地図と倒木と経験と
「了―― 本隊の到着を待て」
白山は無線のハンドマイクを口元から離しながら、渋顔を浮かべていた。
先遣隊からの報告で、いくつか問題点が出た様だった。
『進路上に障害物あり、伏撃<アンブッシュ>の可能性も懸念される』
リオンは、至極簡潔にそう報告してきた。
「前川一曹、少し早いが小休止を入れよう」
今度は小型無線機を使い、後続の三トン半に乗車している前川一曹に連絡を入れる。
白山の意図を汲んだ前川一曹は、特に異論も挟まずその旨を了承してくれた。
少し進んだ先に具合の良い広場があり、一行の車列はそこへ乗り入れる。
リンブルグ公の一行は、車から降りると背伸びや外の空気を吸い気分転換を図っていた。
その様子を横目に、白山は地図を片手に前川一曹の所へ向かう。
「どうやら先遣隊からの報告ではトラブルがあったようだ。倒木が進路を塞ぎ、地形的にアンブッシュも予想されるそうだ」
白山は、図嚢の上に地図を広げると、地面に落ちていた細い枝を拾い、その先端で地図を指し示す。
「現在地点は、およそこの辺ですね。先遣隊の位置は?」
前川一曹も同じようにコンパスとペンを出して方角と現在地点を確かめる。
「先遣隊には本隊の到着を待てと指示しておいた。場所は――4630 3000だな」
メモと地図を照らしあわせて、先遣隊の位置を枝で示した白山は、その先の地形を見て眉間にシワを寄せた。
「ここからだと、約一時間程度の距離か―― 確かに、この地形は拙いですね……」
同じように地図に目を落としていた前川も、白山と同様の感想を抱いたようだ。
「障害物の種類は倒木って事だが、アンブッシュ前提で行動した方が良いかもしれないな」
「現地入ったら、周辺の高所取らせて安全確保しますか?」
「いや、障害除去に作業人員も考えると1個分隊が精々だ。車両を中心にして全周防御で――」
白山と前川がそんな打ち合せをしていると、二人に接近してくる人物が居た。
「何か問題でもありましたか?」
白山が振り返ると、そこにはリンブルグ公が興味深そうに、近づいて来る。
「いえ、先遣隊の報告で、この先で街道が塞がれているとの報告があり、対応を話していた所です」
無線でのやりとりは白山と公が同乗する高機動車に積載されているため、その報告自体に驚きは少ない様子だ。
しかし、リンブルグ公の興味は別の所にあるようだった。
「その地図は……一体」
目を見開くように驚きを浮かべ、地図に視線を向けている。
「差し支えなければ、その地図を拝見してもよろしいですかな?」
どうやらリンブルグ公は部隊で使用している地図が気になって仕方ないのだろう。
この世界の地図は、高所から書き写したスケッチのような地図か、記憶を頼りに書き起こされていて、酷く不正確な代物が多い。
こうした下敷きを基にして王国や領地の兵士達が周囲の地形や河川、丘や町並みを書き足し修正してゆくのだ。
簡単な行き先や大まかな地形を知るだけならば、この世界の地図でも十分に用を足すが、部隊の位置を『点』で知る必要のある白山達にとって、精緻な地図は必要不可欠なのだ。
そこで白山達は王都周辺と皇国との国境付近を中心に、バードアイの画像と合成開口レーダーを活用して地形情報を収集、それを基にして地図を作成していた。
これまで行ってきた天体観測や各種の調査によって、この世界の星の動きや自転・公転周期、惑星の直径などは概ね地球と同じだと判明している。
白山が召喚された当初に見た通り、大きな月のような衛星が二つ空に見える以外は、地球の考え方や公式がそれなりに応用できるのは、僥倖だった。
月が複数ある影響からか、暦に関しては太陰暦ではなく太陽暦を採用しているのも、当然の結果かも知れない。
「構いませんが、あまり口外なさいませんように」
そう言ってやんわりと釘を差した白山は、地図をリンブルグ公へと手渡した。
地図を受け取ったリンブルグ公は、地図に目を落としそして周囲の地形を見る。
「ホワイト公、お手数ですが現在位置を教えて頂けますか?」
リンブルグ公は、これまで見せていた旅先の気楽な表情ではなく、かなり真剣な表情で白山に問いかけてきた。
その表情を見てやはり領地経営に携わる貴族として、この地図の重要性が判るかと思いつつ、枝の先で街道の一点を指し示す。
それを見たリンブルグ公は街道に目を向けてから、改めて地図と比較する。
穴が空くほど地図を見てから、ややあって感嘆とも諦めにも感じられる大きなため息をこぼし、白山に地図を返す。
「いやはや、鉄の馬車で旅をすると聞かされた時は、これ以上の驚きは無いと思いましたが、これ程とは……」
なんでも、リンブルグ公の話では領地を持つ貴族は、五年毎の地図の更新と検地が義務であるそうで、その地図は王国へ提出されるらしい。
その地図を元にして、王国全土の詳細な地形や地理を王家が把握するのだ。
こうした地図は毎年の人頭税や年貢の石高などに影響するため、貴族の重要な仕事となっている。
しかし、白山達が作成した地図はそうした労力を削減する大きな可能性もあり、領地運営のあらゆる面で役立つだろう。
そして同時に非常に厄介な代物でもある。
貴族にしてみれば、毎年の年貢や石高はできるだけ低く申告して、自らの財や蓄えとしたい。
しかし既に王国がこの地図を保有しているとすれば、面積あたりの石高などは簡単に露見し、不正蓄財など不可能になる。
そして王家に謀反を企もうにも、これだけ地形を把握されてしまっていては、勝負にすらならない。
まして相手が騎士団や軍団ならば、幾らか抗いようがあるかもしれないが、白山達が相手ならば鎧袖一触、いや触れることすら叶わずに倒されるだろう。
「我が領の地図作成もお願いしたい所ですが――まあ、無理でしょうな」
その国の地図情報などは、攻める側にとってみれば宝の山に等しいのだ。
それを如何な高位貴族とはいえ、地方領主に提供するなど許されないだろう。
その点が分かった上での、リンブルグ公のぼやきだった。
「我々も地図の作成と使用を王家より認められているだけですので、こればかりは独断ではどうにも」
この地図の使用が認められているのは、白山達と各軍団長そして王城の一部の首脳陣だった。
こればかりは王家の裁可を仰がなければ、白山の独断ではどうにもならない。
事実、王命で極秘裏に発せられた地図の作成に関する依頼と使用の許諾が、部隊には書類として正式に交付されている。
物の重大性に鑑みて、宰相からは年間の部隊の予算とは別に地図の作成に関しては買い上げの形で資金が支払われていた。
当初、この支払いは白山個人宛てに支払われていたのだが、その額の多さに慌てて部隊へ入金を依頼した経緯がある。
この地図の資金は、今のところ作戦用の戦略資金や現地糧食の購入に充てられている。
「まあ、この話はオースランド訪問が終わってから改めてとしましょう。
ところで街道が塞がれているとの事でしたが、そちらは問題ありませんか?」
苦笑しながら、話を変えたリンブルグ公はそう問いかけた。
「ええ、倒木があるようで、その除去に人手が必要だということです。ご心配には及びません」
白山は相手を安心させるように笑顔を浮かべ、アンブッシュの危険は伏せて心配無用であると伝える。
「もし力仕事でしたら、アルフにも手伝わせますので遠慮無くおっしゃって下さい」
「お気遣いありがとうございます。必要がありましたらお声がけさせて頂きますので、よろしくお願いします」
公の気遣いに感謝を述べた所で、前川一曹が僅かに腕時計を指し示す。どうやら時間のようだ。
「それでは、そろそろ出発致しますので車の方へとお願いします」
白山はリンブルグ公を誘い高機動車の方へと足を向ける。
歩きざまに白山は、前川一曹と視線を交わす。前川が静かに、だが力強く頷いたのを見て同じように頷き返した白山は、高機動車へと歩きながら背後の前川に向けて親指を立てた。
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先遣隊がその異変を察知したのは、偶然だった。
橋の下で橋脚を点検していた隊員が車両に戻ろうとして、傾斜の緩い場所を探し車両よりも少し先の斜面を登っている時だった。
先頭を歩く隊員が、視界の先で何かを発見したのだ。
『違和感には理由がある。何を持って違和感を感じたのか、その理由を追求しろ』
普段から白山にそう教育されている隊員は、視線の先に感じたその違和感の正体を探る。
後続の隊員と、念の為に車両にもハンドシグナルで『停止』を送った隊員は、目を凝らしてその正体を見定めようとした。
「おい、あの道路の先、何か見えないか?」
後続の隊員を呼び寄せた先頭の隊員は、自分が持った違和感の正体を確認すべく、バディにも同じ方向を指し示す。
「どこだ?――ああ、あの先か。確かに……何かある」
偶然重なった幸運は、後続の隊員のM4カービンにACOGの照準器が載っていた事だ。
遠目にもうっすらとしか見えないその違和感の正体は、望遠照準器の視界を通して、その正体を鮮明に隊員へと報せてくれた。
「倒木だ」
言葉短く、発見者の隊員にその正体を告げた隊員は、無言で車両へと顎をしゃくる。
彼らは伊達に厳しい訓練をくぐり抜け、実戦を経験している訳ではない。
先程の河崎が発していた『拙い』という言葉と、これまでの経験から状況をすぐに読み解き、報告の必要があると判断したのだ。
運転席側の窓越しに報告を聞いた河崎は、車長であり先遣隊の最先任であるリオンへと視線を向ける。
「まずは、倒木の場所と状況を確認しましょう」
報告を聞いていたリオンは、即座にそう決断を下す。
本隊に報告を入れるにしても倒木の場所や自然倒壊なのか、人為的に落とされた物なのかなど、ある程度の情報は必要だ。
出発前の指導では『無理せずに本隊の到着を待て』と言われているが、本隊が到着した時に状況が何も判明していないとすれば、何の為に先遣隊が存在するのか。
双眼鏡を片手に助手席から下り立ったリオンは、そんなことを考えながら隊員達のもとに歩み寄る。
その指差す方向を注意深く高倍率の双眼鏡で観察すると、なるほど確かに倒木が確かに横たわっていた。
リオンは双眼鏡に内蔵されたミルスケールでおおよその距離と方角に当たりをつけ、そのまま車両へと引き返す。
助手席から地図をたぐり寄せると、先ほどのミルと距離からおおよその倒木の位置を割り出した。
「およそ、この位置――5650 2845 付近に確かに倒木があります」
どうするかを問いかけるように河崎へと視線を向けたリオンは、意見を促すように軽く小首を傾げた。
「倒木発見の一報を本隊に入れた後、前方偵察を送り状況確認ですかね」
「では、前方偵察のルートと具体的な内容は?」
畳み掛けるように突っ込んだ内容を口にするリオンに、河崎は地図と地形を交互に見てから少し考えて再び口を開いた。
「前方斥候は四名、倒木の排除可否を判断する必要がありますので、俺が引率します。
万一に備えて車両は橋の向こうへ退避させ、MINIMIを降ろし小銃手と2名で現在位置で掩護。
ルートにあっては…… 川沿いに進み街道の法面を遮蔽物に移動、主たる警戒方向は進行方向左手の丘」
途中、上腕部のペン差しからペンを取り出して、ルートをなぞるように地図の上を走らせた河崎は、自信を持って視線をリオンへと向ける。
召喚されてから隊員達の兄貴分として一緒に訓練を重ね、既に実戦をくぐり抜けている河崎は、新米三曹の貌<かお>ではなく、歴戦の風格があった。
次の人事考査で彼の昇任を考えていた白山は、河崎の様子を見るようにリオンに頼んでいたのだ。
リオンの訓練期間からすると、河崎よりも経験が下に思えるが、部隊の設立までは白山からマンツーマンで訓練を受けている。
その間白山とともに幾つもの実戦を経験し、部隊発足後は教範を読みあさり未知の分野は率先して訓練に参加していた。
今では主に部隊指揮や作戦立案について白山に教えを乞うている。
その吸収速度は白山も舌を巻くほどで、副官として便宜上は曹長待遇となっているが、昨今その肩書に近い技能を有していた。
「判りました。それでは本隊には私が連絡を入れますので、編成と準備をお願いします」
それを聞いた河崎は、運転席から降りて的確に隊員達へと指示を飛ばしてゆく。
リオンは車両の位置からは見えない倒木の方向を一瞥してから、指示を出す河崎の姿を見て小さく頷くと無線のハンドマイクに手を伸ばして、本隊を呼び出していた…………
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