捕虜と被害と移動と報告
白山の胸に迫った凶刃は、最短距離で繰り出される。
突然上げられた『危ない!』という声に反応した白山は、横に突き飛ばされた兵長の動きでその危険を察知した。
迫り来るナイフの冷たい切先を躱す余裕はない……
覚悟を決めた白山は、胸のプレートキャリアでナイフを受け止める。
ゴツン…… という鈍い音と共に、ナイフがセラミックプレートで阻止された。
大口径ライフル弾の高速・複数着弾に対応するプレートは、その性能を遺憾なく発揮して白山を凶刃から防護する。
次の瞬間、胸への刺突が失敗だと悟った隊長はナイフを引き抜き、首筋を狙うべく再度振り上げる……
残る力を振り絞って、腕を振りぬいた瞬間…… 隊長は仕留めたと確信していた。
しかし、次の瞬間に訪れたのは、右腕から噴水のように吹き出す血液だった……
M4は背中に回されていた為、白山は長年の稽古で染み付いた所作で脇差を抜刀した。
その剣閃は正確に隊長の手首を切り飛ばし、白山の首に向けられていたナイフごとボトリと地面に落下する。
一呼吸遅れてその事実に気づいた隊長は、悲鳴を上げ失った手首を凝視するが、そこで騒ぎを聞きつけた周囲の兵達に取り押さえられた。
襲撃に失敗し、上にのしかかられ手首を失った痛みで苦悶とも、慟哭ともつかない声を上げる隊長に、周囲の兵が剣を突き立てようとする。
これで戦場に散れる。 隊長はそう安堵したが、かけられた声に兵達の手が止まった。
「待て……!」
剣を振りかぶる兵を止めたのは、隊長が狙った当人である白山だった……
白山は脇差を右手に携えたまま無言で隊長を見下ろすと、納刀してしゃがみ込む。
取り押さえられた隊長は、訳が分からず白山を睨みつけるが、その涼し気な視線は些かも動じていない。
「貴殿の所属と、役職をお聞かせ願えるかな……?」
戦闘モード特有の低く冷たい声で、ゆっくりと尋ねる白山の問に隊長は思わず口をつぐんだ。
そして誰かの手柄首になって散るのなら、それも定めかと考えた隊長は、少し黙ってから声を発した。
「シープリット皇国軍 第三騎兵隊 隊長 セザール・トゥーサンだ…… 首を刎ねるなら早くしろ……」
そんな言葉を吐いたセザールに白山はゆっくりと歩み寄り、拘束する兵をどけると、彼の切り飛ばされた腕の付け根をきつく縛る。
その痛みに呻いたセザール隊長は、自分の死に場所は戦場ではなく処刑台の上かとやや落胆した表情をのぞかせた……
「連行して傷の手当を…… ただし、敵とはいえ将官だ。適切な対応を取るように……」
取り押さえていた兵に、そう命じた白山は落ち込んだ表情を見せるセザールに声をかける。
「セザール殿には幾つか伺いたいことがありますので、傷を癒やして暫し静養を……」
この世界での戦場では、捕まった敵の将官は問答無用で手柄首にされるか、大将であれば公開処刑が常であった。
生かさず殺さずといった体で、民衆に石を投げられ苦痛の中処刑される。
自身の短い行く末をそんな風に想像していたセザールは、白山の行為に納得ができない。
白山の元から連行され傷の手当てを受けた時、そこで皇国軍の兵達が同じように治療を受けている様を見て驚く。
この時代では捕虜交換で身代金を得るか、末端の兵であれば戦争奴隷として連行されるのが当然だった。
それなのに、ここでは王国兵にまじり皇国の兵隊、それも末端の兵まで簡素ながらも手当てを受けている。
捕虜の価値もない怪我で奴隷に向かないと判断されれば、そこで始末されるか放置が当然のはずだというのに……
「何故、我が国の兵達まで手当てを受けているのだ……?」
その光景に疑問を感じたセザールは、腕の痛みも忘れ両脇を抱える兵に尋ねる。
返ってきた答えに益々判らなくなる。
「いえ、ホワイト様のご命令です。 なんでも捕虜には最低限の手当てと、待遇を与えろと言われている……」
言葉短く告げた兵は、自身も納得していないのか押し殺した声でそう答えた兵は、手当ての順番の列にセザールを並ばせた……
セザールの襲撃を間一髪で凌いだ白山は、ある程度の指示を終え、関所の内部へと戻る。
そこにはアトレアやゴーシュが一室に揃っていた。
鎧戸が開けられ、ようやく陽の光が差し込んだ室内は、今朝までの緊張した空気が薄れつつあった。
ややあって、ダブレットを抱えたリオンが白山の元へ歩み寄り、バードアイのリアルタイム画像が映しだされたそれを手渡してくれる。
「何か、ありましたか?」
リオンが、胸元に穿たれたプレートの傷を目ざとく発見し、真剣な表情で訪ねてくる。
「ちょっと、ぶつけた……」
そう言葉を濁した白山は、リオンに正直に伝えればセザールを仕留めに動く可能性があると思ってはぐらかす。
訝しげな表情で聞いていたリオンは、それ以上追求はせずタブレットの画像の内容を説明してくれる。
「現在、砦前の防御陣地に敵歩兵が到達し、戦闘が開始されました。
それから、退却した敵の騎兵が皇国の砦に辿り着き、数騎の伝令と思われる兵が前線の歩兵部隊に向けて出発しました」
それを聞いた白山は、騎兵隊の敗北が歩兵隊に伝われば皇国は兵を退くだろうと考え、安堵した。
席に座った白山は、同じように安堵したゴーシュとアトレアの表情を見て、戦闘が一区切りついたことを改めて実感する。
「アトレア殿、まずは礼を申し上げる。 貴殿の助力がなければ関所は落ちていた」
ゴーシュの言葉にアトレアは、夜を徹して駆けつけた疲れも見せず落ち着いた表情でゴーシュに言葉を返す。
「いや、こちらこそ遅くなって済まない。 だが、本当に間に合ってよかった……」
そういって、チラリと白山の方に視線を向けたアトレアは、白山に言葉を促した。
「アトレア、本当に助かったよ……
短い準備期間で、よくあれだけの銃を扱える人員を育てたな……」
白山は、そう言ってニッコリと微笑むと満足したようにアトレアも笑みを返してくれる。
「砦近辺の状況がハッキリしなければ完全に安心とは言えないが、まずはある程度、事態は落ち着いたと言えるだろう」
そう切り出したゴーシュの言葉に、白山は先程リオンから受け取ったタブレットの画像を見せ、現状を説明する。
昼過ぎに一戦を行ったアッツォ率いる王国側の防衛隊と皇国軍は、膠着状態となり皇国側が一旦部隊を退いていた。
現在はにらみ合いを続けている……
皇国軍としては砦の耳目を自分達に向けさせ、砦からモルガーナへの兵の送出を阻止する役目が主目的であり、砦を落とすべく猛攻を仕掛け徒に兵力を消耗する必要はないのだ。
遠巻きにでも布陣して、自軍の存在を無視できない状況に持ち込めれば、それで目的は達せられる。
アトレアによれば、第一軍団の銃器隊の分遣隊は、アッツォ達の防衛隊が苦境に陥った場合のみ、支援するように命令してあるという。
これは、白山とも事前に打ち合わせていた事で、ザトレフ第三軍団長に、銃の威力を秘匿する目的も含まれている。
急進的な貴族派であるザトレフが、銃の威力を間近に見れば、いらぬトラブルが発生しかねない……
そう考えて、連絡要員との名目で銃を秘匿し、砦の内部で待機している。
これからの戦後処理や、戦果・被害の確認を簡単に済ませた三人は、ギリギリの状況だった事を改めて実感する。
王国軍の被害は、死者が四七名 負傷者は百三十一名を数えている。
皇国軍の被害については現状定かではないが、関所前の遺体は四百を超えるとの報告が上がっていた。
少し遅い昼食を白山達が摂り始めた頃、皇国軍の歩兵隊が伝令を受け撤退していったと、リオンが報告してくれる。
これで、戦闘はすべて終わった……
暫くは再度の侵出に備えて防備を解くことは出来ないが、事態は沈静化に向かうだろう。
ここからは政治の仕事であって、軍人である白山の仕事は概ねが終わったと言える。
撤退の報を聞き、アトレアとゴーシュにその場を任せ、昼過ぎから夕方にかけて武器や車両の整備を行った。
カーボンがこびりついた銃を清掃し、車両の汚れを落とす。
そんな白山の様子を兵達が遠巻きに見ていたが、やがて恐る恐る白山に声をかけ、賞賛やお礼の言葉をかけてくれる。
そして手の開いている者は、車両の清掃を手助けしてくれた。
水を含ませた藁束で車体を擦り、泥汚れを落としてくれる。
誰かが、荷台に散乱した空薬莢を眺め、それを貰えないかと訪ねてくる。
聞けば記念にお守りにしたいとの事だった……
敵に斬り殺される直前、白山の銃弾に救われたその兵士が切り出した言葉に、周囲の兵士も我先にと薬莢を求め始める。
苦笑しながらその求めに応じた白山は、大小様々な薬莢を手渡し握手を交わす。
その笑顔と明るい表情に、どこか満足感と満ち足りた気持ちを感じた白山は和やかな雰囲気の中、兵達との間に確かな絆を感じていた……
陰に生き、特殊作戦の世界にどっぷりと浸かっていた白山にとって、こうした戦勝の喜びとはこれまで無縁だった。
Sとして、駐屯地内や作戦中も一般部隊や外界と隔絶され、出入国ですら夜間の輸送機で極秘ということも日常茶飯事であった。
それが、こうして兵達から囲まれて戦勝の感覚を共有できると言うのは、白山にとって何より得難い報酬と言えた。
昨夜はたっぷりと睡眠をとった白山とリオンは、幾分気怠い体を引きずりながらも、砦に出立する為の準備を整える。
と言っても背嚢に簡単な私物や装備をまとめるだけであり、朝食後の短い時間でそれは整った。
今回はアトレアも同行することになる。
昨日の夕方に行った王都との定時報告で、皇国軍の撤退を報告した白山達は王都への帰還と、今後の対応について砦での協議を打診されていた。
アトレアは、興奮した様子で高機動車を眺め、車両見張りを引き受けてくれた関所の兵長と、これまでの戦闘での白山の活躍ぶりを熱心に聞いている。
そこに、斥候隊長であるクリストフも、幾分疲れが抜けた顔を見せながら、こちらにやって来た。
クリストフも白山の戦果を報告するため、護衛を兼ねて砦に向かうことになっている。
第一軍団の銃器隊はもう数日関所に留まり、皇国の再侵攻を警戒した後に本隊と合流する手はずになっており、とりあえずは関所を抜かれる心配は少ない。
白山とリオン、そしてアトレアとその従兵そしてクリストフの五名が高機動車に乗り込むと出発の準備は整った。
エンジンを掛けた高機動車の周囲にどこから聞きつけたのか、次第に人が集まってくる……
関所の処理を任されたゴーシュが歩み寄り、運転席のドア越しに白山と握手を交わした。
人垣をかき分けるように、ゆっくりと進み出した高機動車に兵達の歓声が向けられる。
やや戸惑いながらもその歓声を背中に受け、白山達は国境の関所を後にして一路ビネダ砦へ向かっていった……
皇国の侵攻の影響で、モルガーナの街やラモナまでの街道は閑散としており、比較的早いペースで街道を飛ばしてゆく。
クリストフは数日前の記憶を懐かしむような表情で、昼間の移動を楽しみ、アトレアは興奮した表情で時折、重機関銃の銃座に登ってそこから流れる景色を感動した様子で体感している。
街中では、相変わらず高機動車の姿に驚く住人に苦笑させられたが、ラモナを通過するとそれも途絶えた。
次第に数日前に出発したビネダ砦が近づいてくる。
どこか懐かしい気もするが、ここからまた厄介な仕事が待っているのだ……
戦勝の報を受けているにも関わらず、何かピリピリとした雰囲気の砦に辿り着いた白山は、夕方を背に跳ね橋をゆっくりと潜っていった……
白山は本部前に高機動車を停めると、幾つかの荷物を背負いそのまま指揮所を目指した。
アトレアは本部に入る前に従兵に指示を出し、砦で待機する銃隊を掌握するように命令している。
先程までの車両に興奮していた無邪気な表情は消え、軍団長としての厳しい表情がそこにはあった。
指揮所に到達すると、警備の兵にザトレフ軍団長と第二連隊長を呼び出すように伝え、指揮所の机に荷物を置く。
程なくして怒り心頭と言った表情で、ザトレフと第二連隊長のロルダンが取り巻きと共に姿を現した。
憤然としたその表情に、冷めた視線を向けながらも白山は帰還の報告を行う。
「第三軍団長代理 ホワイト 所定の任務を終え、帰還致しました」
敬礼とともにそう報告した白山を無視して、ザトレフはどっかりと椅子に腰掛ける。
「第一連隊をそそのかして手柄を独り占めして、さぞや満足だろうな」
本来であれば、砦には少数の守備隊を残し、第二連隊も防御線の戦列に加えていれば、最終的な窮地は訪れなかった可能性が高い。
自身の保身を優先して籠城を決め込んだ態度を棚に上げ、そう言い放ったザトレフに白山は怒りを覚えるが、それを飲み込んで会話を続ける。
「敵騎兵については、国境関所までの防御陣地で潰走…… これを受け、昨日砦に向けられた歩兵も撤退致しました。
現在まで判明している被害は、死者が四七名 負傷者は百三十一名 となっております」
その言葉に、ざわめいた指揮所の空気を無視して、白山は報告を続けていった…………
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