暗雲と急報と沈黙と
「本日、バルザム軍務卿は体調が優れぬそうで静養されるそうだ……」
白山に意味ありげな視線を投げかけながら、サラトナはそんな会話を切り出した。
少し眉を動かしただけで、ポーカーフェイスを装った白山は、「そうですか……」と言葉短く伝える。
すると、既に2杯めのワインを給仕に頼んでいるブレイズがサラリと爆弾を投下する。
「あの頑丈なおっさんが病気とか、よっぽど都合が悪いか、何か悪巧みでもしてるんじゃないんですかね?」
今日王都に帰還したばかりで、事態を知らないブレイズの的を射た言葉に、白山は思わず苦笑する。
その様子を見ていたサラトナは、顔を下にむけて必至に笑いをこらえていた。
自分の言葉のどこに面白い要素があったかと不思議がるブレイズに、サラトナが昨日までのあらましを伝える。
すると呆れたように溜息をこぼしながら、ブレイズは白山の方に向き直った。
「お前、よく無事だったな…… バルザム公の影といえば、裏の世界では一流どころで有名な存在だぞ?」
そんな事実を聞いていなかった白山は、肩をすくめてその言葉を聞いていた。
実際あの手練の暗殺者達に対して火器のアドバンテージやリオンの存在がなければ、十中八九殺されていただろう……
少しだけ苦く感じるワインを喉に落とし込みながら、白山はそんなことを考えていた。
程なくして財務卿もサロンに登場し、本日の晩餐の参加者が揃った。
財務卿は、ブレイズに向けて港町で押収した財貨の目録を早く出すように切り出す。
細かい仕事が苦手なブレイズは副官の姿を探すが、生憎とこの場にその姿はなく「早急に提出致します」と、少々声のトーンを落としつつ答えていた。
「皆、揃った様だな……」
そうした会話を楽しんでいると、小さな鈴の音が鳴り、レイスラット王が奥の扉から姿を現した。
グラスを置き立ち上がった面々を眺めると、王は軽く手を挙げて楽にするよう促す。
王がゆったりと一人がけのソファに腰を下ろすと、年かさであり最上位であるサラトナが、まずは最初に腰を下ろし他の者も腰を下ろしてゆく。
生来堅苦しいしきたりをあまり好まない王は、内輪の集まりでは格式張った挨拶や儀礼を省略する事が多い。
そうした気さくな面が貴族諸侯にしてみれば不満の種ともなっており、伝統や格式を重んじる貴族との対立構造となった所以でもある。
「おおよその話は、早馬の報せとホワイト殿の報告で聞き及んでいるが、ブレイズからの報告を聞かせてもらえるか?」
ワインを口に運びながら、平服で話をする王はどちらかと言えば一国の王というよりも地方領主のような親しみやすさを覚える。
親衛騎士団長として王の側に控える事の多いブレイズはその言葉に頷き、先程よりは丁寧な口調で王に報告を始めた。
「マクナスト伯爵の身柄は、移送後速やかに王宮の別塔へ拘禁しました。
明日一日は休養を取らせ、明後日から裁判の予定です。
財貨については…… 先程トラシェ卿からも目録を早く寄越せと言われましたが、倉庫及び伯爵の館から接収した財貨は量が多く足が遅いので、明日王都に到着予定です」
簡単に報告を終えたブレイズは、ワインを一口飲むと、チラリとトラシェに視線を投げかける。
トラシェは相変わらずニコニコと優しげな表情を浮かべて入るが、目線はしっかりとブレイズを捕らえ無言の催促を訴えていた。
その報告を聞いた王は少し思案し、真面目な表情でサラトナに質問する。
「最後の温情として、ワインの差し入れでもするべきかの……」
言外に自決の裁量を与えるべきかと問うた王に対して、サラトナは静かに首を横に振る。
「この問題は、王家への反逆が如何なる結果をもたらすかを諸侯に見せなければなりません。暗殺や謂れ無き噂を流布されない様に裁判は必要でしょうな」
一瞬だけ自分のグラスに目を落としたサラトナは、決然とした口調でそう告げると王もそれに頷きを返した。
その後、ブレイズの報告を白山が補足しながら簡単な報告を終えると、王は立ち上がり食堂へと足を向けた。
食堂に入ると丁度グレースが食堂に降りてきて、居並ぶ面々に優美な挨拶を向ける。
どうやら、サロンでの会話は政治的な側面もあり顔を出すのは遠慮していたようだった。
本日の晩餐は週替りの調理人交代があったらしく、先日の趣とは異なったメニューが並び始めた。
サラダから始まるコースは、見た目や味はイタリアンのそれに近かった。
シンプルで大胆な盛り付けだが、味は繊細で素材の持ち味を活かした料理は逸品揃いだった。
***********
晩餐がメインディッシュに差し掛かった頃だった。
一人の給仕が、さりげない仕草でサラトナに何やら耳打ちをして、去っていった。
その言葉を聞いていたサラトナは一瞬だけ渋い顔を浮かべたが、すぐに表情を戻し王へ断りを入れる。
「陛下、申し訳ありませんが何やら緊急の報せとの事で、中座させて頂きたく存じます」
メインディッシュの肉料理に手を付けていた白山は、王との晩餐を中座するとは余程の案件かと言葉の主に視線を向ける。
すると、その視線に気づいたサラトナは白山に向けても声を発した。
「ホワイト殿も出来れば同道頂けると助かる」
その言葉を聞いた白山は、何やら不穏な気配を感じ即座に頷きを返し、返答を得るため王に視線を向けた。
白山とサラトナを交互に見やった王は、静かに頷くと口元をナプキンで拭った。
「では、少々食休みとしよう。 何かあれば直ぐに報告をせよ。時間は構わん……」
決然と言葉を発した王に一礼し、サラトナは席を立つ。そして白山へ向けて目線で合図を送る。
白山も同じように席を立ち一礼すると歩き始めたサラトナの後ろに続いた……
食堂からサロンを抜けて廊下に出た所で、白山は周囲を確認するとサラトナに尋ねる。
「私に声をかけられたと言う事は、何か血生臭い報せですか?」
その言葉に頷いたサラトナは隣に並んだ白山に軽く視線を投げかけてから、言葉短く告げた……
「東の方が…… 何やら騒がしくなりそうな気配があるらしい……」
その言葉に、白山は心中で激しく舌打ちをした。
未だ軍の改革も、自身の部隊も整っていない。それでも敵は待ってくれない。
世の常とは言えあまりにもタイミングが悪すぎる……
サラトナの執務室に到着すると、そこには幾人かの見知った顔が少し緊張した面持ちでサラトナの到着を待っていた。
執務室の応接セットには3人の男が腰掛けている。
商会の店主であるクローシュと、元騎士団で元盗賊そして現在はクローシュ商会の店子兼護衛となったオーケン
そして薄汚れた格好で少し汗臭い初老の男が一人、緊張した面持ちで末席に座っていた。
「さて、クローシュ殿…… 夜分に火急の報せとの事で、陛下との晩餐を中座して来たがそれに値する情報かね?」
既に、先程までの柔和な好々爺然とした表情から表向きの宰相としての表情に切り替えたサラトナが、鋭い視線を応接セットに座る面々に投げかける。
末席に座っていた男はその言葉と視線に一層身を固くしていたが、クローシュは流石大店の店主というべきか、その視線を正面から見据えて応える。
「はい、逆にこの情報をお知らせしなければ後からお叱りを受けるであろう事が、稚児にも判る程に重要です……」
そう言ったクローシュの表情を見ていたサラトナは、椅子に腰掛けてから執務机越しに頷くと、続きを促した。
「事の発端は、今日の夕方でした。
この者が、買い付けと行商を切り上げて帰国した事によってもたらされました。
本来は皇国からオースランドを経由して南回りで戻る予定でしたが、皇国を移動中に彼の国の部隊が大挙して北の街道を西へ進んでいたと申しております」
そこまで話をしたクローシュは、続きを本人の口から語らせようと身を固くしている店子へ水を向ける。
緊張からかたどたどしい言葉で語り始めた店子は、喉をカラカラにしながらも声を絞り出す様に喋り始めた。
見かねた白山が、文官に水を持ってこさせ店子へ差し出すと、幾分聞き取りやすい口調で話すようになった……
店子の話を要約すると、皇国内では現在品物の値段が上がっており行商の需要が高くなっているとの事だった。
そこで欲を出した店子は、皇都周辺だけではなくレイスラットとの国境に近い北の街にも足を伸ばそうと、馬車を向けたそうだ。
商売は上手くいき、品物をさばいて皇都への道を引き返していた最中、途中で大雨に降られて暫し足止めを食らったらしい。
ようやく雨が上がり、あと1日で皇都という地点まで来た店子は、そこで1万に近い皇国軍の部隊とすれ違ったという。
店子の話では、皇国の北の街道はレイスラット王国への一番の近道であり山がちな地形ではあるが最短距離で国境に向かうことが出来る。
北の街周辺では、氾濫や騒乱の噂もなく、皇国軍が目指すとすれば国境に違いないと思い、仕入れを断念して急ぎ帰宅したという……
黙って話を聞いていた白山は、ひとしきり話し終えた店子に、疑問点をぶつける。
「何故、皇都経由で帰国した貴方の方が皇国軍よりも早く帰国できたのですか?」
最短で国境に至るルートならば、店子より皇国軍のほうが早く到達していなければおかしい……
サラトナの執務机に広げられた地図を確認しながら、視線を店子に向けた白山に店子が答えた。
「なっ、長雨の影響で北の街に通じている山道が崩れたと宿場町で聞き及びました。
恐らくそのせいで、私のほうが早く戻れたのだと思います……」
そう答えた店子はまた水に手を伸ばし、水を飲むと早急な帰国のために無茶なルートをたどったと教えてくれた。
何でも馬車を売り払い、最小限の護衛で陸路を馬で走りぬけ途中の関所では賄賂と親が危篤であると嘘を言い、国境を超えてきたとの事だ。
その言葉を聞いた白山は、覚えている限りの情報を店子から聞き出した。
おおよその馬車の数や遭遇から通過までの時間、がけ崩れの予想箇所や兵士の格好などを尋ねる。
途中、曖昧な箇所もあったがある程度情報が揃ったと判断した白山は、礼を言うとサラトナに目配せをする。
サラトナもその意図を汲んだのか、先程までの厳しい表情を少しだけゆるめて店子にねぎらいの言葉をかけた。
「ふむ、苦労をかけたな…… 確かにこれはクローシュ殿の言うとおり火急を要する報せだった……
今夜は城に部屋を用意させる故、ゆっくりと休んでいってくれ。明日にでもまた話を聞かせてもらうとしよう」
そう言うと、3人は文官に促され、一礼すると執務室を退出していった。
パタンと扉が閉まると、サラトナが白山に話を切り出した……
「この話、真実だと思われるか?」
その言葉に白山は、言葉を選びながら慎重に答える。
「地形的な要素や細部の描写に曖昧な点は少ないので恐らく、兵を見たと言うのは真実でしょう……
ただし、それが我が国に向けられた兵なのかについては、まだ判断する材料が少なすぎますね…… 」
白山がそう言うとサラトナは、王家の紋章が入った証書を何枚か机に広げて文章を書き始めた。
「儂は明日の朝一番で、軍の人間を集めた会議を開く段取りを整える。ホワイト殿はこの件を陛下に報告して頂けるかな?」
その言葉に頷いた白山は、自身の執務室からタブレットとプリントアウトした地図を持ち出すと、王宮への廊下を早足で戻っていった……
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王家の食堂に戻った白山は、食事を中断しお茶を飲んでいた王に一礼すると要点をかいつまんで報告する。
そして現在サラトナが、明日の朝一番で軍の人間を集めた会議を開催する段取りを整えていると王に伝えた。
本来、この場にバルザムが居れば会議を開催すべく差配するのは、軍務卿の仕事となるが生憎と『体調不良』でこの場にはいない。
その為サラトナが代理で会議を招集すべく、書類を認めていた。
コピーやプリンターのない時代、全て手書きで書類を作成する苦労を考えると、白山は見知った文官たちに同情を覚えたがこれも彼らの仕事だ。
白山の報告を聞いた王は、先程までのくつろいだ表情を一変させ真剣な表情になるとブレイズに向かい口を開く。
「さて、この場で成しておくべき手はどのようなものがある?」
その問いかけに、それまで結構な量のワインを飲んでいる筈のブレイズが些かの酔いも感じさせず明瞭に答えた。
「はい、まずは国境砦の守備隊に早馬を飛ばし事態を知らせる必要があるかと存じます。
同時に間者 間諜の類や流言を予防するために、城内と王都の警備をそれとなく強化すべきかと思われます」
スラスラと答えたブレイズの返事に王は一瞬だけ白山に視線を向ける。本人が小さく頷いた事で納得したようだった。
「そのように成せ」と王は言葉短く伝えると、ブレイズは給仕に副官を此処へ呼ぶように依頼する。
着席した白山に向けて、続けて王が疑問を投げかけた。
「ホワイト殿は皇国は攻めてくると思うか?」
率直かつ、的を射た質問に白山もよどみなく答えた。
「陛下、現状ではまだ判断材料が少なすぎます。しかし、軍人とは常に最悪を予想し、最悪に備える必要があります。
そうした点からも襲撃があると仮定して対処すべきかと存じます……」
その言葉に頷いた王は、白山に言葉短く「勝てるか?」と問う。
「勝てるかではなく、勝たなければなりません……」
準備は足りず、軍の改革もようやくこれからという時であり、正直に言えば厳しい戦いになるだろう。
しかし総大将である王が狼狽えた態度を見せては、全体の士気に関わる。
決然とした表情でそう語る白山の表情に、幾分安心した様子の王は目を閉じ少しだけ沈黙すると、やがてゆっくりと目を開けて口を開く。
「そうであるな…… 勝たねばならんのだな…… 」
その言葉は小さなつぶやきだったが、重い響きを含んでおり、確かに白山の胸に届いていた…………
次話は水曜~週末更新予定です m(_ _)m




