暫しの休息と俯瞰と地獄
白山達は、薄っすらと輪郭が分かる程度に夜が明け始めた頃、車両の隠匿場所へたどり着いた。
リストコンパスで方角を一瞥した白山は、リオンを後方に下がらせ左右に腕を広げた状態でゆっくりと近づく。
すると、立ち木の陰から姿を現したクリストフが軽く手を挙げて白山を出迎える。
とりあえずは、友軍双撃の危険は回避されたようだ……
同じようにリオンを招き寄せた白山は、背嚢を下ろすと水を飲み人心地つく。
今日は、この後の花火見物以外に昼間はする事がない……
今夜からは明日にかけては、また厳しい日程が待っている。
リオンとクリストフに、交代で昼過ぎまで休む事を伝えた。
白山は高機動車の近くの立ち木へパラシュートコードを張り、そこにポンチョを掛けて低い屋根にすると、輪郭を覆い隠すように偽装網を重ねる。
クリストフの顔には、明らかな疲労が見て取れた。
無理もないだろう。これまでの任務は、訓練を受けていない人間にとっては苦行以外の何物でもない。
睡眠は途切れ途切れで、常時緊張を強いられる。
まして、昨夜は白山達が戻るまで、一睡もしてない……
少し考えると、白山は食事で士気を上げようと判断する。
本来であれば、敵地潜入中ならば煮炊きや炊事は厳禁となり、冷えた携行糧食やカロリーバーが主な食事となるが、この場所は敵の行動半径から十分に離れている。
夜が明けるまでに、温かい食事を腹に収め、昼の間はゆっくりと休憩をさせる必要があるだろう……
白山は簡素な屋根の下に浅い穴を掘ると、小さなアルコールバーナーでキャンティーンカップに湯を沸かし始める。
同時進行で、携行糧食を加水型のレーションヒーターを使い温めてゆく。
一呼吸置いて勢い良く水蒸気を発しながら膨らむヒーターの袋に、クリストフは驚いていた。
この世界に来た当初、最初に出会った商人のクローシュ達も、そう言えば驚いていたな……
そんな感慨を抱きながら、温かい飲み物と食事の支度をする。
スティックシュガーと粉ミルクを溶いた甘く温かい紅茶を渡し、温めた糧食を食べろとクリストフに指示を出す。
見張りをリオンと交代した白山は、リオンにも食事を摂るように促す。
「朝食のメニューは、チキントマト煮だ……」
そう告げると、リオンはニッコリと笑いポンチョの方へ足早に歩き出した。
リオンの好みを最近知った白山は、苦笑しながら樹の幹にゆっくりともたれかかり、見張りを引き継ぐ……
白み始めた空は少し朝もやがかかり、まるで別荘地の夜明けのような風情を感じさせる。
既にこの地域に馴染んでいる白山達は、ベースラインを乱す事なく本来の自然の流れに溶け込んでいた。
その証拠に、調和が乱されると真っ先に聞こえなくなる小鳥のさえずりや虫の音が、ごく近い位置から聞こえてくる。
己の五感をセンサーとして、不審な兆候を監視しながら思考だけを切り離し、今後の予定を組み立てる。
これから実施する爆破で、どの程度の被害が皇国軍に発生するかは未知数だ。
そこから皇国軍がどう行動するかについても判らない……
それでも最悪を想定し、そして味方へ最良の結果をもたらすように動かなければならない。
ここからが正念場になる……
少ない人数で動きまわり、僅かな休息しか取れない現状では持って5日が限度だろう。
能力が低下する前に、出来うる限りの損害を相手に与えなければならない。
方向性は決まった。
白山は、周囲の自然と同化しながら、その手順をじっくりと考えていった……
**************
朝日が高さを増し、雲の切れ間から時折その恵みを地上に分け与える。
夜明けから出発の準備を整えていた皇国軍は、その隊列を整えまもなく出発を迎えようとしていた。
昨夜は酒場に繰り出す者や、多少懐に余裕のある者は娼館へ消えて行った者もいる。
運悪く見張りに指定された者達にも、普段より量の多い食事やぶどう酒が出され、足止めによる不満や疲労はある程度解消されていた。
先日までより張りのある声で号令をかける兵長も、その声に反応する兵達も一様に明るい表情で準備を行う。
今回の遠征軍を預かる騎兵隊の隊長は、その様子を横目で見ながらまもなく始まるであろう戦に決意を改にする。
ここからムヒカの砦までは半日程度の距離だ。
明朝からは忙しくなる。今の所、王国側の反応は見られない。
物見によれば国境の関所で何やら動きが見られるが、大規模な部隊の動きは確認されていないと言う。
大方、砦に篭って防衛の準備を整えているか、部隊の動きが後手に回っているかだろう。
どちらにしろ我々の作戦通りに行けば、モルガーナを奪取するのはそれほど難しくない。
出発準備完了との報告を受けた隊長は、全軍に出発の号令をかけ長大な隊列がゆっくりと進み始める。
曇りがちな空は、明日以降崩れるかもしれない。
馬首を遥か先に見える砦へ向けながら、隊長は地平線と共に見える空を見据えていた。
そのはるか上空……
灰色の航空迷彩に塗られているバードアイは、ヴァラウスの上空から出発しつつある皇国軍の隊列を大口径レンズでその視界に捉えている。
その画像情報は背面に設置された太陽電池パネルと、筒状の風力発電モジュールによって生み出された電力で白山の元に伝送されていた。
リオンと交代して温かい食事と睡眠を摂った白山は、水に溶いたインスタントコーヒーとタブレットを並べ、隊列の様子をじっと伺っている。
昨晩の仕掛けが施されたカーブまでは、約12kmといった所だろう……
本来であれば、目視距離で爆破と襲撃を実施したかったが、平地が続く街道沿いでは離脱が困難だった……
その為、十分に離れている現在地点からの遠隔爆破を選択した白山は、ずっと画面を注視している。
亀の歩みにも似た隊列の動きは、画像を眺める白山にとってはもどかしさを感じさせるが、それをぐっと飲み込むとじっとその時を待つ。
暫く時間が経過して、ようやく先頭がカーブに差し掛かる……
深呼吸をしてから、タブレットから別のアプリを呼び出す。
2画面表示に分割した状態で『特殊作戦統合戦術ネット』……
通称Sネットを立ち上げた白山は大部分が使用不能と出ているコンソールを無視して目的のシステムを選択する。
新野外通信システムから独立・発展した、特殊作戦用戦術ネットワークは、司令部との通信や航空誘導及び艦艇との通信
地図画像情報の送受信といった特殊作戦に必要不可欠なデータを統合したシステムになっている。
そして、このソフトには対人障害システムの原理を応用した、監視装置 兼 独立周波数の爆破指令回線が備わっている。
パスコードを打ち込み通信を確認した白山は、隊列が通過するのをじっと見つめている。
狙いは輜重隊の馬車や補給品だった。
2km近い隊列が騎兵から歩兵と順にカーブを通過してゆく……
画面の端に馬車や荷車の姿が映ってくる。
再度パスコードを打ち込み、起爆選択画面が表示されると、白山はクレイモアを選択する。
先頭をクレイモアで爆破し、足を止めた所に連鎖爆破を実行する……
じっとその時を待つ白山は、冷たいコーヒーを一口含むと心を落ち着かせる。
適切な設置は出来ているか、不発はしないか……
考えればきりがない……
そうした不安を頭の中から追い出すと、画像をじっと睨みその時を待つ……
行軍は順調に推移している。
空模様は砦に入るまでは保ちそうだ。
徐々に雲が増える空を見ながら、隊長はカーブを抜けて目と鼻の先にある砦を見て少し安堵する。
砦に入り次第、軍議を行い明朝の出撃を遅滞なく行う。
天候が崩れるならば、奇襲の要素も自分達に味方する。
そう考えていた時、後方で落雷にも似た重低音が響き空気が震えるのが感じられる。
「何が起きた! 何の音だ!?」
その音に騒然とする兵と怯える馬をなだめ、隊長は指示を飛ばす。
進軍を停め斥候を放った隊長は、器用にその場で馬を回転させ後方を振り返る。
するとそこには薄い煙が立ち上り、後方で騒ぎが起きているのが判る。
「敵襲に備えて周辺を警戒せよ!」
よく通る声で兵達に指示を出した隊長は、王国軍の奇襲かと考えるが、周囲にそれらしき敵兵の姿は見えない。
後方の様子を見に行く為、数騎の騎兵が後方へ走ってゆくのが隊長の目に映る。
そして、次の瞬間にそれは発生した……
ドドドンッ!!
天地を揺るがすような轟音とともに、先程とは比べ物にならない程の煙と炎そして空気の振動が伝わる。
嘶き怯える馬をどうにかなだめて、何が起きているのかと周囲を見渡すが、聞こえてくるのは混乱と悲鳴そして怒号だけだった。
一向に報告が来ない情況に業を煮やした隊長は、副官の静止も聞かず後方に馬を奔らせた。
歩兵の横を抜けカーブの終端に差し掛かった時、隊長は絶句してしまう……
白山は、カーブの間に合計5個のC4プラスチック爆弾を設置していた。
少ない資材で最大限の効力を発揮するように、釘や鉄片を巻きつけた物、そして手近にある材料でゲル化させた燃料を交互に並べている。
クレイモアに近い箇所の末端には前を歩く部隊が接近するのを阻害するために、発煙手榴弾を仕込んである。
爆発の影響で広範囲に飛び散った発煙成分は、薄く広く被害範囲とその境目を煙で覆い、一層の混乱をもたらしていた……
至るところで上がる炎と悲鳴…… そしてズタズタになった物資が、そこかしこに散乱し、それが燃え上がる……
体に炎をまとい助けを求めて走り回る兵士が、より一層被害を拡大させてゆく。
「負傷者を救護しろ! 直ぐに火を消すんだ!」
喉に刺さる煙にむせ、目を細めながら声の限りに叫んだ隊長は、愕然としながらも事態の収拾に乗り出していった……
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結局、皇国軍が事態を収拾出来たのは夕方近くになってからだった……
ヴァラウスと砦に分散して負傷者を収容し、無事な荷を回収するのに大きく時間を取られてた。
砦に入った隊長以下幕僚たちは、一様に深刻そうな顔を浮かべて狭い部屋の中で沈黙を保っている。
死者は、300名近く、負傷者は1000名を超える。
物資は、食料を中心に約半分を失っていた……
よもや、開戦前夜にこのような状況に陥るとは、この部屋に居る人間は誰一人として思いもよらなかった。
そして、その未曾有の大破壊をもたらした原因が何であるかも判らず、その事実がより一層部屋の空気を重くしている。
負傷者の救護と同時に周辺に斥候を放ち、敵部隊を有無を探らせたがそのどれもが空振りに終わっていた。
同行している新光教団の司祭などは、星落としが原因で信仰が足りず神が与えた試練だと吹聴している始末だ……
「ここまで立て続けに災厄が訪れるのは、この攻略は中止すべきなのか……」
誰かのつぶやきが、静寂を破り静かな部屋に普段よりも大きく響く。
「しかし、一度も敵に当たらずこのままでは戻れば、本当に我々の居場所は皇国にはなくなる……」
そのつぶやきに隊長はそう答えると、周囲を見渡す。
信仰騎士団の台頭で冷や飯を食っていた人間をまとめ、ここまで来た隊長の言葉で僅かながら周囲の人間の眼に灯が灯る。
「元よりこの作戦は、速度が命…… 先の戦争で大飯食らいの重装歩兵に比べれば、ここで失った糧秣は僅かなものだ……」
誰かがそう応えると、少しづつ賛同の声が上がり始める。
「よし、それでは砦を包囲する歩兵達に優先して食料を廻すとしよう……
我ら騎兵が誇る速度を持ってモルガーナを落とせば、当面の食料は周囲から調達できるだろう」
その言葉に下卑た笑みが周囲からこぼれる。
この時代、侵攻先での略奪や乱暴狼藉は日常的に行われている……
「ならば、砦の兵に応援を依頼し輜重隊を再編すれば物資は追送出来るだろう……」
その言葉に、砦の部隊長も協力を申し出てくれる。
これで先は見えてきた……
やや強くなってきた風の音を外に聞きながら、明日の侵攻は予定通り実施される事となった。
机の上に置かれた地図には、この侵攻における作戦が描かれている。
そこには、歩兵部隊で砦を包囲し部隊を惹きつけ、騎馬隊の機動力を持って迅速にモルガーナを攻略する作戦が記されていた……
遠くで雷鳴が聞こえてくる……
「先の火災は、突然の落雷による不慮の事故であったと兵達には言い聞かせろ。
明朝、予定通り進軍する……」
そう締めくくった言葉に皆が賛同する。
将官達が去った部屋の中で、隊長は何かの視線のようなものを感じ、窓から漆黒の闇を眺める……
目を凝らしてもその闇は何も応えない……
妙な胸騒ぎを覚えながらも、気のせいかと隊長は自室へ向けてゆっくりと戻っていった…………
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※爆破関連については、ネタですので本気にしないで下さい。
またご意見・ご質問頂いても、お応え致しかねますのでご承知おき下さい。