畏怖と疑念と未来と本音
前川一曹はまず最初に、三トン半と先遣隊の高機動車を先行させ、橋を越えさせた。
人員は警戒要員を二個班、車両を盾にしながら前方へ展開させ、三トン半は障害排除の前にトレーラーを切り離す。
その間、警戒要員は車両や周囲の遮蔽物を盾にして、定められた警戒方向へと油断なく目を向けていた。
トレーラーを切り離した三トン半がゆっくり前進して、件の丸太が横たわる位置まで到達する。
作業を受け持つ隊員が、持参した工具の中から車両牽引用のワイヤーロープとスリングを取り出して丸太に掛けてゆく。
鮮やかな手並みで、片側にスリングを通した隊員達はワイヤーと三トン半を連結し、牽引の準備を整えた。
ワイヤーのテンションを確認しながらスリングを巻きつけた隊員が、手を挙げて三トン半のドライバーに合図を送る。
ゆっくりと後退し始めた三トン半が、エンジンを吹かすと、ジリジリと丸太が動き始めた。
合図を送る隊員は、手を振りながらそのまま引き続けろと指示を出す。
その時だった。
線上に何かが閃き、合図を送っていた隊員が崩れ落ちる。
三トン半を運転していた隊員は、丸太と隊員の合図を交互に見ており、丸太から隊員に視線を移した時には、彼の胸に矢が突き立った直後だった。
「敵襲! 敵襲! 敵襲!」
三トン半のドライバーは、後方から聞こえてきたその言葉で、素早く状況を悟ると、座席の横に固定していたM4を手に取り、初弾を装填する。
彼が助手席側の窓から左の斜面に目を向けると、そこには粗末な剣や槍を手にした男達が、こちらに向けて駆け下りてくる所だった。
前川一曹は、敵襲の声を聞きすぐさま全体の統制を取るべく、無線に声を上げる。
「左、接敵!《コンタクト》 各員、射撃を許可する! 撃て!」
飛来した矢が目の前の地面に突き刺さるのを見て、前川は即座に反撃を選択する。
前後が塞がれている現状では、最大火力を持って敵に打撃を与えるのが最善だ。
前川の命令が届いた瞬間、20近い銃口が左の斜面に向けて一斉に火を噴く。
それまで聞こえていた川音や、山賊達が上げる雄叫びなど打ち消すように圧倒的な破裂音と硝煙が、周囲を支配する。
無論、周囲を圧倒するのは射撃音だけではない。装薬に蹴られた百数十発の弾丸が、音速を超えて暴力的な威力を解き放つ。
皮鎧ですら数の揃っていない山賊達には、この銃弾の嵐から身を守る術などある訳もない。
走り出した勢いのまま、ものの数秒で命を失うことになった。
「射撃中止! 撃ち方、待て!」
射撃中止命令が下されたのは、接敵からわずか30秒後の事だった……
「一班、襲撃者の武装解除及び周辺を確保。二班は一班の外周に展開して、周辺警戒!」
警戒班を率いている河崎は、すぐに安全確保を行うように指示を出し、隊員達はその指揮に従い、連携を崩さずに動き始めていた……
*************
『恐ろしいまでの精兵であり、王国の全軍団を当てたとしても、勝てる見込みはない』
リンブルグ公は事前にレイスラット王や宰相からそう聞かされていたが、その意味をまざまざと見せつけられた。
第一軍団長であり、娘であるアトレアからも、『銃』という鉄の杖の威力、そして白山の個人の武勇について熱く語られた。
それまではどこか絵空事に近い感覚を抱いていたのだが、こうして目の前でその威力を見れば戦慄する他はない。
襲撃が始まった途端、白山をはじめとして周辺に隊員達が立ち、油断なく四方に目を配っている。
ともすれば、ここは襲撃があった軍場であるが、この世で一番安全な場所かもしれない。
車列が襲撃されたと聞けば、たとえ二百の軍勢に守護されていても、心の奥底には不安の種が小さく芽吹くだろう。
それが今、公爵の心には恐怖と言うよりも、畏怖で占められている。
「アルフ、予定通りの兵を連れて同じように襲撃されたとして、どのくらいの時間で撃退できるかな?」
すでに、襲撃からは十分ほど経っておりポツポツと生き残った山賊や、山賊だった者の躯が街道の横に並べられる。
その数は二十を越え、更に増えようとしていた。
「大群を率いた車列に少勢の山賊が襲撃をしかけるとは考えづらいので、輜重隊に敵が襲撃を仕掛けると仮定します。
その上であの規模ならば、十分程度…… 弓隊まで含めた相手の殲滅ならば、半刻は要するかと……」
「死傷者の数と、隊列を整えて出発するまでの時間は?」
「馬車に被害がなければ、すぐに出発できますが複数の馬車がやられていれば、馬車をどかす時間がかかります。
死傷者は…… 死人は時の運も絡んできますが、一人は出るでしょう。負傷者も十名近い数が出ると思われます」
「これで最後だ。三十名の護衛で同じ状況下に置かれたら、どうだ?」
少しだけ沈黙したアルフは、引きずり出された山賊の成れの果てを遠目に見てから、首を横に振る。
「どう頑張っても、御館様をお逃がしするので手一杯かと……」
「そうか……」
アルフはリンブルグ公爵の名代として、例の総火演もどきも目にしていた。
つまりは、先程目にした以上の火力を脳裏に刻み込んでいた。
「むっ? ――どうやら、終わった模様です」
耳に手を当てたアルフが、公爵に小さくそう告げる。
彼は予備のプレートキャリアと共に貸し出された、個人用無線機を聞いているのだ。
すでに倒木の処理も、安全確保も終わったと言うのだ。
時間にして半刻(一時間)もかかっていないだろう。
同じ無線を聞いたのだろう。白山が警戒を解き助手席に乗り込んできた。
「ご心配をおかけいたしました。間もなく出発いたしますので、もう少々ご辛抱下さい」
柔和な笑みを浮かべるこの若者が、一国を揺るがす武力を統べる男だとは、リンブルグ公には今ひとつ信じられなかった。
「――ホワイト、了。なお、捕虜及び遺体に関しては移動を優先し残置、リタに到着次第、管轄の騎士団に引き継ぐ」
程なくして動き始めた車両は、打ち捨てられた躯の傍を通る。
チラリと視界の隅にその光景を目に留めたリンブルグ公は、オースランドでの会談について、もう少し修正すべきだなと考えていた。
*************
その後の道中は、道の荒れ具合以外は特に問題もなく、無事にリタまで到達した。
リタに駐屯している騎士団に、山賊の一件を報告すると大いに驚かれ、そして感謝された。
どうにも神出鬼没で、多数の被害を出していたらしい。何度か討伐隊を出したのだが、いずれも空振りだった。
次回は砦に詰める軍団からも兵を出してもらい、本格的に討伐する予定だったという。
無事にリタに到着し、宿で体を休めていた白山は、夕食後に思わぬ訪問を受けた。
リオンが対応してドアを開けると、そこに立っていたのは他ならぬリンブルグ公だった……
「夜分遅く、失礼しますね」
護衛にアルフだけを連れて白山の部屋を訪れたリンブルグ公は、ゆっくりと腰を下ろした。
「珍しいご訪問ですね。何か特別な用件が?」
リオンが茶を持ってきてくれてから、会話を切り出した白山にリンブルグ公は少し困ったように切り出した。
「いえ、昼間の襲撃を見て今更ながらに、少し恐ろしくなりましてね。
ホワイト公を疑う訳ではありませんが、その心中をお聞かせ願えないかと、思いましてね」
探るようにリンブルグ公が言った言葉に、白山はその意図が読めないまま会話を続ける。
「私の心中……とは、どういう事でしょうか?」
「これまで私は、王との帰還、そして先の戦役でのご活躍を聞き、非常に心強いと感じておりました。
そして、そんなホワイト公が、ご自身の軍団を立ち上げられたと聞き、これで対外的にも幾らか安堵できると思っていたのですよ。
それらは、娘……アトレアからご活躍を聞き及び、そこに控えるアルフから王都での閲兵について、報告を受けて理解したつもりでした。
しかし、今日その力をこの目で見てしまってから、別の疑念が浮かんできたのです」
そこまで語ったリンブルグ公はお茶を口に運び、その暖かさと香りに一息つく。
白山も同じようにお茶を口に運び、公爵がわざわざこの話を切り出した真意について、思考を働かせていた。
「その疑念とは、どんな物でしょうか? 私の返答で、その疑念が晴らせると良いのですが」
白山は、カップを置きながらゆっくりと視線を公爵に向け、話の続きを促した。
「その疑念とは、皇国や帝国と言った外敵がなくなれば、その牙はどこへ向くのか? と言う事です」
質問の意図を理解した白山は、これからオースランドへ会談に向かう公爵が、切れ者で良かったと思った。
「リンブルグ公がそう感じられるのも、もっともだと思います」
テーブルの上で指を組んで少し身を乗り出した白山に、リンブルグ公は柔和な笑みの下で、背中に伝う冷たい汗を留めることができなかった。
少勢とは言え圧倒的な戦力を誇る部隊を率いているが、白山自身の戦闘能力でもかなりの腕前だと聞く。
身内びいきではないが、戦姫などと呼ばれるアトレアは、王国内でも五指に入る剣の腕だがそのアトレアを子供扱いするという。
もしここで白山の逆鱗に触れたならば、斬り殺されたとしても逆らう術はない。
万一の時には、自分ごとアルフに白山を切るように言ってあったが、それが叶うかどうかは分の悪い賭けだった。
貴族派の面々が白山の力を恐れて、亡き者にしようと画策したのも、あの力を見た後ならば、その気持ちがわからないでもないと思ってしまう。
国王派として力強い味方と思っていたが、強すぎる力は猛毒にもなり得るからだ。
語る言葉とは裏腹に、互いに異なる胸の内を抱えながら話し合いは進む。
「第一の疑念ですが、外敵が居なくなれば、その脅威の度合いに応じて、段階的に隊を縮小させます」
その言葉に驚いたのは、他でもないリンブルグ公だった。
自身が手塩にかけて育てた自分の権力基盤ともいうべき軍を、何の躊躇いもなく縮小すると言い放ったのだ。
「まあ、そこに至る道程はまだ遠そうですがね」
そう言って笑った白山に、先程までの自身の心配は杞憂だったのかと、公爵は少しだけ腹に飲み込んでいた重石がとれた気がする。
だが、それでもまだ聞いて置かなければいけない部分がある。乾く喉をお茶で無理やり潤すと、語を継いだ。
「それではもしも、外敵を征してからも陛下や民、貴族などから外征の声が高まった場合には?」
その質問を聞いた白山は、少し苦笑交じりにどこか遠い所に視線を向けながら返答してくれた。
「そうなった場合には、すべての武器を破棄してから、部隊に解散を命じます……かね。
槍の穂先が消えてしまえば、戦う気なんて簡単に失せますから。
その時は、どこかの山奥か森の奥にでも引っ込んで、のんびりと暮らしますよ」
まるで、そうする事が自分の夢だとでも言わんばかりに楽しげな様子で語る白山に、公爵はますます白山の真意が分からなくなる。
「ご自身が手塩にかけて育てた兵をそんなあっさり捨てると?」
「私が生きていた国の施政者が、こんな言葉を残しています。
軍が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか災害の時とか
国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、民や国は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい。
そう言っています」
吉田茂首相が残した言葉を、諳んじた白山の言葉に、公爵はただ黙って静かに目を閉じ、その言葉を噛み締めていた。
「まあ、我々のような人間は、役に立たない事に越したことはないんですよ」
笑いながら簡単に言ってのけたその言葉は、言いようのない重さを秘めている。
公爵は思わず白山の爪の垢を煎じて貴族共に飲ませてやりたいと心底思ってしまう。
「そうですか…… いや、良いお話を聞かせてもらいました」
胸のつかえが下りた公爵は、幾分スッキリとした表情で立ち上がると、礼を言って部屋を後にする。
白山は、入り口まで公爵を見送ると、少し感傷に浸るようにして天井を見上げた。
果たして自分がリタイヤする頃には、平和な時代は訪れているのだろうかと。
そして自分は、そんな時代を目にすることは出来るのかと、普段ならば思考の埒外に追いやっていた思いがふとよぎる。
特殊作戦に携わるようになってからは、自分の命すら道具であり、いつ死ぬかもしれない極限状態に身を置いてきた。
『未来』や『生』に執着があっては、『今』を生き延びることが出来ない世界が当たり前だったのだ。
自分が変わったのか、それとも環境の変化が思考に影響を与えたのか……
その答えは白山にも判らなかった。
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白山の部屋を後にしたリンブルグ公は、先程の会談で語られた白山の言葉をもう一度思い返していた。
この世界の貴族としては、広い視野と先見性を持つ公爵だったが、それであっても自らの尺度を基準として白山を測っていた。
そして白山の話を聞き、自身の疑念は杞憂だったと、少し気恥ずかしく思っていた。
自分のように白山と直接会話を交わし、その存念を知れば猜疑や恐怖心は薄らぐだろう。
しかし貴族や他国の者には、そうした機会や考えに至らない者も出てくるだろう。
ごく短時間に、そして若くして地位と力を手に入れた白山には、畏怖や嫉妬を抱く者は多いが、王宮に住まう面々を除いて理解者が少ない。
これは当代で身を成した故に必然的に手の回らぬ部分であろう。
ならば、リンブルグ公としてはその心根を聞いた上で、自分は彼の良き理解者であろうと心に決める。
これから先、貴族派の求心力が消え、派閥が再編されていく過程で必ず白山はその波に晒される。いや、その中心に位置するだろう。
その恩恵にあずかろうと有象無象が集まり、姑息な裏工作を弄する者も現れるはずだ。
そんな時に王の他に後ろ盾になる貴族は、必ず必要になる。
リンブルグ公は、独り考えを巡らせて、そう決意を固める。
柄にもなく少々興奮した公爵は、立ち上がってサイドテーブルへと向かい、気持ちを落ち着けるため、公爵はクリスタルカットの瓶から、蒸留酒をグラスに注いだ。
「少し、付き合ってくれないかな?」
グラスを両手に持ち、その一方をアルフの方へと差し出した公爵は、再びドサリとソファに身を沈めた。
「しかし、坊っちゃんも中々危ない橋を渡りましたな。かなり肝が冷えましたぞ」
人払いが済んでいる部屋の中で、ガラリと口調を変えたアルフは、ゆっくりと対面に腰を下してグラスの酒を一口飲むと、そう愚痴をこぼした。
公爵がまだ若い頃からの付き合いである両者は、気の置けない間柄でもあった。
「いや、流石に話を切り出した時は、私も背筋が凍ったよ」
苦笑しながら蒸留酒を舐めるように味わった公爵は、忍び笑いをこぼす。
「ところでアルフ、もしあの場でホワイト公が激昂したとして、君には切れたかい?」
すっかり緊張が切れた様子の公爵は、いまだ衰えの知らないアルフの腕を知りつつそう尋ねた。
アルフは最初にアトレアに稽古をつけた一人であり、かなりの武勇を誇る。
余談ではあるがアトレアについた剣の師匠とは、その昔アルフが見習い騎士だった時分に師事していた剣の達人で、アトレアにとっては、アルフは兄弟子ということになるのだ。
「坊っちゃんごと刺し違えても―― というならば、一太刀は浴びせられたでしょうが、それを許すほど甘くはありませんな」
白山の立ち居振る舞いは、アルフから見ても洗練されており、平時の柔和な顔に誤魔化されそうになるが、見る者が見ればその腕がわかると言えた。
「それにあの副官の―― リオン殿と言ったな。彼女も相当に使う。恐らく先に動けば仕留められたのはこちらだ」
リオンが会話が始まった際に一瞬だけ身構えたアルフの動きを見逃さず、氷のような殺気を向けてきたと聞き、公爵は更に驚いていた。
「うん、あの話し合いで何事も無くてよかったよ。本当に……
それで、ホワイト公の言った言葉について、アルフはどう感じた?」
お互いにチビリチビリと酒を舐めながら、感想を聞いてきた公爵にアルフは少し考えてから、口を開いた。
「あの言葉に、嘘はないでしょう。それにあの言葉には、軍人として大いに共感できる」
「ほう、それは興味深いね?」
「軍人としての本懐は、君主に命を差し出す事だが、本音を言えば軍人だって人間だ。
死にたくはないし、人だって必要がなければ殺したくはない。
平和であることに越したことはない。もっともな話だ」
ともすれば、不敬罪とも思える言葉を交わしながら二人は語り合う。
この会話は誰に聞かれるでもなく、深夜まで紡がれていった…………
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