監視と焦りと夕暮れと
前半に少々汚い描写が出てきます。
お食事中の方や苦手な方はご注意下さい……
DAY-3 皇国軍の予想国境到達まであと4日……
白山達は、OP(観測所)の作成に取り掛かった。
最初の作業はエンピを物差し代わりに使い、OPのサイズを決定する事から始める。
3名の人間が詰めることを考えれば、出来る限り広く作りたいが、広ければ広い程作業時間が掛かってしまう。
少し考えて、白山は長方形の区画を落ちている枝を刺しておおよその範囲を定めた……
警戒する者、作業する者2名のサイクルを維持して、大きな動きや音を立てないように作業を進める。
こうして完成したOPは、数mも離れればその存在を確認する事は難しいだろう。
60センチほど掘り下げられた地面は、中に落ち葉とロールマットが敷かれ、ある程度の居住性が保たれている。
しかしこの穴ぐらの中で夜まで過ごすことを考えれば、あまり快適とは言えない。
食事に睡眠、そして生理現象までこの中で行わなければならないのだ……
リオンは自分が警戒担当の時に、白山とアイコンタクトを取り用を足している。
性別の壁がある以上、これは仕方がないと訓練の時からお互い割り切っていた。
白山は、薄明かりが周囲を照らす中周囲の最終チェックを終えると、クリストフへOPでの注意点を伝達する。
「これから、この中で皇国軍の動向を密かに監視する。
食事は休憩中に1回、夜に1回だ。
大きな動きや声は厳禁…… 用を足すのはこの中にしろ……」
そう言って、少量の塩素剤が入ったポリタンクを掲げる白山に、クリストフが驚きながら尋ねる。
「この穴の中で……するのか?」
その言葉に、ニヤリとしながら頷いた白山は更に言葉を続ける。
「ああ、この穴から出られるのは夜になってからだ。
でかい方をしたければ、中でしてもいい…… 我慢できるなら夜まで待て……」
そう言って、背嚢とポリタンクを観測所の中に押し込んだ白山は、さっさと内部へ潜り込んだ。
最初の監視を行うために、開口部に設置した三脚つきスポッティングスコープに取り付くと、その横へクリストフが並んだ。
2時間交代で監視役を交代する事を告げ、最初の監視任務に就く。
薄明の空は、既に物の輪郭がハッキリと識別できる程度に明るく、双眼鏡でも十分に周囲を観察できた。
数多の観測所を作ってきた白山の技術は、狙った通りヴァラウスの周囲を観察できる視界を確保している。
肉眼と双眼鏡、そして最大倍率60倍のスポッティングスコープを使い分けながら、周囲を観察する。
具体的には、肉眼で全体像を見て広域を拡大したければ双眼鏡で観察する。
そして、仔細に観察する場合はスポッティングスコープを使い、詳細を観察するのが手順だった。
本来であれば、これに高倍率のズームレンズを取り付けたデジタルカメラや、ビデオが加わり監視の手順は一層複雑になる。
しかし、今回は画像を送信する先もなければその手段もない……
音声による通信のみで伝達するだけという、白山にしてみれば楽な監視だった。
あとは、隣に寝そべるクリストフが何処まで任務に耐えられるかが、現在の懸念だ。
白山は今回の作戦にあたって、敵となる皇国軍を直に見る必要があると感じていた……
バードアイから送信される画像で敵の規模や動向は解る。
だが、敵の士気や装備、規律といった戦闘に直接係る情報は直接確認しなければ判らない。
作戦を成功に導く為には多くの情報が必要であり、この偵察如何によっては作戦の修正も必要になる。
戦う相手の事をよく知らなければ、手の打ち様がない。
ヴァラウスの街に双眼鏡を向けた白山は、街の様子に眉をひそめる。
そこには外縁部の南側に粗末な小屋がいくつも立ち並び、スラムを形成していた。
街の内部に目を向けると、大通りはそれなりに整備され立派な領主館が北に存在するが、古い建物は粗末なままになっている。
かと思えば、新しい商店や立派な豪邸が北側に集中しており、双眼鏡を通した視界からも貧富の差が感じられた……
白山は、双眼鏡の視野を左に振る。
皇国の侵攻軍がやって来るであろう方向だ……
まだ皇国軍は視野に入らない。
リアルタイム画像では、昨日の段階でがけ崩れの修復は完了している様子だった。
がけ崩れの箇所から、ヴァラウスまではそれほど距離はない。
移動を開始すれば半日で到達するだろう……
そのまま砦まで前進するのか、それともヴァラウスで逗留するのかは判らない。
それによって白山の今後の行動は幾分変わってくる……
双眼鏡からスポッティングスコープに切り替えた白山は、周囲の地形や情況をつぶさに観察し始めた。
白山から双眼鏡を渡されたクリストフがそれを覗きこむと、狭い観測所の中で身を乗り出すように驚きながらあちこちを眺めている。
冷静沈着な彼が、やや興奮したように息を吸い、視野に集中する様子を横目に見て、白山は薄く微笑んだ。
日が登り切って、街が動き出す。
最初の2時間は、動き出した商店の様子や街に人通りが増えるだけで、特に目立った動きは見られなかった。
リオンがクリストフと交代し、白山がリオンに情況や視界を説明する。
リオンが双眼鏡を覗きながら、白山の説明に顎を引くように頷く。
おおよその引き継ぎを済ませると、白山はクリストフに食事を摂って休むように促した。
これからは、昼夜を分かたず活動する事になる。休める時にしっかり休まなければならない。
観測所内部で縦に並ぶ白山とリオンに対して、寝袋を敷いて2人の足元で横に配置されているクリストフは、背嚢をまさぐる。
言われた通りサイドポケットから副食とクラッカーを取り出したクリストフは、その軽量さと袋の材質に驚いていた。
そして、副食のポークソーセージステーキとツナサラダのパウチを開け、その味に更に驚いている。
あっという間に、食事を腹に詰め込んだクリストフは、寝袋に潜り込むと、昨夜からの疲れか早々に眠りに落ちていった……
動きがあったのは、白山が休憩に入った昼前の事だった。
リオンの足で揺り動かされて、目覚めた白山はクリストフと場所を交代しリオンから報告を受ける。
「先程、6騎の騎兵が東から街に入り、領主館と大きな商館へ入りました。
それを受けて商館では、動きが慌ただしくなっています……」
皇国の軍旗を騎兵の背に確認したのはクリストフだった。
彼の話では、恐らく本隊到着前の先触れではないかと言う事で、到着が間近だと思われると言っている。
そうした報告を聞いていると、幾つか動きが出てきた……
訪問を受けた商館では、雑役夫や店子が食料品や飼葉等の荷物を集め始めている。
荷車や馬車が商館の前に集まり出し、にわかに活気づいていた。
東の街境辺りでも動きが見られる。
街の守備隊と思しき兵士達が、平原で留まっていた旅人の馬車や人間をどかし始める。
中には、槍の石突で突かれたり、殴られている者も見えた……
北に位置する領主館と街につながる街道の間にある一角が、兵達の逗留場所になるのだろう。
西側は民家や宿屋が点在しており、1万に及ぶ人間がとどまれる空間の確保が難しいと白山は見ている。
この位置で、何か妨害工作や遅延活動が行えるか……
各種の情況を確認しながら、白山はじっくりと考えていった。
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※※皇国軍レイスラット攻略軍 視点※※
指揮官は苛立っていた……
この作戦の肝は、電撃作戦であるというのに度重なる不運に、足を取られている。
先の戦争では、重装歩兵師団と信仰騎士団が中心となり、王国のビネダ砦を攻めて領土を切り取る事に成功していた。
新編された信仰騎士団の初陣を飾るべく、支援に重装歩兵師団が随伴し行われた戦闘で、見事に成果を上げた信仰騎士団の評価はうなぎ登りだ。
これに危機感を抱いたのは既存の軍だった。
もともとの発足は、皇国がシープリット『王国』だった頃からの軍である、今回の主力となった騎兵連隊などは冷や飯を食う結果になっている。
重装歩兵師団と信仰騎士団は皇王とその側近に重用されており、近年では魔装具連隊なる部隊も騎士団に新編された。
このままでは既存の軍の面目が立たない……
そう考えた旧王国軍の流れを汲む部隊は、今回の攻略を足掛かりに失地回復を図りたいと考えていた。
王国時代はレイスラットとの交流も盛んで、両者の関係は良好だった。
それでも首脳陣が変われば、軍としてはそれを受け入れるしか無い。
話を戻そう……
この作戦は、もともと軍の諜報を司る影がレイスラット王国のバルム領で懐柔作戦を実施し、領主を取り込んだ事から端を発する。
バルム領での反乱を誘発させ、王国軍が南下した隙を狙い王都に侵攻する段取りだったのだ。
しかし、予想外にバルム領への王国の対処が早かった。
その為、急遽騎兵連隊が中心となってモルガーナを攻め落とす事になったのだが……
この季節特有の長雨で崩れた崖に阻まれ、3日も足止めを食い今日になってようやくヴァラウスに入ることが出来た。
元より電撃作戦である為、輜重隊も最低限の物資を携えていたため、ここで食料などを確保しなければ先へ進めない。
くじかれた出鼻を回復するためにも、早く軍勢を動かしたいが、慣れない道路啓開作業で疲れた兵を休ませなければならない。
逸る気持ちを落ち着け、夕方までは物資の補充作業を行い、最低限の警備を残し街に出ることを許可する。
野営や遠征は慣れているが、ヴァラウスの領主が歓待してくれるという……
ならば今夜は久しぶりに湯を浴び、屋根の下で眠るとしよう。
明日以降は、戦い漬けの日々になる。
たまの骨休めも必要だ……
遠征隊の指揮官は馬上から、徐々に近づく街を見ながら焦燥と安堵の入り混じった表情を浮かべていた。
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ヴァラウスを監視する白山達は、昼以降に到着した皇国軍が西側の街外れに幕舎を整え、腰を下ろす姿をじっと見ていた。
商館からの荷物を幕舎に収め、所々で煮炊きの煙が立ち上っており、給餌場には、飼葉が積まれ馬が整然と繋がれていた。
スポッティングスコープを使い、そんな宿営地の様子を見ていた白山は、じっくりと分析を行っている。
この宿営地に遊撃行動を仕掛けることは可能か? 可能とした場合、どんな手段で?
それらによって得られるメリットとデメリットは何か……
眼下に見える地形と軍の規模から考えて、正面を見据える白山にクリストフが声をかける。
「補給品が今の時間に運搬されていると言う事は、出発は明朝だな……
もし、明日以降の出発ならば今日の搬入は行わないだろう」
その言葉を聞いた白山は決断を下した……
今夜の襲撃は見送り、明日の移動を狙って罠を仕掛けようと……
夕暮れが迫り、オレンジの陽光に空が支配されつつある。
白山はリオンへ通信のハンドシグナルを送ると、監視を交代する。
スルスルと器用に白山の隣に潜り込んできたリオンは、簡単な引き継ぎを済ませるとスポッティングスコープを覗き込む。
それを見て白山が後ろへ下がると、小さなデイパックとM4を手に観測所を出る。
そのまま匍匐で右手にM4、左手にデイパックを引きずったまま数m進み藪の影に隠れる。
デイパックを背負いゆっくりと膝立ちになる。
長時間同じ姿勢を取り続けたせいで体のあちこちが痛むが、それを無視してM4を手にゆっくりと周囲を観察する。
人の気配や異常は見られない……
ゆっくりと立ち上がった白山は、数十メートル程丘を下り観測所から遠ざかる。
デイパックから広多無を取り出した白山は、慣れた動作でアンテナ線、受話装置、バッテリーをつなぐと電源を入れた。
…… こちらホワイト、定時連絡 CHARLIE-One Romeo-Charlie<通信チェック>……
………… こちらCHARLIE-One 通信状態良し…… 送れ……
……ホワイト 現在位置 285-535 現在まで異常なし……
……CHARLIE-One了解 復唱する……地点285-535……
……その通り、敵情について報告する……
敵情 本日昼 皇国軍約9000名をヴァラウスの西の平原にて確認 地点295-515……
やや間があって、少し緊張したようなアトレアの声が聞こえてくる。
……確認する…… 地点295-515にて皇国軍9000名…… 間違いないか?……
……間違いない……
…… 了解した…… 詳細を送れ……
…… 詳細、騎兵約3000 歩兵6000 輜重隊 馬車30台と人員200名……
……了解、復唱する…………
・・・
・・
・
…… 以上により、明朝以降 敵部隊は移動を開始する可能性が高い。
よって、ホワイトは今夜ポイントMIKE <マイク>へ移動を開始し、敵部隊に先行する…… 可能であれば攻撃を仕掛ける……
……以上、報告終わり……
簡素に情報をやりとりした白山と第1軍団のアトレアは、お互いの無事を祈りつつ通信を終える……
まもなく日が暮れる。
これから、撤収作業を開始して色々と仕込みを行わなければならない。
今夜は忙しくなりそうだ……
夕暮れに染まる空を見上げ、白山は小さく息を吐いた…………
ご意見ご感想、お待ちしておりますm(__)m