水泳と合流と射撃の合図
白山は、白み始めた空を眺めながら可能な限りの速度で高機動車を走らせた。
アウネ川の上流にぶつかり、両岸の地形と水深を測り問題がないと判断した白山は、エンジンを吹かすと迷わずに川に車両を乗り入れた。
左右に水しぶきを巻き上げながら何とか渡河に成功し、再び高機動車は走り始める。
床面や白山達の足元はずぶ濡れで、川の水はひどく冷たかった。
それでも構わず南へ走り続ける。
この状況では、存在が露見する事も致し方ない。それよりも今は速度だ。
最大限の速度でアウネ川沿いを飛ばしてきた白山達は、街道にかかる橋から約1kmの地点に辿り着く。
身を切る風と先ほどの渡河、そして強まる雨で、体は冷えきっていたが、今はそれ所ではない。
寒さを意識の外に追いやり、カロリーを生み出すべく乱雑に口へチョコレートを押しこみ、じっと橋を観察する。
このまま突入して攻撃をかけるのは容易いが、相手を取り逃がして増援を呼ばれては厄介だ……
白山は、手早く情況を確認すると行動計画を考えるために素早く藪の際に伏せて、双眼鏡を使い地形と配置をつぶさに観察する。
橋の構造は木製で、基部は石造り。
これは、増水して流された場合の修復を容易にするためか、それとも建築技術の問題なのか……
左右の川岸は葦がまばらに生え、白山が観察する北側の両岸は河原になっており、橋の南側は急激に右へ曲がり川岸は大きくえぐられ崖のようになっていた。
肝心の敵情は橋の左右の両岸に天幕が設営されている。
サイズ的には、4人用といった所だ。そこに両岸を向いて立番をする兵が2名ずつ。
そして、東…… つまり皇国側の岸沿いには同じような天幕が少し離れて4つ 周囲には馬が繋がれ、かまどが作られている。
早朝の日の出前だからだろう。まだ、かまどの周囲には兵の姿はなかった。
再び立哨中の兵に目を移す。
左側の兵士は居眠りをしており、緊張感のなさが伺えるが右側の兵士は何やら横の兵と談笑している。
眠気を紛らわす為だろうか……
ざっと見て、情況を確認した白山は素早く作戦を組み立てる。
リオンを手招くと、簡潔に作戦内容を告げる。
「リオン、ステルスでやる。右の2名と天幕の中をやれ……
接近は任意、射撃位置についたら合図を送れ。襲撃のタイミングは無線で知らせる。
br<バンダレイ>は、橋中央……
万一ブレイク<露見>した場合は、区画内掃討後対岸から支援」
その言葉にリオンは静かに頷き、それを見た白山はクリストフを手招きする。
「俺達は、これから橋の敵兵を仕留める。
だが、第1連隊の部隊がこちらに接近しているはずだ……
同士討ちは不味い…… 途中までリオンに同行して国境へ向かってくれ。
味方を発見したら事情を伝えて、待機するように連絡して欲しい」
クリストフも白山の言葉に頷くと、リオンに視線を合わせる。
リオンとアイコンタクトを取ったクリストフは、ゆっくりと茂みを利用して前進を開始した。
大きく息を吐いて、真っ直ぐ橋の方向を見据えた白山は、高機動車から背嚢を取り出すと川に向けてゆっくりと進み出した……
川岸の河原、橋からは死角になる箇所に片膝をついた白山は、素早くポンチョで背嚢をくるむと即席の浮き具を作成する。
それを手にして、ゆっくりと川に入ってゆく。
気温は20度前後だが、水は身を切るように冷たい……
白山はゆっくり息を吐きながら腰までの水に浸かると、体を浮かすようにフワリと川底を蹴った。
背嚢にしがみつき、その上にM4を横倒しに載せた格好で、水面を滑るように移動する。
川の流れは北から南へ…… つまり橋の方に向けて流れている。
体を横倒しにして、水の流れに逆らわないようにゆっくりと川を斜めに横断してゆく。
途中、視界に橋が映り緊張が走る。
しかし、周囲の薄暗さと露出を最小限にした体勢は、この距離なら発見は難しいだろう。
そう信じて川幅の中程まで進む。
次第に足元が深くなりつま先立ちでやっと触れる程度の深さになる。
ブーツを履いた足で、必死に水をかき体を進める。
服の重さとまとわり付く水の抵抗、降り始めた雨で増水し始めた川がその威力を白山へ押し寄せた。
一瞬、流れに巻き込まれ水中に没した白山は、方向感覚を失いかけるが力を抜き浮き具の浮力を信じた。
数瞬の水流から文字通りの洗礼を受け、水面から顔を出した白山は、大きく息を吸い足に力を込める。
川底に砂利の感触を感じ、ぬめる苔に足を取られながらも必死で体を進める。
永い時間が経過したような感覚に囚われるが、時間にして5分程度だろう……
ようやく対岸に辿り着いた白山は、100m程下流に到達出来た。
上がる呼吸を必死に抑えこみ、背嚢を引きずって茂みの陰に身を潜める。
呼吸を整えながらM4の内部に入り込んだ水を切り、準備を整える。
対岸を見るがリオンとクリストフの姿は見えない……
こちらも急がなければ……
白山は、急激な運動で痛む肺を意識の外に追いやり、大きく行きを吸い込むと滴る水滴も構わず、ゆっくりと橋に接近していった……
**************
ゴーシュ連隊長は静かに部隊を進めていた……
70名の腕の立つ人数を集め、襲撃部隊を編成し密かに街道沿いの森の際を静かに東へ進んでいた。
斥候隊の報告では、この先は森が切れた所から、橋までは100m程距離があると報告を受けている。
橋まで800mほどの所で森の中に入り、姿を隠しながらゆっくりと進む。
一歩ずつ、慎重に地面を踏みしめながら進み500mほどまで接近した所で、不意に前方の茂みがガサリと揺れる。
兵達の手が剣に伸び、弓をつがえ周囲の緊張感が一気に高まる……
「待て! 俺だっ!!」
鋭く、それでいて小さい声がかすかに響き、緊張感を保ったまま兵の一人が声をかける。
「誰だ!」
「斥候隊長のクリストフだ!」
その声にかぶせるように返答したクリストフは、上下する肩を必死に堪えながら静かに声を出す。
「ゴーシュ殿はどこにいる。 緊急だ!」
有無をいわさず語りかける。
その迫力に気圧されたのか、ゆっくりと姿を現したクリストフに声をかけた兵は、無言で手招きをする。
その姿を見て、周囲の兵達が持つ弓は引き絞っていた力が弱まり、剣を下ろす。
後方へ案内されたクリストフは、少し先の茂みの奥に連れて行かれる。
そこは少し開けた空き地のようになっており、幾人かの男達が目立たぬように指示を飛ばしていた。
その中心に位置していたゴーシュは、前から兵に連れられてやって来る人影を認め、怪訝そうな顔を浮かべる。
顔が識別出来る距離まで近づいた時、此方に向かってくる男がクリストフだと気付き驚いた。
「クリストフ! こんな所で何をしておる!」
目を見開き、思わず声を上げたゴーシュへ声を落とすよう仕草で伝えた。
同じようにヒザをつき耳に顔を寄せたクリストフが小声で伝える。
「ゴーシュ殿、今すぐ軍を留めて下さい。 橋はホワイト殿が落とすそうです……」
「なんと……!」
小さくだが驚いたゴーシュは、直ちに副官を呼び、進軍を停止させるよう指示を出す。
副官は、僅かに頷くと指示を伝えるため前に向けて小走りで去ってゆく。
クリストフはその副官の背中を見て、やっと任務を達成したと感じ安堵のため息をついた……
その様子を見たゴーシュが静かに問いかけた。
「かなり疲れているようだが、ホワイト殿の働きはどうであった?」
その言葉に、ゆっくりと首を横に振ったクリストフは静かに口を開いた。
「まさに鬼神です…… この目で皇国軍の輜重隊と宿営地に、大打撃を与える様をハッキリと見ました」
その言葉に驚いたゴーシュは、目を見開き言葉を失う。
「私も当初は目を疑い、言葉を失いました…… しかし、紛れも無い事実です……」
そう答えたクリストフは、遥か遠くを見るように目を細めやがて口を開く。
「恐らく、第1連隊が全力で当たっても、姿を見る事なく壊滅させられるでしょう……」
視線を動かさずそう言ったクリストフの表情を見て、ゴーシュはその言葉に何ら誇張はないのだろうと直感的に理解していた……
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川を渡りきった白山は、生い茂る葦と低い低木の茂みを隠蔽物として、迅速に橋に接近していった。
茂みが途切れると、ゆっくりと下生えに身を伏せ匍匐で距離を詰める。
ゆっくりと顔を上げ橋の方向を覗くと、距離は約70mほど……
天幕と歩哨の姿がハッキリと見える。
しかし橋の高低差から、2名いる筈の歩哨の片方が視界に入らない。
白山は首を動かさず、眼球のみを動かして周囲の情況を探る……
果たして、左側にある雑木林の際に、先程の天幕の群れが僅かに見えた。
この位置からは詳細は見えないが、特段の動きがあるようには感じられない。
白山はゆっくりと後ろに戻ると、なるべく目立たないよう横に移動し今度は森の際に取り付く。
そこから再び匍匐でギリギリまで近づくと、今度は2名の歩哨がハッキリと確認できる。
胸元のプレストークスイッチを操作すると、リオンから即座に反応がある。
カチカチ カチカチ <コチラ準備完了、そちらの情況送れ……>
カチカチ <配置完了、準備よし>
カチカチ <了解…… スタンバイ>
声を出せない状況で、スイッチが出す微かな空電音を合図に会話を交わす白山とリオンは、無言でそのタイミングを図る。
カチカチ カチカチ <GO!>
そこからの行動は迅速だった……
白山は、素早くダットサイトを覗き込み2名の歩哨の頭部に照準を合わせ、静かにトリガーを絞る。
パシッっと言う、減音されてもなお鋭さを感じさせる銃声が、川の流れる音でかき消される程の音量で響く。
銃に付着した水滴が射撃の衝撃で周囲に跳ね、銃身から僅かに水蒸気が昇る……
そしてそれに呼応するように、狙い違わず2名の歩哨が崩れ落ちる。
射撃を終えた白山は立ち上がり、周囲を警戒するとすぐにテントの群れに向け、音を立てずにスルスルと移動を開始した……
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リオンは白山から命令が下達されてから直ぐに行動を起こす。
クリストフと共に素早く森の際と、葦の藪の横を駆け抜ける。
一旦停止したリオンは、クリストフに目線を送ると手で右手の森を示す。
その意図を理解したクリストフは、頷くと一目散に走りやがて森の中へ消えていった。
鋭敏なリオンの感覚は、姿こそ見えないがクリストフが消えた森の中に、何者かが蠢く気配と殺気を感じ取っていた。
既の所で間に合った……
そう思ったリオンは、改めて目標に接近するため意識を橋に振り向ける。
このまま森の際を伝っていけば、射線は取れるが射距離が長くなる……
MP7の4.6mm x 30弾は弾頭重量や初速が、白山のM4カービンが使用する5.56x45mm NATO弾より低い。
つまりは、威力がやや低いのだ……
リオンはそう考え、100m程の開けた場所を一気に駆け抜ける。
影として培われた俊敏さと天性のバネがそれを可能にさせ、無事川に近い茂みに到達する。
ここからは俊敏さではなく、忍耐力が要求されるだろう……
にじり寄るように姿勢を低く、ゆっくりと踏みしめるように慎重な足運びでリオンは歩みを続けた。
藪の際へ手が届きそうな距離に到達すると、リオンはその場にゆっくりと伏せ、MP7を構える。
相変わらず兵達が何か談笑している光景が、ダットサイトを通して見えるが彼らの命を刈ることに何ら抵抗は感じない。
ここでしくじれば白山も、そして…… 白山が守ろうとしているものも露と消えるのだ……
指、腕…… そしてヒジの接地面、肩付け、頬付け、銃軸線……
リオンは白山からの教えを忠実に守りながら射撃姿勢を造り、白山からの合図を待った。
カチカチ カチカチ……
暫く姿勢を維持していると、待望の連絡がリオンの耳に届く。
即座に返答を送ると、一拍置いて明瞭な開始の合図が聞こえる。
カチカチ カチカチ……!
その瞬間、リオンはダットサイトの照準を一人目の胸部に合わせトリガーを引き絞る。
プシッ……とM4よりも小さな射撃音が、合計で4発響く。
やや、間があって胸を押さえた兵二人が、くぐもった声を残してその場に倒れる。
手応えは感じた…… それでも油断なく倒れた兵と周囲を警戒しつつ、橋に接近してゆく。
袂までたどり着くと、橋の反対側に居た兵士が倒れているのが見える……
白山が仕留めたのだろう……
素早く、自分が倒した兵に近づくと、まだ息のある兵達の頭部に、1発ずつ銃弾を叩き込み、後顧の憂いを断つ。
ビクリと震えた死体は、二度と起き上がらないだろう……
ざっと周囲を確認したリオンは、直ぐに天幕の中を確認する。
天幕の中は無人だった……
恐らく夜露を凌ぐために、歩哨が使うものだろう……
そう判断したリオンは、ドン! と言う大きな音で反射的に端の対岸に目を向ける。
そこには、並んで建てられた天幕の中心で炸裂する手榴弾の煙が立ち込めていた…………
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