幸運と秘匿と貴族の毒と ※
ブレイズが無傷だったのは、幸運としか言いようがなかった。
ケミカルライトを頼りに射られた矢は、正確にブレイズの胸に突き刺さったが、相手の狙いが正確だったのが一つ目の幸運。
そしてもう一つの幸運は、彼が無線のPTTスイッチを、胸ポケットに入れていた事だ。
白山は万一作戦に変更があった場合、音声通話を行えるようにイヤホンシステム一式を、ブレイズに貸し出していた。
胸ポケットに固定していたスイッチに矢が刺さり、ブレイズの身体には傷ひとつなかったのだ。
ただし、彼は矢が刺さった衝撃とこれまでの戦闘の疲労が重なり、一瞬だが意識が遠のいたらしい。
高機動車へと運び込まれた事で、意識を取り戻したらしいが白山達の真剣さと慌てぶりに、声をかけるタイミングを失っていたらしい。
コンバットハイ―― 所謂戦闘による精神の昂ぶりなのかは微妙な所だが、事の顛末を聞き白山はハンドル操作を誤りそうになるほど笑いがこみ上げてくる。
極め付きは、ブレイズが後続の騎士達に無事を知らせようと、屋根の上に開いた銃座から身を乗り出した時、アレックスが幽霊でも見たかのように、奇妙な声を発した時だった。
ひとしきり笑った後は、助手席に乗り込んできたブレイズと顔を見合わせ、コツンとどちらともなく拳を合わせた。
「とにかく、グレース様が無事でよかった……」
助手席で白山から受け取った水を飲みながら、ブレイズは一言だけそう言った。
「ああ―― だが、こうまで襲撃が続くと言う事は、まだ気が抜けないって事でもあるがな」
白山の言葉に、水を飲みながらブレイズは黙って頷き、厳しい視線を夜の闇へと向けたまま何かをじっと考えていた。
支城に到達した白山達はまず、グレースを寝室まで運びこむ事になった。
まだ足元のおぼつかないグレースは、徒歩で寝室まで赴くことは困難だったため、白山は車両に搭載されていた折りたたみ式の担架を組み立てて、その上にグレースを横たえる。
この際、アレックスの進言でグレースは毛布を頭までかぶって、姿を隠しての移動と相成った。
これはレイスラット王からの指示だという事で、その秘匿ぶりからして、どうやらこの一件は秘密裏に処理されるようだ。
王族の専用エリアまで入り、侵入を許した本来の寝室ではなく、予備の寝室が新たに用意されている。
護衛の騎士達と担架を丁重に運び込んだ白山は、グレースに合図を送り、そっと毛布を退けた。
「ホワイト様、ありがとうございます。ベッドへ移るのを手伝って頂けますか?」
今この部屋の中にいるのは、白山とブレイズそしてアレックスにもう一人の騎士だった。
グレース付きの女官は、未だ薬の影響が抜けないらしく臥せっているが、代理のメイドが部屋の奥で待機している。
白山は少し困ったように周囲に視線を走らせるが、ブレイズはニヤニヤと笑い、アレックスは能面のような顔で白山を睨んでいる。
『これ、不敬罪にならないよな?』 と白山が考えて、メイドと残りの騎士に視線を向ける。
しかし、メイドは変えの寝間着を手に持ったまま微動だにせず、もう一人の騎士も入り口から動く気配がない。
そうこうしているうちに、グレースの手が弱々しくも白山の手に重ねられる。
「ホワイト、グレース様のご指名だ。いつまでも王女様に担架へ乗っててもらう訳にはイカンだろ」
何か言いかけているアレックスの口元を抑えながら、ブレイズがそんな事をのたまう。
どこか退路を塞がれた感を覚えながらも、白山は諦めてグレースの手を取り、横抱きに抱え上げる。そしてゆっくりと寝台にその身を横たえた。
グレースの身体は、まるで羽毛のように軽く、そして少女特有の何処か甘い匂いがする。
戦闘中の離脱は無遠慮にその体へ触れていたが、こうして状況が落ち着くと、そうした余計な所に意識が行ってしまう。
「王女たる私の身体を、余す所無く触れた責任…… 必ず取ってくださいね」
身を起こそうとした白山の手を取り、耳元でグレースがとんでもない爆弾を投げつける。
返答に困っていた白山が、いまだグレースの手を握ったまま硬直している最中に、背後でガチャリとドアが開き、足音が響く。
「あっ……」
振り返って部屋に入って来た人物を見るや、白山は思わず間の抜けた言葉を発してしまった。
グレースの父でありレイスラット王国の元首であるその人が、娘の身を案じて駆けつけたのだ。
それまで二人でコントじみた動きをしていたブレイズとアレックスも、素早く片膝をつき臣下の礼を取っている。
あわてて向き直ろうと白山は手を離すが、グレースの手はギュッと握られたまま白山の手を離そうとしない。
「……ほう」
一瞬だけ覗いたレイスラット王の殺気を敏感に察知した白山は、本能的に頭の中で離脱と脱出を数パターン検討していた。
「ふむ、そのままで良い」
動こうとして中腰だった白山を見て、状況を察したのか軽く手を挙げてそれを制する。
王はふと表情を緩め、グレースへと近づく。
「安堵したぞ。無事でよかった」
親の顔でそう言ったレイスラット王は、親子で視線を交わして何かを語り合う。
そして軽く頷いてから、再び王としての表情を取り戻し白山達へと語りかける。
「此度の働き誠に大義であった。詳しい話については別室で聞こう」
その言葉が合図であったかのようにブレイズとアレックスは、立ち上がると王に続いて廊下へ向かう。
「行くぞ、色男」
王の退出を確認して、ブレイズがニヤリと笑いながら白山に小声で語りかけた。
「どうしてこうなった……」
グレースの手は王が踵を返した瞬間に離されており、白山は呟きながら立ち上がる。
白山はブレイズの肩にパンチをお見舞いしようかと、割と本気で考えつつも、振り返りグレースへと一礼すると部屋を後にした。
************
「まずもって今回の誘拐については、すべてを秘密裏に処理する。これは決定事項だ」
一通りの報告を受けた王は、白山とブレイズ、そしてアレックスに向かい言い切った。
「しかし、それでは今後の捜査に支障が出ないでしょうか?」
王の決定事項とは本人が翻意するか政権が崩れない限りは揺らぐ事のない絶対的なものだった。
しかしアレックスは、その真意を聞き出そうと非礼を承知の上で質問した。
もとより臣の意見に耳を傾ける度量のあるレイスラット王は、その意見に頷き再び口を開いた。
「それはもっともではあるが、今ここで事を公にしては、王家の威信が揺らぐ。これが第一の理由だ。
そして、ここで騒ぎが大きくなれば、親衛騎士団の責任問題に発展するだろう」
そこまで言うと、王は大きく溜息をこぼし目頭を揉み込んだ。
静養に訪れた筈が、今日一日でかなりの心労を背負い込んだ筈だ。年かさの身体には堪えたのだろう。
それを聞いていたブレイズとアレックスも、沈痛な面持ちで黙り込んだ。
白山は報告が終わってからは、口を開かずにじっと会話を聞いている。
この国の内情についてほとんど何も知らない白山は、余計な口を挟むべきではないと考えていた。
場に沈黙が流れたが、神妙な面持ちでブレイズがそれを破った。
「一度ならず二度までも賊の襲撃を許してしまったのは、他ならぬ私の責任です。つきましては……」
席を立ち片膝をつき王に向かいそう言ったブレイズの言葉を遮り、王が厳然たる口調で一喝する。
「ならん!」
「しかし!」
王は腕を組んだまま微動だにせず、厳しい視線だけをブレイズに向けた。
「此度の一件は、一切表には出さぬ。故にお主の責任もない。これまで以上に励み任に当たれ。これは王命じゃ」
「……分かりました」
うなだれるブレイズに王は小さく息を吐き、少し疲れたように再び口を開いた。
「今そなたが団長を離れれば、騎士団にまで『貴族の毒』が及ぶではないか。
禁衛に毒を抱えていては、枕を高くして眠れんであろう」
その言葉を聞いたブレイズはグッと息を呑み、やがて深々と頭を下げた。
「このブレイズ、一層の忠節を王家に捧げさせて頂きます」
固くそして揺るぎないブレイズの言葉に、王は満足そうに頷くと話題を切り上げる。
「うむ、頼んだぞ。さて、もう夜も明ける。これからの予定は少し休んでから決めるとしよう。
湯と軽食の用意をさせてある。そなた達も少し休め」
そう言って立ち上がった王は、ゆっくりとした足取りで寝所へと向かってゆく。
立ち上がり一礼しながらそれを見送った白山達は、これで一区切りついたと互いに顔を見合わせる。
見れば東の空は白み出し、オレンジ色の陽光が間もなく顔を覗かせようとしていた。
「さて、私は捜索隊が戻るまで少し待機します。どうぞ、お二方は休んで下さい」
王が退出してからそう言ったのは、アレックスだった。
兜を小脇に抱え、少し伸びをしてコキコキと首を鳴らしている。
「そうだな。明るくなれば襲撃の危険は少なくなるだろう。今のうちに少し休ませてもらおう。
それに、ブレイズの傷の手当もしないとな」
白山も戦闘後の疲労で、全身に倦怠感を覚えながらそうこぼした。
休める時に休むのは兵士に必要な資質のうちの一つだ。
王の居室を後にした白山達は、眩しい朝日に目を細めながら廊下を歩いて行った。
************
車両から装備一式とメディカルキットを部屋に運び込んだ白山は、まずブレイズの傷の手当にとりかかる。
それほど酷くない傷ではあるが、戦場の不衛生な環境は感染症のリスクを増大させる。
それに刺創、つまり刺し傷は創傷が深く感染を起こしやすいのだ。
帰還途中に救急包帯を巻き三角巾で腕を吊っておいたのだが、白山は包帯を外して傷口を露出させる。
傷自体はそれほど深くなさそうだが、射入角か引き抜いた時に切れたらしく、表皮が浅く切り裂かれていた。
「傷自体はそれほど酷くないが、一応投げられた小刀の形と刺さった深さを教えてくれ」
白山はペンライトで患部を照らしながら何処か所在なさ気なブレイズに声をかけた。
「あー、刺さった深さは指三本に届くかといった所だ。形状は至って普通の小刀だよ」
白山はそれに頷きながら、メディカルキットの中から外傷治療用のパッケージを取り出す。
注射器と局所麻酔のアンプルを取り出すと、備え付けのチェックリストを確認しながら注射器に薬液を引き込んでゆく。
通称『チートカード』と呼ばれているが、メディックが負傷した場合や手がふさがっている場合、専門外の隊員が支援しなければならない状況に遭遇する場合もある。
そんな時の為に、代表的な手技や薬液の用量などが書かれた単語カードのようなマニュアルが、キットに備え付けられていた。
こうした備えがあれば万一不慣れな隊員が処置を行っても、命を永らえる可能性が多少は高められる。
無論、専門のメディックではない白山も、確認の意味から横目にマニュアルを確認しながら薬液量を確かめた。
「少しチクっとするぞ」
白山が注射器を持ち傷口に向けると、ブレイズは怪訝そうな顔を浮かべながら問いかける。
「おい、そりゃ何のまじないだ?」
白山はそう言えば、つい数日前にも似たような事があったなと思いながらも、治療について簡単に説明する。
話が少し脱線して、白山が生きていた世界の医療水準や治療についても少し触れると、ブレイズは驚いたようにメディカルキットと注射器に視線を向けた。
「そうか、それだけ治療や医術が進歩しているのか、ホワイトの居た世界は……」
傷口に浅く刺した注射器からゆっくりと薬液を押し出し、麻酔が効果を発揮するまで少し時間がかかる。
麻酔が効き始めたらその周囲にも残りの薬液を注射して、それから縫合になる。
「聞かせられないと言うなら無理には聞かんが、さっき言っていた『貴族の毒』とは?」
縫合で使用する持針器と4-0ナイロン糸を用意しながら、白山は先程から気になっていた事を尋ねた。
その問いかけにブレイズは口を真一文字に結びながら、少し逡巡してから白山に問い返した。
「ホワイトは、俺達―― いや、陛下とグレース様の味方であり続けると誓えるか?」
「どういう意味だ?」
「難しい話じゃない。そのままの意味だ」
今度は白山が暫し黙考する番だった。
現状白山の目的は、元の世界に帰還する方法を模索する事だ。それには王家の力を借りるのが一番手っ取り早い。
今の所、他に宛がある訳でもなく、この世界では異分子である自分が生き残るには、友好的な協力者は必要不可欠だ。
それに昨夜の夕食時に王へ協力を申し出ている。今更それを翻すような心算を白山は持っていない。
「無論だ。昨日の晩餐で語った言葉に嘘はない」
それを聞いたブレイズは、何か絞り出すように重々しく語り始める。
「この国は今、かなり不味い状況に追い込まれている。昨日話した通り、北と東に敵が存在しているが問題は、それだけじゃない」
どこか忌々しげに言葉を吐いたブレイズは、感情を落ち着けるように大きく深呼吸する。
「王国も一枚岩じゃない。確か、昨日そう言っていたな?」
「ああ、昨日は国の恥を晒すようで言うつもりはなかったんだが、もうその必要もないだろう。
王国の政治に関わる人間達は、一部の中立派を除いてほとんどが国王派と貴族派の派閥に別れている」
派閥争いかと、白山は内心で溜息をつきつつも、ブレイズに話の続きを促した。
「まあ、詳しい話については王都で聞くと思うが、王国の始祖は勇者と共に魔王を討ち倒したと言われている。
その時に一緒に戦った将達が、今の貴族どもの起こりだという話だ。
もっとも大昔の話だから、どこまで本当かは俺には判らんがな」
自嘲気味に自国の歴史を語るブレイズを見て、白山はこの対立は相当に深刻そうだと考えていた。
「そんな出自があるもんで、この国の貴族達は好戦的と言うか、大した実力も無い癖に血の気が多いんだ。
東の皇国との対立では余力も無いというのに、主戦論を声高に主張しやがる」
「自分達は後方で、のうのうとしてるだけの癖にな」
最後にそう吐き捨てたブレイズは、苦虫を噛み潰した様に表情を曇らせた。
過去に相当腹に据えかねる事があったのだろう。
「さて、そろそろ薬も効いてきただろうし、処置を終わらせてしまおう」
ブレイズの血圧が怒りで上昇した所為か、傷口からはうっすらと血が滲み始めていた。
話題を切り替えるように持針器を手にした白山は、慣れた手つきで傷口の縫合を始める。
縫合の実習を担当してくれていた医官曰く、白山達の縫合の腕は『研修医と同等レベル』と評価していた。
傷口の周辺を丁寧に消毒した後、丁寧に一針ずつ均等にテンションを掛けて縫い合わせてゆく。
傷口の末端に束ねた縫合糸を押し込んで残置し、滲出液を汲み出す糸ドレナージを埋め込み、最後の一針を縫い終えた。
気休め程度だが、抗生物質の軟膏を患部に塗り、ガーゼと包帯で被覆する。
「よし、これで良いだろう。数日経ったら傷口がくっ付いたのを確認してから、縫い合わせた糸を抜くからな」
そう言って手に嵌めたグローブを外してブレイズにそう告げる。
その手つきと慣れた様子を感心しながら見ていたブレイズは、痛みの薄れた傷の様子から、すぐにでも腕を動かせそうだと感じる。
「ああ、言っておくが糸を抜くまで、あまり腕は動かすなよ。今は薬が効いていて痛みは少ないかもしれないが、後で地獄を見るぞ」
まるで自分の考えを見透かされたかのように、言い放たれた白山の一言にブレイズはギクリと身を竦めた。
メディカルキットの片付けをしている白山を尻目に、先ほどの話が中途半端だったなとブレイズは考え、気持ちを落ち着けるために左手で水差しからコップに水を注ぐ。
それを飲み干したブレイズはソファに腰を下ろすと、背を向けている白山に話の続きを語り始めた。
「さっきの話の続きだが、国王派は今劣勢に立たされている。夜会や晩餐で、囁き程度に王家の悪口が出る程度にな……」
そこまで聞いた白山はメディカルキットを背嚢の横に置き、改めてブレイズの対面に腰を下ろした。
「それで、俺に味方かどうかを念押ししたんだな? そして、ブレイズと騎士団は国王派の主戦力だという訳か」
その言葉にブレイズは頷いてから、更に内情について語り始める。
「そういう事だ。貴族派達は婚姻や財力に物を言わせて、切り崩し工作を大々的に進めている。
領地を持たない文官や法衣貴族の買収や血縁への取り込み。軍の中でめぼしい実力を持つ者を引き抜いたりな。
そんな内情にあって完全な実力主義、平民と貴族の別け隔てのない親衛騎士団は、貴族派にしてみれば目の上のコブって訳だ」
「すると今回の襲撃は、騎士団の勢力を削ぐ意味合いもあったと言う事か?」
「恐らくは……な。 それに、まだ証拠も確証もないが、他国と内通している者が存在するという噂まである」
「それは酷いな……」
白山は想像以上に、対立派閥が幅を利かせている状況を聞き眉をひそめる。
一呼吸置いて白山は、もうひとつ質問を投げかけた。
「それで、今回の一件は他国の仕業なのか、内紛の延長なのか、ブレイズはどう思う?」
白山の核心を突く質問に、ブレイズは少し間を置いてから慎重に言葉を選び語り始めた。
「恐らくこの一件には、他国の人間が絡んでいるのは間違いない。
ただ、国内で手引きしている人間がいなければ、ここまでの襲撃は難しいと俺は見ている」
ブレイズの言葉を聞き、白山は大きくため息を吐いた。
幸運にも帰還の手がかりを得て、一筋の光明が射したと思ったら、その行く手には雷雲が幾重にも立ち込めていたと言った風情だ。
「とにかく、今は少し休もう。疲れた体と頭で考えても、良い考えは浮かばないだろう」
あくびをこぼしたブレイズの様子を見て、白山は会話を切り上げる。
すっかり明けきった空は、白山達の心情とは裏腹に、今日もよく晴れ渡っていた…………




