食事と至福と褒章と
飯テロ回です……(笑)
白山は、黙々とノートに今後必要になる部隊の編成に関する内容を書き込んでゆく。
途中で、控えめなノックでリオンが姿を現すが、「どうぞ」と短く声をかけただけで、ひたすらにノートを埋める。
リオンはそんな白山の様子を見て、黙ってお茶を淹れソファに座って何かの本を読む。
たまに、黙考して思い出したように書き進める白山は、リオンの淹れてくれたお茶を一口すすり作業に没頭した……
リオンは、帰還した今日くらいはゆっくりしてはと思ったが、白山の置かれている立場を考え口を噤む。
そして、ベッドは別といえ同じ部屋で過ごすうちに白山から聞いた異世界の様子や軍隊の話……
それらがこの世界にももたらす影響とこの国の行く末を考えると、声をかけるのが憚られる。
白山が大きく息を吐き、作成する書類が一段落したのは夕日が沈む直前だった……
何ページかのノートを切り取ると、リオンにこれをサラトナのもとに持って行ってくれと頼み、数時間ぶりに根の生えた椅子から腰を上げた。
大きく背筋を伸ばし凝り固まった体をほぐすと、少し走ろうかと考えながらお茶のカップを持ちソファに腰を下ろした。
少し目の疲れを感じて目頭を揉み込んでいると、リオンが帰ってくる。
目頭を揉む白山の姿を見たリオンは、黙って白山の背後に回ると優しくその肩を揉み始める……
一瞬戸惑った白山だったが、疲れには勝てずリオンのマッサージを受け入れた。
労るように優しく、それでいて力を入れるべき箇所はしっかりと押しこんでくれるリオンのマッサージに心地よさを感じながら、白山は今後の予定を考える。
明日は王との面会と証拠の提出と検討があり、4日後には2度目の叙勲だ。
そして部隊の駐屯地になるファームガーデンの視察もしなければならない……
先ほど切り取ったノートには、部隊の徴募に関する基本的な事項が書いてあり、サラトナに依頼してこれを布告してもらうのにはこの世界の情報伝達速度から見て、1ヶ月はかかるだろう。
そうすると部隊の本格的な始動は、早くても1ヶ月から2ヶ月はかかる。
部隊で使用する被服の発注や装備品の選定にかけられる時間も限られる。
要員を確保した時点で訓練を開始して、装備や被服は追いかけるか……
そんな事を漠然と考えていた時に、不意に執務室の扉がノックされる。
どうぞ…… 白山がそう言う前に控えめに扉が開かれ、そこに姿を見せたのはグリーンのドレスを纏ったグレースだった。
リオンにされるがままマッサージを受けて、弛緩していた気持ちを切り替えると、リオンに小さな声で「ありがとう」と伝え、グレースを執務室に招き入れる。
招きに会釈を返してソファに座ったグレースは、ニッコリと微笑みながら白山に優しい視線を向けている。
会話が始まらない事に戸惑った白山は、グレースに向けて語りかける。
「本日はまた突然のご来訪ですね。どうかなさいましたか?」
その言葉に少し笑ったグレースは、リオンが出してくれた茶に優美な仕草で口をつけると、一拍置いて口を開いた。
「ホワイト様がご帰還なさったと聞いて、労いに参りました。 困難なお仕事、ご苦労様でした……」
そう言ったグレースは優しい微笑みを白山に向ける。
「グレース様にねぎらって頂けるとは光栄です。ありがとうございます……」
グレースの真意が読めない白山は、戸惑いながらも通り一遍の受け答えで流そうとするが、交渉についてはやはりグレースが一枚上手だった。
「いえ、ホワイト様がご帰還されたと聞き、お茶会を中座して駆けつけましたの……」
そう言ったグレースは、少し頬を染める。
「先程文官から聞きましたが、陛下に明日面会の申し込みをなされているとか。
陛下も帰還をお待ちの様子でしたので、今夜の夕食にお誘いしようかとお邪魔したのです……」
突然の話に、白山が驚いていると悪戯っぽく笑うグレースは、更に畳み掛けるように言う。
「ホワイト様だけを招いて、私的にお食事をさせて頂きたいと以前から思っておりましたの……」
お茶を吹きかけた白山は、動揺しながらも何とか堪えて返答する。
「いえ、王とグレース様の私的な食事にお邪魔するのは、畏れ多いと言うか……些か、憚られます……」
そう言うとグレースは少し悲しそうな顔を浮かべ、身を乗り出すようにして白山を見上げる。
「私とのお食事は、お嫌いですか……?」
困った白山は、否定するように首を振って否定する。
「いえ……決してそんな事は……」
するとグレースは、安心したように胸に手を当てて微笑んだ。
「では、決まりですね。支度が整い次第遣いの者を寄越しますね……」
有無をいわさず、スッと立ち上がったグレースは白山の返答を待たずに優美なお辞儀を残して去っていった……
呆気にとられた白山は、諦めたように頭をかくと身支度をするために風呂に向かった。
いつもなら着替えをすぐに用意してくれるリオンが、不機嫌そうに白山へ着替えを押し付けてくる。
少し痛いリオンの視線を背中に受けながら、白山は風呂場に向けて歩いて行った……
*****
夜の帳がすっかり降りた頃、メイドが白山を迎えに来てくれた。
上着を掴むと、入口に向かう白山はふと思って、リオンに少し耳打ちする。
無表情だったリオンの眉が一瞬だけピクッと跳ね上がる。
どうやら効果があったようだ……
少し安堵した白山は上着を羽織りながらリオンに「行ってくる」と伝え、部屋を出た……
数日ぶりに会った王は、こちらも少し疲れた表情ではあったが白山を見ると笑顔を浮かべてくれた。
「おお、ホワイトよ。無事に戻ったか!サラトナからの報告は、先程受け取った。
今回も大きな活躍だったのう……」
食前酒に手を付けていた王は、わざわざ席を立ち白山を迎えてくれた。
恐縮しながらも勧められた席に座った白山は、グラスを受け取り軽く掲げる。
その仕草に頷いた王が、同じようにグラスを掲げた。
それが合図であったようにグレースも食堂に姿を現す。
優美な仕草で会釈をしたグレースは、少し長い長方形のテーブルに歩み寄ると、王と対面の自身の席に腰掛けた。
そして同じようにグラスを掲げ、2人に微笑みかける。
洗練されたその仕草に思わず白山は目を細める……
所作が洗練されていてその動きひとつが絵になる。そんな感想を抱いた白山は、再度グラスを掲げてそれに答える。
先程、白山の部屋に訪れた時とは違う、薄いブルーのドレスが、グレースの透き通るような白い肌とよく合っている。
少し甘い食前酒は、疲れた白山の体に染み入り、空腹の胃に仄かな温かみをもたらしてくれた。
微かに果実の香りが感じられる食前酒は、甘すぎず適度な舌触りで流れるように胃に落ち込む。
次いで出された前菜は、小さなグラスに盛られたムースだった。
淡い緑のムースの上に小ぶりの海老がジュレと共に盛りつけられている。
ジュレとムースをスプーンで掬って、口に運ぶと野菜特有の上品な甘さとジュレの旨みが口の中で溶け合った。
さり気ない動作で白山の側に訪れた給仕が、白山のグラスにワインを注いでくれる。
礼を言って受け取った白山がそれを一口含むと爽やかな果実の酸味と滑るような清涼感が感じられ、ムースの余韻を流し去ってくれた。
どうも本日の料理は、いつもと趣向が違うようだ。
これまでは現代の感覚で言えば、イタリアンの家庭料理を少し上品にした感のあるボリュームのある料理だったが、今回はフレンチに近い……
料理の違いに、はて?と白山が思っていると、その評定に気づいたグレースが白山に声をかける。
「きょうの料理はお口に合いませんか?」
「いえ、そうではありませんよ。先日頂いた料理と趣が変わったので……」
その言葉を聞くと、はにかんだように笑ったグレースは趣向が変わった原因を教えてくれた。
「王宮には3人の調理人が控えており、週によってそれが変わるのです。
それぞれ違う得意分野や技巧を持っているんですわ」
そう言って、今日の調理人はデザートが得意なので期待していいとグレースが目を輝かせた。
その言葉に反応したのはレイスラット王だった。
「おいおい、先日食べ過ぎたから今日はデザートを控えるのではなかったかな?」
そう言いながら笑った王は、ワインのせいではなく顔を赤くしたグレースにちょっと睨まれて首をすくめた。
その様子を見ていた白山は、少し微笑んでそのやりとりを眺めていた。
その視線に気づいたグレースが小さく「内緒ですよ……」と、恥ずかしそうに白山に釘を刺す。
苦笑しながら、頷いた白山は次に運ばれてきた皿は、皿の空間に贅沢にソースで描かれたグラデーションが鮮やかな魚料理だった。
野菜で設えられた土台の上に、柔らかな鱒らしき魚の切り身が載せられている。
コクの有るソースと一緒に魚を口に運ぶと、身が舌先でほぐれ淡白な魚の身に旨みが交じり合う。
野菜もコンソメか何かで炊かれているようで、単独で食べれば箸休めのように優しく、魚と一緒に食べるとまた違った味わいをもたらしてくれた。
これだけの料理なら、元の世界でも十分に人気店になるだろう。
そんな事を考えながら、静かに……そして至福の食事は進んでゆく。
先日の会食とは違い、王もグレースも静かに食事を楽しんでいる。
メインの肉料理には、白山も少し驚く。
ローストビーフのようにレアの肉が薄く切られており、それで薔薇の形に盛りつけられていたのだ。
グレースもこの演出には感動したようで、「まぁ……」と小さく声を上げていた。
外側から花びらを剥がすように肉にフォークを伸ばすと、赤いソースで描かれている枝と葉の模様に絡める。
ベリー系の酸味が感じられるソースと、十分に旨みを湛えた少し野味のある肉が調和して幸せな感覚が訪れる。
少し重いワインとも相性がよく、肉とワインが滑るように喉に消えてゆく……
幸せな時間とは短命に終わるものだ…… 余韻だけを残してメインの皿は終わってしまう。
そこに運ばれてきたカップに、白山は目を奪われた!
カップに湛えられた黒い液体は、紛れも無く白山の探していた逸品だったからだ。
漂う香ばしい香りは、紛れも無くコーヒーだった。
これまで、こちらの世界に来てから何度か探していたが、見つからず無いものとして諦めていたコーヒーが目の前にあるのだ。
恋人との逢瀬を待ちわびたように、運ばれてきたコーヒーへ手を伸ばしゆっくりとその香りを嗅ぐ。
そして一口含んだ途端、白山の眉間にしわが寄った……
給仕に目配せをして、近くに呼ぶと申し訳なさそうに白山は切り出した……
「済まないが、砂糖が入っていない物はあるかな?」
残念な事に白山のもとに運ばれてきた念願のコーヒーには、最初から砂糖が溶かし込まれており、甘く仕立てられたものだった。
コーヒーはブラックで嗜む白山は、これには我慢できなかった……
「しかし、砂糖抜きとなるとかなり苦く、お口にあうとは思えませんが……」
そう躊躇う給仕に、無理を言って砂糖の入っていないコーヒーを持ってきてもらう。
そうしているうちにデザートの皿が運ばれてくる。
デザートは小さな皿が2つあって、ひとつはミルフィーユのようなケーキと、もうひとつは果物のワイン煮のようだった。
そして、白山のもとに念願のコーヒーが再度運ばれてくる……
再びそれに口をつけた白山は、安堵したように目を細めた……
少し酸味はあるが、紛れも無くそれはコーヒーだった。
久しく飲んでいなかったその苦味に、何処か懐かしさを感じながらもデザートの皿に手を伸ばす。
見れば王とグレースは、運ばれたコーヒーに更に砂糖を追加して飲んでいた。
人の嗜好に口は出すまいと思い、自身のコーヒーとデザートに集中した。
ミルフィーユは、さっくりとした歯ごたえで、ほのかな甘さがコーヒーに良く合っている。
そしてその甘さを消すように、洋梨のような果実を煮込んだワイン煮は、少し酸味が効いており口の中を爽やかにしてくれた。
そんな至福を味わっていると、グレースが徐ろに口を開いた。
「陛下、まだホワイト様にあの話はなさっていないのですか?」
その言葉を聞いたレイスラット王は顎鬚をさするとニヤリと笑い、その言葉を引き継いだ……
「楽しみは、最後までとっておく性分でな…… 判っておろう」
そうグレースに言った王は、少し悪戯っぽく笑い白山に語りかける。
「今回のバルム領での褒章で、ホワイト殿に出す褒章についてな、グレースから散々詰め寄られてのぅ……」
どうやら一国の王も、娘のおねだりには敵わなかったらしい。
「ありがとうございます。ですが、褒章を目当てに任をこなしている訳ではありませんので」
白山がそう言うと、王は満足そうに微笑んだ後勿体ぶるように咳払いをしてから白山に告げた……
「儂としては、今回の褒章はホワイト殿の屋敷をと考えていたのだが、二度目ともなればそれなりの物を用意せねばならない。
しかし、爵位に関しては慣例が邪魔でのぅ……
そこで、グレースから言われて儂も決心したのだが……」
そこで言葉を切った王は、コーヒーに口をつけ一息つくと、語を継いだ。
「そなたに、異界の鏡を下賜する事としたのだよ」
その言葉に、驚いた白山は巡りあったコーヒーの味も忘れ、真っ直ぐに王を見つめていた…………
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