射撃と商人と【挿絵あり】 ※
白山は、この世界に召喚されてから一番驚いていた。
少女の口から出た言葉は、紛れも無く日本語だったからだ。
いや、日本語だったかは解らない。
ただ「誰?」と話した少女の言葉の意味が、明確に理解できたからだ。
内心ではひどく驚いていたが、監視中の白山は態度にそれを出すことはなかった。
だが、呼吸を忘れるぐらい衝撃を受けていた。
思い出したように息を吐き出した白山は「日本語が通じるのか?」と心のなかで明るい展望を抱いた。
しかし、その明るい兆しはすぐに暗転する。
少女の後方から姿を表したのは、2m程もある大きな男だった。
不精髭がこびりつき、伸び放題の髪の毛がいかにも粗野な印象を与える大男だった。
毛皮のベストを着て手には山刀を握る男は、少女を見ると下卑た笑いを浮かべながらゆっくりと近づいていった。
少女は、男の姿を見つけると「ヒッ」っと小さく悲鳴を上げ、籠に半分ほど摘み取られた赤い実を地面に落としてしまう。
「誰なの?」
震える声で、少女は男に問いただした。
男は、その問いには答えずゆっくりと少女に向けて足を進めた。
「お嬢ちゃんこそ、こんな朝早くに何をしているんだい?」
ニタニタと笑いながら、近づく男だったが目だけは、爛々としており獲物を追う血走った目をしている。
「お父さんと一緒に、近くで野営していたの。朝ごはんの支度でルコの実を取りに・・・」
後ずさりながら、消え入るような声で話す少女は、逃げるタイミングを必死に探している風だった。
「そりゃ、良かった。俺も朝飯を探して森のなかに入ったらこんな獲物が居たんだからな」
気味の悪い笑い顔から歯をのぞかせながら男は、大股で素早く少女に歩み寄ると、一気に距離を詰める。
驚いた少女は、振り向き駆け出そうとするが、恐怖からか数歩進んだ所で無残に転んでしまう。
「大人しくしろっ!」
先ほどまでに締りのない声から一転して、低くドスの利いた声で少女を威圧しながら首筋に山刀を押し当てた大男はジロジロと舐め回すように、少女の体を見るなり吐き捨てるように言った。
「まあ、売りゃ多少の金になるだろう。」
少女は、髪を掴まれて地面に押し付けられると、声も出せず身をよじって男の手から逃れようとするが、ムダな抵抗だった。
白山は必死に感情を押し殺し、一部始終を見続ける。
ここで飛び出して男を始末するのは容易い。
距離は約50m 腐るほど射撃訓練を繰り返してきた白山にすれば、外しようのない距離だった。
だが、男に仲間がいる可能性も否定出来ない。更に少女を助けた後に、どう保護するかも問題になる。
白山は悩んでいた。
本来であれば、見捨てるべきだ。自身の存在が露見しないのであれば、面倒事に自ら首を突っ込む必要はない。
白山は、数年前の出来事を思い出していた……
中東で日本人が誘拐され政府は、特殊作戦群の派遣を決定した。
一切表に出ない作戦で、誘拐が発生した24時間後 先遣隊にC-130に乗り込み現地に向かい任務を遂行したのだが、その傷は未だに白山を苦しめていた。
現地の情報機関からもたらされた情報では、日本人は3日後 ある建物に移動させられ、そこでビデオ撮影と処刑を実行されるとの確かな情報だという。
すぐに白山達は現場に急行、監視体制を構築し日本人達の到着を待っていた。
だが、そこで見たものは現地人女性が拷問され、無残に撃ち殺される光景だった。
しかし白山達の救出目標である、日本人達はまだ到着していない。
結局は感情を押し殺してその場に留まることしか出来なかった。
偵察班に組み込まれていた白山は、そこで見ていることしか出来なかった無念を、ずっと引きずっていた。
自分には装備も技量も救える自信もあるのに、見ている事しかできないのかと……
結果として、救出作戦は成功したが気分は晴れなかった。
突入後に死体袋に入れられ、運ばれていく現地人女性を、ただ黙って見送るしか出来なかった。
「同じ過ちを繰り返しちゃ、いけないよな……」
頭のなかで小さく呟き、決断を下した白山は小さく息を吐いた。
S 特殊作戦群は、世界の特殊部隊の中でも稀有な精神性を持っている。
武士道や日本人としての誠実さを信条として、世界で高い評価を得ていた。
白山も勿論、そうした環境の中で生きてきた人間だ。
そして今……
自分の中の正義と、戦術的利点を冷静に判断し白山は少女の救出を決断した。
白山の思考は、先ほどまでの感情のゆらぎをゆっくりと捨て、研ぎ澄まされた刃のような冷徹な思考に切り替わっていた。
特殊部隊員として培ってきた、マインドセットで意識を戦闘モードに切り替える。
緩慢な動作で、その場に立ち上がった白山は静かに後ろへ下がる。
白山が下した判断は、少女を助けるというシンプルなものだった。
「射角」目標である男に向けて銃を撃つ角度。それだけが重要だった。
1発で仕留めなければ少女を人質に取られる可能性もある。
今、白山がいる地点は、男の後方だった。
この位置では、前かがみになっている男の胴体が干渉して、正確に頭部を射撃するのは難しい。
少女の抵抗に合わせてわずかに上下する男の頭部を視界に捉えながら、安定して捉えられる位置に移動する。
そして、揺れる男の頭部を静止させなければいけない。
音もなく、死角を縫うように男の側面に移動した白山は、射線上に障害物がないことを確認して行動を起こした。
白山が取った戦術は単純だった。
「おい!」
不意に聞こえた大きな声に男が顔を上げ、視線を周囲に巡らす。
コンマ数秒後、男の意識は何が起こっているかも理解できないまま一瞬で刈り取られていた。
『パシッッ』
男は、消えゆく意識の最後にムチが空気を切り裂く様な音をかすかに捉え、それが何なのかを理解する間もなく事切れる。
少女は、見ていた……
何処かから、声がして男が辺りを見回そうとした瞬間、男の頭から何かが吹き飛ぶのを。
ピッ、と頬に飛んできた何かが血であると分かった頃には、傍らに男の大きな体がドサリと倒れこんできた。
起こった出来事の処理に頭が追いつかなかった。
血の気を失うような感覚に襲われ、少女は意識を手放していった……
****
白山は、射撃後にターゲットダウンを確認し、素早く周囲に他の脅威が存在しないかをチェックする。
どうやら今のところは、この男一人のようだ。
M4を背中に回し、腰のSIG226を抜いた白山はゆっくりと少女と男の方に近寄ってゆく。
男の背後に回った白山は、ターゲットの男が確実に死んでいるかを素早く確認し、握られた男の手から山刀を蹴って武装を解除する。
だらしなく弛緩した男は、その衝撃でぶらりと揺れたが生きている様子はない。
左手で頸動脈を触り脈が触れないことを確認した白山は、側面から撃ち込まれた自身の射撃の結果を冷静に判断していた。
耳の少し下に着弾した5.56mmの弾丸は、男の顎関節とともに綺麗に脳幹を撃ちぬいており、だらしなく開いたままになっている男の口は、生前より遥かに大きく開け放たれていた。
うつ伏せに倒れる男の体を触り、他に武器を隠し持っていないかチェックする白山は銀貨・銅貨の入った小さな革袋。
腰に下げられた山刀よりは小ぶりな粗末なナイフ、干し肉とナッツが入った革袋を見つけとりあえずは、後ろ腰に吊り下げているダンプポーチにそれらを収めた。
力が抜けた男の躰は、ひどく重く感じたが引っ張るようにして仰向けにすると毛皮のベストの内側やズボンなどを、丹念に調べてゆく。
すると、ズボンの内側、ベルト代わりに革紐で縛られた辺りに、硬い感触を感じて、慎重にその物体を引っ張り出す。
先ほどの銀貨が入っていた革袋より少し小さなその革袋の中には、若干いびつな形をした円形の金貨。
そして、正体は解らないが小さなカット前の宝石らしきものが収まっていた。
身ぐるみ剥ぐと言う表現を思い出し、自分は追い剥ぎかと心のなかで苦笑を浮かべながら、白山は少女の方に目を向ける。
ざっと、見た感じでは銃撃で傷は負っていない様だ。
1m程離れて倒れる少女は、胸がわずかに上下しており呼吸している事が伺えた。
「助けられて良かった。」そう思うのと同時に、「さてこれからどうするか」と、頭を悩ませる。
幸い、少女に顔を見られてはいないが、かと言ってここに放置することも出来ない。
大人が探しに来たならば、潜在拠点が露見してしまう。
「送り届けるか……」
一人呟いた白山は、さてどう話を取り繕うかと頭を巡らせた。
指で、少女の頬に着いた血を拭ってやると、わずかに顔をしかめたが、すぐに穏やかな顔に戻る。
ふと、思い返して早足で高機動車へ戻った白山は、自分の背嚢に括りつけた1本のナイフを取り外し、左腰にそれを差し込む。
もし、少女を送り届けた際、どうやって戦ったかと問われた時の事を考慮したのだ。
少女を抱え上げた白山は、少女が進んできたであろう方向を地面の痕跡を頼りに、進んでいった。
幾らか進むと、革製のマントを羽織ったどことなく少女と顔立ちの似た男が、何かを探すように
辺りを見回していた。
「フェリル!」
男の声は、よく通りそして森の木々に吸い込まれていった。
もしあの大男の仲間がこの近辺に存在しているならば、あまり大声を出すのは不味い。
白山は、首に巻いたシュマグ(スカーフ)で顔を隠すと、男に手を上げてこちらの存在を知らせる。
男もこちらに気づいたようで、慌てた様子で駆け寄ってくる。
「フェリル!」
白山の胸に抱かれた少女を目にして、驚いた様子の男は奇異な風貌をした白山に一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに血色の良い娘の表情を認め語を継いだ。
「貴方が、フェリルを助けて頂いたのですか?」
白山はわずかに頷くと、言葉が通じる安堵感を感じながらも、考えていた言葉を男に投げかける。
「ああ、この先で野盗らしき男に襲われそうになっていたので助けた。怪我はしていないと思うが」
フェリルと呼ばれた少女を労るように、男へ差し出した白山はわずかに見える森の切れ間に向かい顎をしゃくった。
少女を受け取り胸に抱いた男は、安堵の表情を浮かべながらも、白山の動作の意図する所を汲み取り
頷くと足早に森の外に歩を進めた。
愛おしそうに、少女を抱く男は歩きながら話を進める。
「本当に有難うございました。私はクローシュと言う行商人で、助けて頂いたのは私の娘のフェリルです」
白山は一瞬ためらったが、すぐに返答した。
「俺は、ホワイトと言う旅の人間だ。遥か遠方からあてのない旅を続けている」
クローシュは白山の返答に一瞬訝しげな表情を浮かべたが、すぐに気を取り直した
「本当に感謝の言葉もございません。この時勢に旅は辛いでしょう」
「ああ……」
言葉少なく答えた白山は、森の切れ間から見える幌馬車と馬の姿を確認していた。
「昨日はあそこで夜を明かしたのか?」
馬車の方を見て、話題を変えた白山は、クローシュに問いかけた。
昨晩到着した時には、あそこに馬車らしき影は見えなかったのだが。
「いえ、昨晩はもう少し街道沿いで泊まっていたのですが、近くの水場に寄ってから街道へ戻ろうと思っていたら、フェリルがいないことに気づきまして」
少し、表情を曇らせたクローシュは、そう言いながら馬車に向けて歩き続ける。
程なくして馬車に到達した白山達は、クローシュが馬車の荷台にフェリルを休ませてから倒木に腰掛けた。
「改めて、お礼を申し上げます。私は、レイスラットの首都レイクにて商店を営んでおりますクローシュと申します」
深く頭を下げたクローシュは、内心この世界の地理を知らない白山を慌てさせているとはつゆ知らず、話を続けた。
「ホワイト様は、何故あの森の中に?」
白山は頭のなかに地名の単語をメモしながら、考えていた話を続ける。
「旅の途中で、食料が乏しくなってな。狩りと野草を採取しようかと森に入ったのだが」
チラリと、馬車に目を向け偶然フェリルと遭遇した風を装った。
「そうでしたか…… いや、本当に有難うございました。しかし、野盗とは驚きました。
本来であれば奴らはもっと海岸沿いの洞窟をアジトにしているはずなのですが」
少し考えこむ仕草をしたクローシュは、深刻な顔をしていた。
「おそらく、国王陛下がオースランド王との会談で南に出立された影響で、街道沿いの警備が強化されたせいかもしれません」
次々と出てくる単語を必死に頭に叩き込みながら、違う意味でシュマグに隠された顔をしかめる白山に、クローシュは同意を得たと思ったらしかった。
白山は少し考えて、ボロを出さないうちに早々に話を切り上げるべきだと判断した。
「そうであれば、早々に街道に戻るべきだな」
真剣な表情で頷いたクローシュは、ふと思い出したように馬車に走り寄った。
御者台のあたりでゴソゴソと動いていたかと思うと、いくつかの品物を持って白山のもとに戻ってきた。
「僅かばかりですが、お礼を差し上げたいと思います」
クローシュの手には2つの大小の革袋と丸められた羊皮紙が握られていた。
素直に受け取るべきかどうか、躊躇っていた白山の手にクローシュは強引に革袋を押し付けてきた。
「ぜひとも受け取って下さい。娘を救って頂いたお礼は金銭では替えられませんが」
真剣なクローシュの表情に、白山は諦めて革袋を受け取った。
感触から、ひとつが硬貨でもうひとつが食料の類だと分かった。
そして、もう一つのお礼である羊皮紙を開くと、文様のような物と英語らしき文字でこう書かれていた。
**この証書を持つものが現れたら店主にすぐに知らせ最大限の便宜を図るように**
~クローシュ商会 店主 クローシュ ヴァレント~
文字が英語の様な単語であったが、目に飛び込んでくる意味は何故か日本語で意味が理解できる。
不思議な感覚に白山は戸惑いながらも、クローシュに問いかけた。
「この証書は?」
クローシュは、少し誇らしげに笑った後、真剣な顔で語り出した。
「レイクにある本店のほか、レイスラット国内には幾つか支店があります。もしご利用の機会がありましたら、ぜひその証書をご提示下さい。
最大限の便宜を図るように取り図らせて頂きます」
ホテルマンのように恭しく、お辞儀をしたクローシュはシュマグの隙間から見える白山の目元に驚きが浮かんでいるのを認め、少し笑いかけた。
「私は、行商から商いを始めましていくつかの店を持つまでに育て上げましたが、古くからの顧客の方にはやはり直接訪れたいので、年に1度は行商を続けております。」
現代にはあまりない丁寧な商売に、感心した白山は大きく頷いた。
「わかりました。大切にさせて頂きます」
胸元に羊皮紙を仕舞いこんだ白山は、この男なら信用できると判断し顔からシュマグを外した。
日焼けした東洋系の顔立ちと黒い肌を見たクローシュは驚きながらも、娘を助けた男が何故顔を隠していたのか、納得した様子だった。
「この近くの生まれの方ではありませんね。ですが娘の恩人には変わりありません」
商人という職業柄多くの人を見てきたクローシュは、すぐに表情を戻し笑顔を浮かべた。
白山もその表情に安堵しながら、久しく浮かべていなかった笑顔をクローシュに返した。
そんな穏やかな空気を切り裂くように、馬蹄の音が鳴り響き、小鳥が飛び去っていった……
ご意見 ご感想 お待ちしております。