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開拓地と騎士団長の覚悟 ※

 白山はゆっくりと森の中を進んで行った。

不用意な音や大きな動きは、ステルスで移動する際には厳に慎まなければならない。

そうした動きや焦りは、敵に発見されるばかりではなくエネルギーの浪費にもつながる。

長期に渡る作戦行動では、如何に無駄な動作を削って行くかにかかっているのだ。


何度も訓練を繰り返して習得されるその動きは、一種の芸術と言っても過言ではない。


巧みに枝や蜘蛛の巣を避け、植物や森に逆らわず進んでゆく。

時速二キロ程の速度で細心の注意を払い地面を踏みしめていった。五感をフルに使用して敵の気配を探る。

頭に叩き込んだ周辺の地形と歩測で、おおよその距離を把握しながらの前進は、肉体的にも精神的にも相当に消耗する。


血流が活発になり肺臓に負担がかかる。木々を避ける動作は中腰の状態から、スクワットのように足腰に負担がかかるのだ。

大きく息を吸い込みたいが、目標地点に近づくにつれて、自分の呼吸音すら邪魔になる。

意思の力で小さな呼吸を意識して、考えるのは歩測のカウントのみで、頭の中の生理的欲求を排除してゆく。



白山は進んでは止まり進んでは止まりを繰り返し、ゆっくりとではあるが確実に目標に向けて足を進めていた。

何度目かの停止のタイミングでふと、五感に何かが引っかかるのを感じる。


それはほんの小さな違和感で、自分自身が何に気づいたのかも判らない程だった。

長年の野外での経験から、こうした違和感を見逃してはいけないと知っている白山は、ゆっくりと五感を駆使して周囲を探る。


聴覚ではない。味覚、嗅覚でもない…… 視覚は最後の確認に残しておく。


残るは触覚だった。


自分の体温を無視して、周囲の空気の流れをじっと感じるように、皮膚のセンサーに意識を向ける。

頬に微風が感じられる。海からの僅かな空気の流れが、左手の方向から吹き抜けてゆく。

頬骨から額の薄い敏感な皮膚を風が撫でて、つかの間体温を奪う。

それで感じられた。額の周辺に僅かな熱が感じられたのだ。


何かの熱源が正面に存在する……


白山はその存在を確かめるように、暗視装置の恩恵を受けている視覚を使い、違和感の答えを探す。

すると、暗視装置の狭い視野に何か不自然な形を見つけたのだ。


音や動作で自身の存在を露見させないように、静かにジワジワと姿勢を低くしてゆく。

そうしてたっぷり二分近くをかけてニーリング(膝撃ち)の姿勢まで移行すると、ゆっくりとM4を据銃した。

音の出る金具などには、入念な消音の措置を施してはいるが、それでも金具や装具に干渉しないように持ち上げる。


白山はゆっくりとした動作で、発見した形の周囲をIRイルミネーターで照射してゆく。

目に見えない赤外線とはいえ、もし何らかの光を感付かれたら、これまでの接近が水泡に帰すのだ。

今の段階ではこの世界の人間が、白山の居た世界の人間と、全く同じ人体構造をしているとは限らない。


無論、出発前にアレックスやブレイズに試してもらい、赤外線の可視域が問題ない事は確認済みだ。

念には念を入れ、直射を避けている。


極力対象を照らさないようにしながら、反射光を対象に当ててゆく。

対象の左側にイルミネーターの光軸を移動させた時、白山が違和感を感じたその正体が判明する。

マントを羽織った人間が樹の幹に寄りかかり、じっとこちらに視線を向けていた。


それを見た瞬間、白山の心臓がドクンと跳ね上がる。

暗視装置越しの視界の中で、目と目があったように思えたのだ。

理論上はあり得ない。それでも、人間の直感や感性は絶対に否定出来ない。


力を抜き自然と一体になり、長時間の監視でも無理のない姿勢を維持する技術、視線以外は動かさないその所作。

どれもこの一味の練度の高さを物語っている。


『コイツら、素人じゃない……』



この分なら、逃走経路も事前に確保しているだろう。今相手にしている男達からは、何らかの大きな意思が感じられた。

相手の生への執着と国家的な装備や武器の有無で分類される、カテゴリが存在するのだが、白山は相対している敵勢力のカテゴリを上方修正する。


間違いなくこの先にいる連中は、世界や文明は違えどプロに相違ない。

むしろ日常生活と自然や生死が限りなく近い、この世界の人間からより優られた相手は、むしろ手強い部類に入るだろう。


白山はそのまま身じろぎもせず、瞬時に取りうる選択肢を検討する。


彼我の距離はおよそ三十メートル程だ。

サプレッサーとサブソニック弾の装填されたM4ならば、この距離では外す事はありえない。

しかし男の位置が問題だった。

白山の位置から男を挟んで真正面に、件の木こり小屋が存在している。


白山の位置から小屋までの距離は、およそ六十メートル。

発砲音が極限まで低く抑えられているとは言え、着弾の衝撃音は誤魔化しようがない。

男が背もたれにしている木に弾丸が食い込めば、それなりに大きな音がするだろう。


出来れば小屋に取り付くまでは、相手に気づかれる訳にはいかないのだ。


男と小屋の距離から考えて、迂回も難しい。


白山はニーリングの姿勢から、同じだけの時間をかけてゆっくりと立ち上がると、後方に下がってゆく。


ジリジリと時間が過ぎてゆき、次第に焦りが感じられるが、ここで急いでは作戦が失敗する。

弧を描くように男を中心にして迂回する白山は、遠目に男の位置を把握しながら九時方向まで移動した。


相変わらず東の方角を見据えている男は、白山に顔の側面を晒す格好になっていた。

射線上に障害物は見当たらない。そして男は白山に気づいた様子もなく、木にもたれかかったまま、微動だにしていなかった。

この位置ならば男を貫通した弾丸は小屋の方向には飛ばず、背後の木が邪魔をする事もない。

最後に周囲を一瞥して、周囲に他の見張りがいる気配がないことを確認した白山は、射撃姿勢を取る。


体勢と骨格で銃を固定すると、セーフティを解除する。

静かに息を吸い、そして半ばまで吐いた所で、照準と男の頭部がピタリと重なった。


パスンと、どこか気の抜けたような極々小さな射撃音が響き、木にもたれかかった男はズルズルと崩れ落ちる。

まるで居眠りでもしているかのように、横たわった男はもう目覚める事はないだろう。


夜も遅いのだ。ゆっくり寝ていてもらおう。

そう場違いな事を考えながら、白山は低い姿勢のまま周囲をサーチして、今の銃声や異変に気づいた者が居ないかを確認する。


異常はない……


サブソニック弾の詰まっている弾倉を抜き、通常弾の入った新しい弾倉と差し替えた白山はチャージングハンドルを引き、薬室の一発も通常弾に切り替える。

消音効果の高いサブソニック弾は、サプレッサーと組み合わせる事で、まるで玩具のように射撃音を抑える事が出来る。

しかし弾丸が音速を超えないように、装薬の量が調整してあるサブソニック弾は、その反面排莢不良を引き起こしやすい。


サプレッサーと通常弾の組み合わせは弾丸が音速を超えるために、まるで鞭を踊らせたようなソニックブームが発生し、消音効果も低くなってしまう。

しかし、装薬がキッチリと詰まった通常弾の方が、排莢不良のリスクは格段に少なくなる。


敵勢力下で、勢い良く装弾出来なかった白山は、気休め程度にフォワードアシストノブを押し込むと、小屋の方向に向けて再び進み出した……



************


 ブレイズは白山と分かれてから、切り開かれた森の際をなぞるように進んでいた。

白山の話では、この開豁地を敵は間違いなく見張っているだろうから、目立たにように静かに行動するように念を押されている。

ブレイズは先の戦争で何度も夜戦の経験もあり、臆する事なく森の中を進んでゆく。


不思議な薄い板に描かれた精緻な絵で、この場所の地形はおおよそ頭に入れてある。

まるで千里眼や鷹の目のように頭上から見下ろした絵は、夜であるのに地形の輪郭を正確に写しとっていた。

白山から頭上から文字通り見下ろしていると、出発前に言われ頭上を見上げてみたが、星空以外に何も見えなかった。


未だに信じられないが、あの絵の通りこの辺りの地形は確かに存在しており、その正確さは疑いの余地がない。


支城で白山から作戦を聞かされた時は、その内容があまりにも無謀で思わず反対意見を口にした。

しかし現実的に見れば、精鋭と言われた騎士達を率いて夜襲をおこなう位しか他に案がある訳でもなく、結局は王の一声で決行が決められたのだった。


この世界の戦いと言えば、やはり大規模な歩兵や騎兵による激突が主であり、数と質量のぶつかり合いだ。

騎士としてみれば褒められたものではないが、計略や戦略による奇襲や夜襲も行われるが、それはどちらかと言えば相手の士気を挫く意味合いが強い。

少勢で陽動と奇襲を作戦の柱に据える白山の作戦は、およそブレイズの想像の埒外であった。


どれだけの腕利きであろうと、単独で王女救出に向かうなど、失敗を考えれば許されるものではない。

それでも自分の目の前で数十人の襲撃者を単独で撃ち倒した『鉄の勇者』であれば…… と、頭の片隅で考えている自分がいるのだ。


人智を超えた存在と巡りあうなど、昨日までの自分に今の自分が置かれている現状を報せても、一笑に付されてしまうだろう。

俄には信じられないような出来事が、今日だけで何度も起きている。


今はあの男を信じて、時分に託された仕事を全うするしかない。

ブレイズは雑念を振り切り、目の前の戦に集中していった。


それでも王女の命と、勇者からの信頼、その二つの重荷がブレイズの双肩にずっしりとのしかかる。

親衛騎士団長に任命され、初めて王の横で任務に就いた時以来の緊張を覚えていた。


いつもならば何でもない運動量なのだが、息が上がり汗が吹き出す。

喉が張り付くように渇くが、腰に手を伸ばしてから水筒は鉄の馬車に置いてきた事を思い出す。


僅かな唾液を飲み下し、ブレイズは前に進んでいった。

白山との打ち合わせでは、半刻までの間に示された位置で待機して欲しいと言う事だ。


そして彼から託された、不思議な材質でできている肩がけの袋。

その中には、支城の中庭で件の騒ぎを引き起こしたという、あの代物が複数発入っているのだ。


そんな物騒なものを小脇に抱えながら、暗闇の中を歩くのは、どこか落ち着かないが致し方ない。

ブレイズに託された役目は、陽動だった。


如何な鉄の勇者と言えど、敵の只中に無防備に飛び込むのは荷が重いのかと問えば、より確実に王女の救出を行う為だと言い切った。

その際にブレイズへ白山から言われた言葉は、中々に深刻だった。


「もし、想定している以上に敵が多かった場合、陽動を行うそっちに多勢が向かう可能性がある。その時は無理はするな」


王の手前、その言葉には素直に頷いておいたが、ブレイズは裏腹な覚悟を抱いていた。

昼間の襲撃から王女の誘拐、どちらか一つでも運が良くて罷免と謹慎、二つも揃えば家名断絶の上、死罪でもおかしくはない。

それならばいっそ、多くの敵を引きつけて一人でも多くの敵を斬り殺し、そして討死する方が名誉ある死と言える。


そんな覚悟を持ってブレイズは白山に指定された場所まで向かっているのだ。

なに、騎士団の仕事は副長のアレックスが回す方が、お調子者の自分よりも、よっぽど上手くいくだろう。


自嘲にも似た考えを思い浮かべながらも、慎重な足取りと周囲への警戒だけは怠らずに進んで行く。

程なくして開豁地の外周を半分ほど進み、それから指定された場所の付近まで無事に到達できた。


借り物の上着だがその袖口で額の汗を拭い、それから地面にゆっくりと横たわり周囲を見渡す。

確かにこの奇妙な服の模様は、地に伏せてしまえば巧く自分の体を隠してくれる。


切り開かれた森の跡地は、所々に切り株が点在し、低い位置からではあまり見通しは良くないが、見える範囲に異常はない。


星の動きを見た限り、約束の半刻まではまだ幾らか余裕があるようだ。


幾分落ち着いたブレイズは、周囲の気配を探るが人の気配は感じられなかった。

それどころか不自然に切り開かれた大地は、不気味なほどの静寂が支配しており、この先へ本当に王女が囚われているのかと不安が浮かんでくる。

不安は疑念を呼び、ありもしない空想は静寂と孤独の中でブレイズの心へ水滴のように刃紋を広げていく。


もしかすればすべてが策略で、王への再襲撃を企図した兵力の引き離しではないかと、碌でもない思考が脳裏を掠めてゆく。

ブレイズは小さく頭を振り、おかしな思考と不安を振り払うと、暗い森の闇をじっと見据え、静かに白山からの合図を待っていた。



************


 グレースはフワフワと漂う意識の中で、何か夢を見ていた様に思えた。

何か楽しい夢であった気がするのだが混沌とした意識に引きずられ、それがどんな夢であったかは思い出せない。

それよりも、自分はいつの間に寝入ったのだろうか?


確か、今回の旅に持参していた、古い伝記の写本を読んでいた筈だった。

この本にも建国の歴史について書かれていて、勇者様に関する記述がないかと頁を捲っていたのだ。

側付きの女官から夜更かしの小言を言われ、そろそろ床に入ろうかと考えていた筈なのだ。


そうだ……

何か、大きな音が聞こえて、何事かと立ち上がった所で突然、手元の燭台と部屋のランプが消えたのだ。


そこまでの情景を思い出した所で、グレースの意識は急速に現へと浮き上がってきた。


かび臭いような、何か不快な匂いが鼻孔に感じられる。

そこで身体をよじろうとして、自分の体の自由が効かない事が判り、グレースは不安を覚えた。

何かクスリの影響なのか、思考も体の動きもまるで靄がかかったようにハッキリしない。


うっすらと瞼を開ければ、仄暗い……どう考えても支城の中ではない場所。


霞む目を瞬き、ようやっと周囲と自身の置かれている状況を理解する。

粗末な寝台に寝かされ手足には縛め。そして口には猿轡と、およそ王女への扱いではない。

しかし、これで自分の置かれている立場に合点がいったグレースは、不安を押し殺して周囲に目を配った。


未だに何かの薬の影響だろう、明晰にならない思考と身体をやっとの事で動かし、周囲を見やる。

首を巡らせた所為か、粗末な寝台がギシリと軋み音を立てる。


その音は、必死に恐怖を押し殺したグレースの耳には酷く大きく鳴り響いたが、その音を聞いたのは当人だけではなかったようだ。

何か荷物に覆いをかけてあるのかと思った物体が、暗がりの中で蠢き、程なくしてそれは人の形をなす。


意識がハッキリとしていないグレースには、まるで暗闇から異形の化け物が姿を現したように見えた。

だが、実の所それはグレースに背を向けて、暗がりで作業を続けていたローブ姿の男の後ろ姿だった。


「お目覚めですかな?王女様」


嘲笑とも侮蔑とも取れる口ぶりで、愉快そうに男は口を開く。


立ち上がった男はそう言うと、灯りを絞ったランプの光源を、グレースへと向ける。

暗闇に慣れたグレースの瞳には、その絞った光源さえも異様に眩しく映り、思わず表情を歪めて目を細めてしまう。

それが男の狙いで、グレースの意識が戻ったと言う事実と傷や異常の有無を判別する。


「手荒な真似をして申し訳ありませんな。しかし、もう少しだけ、ご辛抱下さいね」


クツクツと忍び笑いをこぼしながら、男がうそぶく。


『この儀式が終われば、永遠に悩む必要などなくなるのだからな……』


男は口に出さずそう考えると、顔を歪め不気味に微笑んだ…………





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