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幕間~夕暮れの砦 アトレアの場合

 アトレアは、ザトレフの騒ぎが収まると、砦の幹部用の居室に戻った。

大きくため息を吐いてから、留め金を外し、ガシャリと重い鎧を脱ぐと、荷物の横に丁寧に並べる。

それは、何か事が起こった場合に、素早く着られるように考えられている置き方だった。


アトレアは、少し汗が光っている首筋や腕を手ぬぐいで拭くと、そのままベッドに身を投げだした……


 うつ伏せに倒れこんでから、枕に二度目のため息を吐き、仰向けに寝返りをうつ。

アトレアは先程の指揮所での顛末を思い返す。


ザトレフが部屋を去った後、白山に感じた感情……


 兵や仲間を大切に想うその姿勢に、同じ軍人として好感を抱いたのか。

それとも、鉄の勇者と呼ばれる男に、仲間と認められている高揚感なのか……


いや、それだけでは説明のつかない、不思議な感覚が胸に去来している。


そして、あのリオンという白山の護衛……


僅かに感じた胸の痛みは、病や傷ではなく、もっと別の感情だと、アトレアは薄々気づいていた。



 虚空に手を伸ばしたアトレアは、自分の手をしげしげと眺め、女らしくない無骨な手だと自嘲する。

サラシに巻かれた胸は、窮屈そうにその存在を主張していたが、鎧を着るのに邪魔になるので、アトレアは気に入らなかった。


 これまで24年の人生の中で、自分の中で女を意識したことは少なかった。

幼少の頃は一人娘として大切に育てられ、その可憐さから家内では花姫と謳われ、すくすくと育った。


 しかし、母の望みとは裏腹に、アトレアは豪華なドレスよりも、兵達が着る鎧に興味を持ち、与えられた人形よりも木剣が好みだった。

礼儀作法や貴族の嗜みよりも剣術を学ぶ事を望み、礼儀作法を教えにきた女史を卒倒させてしまう。


 娘の気まぐれと考えた父は、当時蔓延していた流行病を、跳ね除けられる体力が育まれれば、それも良しと考えた。

そして、部下の中で腕の立つ者を選び、娘の指導を行うように命令を下したのだ。

数年が経つと、家内でも有数の腕前となるまで成長したアトレアは、僅か12歳で父と立ち会い、その才能に驚きを与えさせるほどに腕を上げる。

剣の才能を見出した父は、母の反対をなだめすかし、王国でも有数の達人を家に迎え、娘の指南役に据えてくれた。


 もとより息子が欲しいと考えていた父は、アトレアの上達を喜び、その期待に応えた本人は指導の甲斐もあり、メキメキと上達していった。

使用人達の手で大切に手入れされていた流れるような金髪も、剣の邪魔になると短く切られ、母をひどく落胆させた事もあった。


 アトレアの名が世間に知られるようになったのは、社交界に出たからではなく、特例で出場した騎士団の剣術大会だった。

そこで、上位に食い込んだアトレアは、当時の騎士団長の目に留まり15歳で入隊するに至った。


 入隊に至って家族の中で紛糾が起きた事も、今となっては懐かしい思い出だ。

母は半狂乱になり、大切な一人娘が、荒くれ者の集まる騎士団に入る事へ大反対する。

しかし、アトレアと父の説得で、25歳の誕生日までとの条件付きで、入隊を許してくれた。

それでも年に一度か二度、母は見合いの話や縁談をまとめようと躍起になって、時折アトレアを閉口させてしまう。


 本来なら名家の娘ともなれば、幼少の頃から婚約者や許嫁が決められるのが常だったが、ここでもアトレアはそのお転婆具合を、遺憾なく発揮する。

7歳で初顔合わせとなった許嫁を剣術で打ち負かし、将来の婚姻をご破断にしてしまったのだ……




 騎士団に入ってからもアトレアは、その腕前を十全に発揮して、並みの男では太刀打ち出来ない程に成長していった。

女であることをからかい、色目を使う者や、粉をかけてくる者はことごとく打ち負かし、次第に周囲に認められていく。



そして訪れた皇国との戦争……



 名家である実家の後ろ盾と本人の実力から、親衛騎士団における、最年少の部隊長に上り詰めていたアトレアは、部下を率いて戦地へ向かった。

その胸中は、不安はあったが、恐怖心はそれほど感じなかった。


 連日、砦から出撃し、平原で皇国軍と戦う日々は、これまでの修練の成果を遺憾なく発揮する場所でもあった。

敵の手柄首を上げ砦に戻る時には、幼少の頃の『花姫』の字名はいつしか『戦姫』に替わり、名実ともに軍の有望株として頭角を現す。




 華やかさや女らしさとは、無縁の人生を歩んできたアトレアにとって、胸に抱いた感情が恋心なのか判断がつかない。

これまでも上官や腕の立つ同僚には、尊敬を込めて憧れる事はあったが、異性として見たことはなかった。

天井を見上げるアトレアは、結局一人では答えが出ず、諦めて上体を起こした。


迷った時には、剣を振り迷いを断ち切れ……


 今は鬼籍に入った亡き剣の師匠からの言葉だった。

剣だけを手に持ち、廊下に出たアトレアは真っ直ぐに外へ向かう。

夕暮れに染まりつつある空が、彼女を照らしている。


 剣を振るだけなら、練兵場まで出向く必要はない。

幹部用宿舎の庭へ入ったアトレアは、植え込みが途切れた芝生の上に立ち、体をほぐす。


 そして、腰から剣を抜き放つと正眼に構え、ゆっくりとそれを振り始める。

そのスピードは徐々に早くなり、煌めく銀の筋が虚空に軌跡を残す。


 慣れ親しんだ動作が雑念や迷いを断ち切る…… 筈だった。

時折浮かぶ白山の横顔が脳裏に浮かぶ度に、その剣筋がブレてしまう……


 大きくため息を吐いたアトレアは、これでは稽古にならないと諦めて剣を収める。


こんな事は初めてだった。



 ふと、練兵場の方向を見ると何かが視界に入る……

それは、先程まで一緒に居たリオンの姿だった。


どこへ向かうのかとアトレアは、一瞬訝しんだが、次の瞬間にはリオンの姿は消えていた。


一体どこへ向かったのだろう……?


 その行く先にちょっとした興味を抱いたが、アトレアはふと思い直す。

リオンが部屋に居ないのならば、白山は一人でいるかもしれない。

何故こうも白山の顔がちらつくのか、その答えを探るのには、丁度いい機会ではないかと……



『よし、稽古に誘おう!』



 安直にそう考えたアトレアは、白山の居室に足を向ける。

何故だか、胸が高鳴る……


足早に白山の居室へ辿り着いたアトレアは、少しだけ深呼吸をすると躊躇いがちにそのドアをノックした。


「……はい」


 開けられたドアの隙間から白山の顔が覗いた瞬間、アトレアはドクンと、胸が鳴るのを確かに聞いていた。


「あっ、あぁ、疲れている所を……済まない…… 折角の機会だから稽古を…… と思って……」


普段のハッキリした口調とは違い、一向に動かない口を必死に操りそう紡いだアトレアは、恐る恐る白山に視線を向けた。


「そうか…… いや済まない。 今、ちょうど刀の手入れをしていたんだ」



 白山は、アトレアを部屋に招き入れながら、そう言って肩越しに床の上を示す。

そこには汚れた布が広げられ、水桶と砥石が置いてある。


 その様子に、白山への胸の高鳴りを感じつつも、彼が携えている脇差しに興味が向く。

一度だけ持たせてもらったが、あの美しい波紋と絶妙のバランスは、恐ろしい程の切れ味も相まって、アトレアを魅了した。

恐らく、売値で言えば金貨100枚は下るまい。

もっとも、あの刃を創り出せる技量を持った職人が、この国には存在しないだろうが……


白山も、あの業物を手放すつもりはないだろう。



「ならば、少し手入れの様子を見せてもらっても良いだろうか?」


 先程までのぎこちない口調は消え去り、滑らかに動く口に、アトレアは自嘲を覚えながらも気づけば、そう口にしていた。

頷きながらも「面白くはないぞ?」と、苦笑する白山だったが、特に邪険にされる様子もなくソファを勧めてくれる。


 細長く小さな砥石を使い、全体の均しをしていた白山は、床に座り込むと作業を再開する。

この世界では油砥石を使い、撫でるように刀身を磨くのだが、白山が行っている作業は、それとは全く異なる。

膝を立てて水をかけた砥石に、刃を滑らせるように研ぎ出してゆく。

アトレアは、真剣な眼差しで作業を続ける白山の横顔と、その仕草にじっと視線を注いでいた。


 研ぎ出しを終えた白山は、光に透かして刀身を眺め刃筋を確認すると、やがて満足したように頷いた。

ふと白山がアトレアの方を見ると、どこか遠くを見るように、呆けた表情でこちらを見ている。


「スマンな…… 退屈だったろう」


椿油で刀身を拭い、鞘に収めた白山は済まなそうにそう言うと、我に返ったのかアトレアが慌てて否定する。


「いや、そんな事はない! むしろ、もっと見ていたかったくらいだ!」


慌てて口にした台詞に、気恥ずかしい言葉が含まれていると気づいたアトレアは、更に慌てて言葉を重ねる。


「いっ、いやずっと見ていたいと言うのは作業であって……その……」



しどろもどろになりながらそう答えたアトレアの様子に、白山は 『はて?』 と思いながらも、なにか悪い気がして、それ以上追求をやめる。


「そうか…… それなら、稽古の代わりと言っては何だが、ひとつ型を教えよう。

モノにできれば、実戦でも役に立つはずだ」


 そう言った白山は、少し朱色の日差しが飛び込んでくる部屋の中で、手入れしたばかりの脇差しを腰に挟んだ。

アトレアは、少し赤くなった自分の顔を両手で覆いながらも、目線だけはしっかりと白山に向け、頷いた。



 鯉口を切り、静かに脇差しを抜いた白山は、切先を目線の高さに持ち上げ、正中線と刃筋を重ねる。

左手は鞘に添えられ、その姿にはまるで隙が見えなかった。


 先程までの慌てぶりがすっかり吹き飛んだアトレアは、真剣な表情を浮かべその所作を見つめていた。

張り詰めた糸のように静寂が周囲に満ちた瞬間、白山が流れるように動き出す。


 スッと、数歩進んだ白山は脇差しを持ち上げると、僅かにヒジの角度を変え刃筋を傾ける。

しかし、次の瞬間には逆方向へ剣閃が流れる。


アトレアは、息を呑んだ……


 虚空に現れたそこに存在しない相手が浮かび上がり、今の一連の動きの意味がありありと解った。

傾けた刃筋で、相手の剣を受け止めた後に動きを止めず、流れるように相手の胴に脇差しが吸い込まれる。

未熟な者が見れば、只歩いたに過ぎないその動きは、これまで修練を積んできたアトレアにとっては恐ろしい程、滑らかな攻防だった。


 これまでの浮ついた気持ちなどどこかに消え失せ、その動きを目に焼き付けたアトレアは、早速空身でその動きを真似る。

ヒュッ…… っと、風切り音を鳴らし、脇差しを振り納刀した白山は、アトレアのそんな動きを確かめる。


「違う……手首じゃない。 ヒジから動かすんだ」


 そう言ってアトレアの腕を握った白山に、思わずアトレアは身を硬くする。

元から気配が希薄な白山の、不意打ちに近い接近にアトレアは驚き、一時忘れていた気恥ずかしさがぶり返す。


 顔を赤くしながらも何とか動きを修正し、次第に所作が体に染み付いてくる。

後は習った所作を、反復して覚えこむだけだ……


 短い指導を終え、そろそろ夕食の時間が近づいてくる。

稽古が終わり礼を言ったアトレアは、後ろ髪を引かれる想いで、ゆっくりと右手を差し出す。


「突然押しかけて、済まなかった……」


 そう言ったアトレアは、白山と握手を交わす。

ゴツゴツとした手が、合わされてしっかりと握られた互いの手に、アトレアは少し考え込む。



「女らしくない手……だよな……」



 不意にそう口を突いて出た言葉に、僅かに表情を曇らせたアトレアに、手を握ったままの白山が声をかける。


「いや、努力を重ねた手だ…… 俺は好きだな」


その言葉に、アトレアは息を詰まらせる……


「……ありがとう……」


赤くなった顔を見られないように、そっぽを向いたアトレアは小さな声でそう言うと、ゆっくりと手を離し部屋を後にした。



 廊下を歩きながらアトレアは、白山と握手をした右手をじっと見つめ、白山の言葉を思い返す。

そしてゆっくりと自身の感情を咀嚼する。

廊下の只中で立ち止まったアトレアは、その感情に気づいた。


「好きか……」


ポツリと呟いたアトレアは、少しだけ嬉しそうに部屋に戻っていった……




 夕食会は和やかに、関所での戦闘の話などを語りながら過ぎてゆく。


「ん~、リオンちゃん欲しいんだけど……僕の副官に」



 アッツォから飛び出した突然の引き抜き宣言に、アトレアも驚いたが、僅かに仄暗い感情が湧き上がる。


『もし、ここでリオンがアッツォの許へ行けば……』


 その感情を慌てて頭を振り、打ち消したアトレアは、水を咽た白山を見て、黙ってその返答を待っていた。


「いや、失礼…… 突然の事で驚いてしまった。

引き抜きの件だが、本人が望めば別だが、俺個人としてはリオンを手放すつもりはない」



それを聞いたアトレアは、少し複雑な感情を覚えながらも、仲間を大切にする白山の回答に安堵していた……



 食事が終わり部屋に戻ったアトレアは、白山に抱いたこの好意をどうすべきか、一人思い悩んでいた。

身近にこうした色恋を相談できるような人間は居ないし、自分にとっても初めての経験だ。



 不意にノックの音が、思考を中断させる。

何か不測の事態でも起きたかと、素早くドアに向かったアトレアは珍しい来客に驚く。


そこには、今回白山に同行したという、斥候隊長のクリストフが立っていた。


 話を聞けば鎮めのワインを、呑む面子を募っているとの事だった。

場所が、白山の部屋との事で思わぬチャンスに、勿論と即答したアトレアは、部屋を出ようとして気づいた。


 湯浴みをし、簡素な部屋着に着替えていたアトレアは、胸のサラシも既に外しており、珍しくアトレアは慌てる。

これからサラシを巻いていたのでは間に合わない。しかし、こんな格好で行って良いものかどうか、逡巡してしまう。


 結局、胸はそのまま上着を羽織り、部屋を出たアトレアだったが、果たしてこの格好で良かったのかと悩む。

そうこうしているうちに、白山の部屋に辿り着いてしまう。



 部屋の扉をノックしたアトレアを出迎えたのは、白山本人だった。

出てくるのはリオンかと思っていたアトレアは、自分の格好が気になり胸元を隠すが、それは胸を強調する結果となってしまう。


「済まない…… こんな格好で」


そう言いながら白山から視線を外すが、同じように白山もアトレアの胸に視線が行かないように、あさっての方向を向いていた。


「まあ、入ってくれ……」


恥ずかしそうにそう言った白山に、アトレアは意外な一面を見た気がして少しだけ嬉しくなる。


ほんの少しだけ、アトレアとリオンの目が合う。

お互いに白山の側にいられる事に、安らぎを覚えている者同士……

何か感じ合った二人は、軽く微笑み合った。



「勝利と平和に…… そして、散っていった戦士達へ……」



そんな白山の乾杯の合図で始まった簡素な宴は、何か家族のような暖かさを、アトレアに感じさせていた。


「今は、これでいいか……」



笑顔の白山の横顔を肴に、ワインを傾けるアトレアは、そんな小さな独り言を漏らし、会話の輪に加わって行った…………


ご意見ご感想、お待ちしておりますm(__)m


【追記】

第9話の後ろに、短編を追加しております。

http://ncode.syosetu.com/n2844bt/10/


お時間のある方は、こちらもよろしくお願いしますm(__)m

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