潜入と工作と高鳴る鼓動
白山は、西側にある跳ね上げ橋から砦を出発した。
高台にあるビネダ砦は東側の門を開閉すると、内部の灯りで動きが察知される恐れがあるからだ……
切り替えスイッチをひねり、灯火管制モードでライトを消した白山は、暗視装置を頼りに砦の外周にそって進み始める。
後部座席で揺られるクリストフは、漆黒の闇の中を走る高機動車に驚愕し、振り落とされないようにしっかりとベルトを握っていた。
砦を半周した高機動車は、進路を東に取り、ゆっくりと傾斜を下り始める。
下草をタイヤが踏む音とエンジン音以外は、何も聞こえない。
リオンによれば、今夜は下弦の月が夜明け前に登るそうで、それ以外は光源になる灯りは、暫く見えないだろう。
低木帯を避けつつ、コンパスで進路を東に保ちゆっくりと進む車両は、1時間ほどでその低く響くエンジン音を停めた……
南に広がっていた低木帯が途切れ、眼下にぼんやりと明かりの灯った皇国のムヒカ砦が見える。
「国境を超えた…… ここからは敵地になる……
リオン、最初のERV(緊急集合地点)はここだ。 クリストフ、戦闘や何かあってはぐれた場合、ここに集合する。
4時間待っても現れない場合は、西に向かい砦へ戻ってくれ」
白山が囁いた言葉に、頷いて答えたクリストフは周囲を見渡す。
首を回して緊張をほぐすと白山は、頭上に跳ね上げている暗視装置の具合を直した。
シンと静まり返った車内でジリジリと時間が経過する……
白山とリオンは身動き一つせず、周囲の兆候に五感を総動員して警戒する。
1分…… 3分…… 5分…… 次第に周囲の環境へ体が馴染んでゆく……
更に、10分をかけて、ある程度環境に体を慣らし、周囲に敵の兆候がないかを確認する。
腕時計を確認した白山は、問題なしと判断してリオンの腕をそっと2回握る……
周囲を警戒したまま腕を伸ばしたリオンが、運転席の白山を1回叩き了解を伝えた。
再び、エンジンを始動し高機動車は進み始めた……
時折、車載のコンパスで方角を確認しながら高機動車は東を目指す。
雲の切れ間から時折覗く星明かり以外は、光は見られない。
闇が立ち込める草原を、低い音と若干のタイヤ痕だけを残して順調に進んでゆく。
操縦用に暗視装置を着用している白山の視界には、右手2時方向へヴァラウスだろう街の灯がぼんやりと映っていた。
おおよそ、30kmを踏破した所で不意にリオンが白山の腕を握り、異常を伝える。
ゆっくりと高機動車を停車させた白山は、リオンが指差す方向を暗視装置ごしの狭い視野で注視した。
左手10時方向、約400m程の距離に人工物が見える。
暗視装置の焦点を調整し、その物体を注視した白山は、その人工物が小屋だと識別した。
小声でクリストフに問いかけた白山は、狩人が使う小屋だろうと言われ、双眼鏡でつぶさにその小屋を監視する。
内部からは特に人が居住している兆候や動きは見られないが、白山は念を入れる。
凹の字を指で書いた白山は、1本指を立てた。
その動きを見たリオンは頷き、クリストフは怪訝そうな顔を浮かべる。
その顔を見た白山は苦笑し、小声で耳打ちする。
「迂回して小屋を回避する……」
その言葉に合点がいったようで、クリストフが頷いて座席で出発に備えて再びストラップを握りしめた。
転進した高機動車は南に1km程進み、そこからまた東へ進み、再び北に1kmのコースを取る。
箱型に迂回して、小屋を回避した白山達は、再び同じルートを進んでゆく……
そして、また1時間程進んだ辺りで車両が停車する。
リオンがスッと立ち上がると器用に後部座席へ移動して、車両中央部に備え付けられたM2重機関銃の銃座に取り付く。
IR(infrared 不可視 赤外線)フィルターがかけられたストロボライトを点灯させたリオンは、白山に頷くとそのまま全周を警戒し始める。
頭からポンチョを被った白山は、その中で光量を調整したタブレットを操作し、バードアイのリアルタイム画像を呼び出す。
赤外線カメラで地表を映し出す画像には、白山達が乗り込む高機動車の位置が、クッキリと点滅で表示される。
光量を絞っても電子機器や画像は車両の輪郭を浮かび上がらあせてしまう……
その為、白山はポンチョをかぶり遮光してタブレットを覗き、徹底して自分達の存在を秘匿していた。
白山が画像に目を落とす間、リオンは警戒範囲全周をカバーする為に、重機関銃へ取り付く。
手順を完璧に理解して、言葉を発しないバディとしてのリオンの動きに、白山は画像を見ながら満足していた。
もう2時間程東へ走れば、今日の目的地であるヴァラウスの北30kmの位置に辿り着く……
IR画像を眺めながら、白山はこれからのルートと障害となり得る地形や集落を確認していった……
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同日夕刻~ビネダ砦 軍団長執務室
ザトレフは、自身の執務室で夕暮れ迫る砦内部を見下ろしていた。
そこには白山達が出発前の準備をあれこれと行っており、その様子を冷たい視線で観察している。
「何故、作戦で大口を叩いておいて、自ら敵陣深くへ赴くのでしょう……
私には理解できませんね……」
ワイングラスを片手に、同じように眼下の光景を見ていた第2連隊長のロルダンが口を開く。
「大方、功を焦っているのだろうよ…… 若しくは自らの力を過信しているか。
いずれにしろ、敵地の只中に単身で乗り込むのだ、生きては帰れんだろう」
鼻を鳴らして窓に背を向けたザトレフは、羊皮紙に向かう書記官の文章に目を向ける。
そこには自己を正当化しつつ、白山の言動を貶める内容の報告書が書かれていた。
すでに定時の無線連絡で、事の次第が王都に伝わっているとは露とも知らないザトレフ達は、この報告書を王都に送り目障りなアッツォや白山達の失脚を狙っていた。
その文章の出来栄えを見てほくそ笑むザトレフは、ロルダンの言葉にピクリと反応する。
「鉄の箱が動き出しました。 おや……?何故、西門へ向かっているのだ?」
ロルダンの言葉に再び窓へ視線を向けたザトレフは、その行動の意味を判らず、はたと思いついたように笑いをこぼす。
「ふんっ、大方敵陣へ乗り込むと大口を叩いたは良いが、怖気づいて王都へ逃げ帰るのではないのか?」
その言葉に、執務室に笑い声が響く……
窓から高機動車が見えなくなってから、室内に振り返ったザトレフの視界に、1枚の報告書が目に映る。
先程、白山から出された物であるが、そこにはおよそザトレフには理解できない内容が短く書かれていた……
軍団長 宛
軍団長代理 ホワイト及び斥候隊長クリストフは、今夕より5日間の予定で皇国内への潜入を実施する。
任務としては、敵軍動向の確認と報告及び後方撹乱を実施する。
なお、作戦の内容及び第1軍団からの追送の物資については、王都へ連絡及び承認済み
第1軍団がラモナ到着後に輸送が行われる……
何故、昼間に行われた議論の内容を既に第1軍団が知り得て追加の補給行われるのか……?
そんな馬鹿げた事がある訳がない。
そう思い一笑に付したが、ザトレフは何か胸騒ぎを覚えていた……
※※同時刻~国境皇国国境地域 交易都市モルガーナ※※
モルガーナの街中は、混乱の最中にあった。
本来、ラモナの街が皇国との交易を担っていたのだが、利便性からその途中にあったモルガーナが徐々に発展し、現在の規模になっていた。
その為街に城壁などはなく、侵攻の噂を聞いた住民が逃げ出そうと荷車を押したり、鎧戸を締め切りじっと息を潜めていた。
そんな中、モルガーナに到着した第1連隊の約半数と補給隊は、モルガーナの東に陣を張ると不思議な行動を取り始める……
補給隊は街で人足を募集し、長さや太さを指定した木材を大量に調達し始める。
そして市場に出ている針金や布袋を買い占め、それでも足りないと工房に触れを出し、増産を命じていた。
連隊に属する兵士は、槍や剣ではなくその手に工具や金槌を持ち、何やら作業を行っており、モルガーナの住人は不思議そうにその光景を眺めていた。
「予定していた数量は現在半数が集まり、引き続き増産と調達を依頼しています」
「こっちも、荷車の準備は予定していた数量まであと一歩と言った所だ……」
説明のため砦に居残った連隊長に代わり指揮を執っていた副連隊長と、補給隊長のジョエルが話し合いを進める。
国境の関所へは、明後日に前進予定になっている。それまで、ここで白山が考えた作戦に必要な資材を作成する手はずになっていた。
「しかし、これは、これまでの戦の手法からは考えられませんね……」
副官のつぶやきにジョエルが言葉を返す。
「全くだ…… なんでアイツは先の戦争の時に来てくれなかったのかね……」
苦笑交じりに冗談を言ったジョエルに、同じく苦笑しながら頷いた副連隊長は、篝火の下で昼夜交代で作業を進める兵達に目をやった……
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白山達は闇夜の中、順調に車両を進め予定していた潜伏地点周辺まで到達していた。
暗視装置で疲れた目を揉んで、一息ついた白山は双眼鏡を使い地形を確認する……
なだらかな丘を下り、ここからは平地が続く地形になる。
北から流れてくるモローワ川と、平原そして点在する雑木林といった状況を見回し潜伏地点を検討する。
画像情報と簡易的な地図はあるが、詳細な地形を描いた地図はなくこの点は現地で地形を確認するしか手はない……
同様にGPSも存在しないため、苦肉の策としてバードアイとIRライトによる自己位置の評定を行っている。
おおよその地形に当たりをつけた白山は、ハンドシグナルで前進する事をリオンに伝えた。
頷いて了解を伝えたリオンを見て、スターターをひねった白山は、後部座席で船を漕ぎ始めたクリストフが、その振動でハッと目を覚ます。
無理もない…… ここまではじめての経験で緊張の連続だった事に加えて、慣れない深夜の車両移動だ……
この後は、OP(観測所)の設置が待っている。
任務はまだ始まったばかりだ。 これからは長丁場になる……
うたた寝を咎めず、車両を発進させた白山は暗視装置の視野に集中し、運転を再開した……
程なくして目星をつけた小高い丘に到着した白山は、数本の木が並び下草がまばらに生える手頃な隠匿場所を見つけると、そこに車両を入れる。
朝一番の鐘を7時と決めて合わせた時計は、0121を示していた。
黎明期まではまだ時間がある。
とりあえず移動のレグ(行程)は終わった。 次はOPの設置が待っている。
周囲を見渡し、車両を停めておくのに不具合はないと確認して、白山は偽装にとりかかった。
後部のバンパー付近とボンネットに括りつけられた偽装網を解き、車両の輪郭をぼかす。
リオンはロールバーにまとめられた偽装網を展開して上部の偽装を行っている。
クリストフは、白山に指示されて10m程車両から離れた場所で、警戒を行っている……
クリストフは、高揚していた。
移動の間は何も出来る事がなく、自分はお荷物かと斥候隊長として内心不安に感じていたが、ようやく役に立つ事が出来た。
それに、たった数時間だけの行動だったが、斥候兵として得るものが無数に存在する。
今、自分が着ている迷彩服もそうだが、警戒や各種の行動にも2人の役割分担の合理性やその無駄のない動きは大いに勉強になる。
まるで自分達が行ってきた偵察がお遊びに思える程だった……
そんな事を考えながらも、神経は伝達された警戒方向に向けて五感を総動員する。
しかし、クリストフはいきなり掴まれた腕に、ビクリと体を硬直させた。
すぐ側まで寄ってきた白山に、腕を握られたのだ……
「あまり固くならない方が良い…… 自然に溶け込むんだ……」
移動する……と、言葉短く伝えられたクリストフは、交代で誰かが警戒する中で重い背嚢を背負う。
全員が背嚢を背負うと、白山達は小高い丘をゆっくりと登り始める。
クリストフを挟んで前方に白山、後方にリオンが並び縦隊で進み始めた一行は、時折停止しつつゆっくりと丘の頂上を目指した。
クリストフは、何故一気に進まないのか疑問に思う。
荷物は重いがそれほどの丘ではない、一気に登ってしまえば早いのに…… と思いながらも、これまでを思い起こし言われた通りそれに習う。
程なくして、やっとクリストフにも行進と停止を繰り返す意味が判った。
丘の中腹までやって来た時、不意に白山が停止を命令し、姿勢を低くするように手信号を後続へ送る。
ほんの少し後、その音は彼の耳にもハッキリと聞こえてきた。
ガサガサと、僅かだが聞こえる藪をかき分ける音に、否が応でも鼓動が高まって口の中が乾く……
唾を飲み込もうと喉を上下させるが、カラカラに乾いた喉は張り付くだけで一向に唾液を分泌しない。
音がいよいよ大きくなってくる……
現れるのは敵兵なのかそれとも山賊の類なのか、いずれにしろ不都合には変わりがない。
クリストフは、左腰の短剣を握る手にじんわりと汗をかきながら、その時を待った。
結局、手前の茂みから現れたのは、大きな猪だった……
緊張していた呼吸を大きく吐き出そうとして、ここが敵地であることを思い出す。
大きく吸い込んだ息を意識して細く吐き出す。
クリストフは、自分の呼吸の音すら煩わしいと感じてしまう。
普通に登れば15分程度で上まで到達できる丘をたっぷり1時間程かけて登り切った白山達は、全周方位防御を敷く。
最も、実員数3名なので、警戒範囲は180度になってしまう……
リオンが後方を向き、クリストフが正面を向いてしゃがみ込み警戒をする中、白山はゆっくりとリオンの側に寄り、装具を点検する。
ストラップの具合や水筒の減り具合を確認して、不具合や装備の脱落がないかを確認してゆく……
この間、装具の点検を受ける側は、警戒を維持したまま点検者に身を委ねる。
汚い言葉だが、『互いのケツを拭い合う』程の信頼関係と協調性がなければ、この種の特殊作戦は勤まらない……
リオンは警戒を続けたまま水筒を受け取り喉を潤すと、白山がそれをポーチに戻してやる。
そして、今後の伝達事項を小声で手短に伝えると、ゆっくりと白山がクリストフへ近づいてゆく。
その様子をチラチラと盗み見ていたクリストフは慌てて、警戒方向に向き直る。
すぐ側まで来た白山がクリストフに伝える。
「警戒を維持しろ…… 何か、具合の悪い所はあるか?」
その言葉に、クリストフは水をお願いして水筒を受け取った。
クリストフが水を飲む間、白山が正面の警戒を受け持った……
ようやく人心地ついたクリストフは、白山に頷くと白山が語りかける。
「これから、偵察の拠点を作る。
夜が明ける前に完成させるから、それまでもう少し頑張ってくれ……」
白山の言葉に、再び頷いたクリストフは正面に視線を見据え警戒に集中していった…………
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