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救出とブレイズの心情 ※

「どこか、怪我や痛みはありますか?」


白山はグレースの状態を確認しながら、努めて優しく語りかけた。


「支城で嗅がされた薬の影響だと思いますが、身体が痺れて……」


 それを聞いた白山は、グレースの腕と足に巻かれた縛めをナイフで切り裂く。

長時間縛られた影響だろうか、グレースの白い肌に無残な赤い縄跡が痛々しく刻まれている。

その時グレースの下半身に何か濡れた跡が見られたが、白山はそれを見なかった事にした。


「立てそうですか?」



 グレースの上半身を抱き起こし、白山はそう尋ねる。

室内の安全は確保したとはいえ、ここは敵の拠点なのだ。


グレースの救出という任務の特性を考えれば、早急に離脱を図らなければならない。


「いえ、足腰に力が……」


 弱々しく縄跡をさすりながら、グレースは首を横に振る。

自分を助ける為に行われた突入の衝撃で腰が抜けたとは、恐怖が薄らいだ所為で頭をもたげた、王族としてのプライドから口には出来なかった。


その答えを聞いた白山は、さもありなんと思い、幾分表情を和らげて小さく頷いた。

二人の視線がほんの束の間交わる。


 グレースの胸中には、先ほどまでの恐怖とは違う、胸の高鳴りをハッキリと感じ取っていた。

一度ならず二度までも命を救われているのだ。ここで抱きついたとしても不自然ではないだろう。


幸いな事に、ここには床に転がされている男以外、誰が居る訳でもない。

少しだけ勇気を出してじっと白山の目を見つめ、その頬に手を伸ばした次の瞬間だった。


白山の背後に、ライトの反射光に浮かび上がった亡霊のような男の姿が映る。


「――っ!」


かなりのストレスを感じたのだろう。ショック状態に陥りかけている。

グレースの心情など予想もしていない白山は、瞳をのぞき込まれながらそう考えていた。


不意にその視線が外れ、恐怖に息が詰まるような声にならない悲鳴が漏れる。

『目は口ほどに物を言う』その仕草を見た瞬間、背後で何が怒っているかを瞬時に理解した。


銃口をグレースに向けないように寝台の横に向け、ライトを常時点灯にしてあった226を咄嗟に持ち直す。

両手で握り直された拳銃は、まるで手の延長であるかのごとく、白山の動きに追従する。


肩越しに背後の状況を視線に収めた白山は、そのままグレースを庇うように振り向き銃口を男に向ける。


あと数歩の位置まで接近していた男の胸板に無照準で九ミリ弾を三発叩き込む。

どうやったのかは判らないが、後ろ手に拘束したはずの男は腕を前に回し、その手に件の千枚通しを握りしめていた。

胸に銃弾を浴びた男は突進の勢いを殺され、一瞬何が起こったかわからない様子で自身の胸部を見る。

その間に反動を利用して男の頭部を照準した白山は、再び引き金を絞った。


パンと乾いた音と共に男の鼻の横に小さな穴が空き、銃弾の破片が脳漿と頭蓋骨の破片を伴い、後頭部から後方へ散る。

脳幹を破壊された男は、糸が切れたようにその場に倒れ込む。


白山は周囲を改めて検索(サーチ)し、そのまま男の方へと歩み寄ると、男の手から凶器を蹴り飛ばす。

命中の手応えは感じていたし、頭を吹き飛ばされた男が生き返るとは思えないが、それでも頸動脈に指を置き、男の死を確かめずにはいられなかった。


よく見れば男の左肩が不自然な形をしている。恐らく自ら肩の関節を外したのだろう。

やはり只者ではないと感じながら、白山はすぐに脱出しなければと改めてグレースへと振り向いた。


「私の背中に…… 間もなく親衛騎士団もやって来ますので、暫しご辛抱を」


バックパックから迷彩柄のストールを取り出した白山は、グレースにそれを巻き付ける。

既に目ぼしいものは入っていないバックパックは、状況が落ち着くまで残置しても問題ないだろう。

それよりも早急に親衛騎士団と合流するべきだ。それに陽動を引き受けてくれたブレイズも気になっていた。


床に入る寸前で拉致されたグレースは薄手のナイトガウン姿であり、その肌を晒すのは避けたほうが無難だろう。

それに年頃の乙女が濡れた下半身を、自らの臣である騎士達に晒しては王族の威厳もあったものではない。


ストールをかけられたグレースは、今更ながらに自らの格好と腰辺りの冷たい感触に、顔を赤くしてしまう。

そんな恥ずかしさを隠すように慌てて白山の背にしがみつく。


一波乱あったが、無事グレースを救い出した白山は、ようやく小屋の外に向けて歩き始める。

幾分薬の影響が抜け始めた背中の『荷物』(グレース)は、強くしがみつくと白山の背中の広さと温かみを感じ、再び顔を赤く染めていた……



************



 時間は白山の突入前に遡る……


事前に示された地点に伏せたブレイズは、白山から渡された雑嚢の中から四個の円筒形の物体を、慎重に取り出す。

音と光を発する物だと事前に聞かされてはいたが、未知の代物を扱うのは酷く緊張する。


もっともブレイズが感じている緊張は、それだけではない。

王女の命がかかっているだけではなく、これから派手な騒ぎを引き起こし、自分の方向へ敵の耳目を集めなければならないのだ。


開豁地とその奥に続く森は、僅かな風音だけで不気味なほど静まり返っている。

ブレイズは腰に付けた愛用の長剣の重さを確かめ、これから起こるであろう戦闘に思いを巡らせた。


敵と対峙する事は、さして怖くはない。

幾多の戦場を潜り抜け、親衛騎士団長まで拝命できたのは、他人より多少剣の腕が優れていただけだと自認している。

それよりも怖いのは、自らの職責と王国の未来を守れずに散ってしまう事への自責の念が、強くブレイズを苛む。


暗闇の中まんじりともせずに、眼前に置かれた代物と風景へ交互に視線を向ける。


振り返れば自分の心に油断があったのだろうか?

あと少しで支城までたどり着くという気の緩みは、どこか無自覚のうちに隙を生んでいたのかもしれない。


ブレイズは答えの出ない問を、心の中で繰り返す。

後悔は何も産まないと判っているが、静かな環境で怒涛のごとく訪れた今日を振り返れば、湧き上がる胸のつかえが表情を曇らせる。


そっと手を動かし、耳に差し込んだイヤホンの位置を直した。

ホワイトと名乗る男が雷鳴のように自分と王の前に現れてからというもの、驚きの連続だった。

しかし、今も借りた上着のポケットに入っているこの奇妙な機械には、更に驚かされた。


離れた場所と会話ができる魔道具など、この大陸中を探しても手に入らないだろう。

これがあれば戦の常識は根本から覆るかもしれない。


そんな貴重な物を惜しげも無く貸し与え、職責を果たせずに苛立っていた自分を一角の男として救出作戦に加える。

ブレイズは支城を出発してから、鉄の馬車の中で聞かずにはいられなかった。


「なぜ、俺を選んだのだ?」 と……


白山の答えは至極単純だった。


「腕が立ち、信頼できる」


ただ、その一言だけだった。

それでもその言葉には、何か自分の心に素直に飛び込んできた。


それ以上の言葉は不要だった。



死地へと跳び込むには、飾り立てた言葉などいらない。

思い返せば、あの言葉で覚悟が決まったようにも思う。


今日の昼に初めて会ったのだが、戦場で背中を預けるに足ると、ブレイズの直感が告げている。

そしてこの困難な状況でも、勇者の名に恥じないあの不思議な力ならば、何とかしてくれるのではないかと……



そんな取り留めのない考えが、浮かんでは消えてゆく。


『カチカチ――カチカチ』


不意に、ブレイズの耳に聞き慣れない音が響いてきた。

それが白山からの合図であったと即座に思い出したブレイズは、慌てて胸ポケットから無線機を引っ張り出す。

教えられた通りに、側面のスイッチを押し込んだ。


『……カチカチ――カチカチ――カチカチ』



二回を三度、それが位置についた時の返答だった。


返答を送ると胸ポケットに無線機をしまい込み、伏せたままの状態でゆっくりと長い息を吐いた。

ここまでくればグダグダと考えていても仕方が無い。


自分の成すべき事を行い、その後の事は生き残ってから考えればいい。


そう割り切ったブレイズは、徐ろに目の前に置いてあるスタングレネードを手に取る。

支城の広間で教えられた手順を反芻し、安全レバーを握りこみ安全ピンを引き抜く。


ゆっくりと上体を起こしたブレイズは、鋭い視線を正面に向け気を引き締める。


そして振りかぶると、思い切りスタングレネードを投擲した。


放物線を描いたグレネードが草地で一度バウンドし、空中で爆発する。

その光は強烈で、響いてきた音も肚と鼓膜を盛大に揺さぶった。


ブレイズはその威力に驚くが、これならば盛大に敵の耳目を惹く事は間違いない。

もう一発を同じように投げると、先程よりも少し遠くで爆発が起こった。


一瞬の閃光に夜目を潰されないように目を細めていたブレイズは、閃光によってこちらに走り寄る影を一瞬だけ捉えた。


偶然か幸運か……


それを見て取ったブレイズは立ち上がり、闇夜に目を凝らす。

一度見つけた人影は、かなりの速度でこちらに近づいて来る。


長剣を引き抜いたブレイズは、それを地面に突き立てると、残り三発となったスタングレネードをベルトに引っ掛け、そのうちの一発のピンを引き抜く。

だがブレイズは安全レバーを握り込んだまままだ動こうとしない。


そうこうしているうちに先程発見した男は、どんどんと距離を詰めてくる。


『まだだ…… もう少し…… 今だ!』


ブレイズは接近してくる男との距離を測り、その至近にスタングレネードを投擲する。

投げたと同時に長剣を手に取り、スタングレネードを追いかけるように走り出す。


ズドンと遠投した時とは比較にならない程の音響と衝撃が襲いかかるが、それに構わずブレイズは自分から男との距離を詰めた。

こちらに向かって来た男は、未だかつて経験したことのない衝撃と閃光をモロに喰らい、思わず足を止める。


それは致命的な隙となった。

走り込んだ勢いのままブレイズの長剣が振るわれ、男の胴を横薙ぎに切り抜ける。


誰何も拘束もない、問答無用の一撃だった。


一拍遅れて、斬られた男が背中に隠すように握っていたショートソードを取り落とし、ドサリと倒れ伏す。


ブレイズは倒れた男を一瞥すると長剣を振り血糊を払うと、周囲を見渡す。

これだけ派手に暴れたのだから、向かってくるのがこの男だけとは考えられない。


まだこちらに向かって来る筈だ。



油断なく周囲を見回していたブレイズだったが、風切り音が聞こえたと思った瞬間、肩に鋭い痛みを覚えた。


「つっ、うぐっ……」


右肩に目を向ければ、どこからか飛来した小刀が深々と食い込んでいた。

ブレイズは歯を食いしばり黒い小刀を引き抜くと、身を低くして次の飛来に備える。


傷は小さいが手に力が入らない。忌々しげに突き刺さった小刀の飛来した方向を探るが、それらしき気配や姿は見えない。


しゃがんだ状態で数秒ほど辺りを窺っていると、不意に視界の端で何かが動く。

その方向へ首を巡らせると、また何かが飛来する。


この低い姿勢では転がって避ける事は間に合わない。ブレイズは、黒く見えづらい小刀を切り落とす事を選択する。


『集中しろ……』


痛みを無視しながら、懸命に目を凝らして剣筋を小刀へと合わせる。

キン!と澄んだ音を立てて、小刀が地面に突き刺さった。


それに安堵する間もなく、頭上に黒い影が躍る。


人間離れした跳躍力で何処かから現れた男が、ブレイズの頭上から躍りかかってきたのだ。

その手には先ほど白山が倒した男と同じような短剣が握られており、既に振りかぶった状態で落下の勢いを利用してブレイズへと斬りかかる。


咄嗟に頭上へと長剣を掲げ、その一撃を防いだブレイズだったが、重い一撃は体勢を崩すには十分だった。

重力と体重が十分に乗った斬撃により、そのまま倒れた両者は剣戟とは程遠い泥仕合へともつれ込む。


ブレイズは上にのしかかった男を引き剥がそうと躍起になるが、マウントポジションを取られた格好で、長剣を抑え込まれままならない。

逆に黒装束を着込んだ男は左手で長剣を抑え、短剣の切っ先をブレイズへとジリジリと進めてゆく。


このままでは不味いと悟ったブレイズは、素早く地面の砂を掴むと相手の顔へと投げつけた。

覆面のように頭巾をかぶっていた男はそれほど被害を受けた様子はなかったが、それでも一瞬の隙を突きブレイズは男の顔を殴りつける。

ゴツンと鈍い音が響き、男からの圧力が弱まった瞬間ブレイズは男を横に転がし辛くも危機を脱した。


乱戦で息が上がっているがこのチャンスを逃せば、また主導権が奪われる。

ブレイズは上がる息を整えたい心情を抑えこみ、一気に男へと斬りかかった。


「ふっ!」


短く吐かれた呼気と同時に、相手の左の首筋から袈裟斬りに剣閃が走る。

一呼吸置いて赤い線が太刀筋からこぼれ、断ち切られた胴体から噴水のように血が吹き出した。


返り血を浴びる位置からサッと退いたブレイズは、残りの息を大きく吐き出して呼吸を整え、鉄臭い空気を吸い込む。

血生臭さい空気はあまり吸いたくはないが、身体が空気を求めていた。


斬った男が首筋に手を当てながらドサリと倒れる。手強い――ブレイズは率直にそう思った。

見張りや警戒に当たっている人間が、この男達だけとは考えられない。これだけの手練が複数いるのかと思うと、ブレイズは胃のあたりに重苦しい感覚を覚えた。


ようやく息が整ったブレイズは、歯を食いしばりながら肩に食い込んだ小刀を抜き、その匂いを嗅ぐ。

幸いな事に毒や薬の兆候は感じられない。

だが、小刀を抜いたせいで腕には血が滴り始める。


小刀を投げ捨てて、周囲を見回したブレイズはこの後の行動について、作戦内容を思い出すと、小屋の方向に歩き始めた……


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