を頂き、感謝致します」
深々と腰を折り、そう言った将に側近が声をかける。
「猊下は此度の閲兵に、一方ならぬ期待をされておいでだ。
早速、その威力をご覧に入れて差し上げろ」
側近がそう言うと、頭を下げたまま数歩下がった将が、クルリと翻って兵達に声を荒げる。
「火炎、魔法戦用意!」
その言葉に、胸元から筒の様な物を取り出した兵たちが、杖にそれをはめ込む。
「構え!」
将の声で、兵達が杖を100メートル程離れた鎧を着た藁人形に向けた。
「放て!」
短い号令とともに、杖の戦端から迸った手のひら大の火球は、藁人形の胴体や頭部に次々と着弾してゆく。
中には、土台の杭を燃やして人形が折れた物もあった……
「続けて、放て!」
素早く筒を入れ替えた兵達が、その号令で再度火球を放つ。
黒焦げになっている人形に、容赦無い火炎が浴びせられ、その姿は崩れ去った。
「現在の所、飛距離と精度そして連射について向上を図っておりますが、魔法陣の量産に足を取られております。
魔法陣による歩兵の強化は、現在小規模の実験部隊を組織しており、目処が立ち次第、順次増強を行います」
日傘を持つ従者を横に従え、将の言葉を聞いたフロスライは僅かに目を細めて頷くと、それを汲み取って側近が声を発する。
「精進を重ね、神敵を討ち滅ぼせる力を早急に整えるようにと仰せである……」
事前に打ち合わせてあった言葉を、将にかけたフロスライ達は暫く訓練を見学して、城への帰途につく。
「あの威力は、必ずや周辺諸国を制圧するのに役立つ。 戦力化を急がせろ」
側近に馬車の中でそう言ったフロスライの言葉には、言外の意味が込められている。
『予算と人員を注ぎ込め』と言う意味が……
それには、国境の閉鎖と貿易量の低下による、逼迫した皇国の予算をやりくりする必要がある。
恐らくは増税か、年貢の徴収量を増やさなければならないだろう。
頭の中でそう計算した側近は、頭を下げる。
「それから…… 報告書にあったレイスラットに現れたという、勇者について早急に調べさせろ」
そう言ったフロスライは、その冷たい言葉とは裏腹ににこやかな表情を浮かべ、民衆に手を振り続けていた…………
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