行軍と悩みと幽霊と月
白山とリオンは、荒野を真っ直ぐに突き進んでゆく……
時折頬を撫でる風に闇夜の静寂と濃厚な自然の香りが混じり、鼻孔を通り過ぎる。
15分程歩いてようやく体が温まりつつあった。
一度立ち止まって、装具の不具合を見直した後2人はペースを上げ進み始めた。
油断なく周囲を見回しながら、一定の速度で着実に目標に向けて足を進める。
数メートル離れた位置を進むリオンも白山の歩調に遅れずに付いて来ている。
時折、腕時計に着けたリストコンパスで方位を確かめ、遠方に見える森を目標物に定めて行軍を続ける。
歩いている間は肉体は苦しいが、思考は開放される……
何も考えずにまるで自動人形のように歩き続けれられる。
時折、雑念や不意な思考から、普段は気にも留めないコマーシャルの一節や、何かのメロディーが延々と頭の中でリピートされたりもする。
白山はそうした無駄な思考で脳のリソースを消費したくなかったので、歩測に集中した。
25kmは、それほど長い距離ではない。一般の自衛官でも朝飯前の距離だろう。
ただし、元の世界と違って街道は舗装されている訳ではない。
うっかり見逃したり通過する可能性を考慮して、おおよその距離を歩測で勘定する必要がある。
聞こえる音は自分の息遣いと、下草を踏むカサカサという小さな音だけだ……
1時間ほど歩いて、白山は『停止』と『全周防御』のハンドシグナルを出し、ゆっくりとその場に片膝をつく。
周囲を警戒したまま水筒から水を飲み、カロリーバーを口に含む。
こまめにカロリーを補充して行動能力の低下を防ぎ、ミネラルや塩分を補充する。
所謂ハンガーノックや発汗による熱性消耗を予防する必要があるからだった……
兵隊の行軍とは、単なる移動の方法でしか無い。
突き詰めれば移動後、何らかの任務を遂行し、場合によってはまた徒歩で移動する場合もある。
その為には、常に肉体はベストのコンディションを保つ必要がある。
訓練では限界以上に肉体や精神を追い詰めるが、実戦では任務遂行に支障をきたすような無茶はする必要がない。
必要があるならばキツイ環境も厭わないが、その判断は合理性や必要性により判断されるのだ。
10分程度の短い休憩の後、2人は再びゆっくりと進み始める。
少し冷えた体が歩くにつれて再び熱を帯び始めた……
歩測の結果をリオンと平均した白山は、おおよそ22km程を踏破したと判断し、双眼鏡を使い周囲を観察する。
目標としていた緩やかなカーブがある街道が、明るい土色を晒しており容易に識別が出来た……
白山は時計に目を落とし、時間を確認する。予定時刻より早く目的地に到達できたようだ。
23時過ぎを示した時計に安堵して再び正面を見据える。時間は十分にある。
警戒を崩さず、街道に近づいていった2人は、無言で作業に取り掛かっていった……
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「陛……下、以上が今季の治水計画の概要となります……」
レイスラット王は、内務官の説明にハッと我に返る。
少し疲れた様子でゆっくりと頷いた王は、軽く手を振って下がらせた。
「少し、休憩なさいますかな……?」
宰相であるサラトナは、同席していた王の執務室で行われている報告会の席でそう切り出す。
その質問に僅かに頷くことで同意した王は、運ばれてきた茶を一口啜ると、サラトナへ質問する。
「皇国軍の動向に動きはないか……?」
サラトナは、その質問に少々困ったような顔を浮かべると返答する。
「その質問は、午後になってから3度目ですぞ…… 何かあれば直ぐにご報告致します」
諦めたようにため息をつく王は、難しい顔を浮かべ次の議題に目を向ける。
次の議題は、第3軍団長ザトレフの処遇についてだった。
ようやく体調が回復してきた軍務卿であるバルザムと、宰相サラトナそして王による内々の協議を持つ事になっている。
もう一口お茶を飲むと、王は表情を改めてから側付きの文官に手を挙げる。
その合図によって執務室の扉が開かれ、軍務であるバルザムがゆっくりとした足取りで執務室に進み入り頭を垂れた。
「先日は、見苦しい姿をお見せしてしまい失礼致しました……」
王は、面を上げさせるとその顔色を伺いながら言葉を発する。
「ふむ…… 血色は良いようだな…… 我らも若くない…… 体を労るがいいぞ」
バルザムに着席を進めつつその苦労を労った王は、資料に目を落としつつサラトナに視線を送る。
その視線を開始の合図と、受け取った本人は懸案となっている事項についておもむろに切り出した。
「さて、今回の議題は対皇国の要である、第3軍団の行動についてなのだが……」
チラリと、バルザムへ視線を送りそこで言葉を切った。
「ホワイト殿が立案した作戦について、頑なにこれを拒否し砦に立て籠もっているとの報せが来ていてな……」
この報告書は白山からの無線連絡を親衛騎士団の副官が受信し、宰相と軍務卿に即座に報告される事になっている。
白山の作戦は、ラモナ到着時の定時報告で骨子を伝えており、バルザムも王も承認を行っていた。
立場上、白山は第3軍団長代理であり、王家の軍参謀として軍団長に対して助言は出来るが命令権はない。
その点を見越して白山は、作戦骨子を予め王都に伝達していたのだが、彼は敢えてその強権を使わなかった……
そもそも今回の戦では、総軍指揮を行うべき将官が任命されていなかった。
本来であればそうした人材が居て然るべきなのだが、先の戦争と世代交代により軍に適任が存在しない現状があった。
経歴や経験で言えば、以前に軍団を率いていたバルザムは十分にその資格があるのだが、軍務総会における体調を鑑み、見送られた。
そうなると、各軍団長の裁量で動かなければならないのだが、情報伝達が発達していないこの世界において軍団長の権限と権力は大きなものがある。
仮に奇襲攻撃を受けてから王都にお伺いを立てるのでは、戦闘が成り立たない。
現代に例えれば、方面隊が個別に交戦権を持つようなものだ……
不運と人材の枯渇が招いた事態であるが故、強くは責任を問えないが、ザトレフ軍団長の行動は問題であることは間違いがない。
王国上層部としてもこれは、頭の痛い問題であった。
最初から白山に指揮を預けていればこのような問題は発生しなかったかもしれない。
だが、王国としては慣例や反発といった諸問題からおいそれと、白山に全件を預けることは出来ない事情があった。
特に『軍の指揮官は貴族が担当する』との慣例が、大きな障害となっている。
「ホワイト殿は、説得を重ねたがザトレフが固辞したと、報告にはありましたな……」
眉間にシワを寄せながら、バルザムは盛大にため息を吐くと首を横に振る……
『ムセン』という軍事の概念を覆す代物で連絡を取り合っていた情況では、如何な貴族派のバルザムと言えど庇い立てする事は難しい。
まして、この報告には巧妙な罠が隠されている……
「では、軍務卿として正式に命令書を発布するしか無いでしょうな……
それでも固辞するようであれば、何らかの処置を考えなければならないでしょう」
これから文章を起こし、早馬に託しても3日かかってしまう。
最新の報告では、既に皇国軍は国境近くまで到達している。 既に間に合わない公算が高いのだ……
白山はザトレフの言動と利己的な考え方を見て、今後の軍の改革で足かせになると見切りをつけていた。
その為、白山は自らの退路を断つ事にもなったが、ザトレフの処遇を王都へ委ねたのだった。
「現時点では、どちらの判断が正しいかは皇国が攻め入るまでは判らん。
が、ホワイト殿が正しかった場合、軍団長は厳しい立場に置かれるのう……」
サラトナは、そう言って書類をめくる。
そこには作戦の骨子について、聞き取った内容が書かれていた。
『多層防御陣地構築による打撃戦術』
暫しの沈黙の後、王が物憂げに口を開く……
「命令書によって動けばそれも良し…… 動かなければ、進退に関して改めて考える…… それで良いかな?」
バルザムは、苦渋に満ちた表情でゆっくりと頷く。
自らの派閥が切り崩される中、為す術がなく翻弄されていると言うのに抗いようがない……
不意に白山の言葉が脳裏に蘇る……
『急激な体制の変換は私の意図する所ではないのですよ……
国を割ってまで持論を通すつもりはなく、議論を通じて妥協点を見出そうと思っております』
王の執務室を出たバルザムは、白山の提案について呑むしか無いのかと、考え始めていた……
**************
街灯や電力の発達していないこの世界では、日暮れと同時に街以外の場所は闇に閉ざされる。
国境に続くこの街道も例外ではなく、星明かり以外は光源は存在していなかった。
それでも白山達は慎重に街道に近づくと、慎重に周囲の様子を確かめていた。
白山は街道の端に設けられた申し訳程度の段差に伏せ、左手を警戒する。
すると、リオンが白山の肩を叩いて先行する事を報せ、右を警戒しながら素早く街道を横断する。
渡り終えたリオンは、そのまま同じ方向を警戒しつつ白山の到着を待った。
程なくして街道を横断した白山が、リオンのもとに辿り着く。
音も立てず僅かな接触とハンドシグナルのみで動く2人は、この世界の人間が見れば幽霊のように見えるだろう……
このカーブは南側からせり出した斜面を避けるように道がS字に蛇行しており、格好のアンブッシュポイントになっている。
件の緩いカーブとなっている街道は、白山の読み通り、排水のために掘られた溝が水流で削られ少し深くなっていた。
そこに身を潜め、背嚢を下ろした2人は、早速次の行動に取り掛かる。
白山は、砦側のカーブ終端にクレイモアを設置すると溝にそってコードリールを伸ばす。
別系統の起爆が必要なクレイモアを間違った装置に連結しないよう、端末にIR(不可視赤外線)のケミカルライトを結ぶ。
本体の覗き窓は、正確にカーブ終端の屈曲部を捉えており、クレイモアの加害範囲は60°
街道の横幅殆どを、有効加害距離 約50mの範囲に収めていた。
内部のC4によって撒き散らされる鉄球は、その範囲にいる人間を容赦なく殺傷するだろう……
次に導爆線をリールから引き出しながらクレイモアの位置から、街の方向に向けて溝に沿って歩き出す。
300mに及ぶ導爆線を敷く作業は骨が折れるが、相手の隊列の長さを考えると距離が嵩むのはやむを得ない……
それが終わると、一定の間隔で爆薬を設置してゆく。
C4には、砦で調達した釘や鉄片を一つ置きに…… ペットボトルに入れられた燃料が間の爆薬に巻きつけられており、火災効果も併せ持たせる。
末端部分のC4には、少し違う性質の仕掛けを施しておく……
これだけの規模の爆破は白山もはじめての経験だったが、体はこれまでの訓練のように滞り無く動いてくれる。
設置が終わるとひと通り、あとは爆破薬の点検と偽装が残っている。
点検作業のために下を向いていた白山の耳に、周囲を警戒するリオンから警告が発せられたのはその時だった……
小動物のような鳴き声はリオンの口から発せられた警告で、訓練の時からよく聞く合図でもあった。
爆薬を使用しているので、不用意に無線は使用出来ない。
その為に決められた警告の合図は、内心白山を驚かせていた……
咄嗟に姿勢を低くして側溝に伏せた白山は、徐々に近づくその音に心拍数が上昇するのを感じる。
2騎の騎兵が、松明を手にゆっくりと砦の方向へ馬を進めてこちらへ近づいてくる……
側溝にピッタリと身を寄せ、顔を伏せる白山には見えなかったが、胸に革製の筒を抱いた騎兵は、皇国軍の伝令兵だった。
徐々に大きくなる蹄の音と、馬の息遣いが聞こえる距離だ。
街道の中央部分を慎重に進む騎兵達は、白山の10mほど横をゆっくりと通過してゆく。
仕掛けの後端部分に位置している白山は、爆薬が発見されないかと危惧し、素早く彼らを始末するかを検討し始める……
サプレッサーが付けられている白山とリオンの銃ならそれは容易いが、捜索を出されてこちらの存在が露見するリスクが高い。
じっと、身を伏せた白山はこのままやり過ごすと判断を下し、徐々に遠ざかる蹄の音を聞きながら、立ち止まらず進めと心の中で願った。
白山がゆっくりと身を起こしたのは、それから10分程経ってからだった……
伝令兵は、爆破薬に気づかず通過してくれた。
細く息を吐き緊張をほぐした白山は、背中にかいた嫌な汗の感触を無視しながら、作業を再開する。
点検と偽装そして起爆装置への連結を済ませた白山達は、最終確認を行い離脱の準備を始める。
設置作業に使った各種工具や空のドラムリールなど、置き忘れた物がないかを点検し、背嚢に収めるとそれを背負う。
現場に忘れられた工具から爆発物が露見しては、これまでの苦労が水泡に帰してしまう。
同様に個人装具の点検も実施して、問題がないと判断し白山達は離脱を開始する……
荷は軽くなった……
夜明け前に車両に辿り着けるように、歩調を早めた白山達は地平線上に浮かぶ細い月に照らされ、淡い影を引きながら北へ進んでいった…………
ご意見ご感想、お待ちしております。
クレイモア……参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%82%A2%E5%9C%B0%E9%9B%B7