老練な影と腹蔵なき会談
遅くなりました……
白山とリオンは相互に援護をしながら、襲撃現場へ舞い戻った。
血だまりに動かぬ躯が転がっており、辺りには静寂が戻っている。
大きな銃声が鳴り響いたにもかかわらず、周囲には人影もなく闇だけが周囲を漂っている。
リオンに背中を預け、路地に侵入した白山は前方の気配を肌で伺いつつゆっくりと進んでいった。
程なくして黒い人影の下までたどり着いた白山は、眉間にシワを寄せる。
首筋に刺さったナイフが見え、既に事切れていると判断した白山は周囲に視線を走らせた。
『居る……』
チリチリとした殺意が、少し先の暗闇から発せられているのを感じ取った白山は、静かに声をかける。
「口封じか…… 随分と徹底してるじゃないか」
漠然とした感覚だが、殺意は感じるが収束した敵意が自分に向けられていない。
そう判断して声をかける。
暗闇からヌルリと湧いて出たのは、黒装束に身を包み顔を頭巾で覆った男だった。
その立ち居振る舞いに白山は見覚えがあった。
バルザムの私邸で歓待をしてくれた、件の老執事が無言で視線を向ける。
その冷たい視線は首筋に氷を当てられているような感覚を白山に覚えさせた。
給仕をしていた時の柔和な表情とはまるで別人のようだ……
「何故、待ち伏せに気づいた……?」
老執事が立てた計画は後ろから馬で追いかけ、馬車が速度を上げた所で張り巡らせた綱で馬車を破壊
矢を射かけてから襲いかかるという、銃の使用を防ぎ反撃の暇を与えないよう、入念に考えられたものだった……
その目論みは白山が早々に馬車を降りた事で急遽変更を迫られ、待ち伏せ地点から急いで集まった部下は、白山によって倒されてしまった。
しかも追い立て役だった影にいたっては、捕縛される始末だ……
「申し訳ないが、そのへんは秘密だ。 手の内は明かさない主義でね……」
白山がそう答えると周囲に散っていた殺意が俄に収束する。
殺意という漠然とした感覚が、一本の筋のように白山に集中した。
『来る……』
白山がそう判断した瞬間、1本のナイフが暗闇を切り裂き飛来する。
咄嗟に身を転がした白山がナイフを避けると、転がった先にすぐ次のナイフが飛来する。
飛来する2本目を目指した白山は、もう一度転がる寸前にM4を無照準で前方に向けて射撃する。
サプレッサーに減音された『パシッ』っと言うムチのような音が鳴り響き、ナイフの飛来が止む……
体勢を立て直した白山は、すぐにM4に取り付けられたフラッシュライトを素早く点滅させて正面を照らす。
決して1箇所にとどまらず、複雑なステップを踏みながらライトを照射する白山は、路地の壁沿いに老執事……いや手練の影の姿を認める。
ライトの中心光を相手の顔面に向け、点滅を繰り返しながら白山は回り込むように接近してゆく。
不意に白山は点滅させていたライトを消灯し、暗闇に溶け込んだ。
老練な影は自身の顔面に向けられた光を直視することは、死に直結すると分かっていた。
腕で自分の視野を庇い光をまともに浴びまいと遮ったが、それでも突然訪れた暗闇の静寂に前後不覚に陥ってしまう。
白山の位置を見失った影は聴覚を駆使しその所在を探ろうと試みるが、その試みは既に遅かった。
大腿部に強い衝撃を感じ、その場に崩れた影の首筋に冷たい刃が当たる感触を感じる……
気づいた時には、既に手の届く位置に達していた白山が、脇差しを抜き放ち大腿部へ峰打ちを落とし、その刃を首筋に当てていた。
ようやく目が暗闇に馴染み始めると、朧気ながら周囲の状況がつかめるようになり、そして完全に自身の命が白山達に握られている事を位置関係から判断する。
路地の奥に入り込んだリオンは油断なく白山の背後と影の背中を射界に収め警戒を怠らない。
万一、白山に一矢報いたとしても、次の瞬間にはリオンに撃ち倒される。
幾多の死線をくぐり抜けてきた老練な影はそう判断し、ナイフを地面に投げ捨てた。
こうなっては仕方がない…… 舌を噛むなり自決するかと覚悟を決めた所で不意に声が投げかけられる。
「主に伝言を頼みたい……」
脇差しを首に向けたまま白山から発せられた言葉に、頭巾の下で舌を噛み切ろうと開きかけた口を閉じる。
その言葉は小さく白山の口から発せられ、そして闇に溶けていった……
*****
徒歩で王宮に戻った白山は、自室に戻り大きく息を吐く。
戦闘で高ぶった気を鎮めるとリオンがお茶を出してくれる。
礼服を脱ぎ捨てお茶を啜った白山は、今回の襲撃について考えをまとめようと思考を働かせた。
恐らくバルザムが白山に襲撃を仕掛けたのは、軍の改革に関して急進的な意見を出した為だろうと白山は考えた。
白山としてみれば下手に隠し事をせず、自身の案をさらけ出しそこから妥協点を見出そうと思っていたのだが……
深謀遠慮とビジョンの共有は、バルザムにとっては強行的な改革を推し進めると移ったのかと、思いを巡らす。
そして元の世界とのギャップを改めて認識させられた。ここは権謀術数が蔓延る宮廷政治の世界だと痛感する。
白山はこれまで習得した交渉術や議論の組み立てが役に立つのか、そしてこの国での政治の在り方についてもう一度見つめなおす必要があると感じていた。
ここで国を割るのは絶対に避けなければならない。
そう考える白山はここで襲撃を明らかにして、バルザムを糾弾しては事態はより一層悪化するだろうと考えていた。
宰相であるサラトナには一言報告は必要だろうが、徒に事を荒立てる事はすべきでないと決断する。
それよりも今回の事件を発端として、バルザムの懐に入り込み本心を探りだす方が今後の改革に資するだろう。
慣れない交渉のせいか戦闘の余韻か、急に重くなってきた瞼に気づく。
少し早いが床に入った白山は、意識が消失する瞬間まで今後の方策について思考を巡らせていた……
* 同時刻~バルザム私邸 *
「して、その伝言とは……?」
バルザムは、神妙な面持ちで戻ってきた老執事から襲撃の失敗を聞かされ、その締めくくりに白山からの伝言を伝えられた。
襲撃の失敗を伝えられたバルザムは激昂し手に持っていたグラスを老執事に投げつけたが、投げられた本人は微動だにせずその投擲を受ける。
額から流れる血を拭いもせず、老執事は一言一句違えず白山の言葉を伝える。
「俺は、軍の改革でバルザム殿を敵に回すつもりはない。 明日この件について会談を設けたい……」
そう言った老執事は、一息つくと腹の底から絞り出すように重々しく語を続けた。
「執事殿には…… 今後もバルザム殿に仕えて欲しいと……」
そこまで言葉を吐いた老執事は、血が出るほど拳を握りしめ、細い血が床に滴った。
黙ってその言葉を聞いていたバルザムは、下がって傷の手当をしろと老執事に命じ下がらせる。
新しいグラスに蒸留酒を注ぐと、それを一口含み黙って白山の言葉を反芻する。
バルザムの心中では疑念と疑問が渦巻いていた。
襲撃に失敗した今、執事を捉えたならばそれを証拠に自分を糾弾すれば、直ぐに自分は失脚するだろう。
良くて隠居、悪ければ一族皆処刑の憂き目に遭うことは間違いない。
そして貴族派の筆頭である自分が失脚すれば、その勢力は大きく削がれる。
千載一遇の好機であるはずなのに、それをしない……
貴族としての感覚では、隙や弱みを見せてしまった貴族は徹底的に叩かれる。
有力貴族が重しとして上に君臨している現状、家の出世は数世代かかるのが常だ。
その為貴族同士、何かしらの不祥事の暴き合いや、揚げ足取りは日常茶飯事だとバルザムは心得ていた。
いや、この国の貴族に話を聞けば、十中八九そのように答えるだろう……
それ故に、白山の考えが理解できない。
そしてこの件を不問に付すような、意味ありげな伝言……
「判らん……」
一人呟いたバルザムは、酒を煽り黙って机の上の燭台を見つめ続けていた……
*****
翌朝、朝一番に宰相執務室を訪ねた白山は、昨夜の次第をサラトナに報告した。
白山の報告に驚いた様子のサラトナは、真剣に白山の報告を聴き始める。
黙って話を聞いていたサラトナは、昨夜のバルザムと同様に何故その事態を利用して、バルザムの失脚を狙わないのかと白山に尋ねる。
その問に白山は静かに答えた。
「国を割って貴族派を解体するのは得策ではありません。
今後に禍根を残しますし、今後の軍の改革を考えれば、一から新規に軍を編成するには時間が足りないでしょう」
そこまで聞いたサラトナは腕を組むと暫し白山の考えを反芻し、やがて頷いた。
「ならばこの件は、儂の胸中に留めておこう。
今後の事もある改革が早く進むなら、ホワイト殿に一任する」
そう言ったサラトナは少々残念がっていたが、もたらされる国益と混乱を天秤にかけ結局は白山の考えに賛同してくれたようだ。
礼を言って執務室を後にした白山は、自分の執務室に戻った。
そこではリオンが昨夜の使用された火器の点検とクリーニングを行っていた。
ブラシでカーボンを取り除き、各部を清掃するリオンの手先は、慎重ではあるがよどみなく細かいパーツを扱っていた。
分解されたMP7はボロ布で磨かれ機械油を注されて、じきに滑らかな動作を取り戻すだろう。
その様子を横目で見ながら白山は、明日以降の予定と今日の予定を確認する。
駐屯地整備の今後の推移や隊員募集の状況、そして後日開催される裁判の件……
本日の予定は特に大きな動きはないが、バルザムとの面会が控えている。
何かを仕掛けてくるとは思えないが、腹を割って話ができればいいのだが……
白山は内心でそんな事を考えながらスケジュールを確認してゆく。
文官へバルザムへの面会の約束を取り付けるように依頼すると、返事は直ぐに返ってきた。
昼過ぎに面会の約束が取れましたと、事情を知らない文官はのんきに返答を持ち帰る。
そんな様子に白山は内心、苦笑しながら文官に「ありがとう」と伝え、諸々の書類に目を向け始める。
大量の羊皮紙や紙束と格闘しながら、午前の仕事を片付けた白山は簡単に昼食を済ませると、リオンとともにバルザムの執務室に足を向けた。
ちょうど宰相の執務室とは反対方向にある軍務卿の執務室に向かった白山は、騎士団の兵士が門番を務める重厚な扉の前に立つ。
手短に面会の旨を兵士に伝えると、対応してくれた文官がすぐに出てきて応接室に通される。
壁際に立ったリオンは、油断なく周囲を見回し不測の事態に備えているのが気配から感じられた……
程なくして現れたバルザムは昨夜は眠れなかったのか、赤い目をして疲れている様子だった。
文官が茶を持って来ると、バルザムは会談が終わるまで人払いをするように文官に命じる。
文官が退出し扉が閉まると応接室に静寂が訪れ、少し空気が重くなったように思えた……
「昨夜は過分な歓待、ありがとうございました」
静寂を破ったのは白山からだった。
頭を下げ昨夜の招待に礼を言った白山に、バルザムは意表を突かれる。
「いや……楽しんで頂けたようで何よりだった……」
言葉少なくそう答えたバルザムは、慎重に白山の出方を伺っている様子で不用意に口を開かないようにしている様子が伺える。
そう感じた白山は、会話の主導権を握るべく、サラリと核心に触れた。
「城へ帰る途中の出来事には少し驚きましたが、昨夜は良い夜でしたね」
そう口にした途端、バルザムの表情が一瞬だけ歪むがすぐに射るような視線を白山に向けてくる。
「腹の探り合いは、このくらいにしておこうか…… 」
隠すことなく殺気をはらませた気配を向けてきたバルザムに、リオンがバルザムの方向に向き直る。
軽く手を上げてリオンの動きを制した白山は、その殺気を真正面に受け止めながら表情も変えずに会話を続けた。
「それは私としても有難い……
些細な行き違いはありましたが、私は昨夜の件を公にするつもりはありません」
白山のその言葉に眉間にシワを寄せ訝しむ表情をのぞかせたバルザムは、白山にその真意を質した。
「儂を失脚させれば、そなたが軍の実権を握る事も不可能ではないだろう。 何故、それをしない…… 」
その言葉に少し息を吐き出した白山は、真っ直ぐにバルザムを見据える。
「急激な体制の変換は私の意図する所ではないのですよ……
国を割ってまで持論を通すつもりはなく、議論を通じて妥協点を見出そうと思っております」
口調はそれまでと変わらないが、白山の視線には力が注がれその言葉に重さを与えていた。
「私が出した改革案は、現在の国軍の状況からすれば到底受け入れ難い代物であることは十分に理解しています。
しかし早急に改革を行わなければ、皇国からの防衛には到底耐えられないでしょう」
白山の率直な言葉に、バルザムはため息をつきながらも同意を示す。
「確かにな……」
昨夜の戦力分析を聞いていたバルザムは、その内容を思い起こしながら呟くように返答する。
「まずは現状を正しく認識し、受け入れ易い改革と早急になさなねばならぬ事項を、両者の間で詰める必要があります。
そのために必要なのは、対立ではなく対話です」
サラトナの描く絵図では貴族派の勢力を削ぎ、国王派主導での改革を目論んでいたが、白山は貴族派の意識改革も同時に行おうと考えていた。
切るべき癌は切るがそれ以外の貴族に関しては、出来る限り温存して事態を軟着陸させたいと白山は考えている。
その言葉を聞いたバルザムは、やはり貴族派の懐柔に自分を利用するつもりかと顔をしかめる。
その表情を見て取った白山は、その意図を汲み取り言葉を続けた。
「負担は分かち合う事も可能でしょう…… それに矢面には私が立ちます」
白山の言葉に驚いたバルザムは、「正気か?」といった表情で目を見開く。
「後日、軍全体の会議を開催して頂きたい……」
白山がカードを切りそう言い放った時バルザムはその本気を見て取り、暫く言葉が出てこなかった…………
ご意見ご感想、お待ちしております m(_ _)m