敵襲と離脱と決断と
床についた騎馬隊の隊長は当初、その音に気付かなかった。
パンパンと、何かが炸裂するような音は、厚く高い城壁と、強まりつつある風にかき消されていた。
何か騒がしい……
そう思い体を横たえたまま、意識だけを覚醒させた隊長は、緩やかに鮮明になりつつある意識の中で、僅かに聞こえる騒ぎを感じ取った。
外の様子を確認しようと上体を起こした時、不意に荒々しいノックの音が部屋の扉から聞こえ、「入れ!」と鋭くそれに応える。
「報告致します! 城壁の物見から、宿営地で煙が発生していると伝達!」
その報告に隊長は眠気を振り払い、直ぐに報告に来た兵士へ問いただす。
「煙が発生とは何だ? 火事か?」
その報告に、兵は困惑した表情を浮かべながらも伝えられた内容を返答する。
「分かりません…… しかし、尋常ではない量の煙との事、そして宿営地には火の手は見えないとの事です」
一向に要領を得ない報告に、苛立ちを覚えた隊長はもっと詳しい内容を持ってこいと兵を叱責し、ベッドを降りると上着を羽織る。
窓から見える城壁では、松明を手に警備の兵達が慌ただしく動く様子が確認できる。
昨日の輜重隊の一件で不安になった兵達が、霧や湯気を見間違い混乱しているのかと訝しむが、耳に聞こえてくる外の騒ぎに隊長は何かの違和感を感じた。
『何かが起きている……』
隊長としての勘が、外の様子に激しく警鐘を鳴らし始める。
愛用の剣を手に持つと、隊長は素早く外の状況を確認しようと、城壁へ向かう旨を周囲に伝え部屋を飛び出した。
途中、慌ただしく動き回る兵士達を捕まえ10名ほどを確保し、その者達を連れて城壁へ向かったその時だった……
まるで落雷の様な、ドン!と腹に響く音が城壁の向こうから響き渡る。
「何の音だ!」
隊長は咄嗟に、周囲に応えを求めるがその音の正体に心当たりがある者は誰も居ない。
皆、周囲を不安げに見渡しながら、答えを探すがそれは徒労に終わった。
隊長は、足を早め半ば駆け足に近い速度で城壁を目指すが、その最中にも複数回、腹に響く胸騒ぎを掻き立てる音が響く。
それが重なるに連れて、悲鳴や怒声狂乱の声が、近づきつつある城壁の向こうから響いてきた。
隊長が螺旋階段を登り、城壁の上へ辿り着き外の光景を目にした丁度その時…… 最終弾着が宿営地の中心部で炸裂する。
隊長は、周囲に立ち込める煙の中に何かが一瞬だけ光り、近くの天幕がズタズタになる光景を目の当たりにする。
「何だ!これは!」
見たことも聞いた事もない光景に反射的に、そう叫ぶが意識の片隅では別の事がハッキリと認識される。
どんな手段を使ったのかは判らないが、これは間違いなく自軍に対する攻撃であると……
「部隊を編成しろ、これは敵襲だ!
どんな兵器か魔法かは判らんが、これを行った敵兵が必ず近くにいる筈だ!
城門を開放し、無事な兵士を中に入れろ。 負傷者の救護は攻撃が収まってからだ!」
矢継ぎ早に指示を飛ばしながら、状況を把握しようと隊長は眼下に広がる地獄絵図から何かを読み取ろうと必死に視線を走らせた。
ドドドン! ドドドン!
次の瞬間だった……
これまでと違う種類の音が、北の方角から微かに響いた。
反射的にその音の正体を探ろうと、周囲に視線を走らせるが、煙に阻まれそれは叶わない。
しかし、その正体は存外早く隊長の眼前に現れた。
断続的に響く音にまじり、赤い閃光が宿営地へ飛び込むのがハッキリと見える。
矢よりも早く正確に、宿営地へ飛び込むその光弾は、安々と複数の天幕や人を貫き、あさっての方向へ跳ねたり地面に突き刺さる。
腕をもぎ取られ泣き叫ぶ兵
胴体に大穴が空いた死体……
倒れた篝火で、点々と天幕が燃えているのが判る……
ここに至って、隊長は確信する。
先の輜重隊の被害も目の前で起きている光景も、敵の攻撃であると……
「部隊の準備を急がせろ! この光弾の先に敵がいるぞ!」
次の瞬間だった、城門近くに半ばまで埋まる大岩に火花が散り、ブーン と虫の羽音のような音が鳴る。
バシッと衝撃を受けて、隊長は自分の意志とは関係なく、硬い石造りの床にねじり倒された……
意識が刈り取られるほどの衝撃と、頭部を流れる生暖かい感触に、不意に手を頭へむけた。
ベッタリと手のひらにまとわり付く赤黒い液体に、自分が負傷した事を隊長は悟った。
慌てて近づいてくる周囲の兵達に囲まれ、螺旋階段のある塔の中に担ぎ込まれた隊長は、傷の具合を尋ねる。
傷を診た兵士曰く、鋭利な刃物で切られたように側頭部が裂けていると言われ、隊長は慄然とする。
跳ね返った欠片が城壁まで届き、更に自身を傷つける威力を秘めている事に……
そして、宿営地に居た兵達の惨状に……
姿も見せず、これほどの損害を部隊に強いる敵の存在に、隊長は手当を受けながらも唇を噛み締め、恐怖を感じざるを得なかった……
**************
高機動車は襲撃を終えると、速度を上げ北を目指して闇夜の中を飛ばしていた。
いくら自身の存在を秘匿しようとも、本格的な攻勢を仕掛けたのだ。捜索の手は広範囲に及ぶだろう。
まずは、安全圏まで迅速に離脱する必要がある。
北上するに従って、徐々に勾配が出始め、昨日の潜伏地点周辺まで差し掛かった所で西へ進路を取る。
低木の茂みを避けながら、アップダウンの続く草原を慎重に踏破し、途中の小川を超えると国境に沿って進み暫く走る。
そろそろ時計は0300を示しており、潜伏場所を定める必要があるだろう。
白山はゆっくりと車両を停め、自己位置の再確認を行うと、潜伏場所の選定に移った。
与えられるだけの打撃は与えた。
後は、どうやって自軍部隊の側面支援を行うかに移行する時期だろう。
ここからは、偵察活動や支援任務に重点を置くべき段階に差し掛かっている。
個人火器の弾薬にはまだ余裕はあるが、敵の部隊に大きな打撃を与えられる程度の攻撃を実施できるかと言われれば、答えは否だろう。
本来であれば、補給支援や隠匿場所から物資を補給できる体制を整えるのだが、単独で動く白山達にはそうしたサポート体制は皆無だ。
それならば現有の資産で、出来る限りの事をするしかない……
程なくして、潜在拠点に向いた大岩と崖が目に留まる。
慣れた様子でクリストフが周辺警戒に加わり、車両の隠匿が完了する……
白山は、いつもの様に自分が最初の警戒に就こうとするが、クリストフがそれを制した。
「今夜は俺が先に警戒に立つ…… 」
言葉短くそう言って、警戒位置についたクリストフは、何処か吹っ切れた様なそんな表情をしている。
その言葉を白山はありがたく受けて、リオンと休息に入った。
しかし、休息と言ってもやらなければならない事は多い。
燃料の補充に使用した弾薬の再分配や武器の整備……
いつ移動する事になっても良いように、こうした事は睡眠や食事よりも優先される。
白山は、使った弾倉に弾を込め通常分解したM4に、ブラシを通して注油する。
武器の整備は部隊の火力を低下させないように、一人づつ行う事になっている。
白山の整備が終わり、その次にリオンが整備を実施する。
それが終われば、M2重機関銃の銃身を交換し、可動部への注油、そして 60mm 迫撃砲を整備する。
そうした雑事を終える頃には、随分と時間が経っていた……
周囲に少し明るさが出てきた頃、白山は弾薬のストックを点検し、チーム火器の弾薬残量を検討していた……
M240 7.62mm機関銃の弾薬はまだ十分に残っている。
M2は、100発のリンクが1本と半分少々……
手榴弾や個人火器の弾薬も問題ない。
60mm 迫撃砲は各砲弾が2発~4発程度とこちらも品薄だ。
残る大きい火力といえば、M72対戦車ロケット弾だが、こちらは4本が手付かずで残っている。
先ほどの襲撃で、今朝にも予定されていた皇国の進軍がどう転ぶかは判らない。
直接支援を実施するには、心もとない弾薬量だが、ここからどう作戦を考えるかは、白山にかかっている。
疲労と寝不足で少し痛む頭を精一杯使い、白山は検討を続けていた……
ポツポツと落ち始める雨粒が、白山の頬を濡らす。
今日は天気が荒れるようだ……
観天望気を試みようと、白山は空に目を向け雲の流れを見ようとする……
白山が視線を動かした瞬間、何かの違和感を感じる……
その違和感の正体を探ろうと地形に目を走らせ、双眼鏡を手に周囲を調べる。
「クソッ……」
白山は違和感の正体を確認すると思わず毒づいた。
アウネ川にかかる橋に、皇国軍が部隊を派遣している。
小隊規模の小さな部隊だが、橋を守護しているのは確かだ……
「不味いな……」
白山は、一人呟くと情況と時間を確認する。
ゴーシュ連隊長は、最終の陣地構築が完成するのは、明け方以降になると言っていた。
しかし最低限の人員しかいない部隊が、小規模とはいえ交戦を交えつつ、橋の向こうに陣地を築くのは容易ではない。
それに奴等を逃してしまえば、敵に情報が漏れ、準備が整う前に本隊が殺到する恐れもある……
白山は、決断を下した……
「リオン…… 偽装を外して出発の準備だ…… 橋を制圧する」
白山は、険しい顔でリオンに告げるとゆっくりと頷き、直ぐに出発準備に取り掛かった……
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※※ 皇国国境付近 第1連隊 ※※
「第2線、準備完了しました。 残りは最終線のみですね……」
報告に来た副官の言葉に、森の中で地図を見ていたゴーシュは、静かに頷くと口を開いた。
「では、最後の仕上げを行い、皇国軍の連中を驚かせてやろう……」
炭を塗った黒い顔から白い歯を見せ、ニヤリと笑った連隊長に副官は頷いて踵を返す。
白山が立案した作戦は、闇夜に乗じて密かに国境を超え、複数の防衛線を一晩で張るという、およそ発想の埒外にあるものだった。
しかし、その詳細は聞けば聞く程、実現できる可能性が高く、尚且つ味方の損害が少ない。
その作戦に老練な連隊長は実際に作られた障害を見て確信を深め、この作戦を実行することを決断していた。
そして今、大軍同士が戦場で対峙する時とは違った緊張感に包まれながら、ここまで順調に防衛線を築いている。
残すは、アウネ川の向こう…… 皇国の砦から目と鼻の先にある橋と袂へ、最後の陣地を作ればその準備は整う。
突如として目の前に現れる陣を見て驚き、侵攻を諦めるならそれで良し。
あくまで侵攻する気ならば、それ相応の報いを受けてもらう……
そうした心持ちで、ゴーシュ連隊長は暗い森を抜け出し、街道を東へ進み始めた。
前方を警戒する斥候隊から緊急の連絡が入ったのは、それからすぐの事だった。
目的地である橋に、皇国軍の警備隊が存在していると……
一旦進軍を停め、詳しい報告を聴き始めたゴーシュは、渋い顔で思案する。
報告では、100に満たない数の警備兵が存在しているとの事だったが、問題は自軍の数だ。
こちらの数は250名程で、奇襲をかければ倒せない数ではない。
しかし、損耗が大きくなり陣地の構築が遅れれば作戦は水泡に帰す。
それに取り逃がして応援を呼ばれては不味い。
この付近に防衛線を張るか……
いや、それでは迂回される危険がある。
それならば、後方の防衛線に戻り層を厚くするか……
それも、橋を落とせなければ後方から皇国軍の増援が押し寄せ、厳しい戦いになってしまう。
ならば、危険は承知で守備隊を攻撃するしかない……
ゴーシュはそう決断し、その旨を副官に伝達する。
最悪の場合は橋を落として撤退し時間を稼ぐだけでも、前に出た価値はあるだろう。
そう考え、歩兵を中心に戦闘部隊を前に上げ襲撃を行う部隊を整え始める。
「やれやれ、戦と女だけは思った通りに進まんのぅ……」
連隊長はそうぼやくと、夜明けの奇襲を指揮するため、前に進み始めた…………
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