厄介者と頭のネジと
「すると、国境か砦への到達は早くて7日後、と言う事か……」
誰に向けられた訳でもない白山の呟きに、アトレアは同意を示した。
写真を手放した事で空いた手でパンをちぎりながら、相槌を打つ。
「7日、下手に道路崩落を修繕して野営を強いられたんだ。
国境へ進軍する前に、砦周辺で休息して補給を済ませてからの進軍が妥当だろう……
それなら、補給の日数も合わせて考えれば、正味10日前後では無いかと思うがな」
ソファの片隅に資料を押しやり、朝食を再開した白山もその意見には同意する。
ナイフで切込みを入れてパンに腸詰め肉と葉野菜を挟み、即席のサンドイッチを作りながら頷いた。
「対処する時間は、十分にあると言えるな……
問題なのは、如何に味方の損害を少なく撃退するかにかかっていると、俺は考えている」
白山もアトレアも、軍での生活が長いせいだろう、今の食事がどれだけ大切か十分に理解していて、会話を進めながらも食事の手は止めなかった。
この食事が血肉になり、今後発生するかもしれない戦闘において体を動かす重要な資源になると考えていた。
そして、この場にはマナーや礼儀に気を使うべき場所ではなく、純粋に軍人としての本分を全うするためにあるべき場所だった……
白山の即席サンドイッチを見て、早速真似し始めたアトレアも、損耗を押さえる必要については理解を示してくれた。
「それで、今日の会議は誰が仕切るんだ?
それからどんな人間が出席するのか、教えてもらえるか?」
王家の軍相談役と言う役職を与えられ、立場上は自身の独立部隊を立ち上げる身分にはなったが、アトレア以外の軍団長は遠方に居るため面会した事もない。
事実上、レイスラット軍の組織には白山は組み込まれていない。
親衛騎士団については、立場上つながりはあるが、それもレイスラット軍本体と関連性が薄い。
言わば、ほぼアウェイに等しい状態で、自身の主張を通さなければならないのだ……
しかし、正面戦闘が大好きなレイスラット軍の将軍達に軍議を任せていては、皇国軍を退けられても自軍の損耗も激しくなるだろう。
そうして過剰な損耗を許してしまえば、将来を見据えた軍の改革はおろか再編すら頓挫する事になる……
サンドイッチを十分に咀嚼し飲み込むとお茶を一口飲み、アトレアは白山の問いに答える。
「軍務総会は軍団の枠を超えて、大規模な軍の出動が必要な際に実施される会議だな。
出席者は、陛下と宰相殿そして軍務・財務の両卿 そして本来であれば各軍団長が出席するのだが……」
そこまで話をしてから、再びサンドイッチの残りを口に運んだアトレアは、それほど間を置かずにお茶とともに飲み下すと、続きを語り始めた。
「厄介なのは、各軍の軍団長代理だな……
こいつらは、大体が有力貴族の次男や三男で家督の相続が出来ない分、家の権威を使って代理に収まっている。
軍団長の代理と言えば聞こえは良いが、ロクに戦闘も経験せず王都でのし歩くのが主な仕事という体たらくだ……」
心底吐き捨てるように、蔑みを隠そうともしないアトレアの態度に白山は、第一の難敵は軍団長代理達かと標的を定めた。
白山の双眸が一瞬だけ鋭くなり、それを見たアトレアは、立合いを通じて白山の胆力を十分に知っており、軍団長代理達がやり込められる姿を思い浮かべた。
そして、食後のお茶と共に少しだけ溜飲を下げていた……
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食事が終わった頃に朝の1番鐘が鳴り、宰相から派遣されている文官達が執務室に入ってきた。
アトレアが部屋に居た事と、いつもと違う機材が執務机を占領している情況に驚く。
だが、昨夜は徹夜で各所に配布する伝令文や命令書を書いていた彼らは、おおよその情況を理解していて、白山から指示された書類の写しを作る仕事に従事していた。
文官達は、白山やリオンが執務室に居る事には、特に驚いていない。
何故なら白山は大抵が朝の1番鐘が鳴る前に執務室で仕事をしている事が日常になっているからだった。
宰相であるサラトナから派遣してもらった文官達は、それなりに各所の役人や貴族の文官を務めていて、白山の元に派遣された当初こそ驚いていたが、今ではすっかり慣れていた。
彼らの話によれば、法衣貴族の役人はまだマシな方で、名家の貴族で役職にある者など昼から仕事を始める事も珍しくないそうだ……
白山は、ある程度アトレアと会議の流れについて打ち合わせた後、文官達から上がってきた書類をまとめると、会議に出席するために執務室を出る。
無線機やバードアイの画像受信装置などが置いてある関係で、執務室は施錠しなければならない。
執務室の鍵を閉めると、振り返って疲労の色が見える文官達に声をかけた。
「会議が終わる昼までは、特に仕事はないな……
他の文官達に見つからないように、昼まで寝てきていいぞ」
悪巧みを共有するようにニヤリと笑った白山へ、笑顔が伝染した文官達は頭を下げ小さな声で礼を述べる。
本人はあずかり知らぬ場所で、文官達の間では白山の執務室は垂涎の的になっていた。
給金の他に忙しかった時などは小遣いや慰労があったり、午後には茶や菓子まで稀に供される。
部隊の立ち上げで書類仕事の量こそ多いが、ランニングや訓練がある為、必ず夕方には帰宅できると評判になっていた……
白山は、軍務総会が始まる半刻程前に部屋を出ていた。
もう一人の参加者に話を通しておく為だ……
宰相の執務室では、今も慌ただしく文官や役人が出入りしている。
白山に派遣された文官が仮眠を許されていたが、夜に呼び出されてから夜通し対応に追われていたであろう此方の文官達は、血走った目を時折瞬かせながら仕事をこなしていた……
控えめにノックをして、入室すると見知った文官が迎えてくれサラトナに取り次いでくれた。
サラトナも疲労の色は濃いが、普段と変わらず仕事をこなしている。
居眠りをしていた文官を叱り飛ばしながら、応接セットに座る白山の対面にどっかりと腰を下ろした。
「まったく、近頃の文官共は根性が足りん……」
そんなぼやきをこぼしながら、白山に目線で用件は?と尋ねるように鋭い視線を向ける。
内心、このオッサン相当ハイになってるな……と思いつつ、白山は先程アトレアに差し出した物と同じ写真をサラトナへ差し出した。
差し出された写真を目頭を揉んでからじっと凝視したサラトナは、白山が話を切り出すのを待った。
「これが今朝の皇国軍の様子と現在位置です……」
白山は、そう言って応接セットの机にマップケースに入れた広角撮影された航空写真を置くと、グリスペンで大まかな位置関係を書き込む。
「ここがムヒカの砦で、こちらがビネダ…… ヴァラウスの街がここです……」
その説明を黙って聞いていたサラトナは、突然大きな声で笑い始めた。
その様子に、白山は頭のネジが飛んだか? と訝しんだが、部屋を出入りする役人や文官達も驚いて作業の手や歩みを止め、宰相に視線を送った。
「おい、冒険者に出していた探索の依頼は差し止めろ。必要がなくなった!」
そう叫ぶと、笑いを収めたサラトナは呆れた様子で白山に写真を返す。
「まったく、バルザムの仕事を肩代わりして徹夜したというのに、貴殿は儂の苦労を無駄にする気か!」
声は大きいが、顔は笑ったままのサラトナはそう言うと、机の写真を仔細に眺め始める。
その様子を見た白山は、苦笑しながら先程アトレアに話した会議の流れついて、サラトナにも説明する。
その話を地図に目を落としながら聞いていたサラトナは、納得したように頷くと、身を乗り出し小声で白山に何事かを耳打ちする……
それを聞いた白山は、思わず肩を揺らして忍び笑いを漏らすと、どうやら宰相殿は徹夜で相当ハイになっていると確信した……
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軍務総会は城内の政務エリアにある大会議室で執り行われるようだった。
開始の少し前にサラトナと一緒に会場へ入った白山は、会場の空気に眉をひそめた。
50名は余裕で収容できる大会議室には、着飾った軍服姿の人間が大勢でまるで晩餐や夜会のように喧騒を奏でている。
違いといえば、着飾った女性と食事と音楽がない程度で、本質的には変わらないように白山には思えた。
アトレアから事前に聞かされていたものの、白山は苛立ちを隠せずにいた。
この烏合の衆は、各軍団長代理の派閥で幅を利かせている、同じ立場の将軍や連隊長共だった。
軍務総会の決議や発言権は与えられていないが、総会での決定事項を部下や部隊に周知すると言う名目で、オブザーバーとしての参加が許されていた。
ヤジや怒号、集団心理といった大声を上げた者が勝ちとなりそうな、余裕とも驕りとも取れる空気で満ちている気がする……
縦長の会場は、入口付近にオブザーバーである将官達の席が置かれ、コの字型に組まれたテーブルに参加者が着席するようになっている。
そして、一番奥に一段高くなった箇所があり重厚な創りの椅子が置かれており、ここが王の席だと容易に想像できた。
白山はサラトナから上座である『コの字』の左隅に座るように促された。
その姿を見た途端、後ろの席でざわめきが起こる……
白山の席は一段高くなった王の席から見て右側の隅にあり、オブザーバー達と対面しており、下座には左右にまだ席がある……
少しすると軍務卿であるバルザムが、硬い表情で会議室へ入って来る。
やや、やつれた様に見え明らかに顔色が悪いのが見て取れた。本当に体調が悪いのかもしれない……
最も、原因を作ったかもしれない白山は、表情を見て同情するように軽く会釈をする。
挨拶に気づいたバルザムは、その席に白山が座っている事に一瞬だけ驚いた様子だったが、僅かに頷くと隣に着席する。
そうする事で、入口近くに陣取っていたオブザーバー達が再びざわめいた。
ややあって、財務卿であるトラシェ そしてアトレアが入って来た。
トラシェはサラトナの隣に着席し、玉座前の席が埋まる。そしてアトレアは白山の席に程近い横向きの席に腰を下ろした。
親衛騎士団からも、あの有能な副官が姿を表しアトレアの隣に腰掛ける。
白山の姿を見つけた副官は、僅かに目線で会釈をしてくれた。
親衛騎士団の本来の任務は、王の安全を確保する事と王都周辺の警備、そして王国全土での治安維持が主任務だが、有事には防衛にも動員される。
その為総会に出席する必要があるのだと白山は、今朝にアトレアから聞かされている。
そして、副官とアトレアが着席してから暫く経ち、朝2番の鐘が鳴る直前に、数人の取り巻きと共に総会の最後の参加者が足音を鳴らしながら入室してきた。
一人は、あばた顔の大柄な男で、まるで共産圏の将軍のように胸に大量の勲章をぶら下げている。
薄ら笑いを浮かべながら取り巻きから離れて、アトレアの対面に座った。
その男はアトレアに笑みを浮かべて会釈をするが、当の本人は視野にも入れず無視を決め込んでいる。
白山は、冷めた視線で入ってきた男達を眺め、その仕草を冷静に観察していた。
『この男がクリステン・カマルク…… 第2軍(北部ヴェルキウス帝国 国境担当)の軍団長代理か……』
先程アトレアから聞いた話を思い出しながら確認した白山は、相変わらず稚児のように騒ぎ立てる場の雰囲気に苛立ちを覚えている。
白山は大きく息を吐き、気持ちを切り替えようと努力しつつ、もう一人の軍団長代理へ目を向ける。
本日の獲物はこちらが本命だ……
第3軍団(東部シープリット皇国 国境担当)長代理であるラウル・ラサルは、小太りで軍人にあるまじき せり出した腹を軍服に押し込んだ背の小さな男だった。
その体格と歩幅のせいか、やや遅れてクリステンの隣に着席する。
ラウルは着席するなり、ハンカチを出し額の汗を拭う。それほど暑くない気候に思えるが息が荒い……
率先垂範を旨とすべき将官が、このような様では範を示すどころの話ではないだろう……
先程からの苛立ちの原因を具現化したような2人の代理の姿に涼し気な表情を崩さず、内心で白山は唾棄していた。
ふと、横を向くと席を立ったサラトナがバルザムに何やら耳打ちをしている。
それを聞いたバルザムは苦虫を噛み潰したように顔をしかめると、不承不承といった体で僅かに頷いた。
どうやら頭のネジが緩んだ宰相の仕掛けに、バルザムは嵌められたようだ……
自席に戻る途中、サラトナは一瞬だけ白山に視線を向けると何も言わずに戻っていった。
白山はもう一度大きく深呼吸し、この空間で主導権を握る為の演技を頭の中でリハーサルする。
会議室へ入る前、執務室でサラトナから耳打ちされた内容は、『代理共を徹底的にやり込めて、会議をかき回せ……』 だった。
その言葉の意味を小声で説明された時は驚いたが、この会議室の有様を見れば相当な荒療治が必要な事は明白だ。
『さて、せっかく舞台を整えてくれたんだ…… この淀んだ空気を入れ替えるとしようか……』
凄みのある視線を周囲に向け、口元を歪めた白山は静かに腹決めをしていた…………
ご意見ご感想お待ちしておりますm(__)m
次話は、週末更新予定です。