森と草原と ※
白山は、奇妙な感覚を覚えた。
体内時計は、眼を閉じてからそれほど経っていない。
夜明けまではまだ十分に時間があるはずだ。
しかし、まぶたを通して感じられる光に訝しんだ白山は、左目をわずかに開くと
外の様子を伺う。
視野の隅は、暗闇を捉えているが、正面にまばゆい光を捉えた。
M4をゆっくりと手元に引き付け目を開いた白山は、流星群が連続して頭上を通り過ぎる光景に
これは現実かと一瞬疑ったが、すぐに頭を振り意識を切り替える。
「ホワイトからOP 送れ」
空電雑音と共に、「カチカチ」と言う音が耳に装着されたインカムから響く。
声を出せないOP(観測所)の人間がプレストークスイッチで、YESを意味する応答を即座に返す。
「オブジェ(obj 目標)に変化はないか?」
「カチカチ」
「こちらでは流星群を確認した。そちらでも確認できるか?」
「カチカチ」
小さく息を吐き、どうやら夢ではないようだと確認した白山は、続けて無線に問いかける。
「ホワイトからドッグ 送れ」
「ドッグ」
こちらは、500mほど離れた岩山の入り口に設置した監視装置とクレイモアを確認に行った
白山のバディ 山内が押し殺した声で応答する。
「異常の有無は?」白山が問いかける。
「なし、すげえ空だな」
「ああ、ビビったわ。流石 大自然のど真ん中だな」
OP都の通信を聞いていたドッグは、すぐに話題を振ってくる。
砂漠の澄んだ夜空は満天の星空を浮かべ、更に流星群と言う天体ショーを映していた。
「間もなく戻る。この明かりのせいで確認が楽だった」
「了。こちらは衛星リンクを確認する」
リーダーを務める白山は、任務と4名の仲間に異常がない事に、やや安堵しながら無線機に向かった。
流星群が衛星とのリンクに影響を与えていないかを確認するため、無線機の電源を入れる。
小さな液晶画面に赤いバックライトが点灯し、電源が入ったことを知らせる。
白山が衛星リンクを確認するモードに切り替えると、少し間があってから0という数字が表示される。
「0だと?」
思わず、城山がつぶやく。
通常、通信衛星は域帯や軍用・商用にもよるが複数の通信衛星が通信範囲に存在するはずである。
0と言う数字は、頭上に衛星が存在していないか何らかの問題により、リンクが途絶している事を示している。
「チッ」と短く舌打ちした白山は、アンテナからケーブルを順にチェックしてゆく。
最後にバッテリーを交換して電源を入れなおした白山が、顔をしかめる。
衛星リンクは相変わらず0を示している。
再起動までの僅かな時間に、同じく衛星を使用して位置を特定するGPSを起動し、こちらも衛星リンクを確認する。
ハンディサイズのGPSも、同様に測位不能の表示が出ていた。
「ホワイトから全部署 衛星リンク途絶 流星群が原因と思われる。応答送れ」
「カチカチ カチカチ」
「ドッグ 了」
各員が、了解の応答を返す。
短距離通信は問題なく使用出来る事に安堵しながらも、白山は頭上を見上げ恨めしげに流星群を睨んだ。
流星は、相変わらず大きな発光を伴いながら短い間隔で降り注いでいる。
視線の隅に、何か光るものを捉えた白山は、無線機の再起動が終わったと判断し目を向ける。
受信1
通信機が何かメッセージを受信している。
衛星リンクは相変わらず0で、リンクが復活しなければこの無線機は、役に立たない箱でしかない。
おかしい……
白山は考える。
考えられる可能性は2つ。
無線機の不調で、通常どおりリンクが確立しているが、表示の不具合の場合
若しくは、根本的に無線機が壊れている可能性だ。
しかし、作戦本部は定時報告を受信する以外は、支援要請や緊急離脱時の返信以外に電文を送る事は無い筈だ。
何らかの緊急事態だろうか?
それであっても、本部や各地に待機している部隊が存在するので、自分たちのチームを撤収させる意味が無い。
一度実行された作戦は、完遂する以外撤収はありえない。
受信するはずのない電文を受信した無線機に言い知れぬ違和感を覚えながら、メッセージを開く操作をする。
【召喚を実施します 対象を中心に半径10m】
「召喚?」
白山が再びつぶやいた直後、ひときわ大きな流星が頭上を通過し周囲が白く染まる。
反射的に視界をかばった白山は、襲撃という可能性が頭をよぎり、高機動車の荷台で身を伏せていた。
ほんの一瞬にも、永遠にも思える不可思議な時間感覚だった。
立ちくらみや貧血のような、血の気が引く感覚が白山の頭部を襲う。
出血かと思うが、負傷したのなら貧血症状の前後に衝撃や痛みがあるはずだ。
衝撃も銃声も怒号も聞こえない。
いつでもM4を撃てる状態で胸に抱いた白山は、周囲の違和感に気づく。
「……明るい…… 鳥の声?」
素早く自分の全身をを観察し、負傷部位がないことを確認した白山は周囲に意識を向ける。
ゆっくりと身を起こした白山は、周囲に視線を走らせながら短距離無線機のスイッチを押す。
「ホワイトから全部署 無線点呼」
バラキューから溢れる陽の光は、砂漠特有の射るような日差しではなく、春を思わせる柔らかな日差しで白山は目を細める。
「ホワイトから全部署 無線点呼!」
すこし、声のボリュームを上げて送信する白山は、何故自分がここにいるか分からなかった。
先程まで真夜中の砂漠のど真ん中に居たはずなのに、網膜に映る景色は、森と草原の境界に位置する窪地だった。
地形だけは、砂漠の窪地に似ていたが足元は、岩石や砂ではなく牧草のような柔らかな草で、荷台から降りた白山は久しぶりに踏みしめる、優しい植物の感触に戸惑った。
歴戦の特殊部隊員である白山は油断なく周囲を探る。
森の中は、視界が効かないが取り立てて脅威は認められない。痕跡・臭気・聴覚に引っかかる兆候は認められない。
窪地の稜線に伏せた白山は草原を見渡す。
スナイパーらしき影も見られない。
信じられないといった思考を必死に押し殺し、現状を分析する。
地平線まで草原となだらかな地形が続き、森が点在している。そして不自然な程、人工物が見当たらない。
目線を観測所があった方向に転じる。
そこにあったはずの岩山は消えており、草原だけが続いていた。
反対側、白山のバディであるドッグが確認に行ったはずの方向は、森になっており遠くは見通せない。
白山は悔やんでいた。原則どおりバディで行動していればこの場にドッグも一緒に居たはずである。
しかし、周囲を見渡してもやはり自分一人だ。
「今、出来る事は現状の確認と通信の確保……」
そう頭のなかで判断した白山は現在位置を確認するため、先程 機能しなかったGPSをチェストリグから引っ張り出し、現在地点を確認する……
【衛星が見つかりません……】
液晶画面に表示された文字に舌打ちをしながら、荷台の衛星通信を確認する。
【0……】
「どうなってんだ……?」
思わず愚痴った白山は、頭のなかで緊急時の手順を確認する。
緊急無線を高機動車の側面に括りつけた背嚢から取り出すと、救難信号を発信する。
これで近くを飛んでいる航空機が信号を受信すれば、何らかのアクションがある筈だ。
続いて、弾薬箱から新しいクレイモアを引っ張りだし、森の中に2つを仕掛け偽装するとコードを伸ばしてスイッチを手元に置く。
視野の開けている草原部分は目視での監視が可能だと判断し、高機動車の背後にある森にクレイモアを仕掛けたのだった。
ワイヤーを張らずに、手動としたのはチームの人間や民間人が接近してきた場合に備えてだ。
衛星通信が何らかの原因で途絶している以上、外部との連絡手段は緊急無線機に限られる。
「今は待つしか出来ない……」
2時間ほどそうして、草原の監視を続けた白山はずっと思考を巡らせていた。
先程まで真夜中の砂漠に居たはずなのに、何故今は草原にいるのか? その原因は何か?
何故、衛星が繋がらないのか?
仲間は、何処に行ったのか?
解らない事が多すぎる……
通常なら、AWACSが常時周辺を旋回しており、救難信号はすぐにキャッチされ何らかの応答があるはずだった。
しかし緊急無線機も相変わらず沈黙を守っている。
暖かな日差しが降り注ぎ、過酷な環境に長く晒されていた白山は疲れが眠気となって襲いかかるのを感じていた。
休息の必要がある。
緊急無線機の電源を落とした白山は監視体制を解き、背嚢から携行糧食を背嚢から取り出すと、高機動車のタイヤに寄りかかった。
冷えた飯をスプーンで掻き込みつつ、警戒態勢を取りながら頭を駆け巡っていった事柄を整理してゆく。
まず、ここが何処なのかは保留だ。地図もなければGPSも機能しない現状では、ここが何処かを知る術はない。
原因も後回しだ。判断材料が少なすぎる。
衛星通信のメッセージに現れた【召喚を実施します 対象を中心に半径10m】の文字。
白山を中心として、半径10mに高機動車が存在していたから召喚された。
いや、物理的にも技術的にも矛盾だらけだ。
しかし、見知らぬ土地に裸一貫で放り出されるよりは、車両と装備の大半が手元にあることは有難い。
これだけの装備があれば、どんな状況でも対応できる。
白山は出発前の点検とチェックリストを思い出し、高機動車に積載されている装備に少しだけ安堵を覚える。
仲間は恐らく、まだあの砂漠に居るとしか考えられない。
半径10mに存在しなかったから召喚されなかったとしか、現時点では言い様がない。
白山は仲間の生存と帰還は楽観視していた。
車両と通信機を失ったとしても、自力で救援を呼び徒歩で砂漠を横断できる能力は備えている。
緊急時のサバイバルキットや飲料水、最低限の食料は全員が持っている。
敵勢力下だが、制限された装備や条件での行動は、特殊部隊の十八番だ。
不意の遭遇戦闘でもなければ、奴等が帰還できる可能性は高い。
問題は俺の立場と処遇だ。
運転席に座ってすらいないし、エンジンもかけていない。
OP(観測所)からはそれほど離れていないし、何より岩山の入り口にはドッグが居た。
逃亡ではないことは、証言してくれるとは思うが、上の連中が納得するかは疑問だ。
最悪、軍法会議かコンバットストレスと判断されて精神病院行きだろうな。
衛星がつながらないのは、流星群からの影響が続いているのか通信機器が故障しているのか
現状では判断がつかない。
予備の通信機はOPに置いてあったので手元には存在しない。
本来は、OPに通信機を設置して衛星リンクで画像を送信する手筈になっていたが、地形的に緊急時に離脱が難しく、やむを得ず通信機を高機動車に設置していた。
撤収の時間を短縮して、素早く離脱できるようにリスクと作戦手順を検討した結果だった。
もしも予備の無線機が手元にあれば。
出発前に動作を確認していた無線機が手元にあれば、最初からセットアップし、
通信を確認できるのだが、無い物ねだりをしても始まらなかった。
現状で出来る事は、SOP(通常任務規定)に従い行動するだけだ。
不測の事態で孤立したた場合、ERV(緊急集合地点)に12時間留まり、正規のRV(集合地点)を目指す。
そして、RVで24時間警戒した後、友軍の施設や国境を目指す手筈になっていた。
現在位置がわからない、以上果たしてそれが正しいのかは甚だ疑問ではあるが、こういう事態だからこそ手順を守ることに意義があると、白山は自分を納得させた。
「今出来るのは体力の消耗を抑えつつ、24時間待機…… か」
作戦中にしては珍しく、一人呟いた白山は糧食を胃に詰め込み24時間をこの場で待機するのに必要な準備を始めた。
高機動車を中心として、ワイヤーセンサーを張り、監視の目が不足している状況を補う。
森の中を進みながら白山はますます謎が深まるのを感じていた。
「全く知らない植生だな」
これまで白山は、合同訓練や各種任務で世界各地を訪れていたが、この森の中の植生は、未だかつて見たことがないものばかりだった。
ワイヤーセンサーを設置した白山は、森と草原に向けて動体センサーを設置してひとまず一息ついた。
これで、何か動きがあれば手元のコンソールが異常を知らせてくれる。
4日の監視で、緊張を強いられていた事に加えて突発事態で疲労が溜まっていた白山は荷台に座り、通信機に残っているメッセージに目を落とす。
【召喚を実施します 対象を中心に半径10m】
「何の意図があって誰が召喚したのかわからんが、召喚したならちゃんと責任を持てよな」
通信機に向かって毒づいた白山は、少しだけ目を閉じた。
バラキューから差し込む日差しに、眼を覚ました白山は腕時計を覗きこむ。
2時間ほど眠っていたようだ。
もっとも、時刻は当てにならないが、時間経過だけは判断できる。
幾らか睡眠をとれた事で、頭はスッキリしていた。
飲料水のポリタンクから、プラスチックのコップに水を注いだ。米軍のFOB(前線基地)でもらった粉末コーヒーを溶かし、カフェインで寝起きの意識を覚醒させる。
召喚からかれこれ6時間程が経過しており、日はだいぶ傾いていた。
方角的には向こうが西かと考えた白山は、ふと思い出したように、腕のポケットからコンパスを取り出し
方位を確認する。
日没の方向は概ね西を示しており、これまでの知識が適応される事に安堵していた自分に苦笑を漏らす。
しかし、すぐに頭を振り顔を引き締める。
召喚され、別の世界に居ると判断しつつある自分の思考を戒めた。
「まだ、判断するには材料が少なすぎる」
徐々に赤く染まりつつある西の空に視線を向けながら、白山はポツリと呟いた。