湯気と兵站と使用許可
未だ病院着だったカレンはその簡素な衣服をストンと落とし、一糸纏わぬ姿になる。
束ねていた髪を解きつつ、リオンの方に視線を送る。
リオンはと言えば下着姿で、着ていた戦闘服を足元の脱衣カゴに畳んでいた。
躾事項としてその理由を説明されているリオンは、ごく当然のようにそうしていたのだが、カレンの目にはそれがどこか上流階級の所作のように映る。
慌てて脱ぎ落とした病院着を手に取りたたみ直すが、慣れない仕草で手間取ってしまう。
それを目にしたリオンがタオルを手にカレンの側にやってきて病院着を受け取り、慣れた仕草でそれを畳んでゆく。
「ずいぶん、慣れているのだな」
その手つきを見たカレンが関心したように声を上げると、リオンは薄く微笑んでその問いをはぐらかす。
白山からの教育は戦闘技能だけではなく、こうした小さな生活技能にも及んでおり、そのどれもがリオンには新鮮だった。
暗殺者として育てられたリオンは、日常生活における技能に乏しく、白山に細かな事項まで指導されている。
その甲斐あって今では王女であるグレースの前でも、恥をかくことなく振る舞うことが出来るようになっていた。
もっともリオンにしてみれば、自分自身の事と言うよりも白山の身の回りを世話する事に喜びを覚えており、それが巧く作用して急速に所作を習得していた所もある。
リオンに先導され浴室の扉をくぐったカレンは、石造りの大きな浴槽と湯気を湛える浴室内の熱気に思わず目を細めた。
この世界において入浴は有力者の特権となっている。
大量に消費する燃料と、手作業で水を運搬する手間を考えれば当然であるが、当然基地には浴場が完備されている。
白山と教官達が召喚した野外入浴セット二型を流用し、苦労して設置してあった。
これは特権云々の話ではなく衛生問題に起因するのだが、当初隊員達に入浴を浸透させるのは骨が折れた。
完成時には、白山や教官達は大いに喜んだが、もともと風呂に入る習慣がなく、勝手に入って懲罰を受けるのではないかと使用を躊躇っていたのだ。
そのため使用法の説明も含めて白山を始めとした教官達が、隊員達と共に湯に浸かり、使用法を説明した経緯がある。
もっとも燃料の関係で、二日に一度しか入浴日は設けられていないが、それでも隊員達は他の王国軍の兵士達よりも清潔感にあふれていた。
これが所以で街でも女受けが違うと、志願者増に一役買っているのだが…… それは置いておこう。
手桶と石鹸の使い方を聞いたカレンは、少し熱めのお湯を肩からかぶり、泡立てた石鹸で体をこすり始める。
白い泡と共に旅の垢と汚れが落ちて、エルフ本来の透き通るような白い肌が露わになり、その心地よさにカレンは、ふぅ…… と息をこぼす。
リオンも手早く泡を流すと、何か手伝う事があるかとカレンの方に視線を向けたが、その肢体に思わず見惚れてしまう。
170を超す慎重にスラリとした手足、流れるようなボディラインと長い髪が相まって、相当な美人だとリオンは思っていた。
ゆったりとした病院着を着ていた時はそれほど意識しなかったが、こうして一糸纏わぬ姿になれば、否が応でも自身と比べてしまう。
白山に拾われた時とは違い、栄養状態が改善された結果、リオンも失われた時間を取り戻すように急速に女らしくなっていた。
リオン自身は、戦闘の邪魔だと、膨らみかけた胸元に些か不満を抱いているようだったが……
「どうした?泡でも残っているか?」
自身に向けられた視線に気づいたカレンがそう問いかけると、我に返ったようにリオンが返答する。
「いえ、綺麗だなと見惚れてしまいました。すみません」
いくら同性とはいえ、身体をジロジロと見られてはいい気分はしないだろうと思い、リオンは謝った。
「いや、それほど綺麗でもないさ…… 長年の旅や戦闘であちこち傷だらけじゃ」
隣に腰掛けているリオンは湯気の中で、少し注視して見ればカレンの言う通り僅かではあるがピンク色の傷跡が湯によって浮き出ていた。
「それでも、十分に綺麗ですよ」
リオンは傷跡を認めた後も、迷わずに正直な感想を述べるとカレンも、少しだけ恥ずかしそうに笑った。
長い髪を器用にまとめて洗っているカレンが、お返しとばかりにリオンへと視線を向ける。
身長こそカレンには劣るが、リオンの身体もやわらかな曲線と、どこか儚げにも見える顔立ちは、間違いなく美人と呼んで差し支えない。
事実、隊員の中にはリオンに恋心を抱く者もいるが、隊員達の前では冷徹な仮面を脱ぐことなく、そして並みの隊員では太刀打ち出来ないほどの腕を持っている。
また階級も便宜上、白山付きの副官として、曹長相当としての地位を持っていた。
もっとも、リオンに粉をかけている場面を白山に見られると、間違いなくその日の訓練メニューが苛烈になる事を隊員達が身をもって学び、表立った告白などは次第に尻すぼみになっていった。
こうして楽しそうに会話している二人だが、実を言えば数時間前に、ようやく自己紹介した程度の間柄だった。
共に戦場を駆けて来た所為か、打ち解けるにはそれほど時間は必要なかった。
カレンが傷つき苦しんでいた離脱時、横で肩を貸したのがリオンだったのが判ったからだ。
「そう言うお主も、中々の女っぷりじゃな」
リオンはそう言われて、急に恥ずかしくなったのか手桶でお湯をかぶり、泡を流すと逃げるように湯船に飛び込んだ。
「ふふっ、恥ずかしがらんでも良いわ。どうせ浴場には、我らしかおらぬのじゃからな」
カレンがあけすけにそう言いながら、頭の泡を手桶で洗い流すと、水を切り、器用に頭の上に団子をこしらえてタオルでまとめる。
そうしてから熱い湯が疲れた体に沁みると云わんばかりに目を細めながら、湯船へと移動する。
リオンはと言えば、お湯の所為かはたまた違う原因か、少し顔を赤らめて首まで湯に浸かっていた。
「それで、あのホワイト殿とはどこまで進んでおるのじゃ?」
ニタリとオヤジ臭い笑みを浮かべながら直球を放って来たカレンに、リオンはお湯の中でピクリと肩を竦ませる。
それを見たカレンは「おやっ?」っと意外そうな表情で、顎まで湯に沈んだリオンに声をかける。
「もしや、まだ手を付けられておらなんだか?」
カレンの言葉は図星だったようで顎まで沈んでいたリオンは、更に湯へと沈み込み鼻下まで湯に顔を埋めてしまった。
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カレンに充てがわれた部屋に入って来たのは、やはりリオンだった。
朝食の時間は過ぎていたので、取り置きしてくれていたという朝食を紅茶と一緒に持って来てくれたそうだ。
昨日の夕食に負けず劣らず豪華で、ボリュームのある食事を腹に収めたカレンは、リオンに今日の予定を尋ねた。
「今日は健康診断と被服交付…… それにドリーさんとの顔合わせですね」
新しい人名に、ふと疑問を表情に浮かべたカレンに、リオンはなんとも言えない表情を浮かべる。
これでも長年生きてきたカレンは、一角の人物か逆に一曲ある者だろうと想像し、その点については流した。
寿命の長いエルフにかかれば大抵の人間は稚児扱いだ。
そう高をくくっていたカレンの予想と気構えは、根底から覆される事になる……
新しく支給された迷彩服に身を包んだカレンは、簡単な健康診断を終え、リオンに案内されドリーの研究室に赴いた。
リオンが部屋の扉を控えめにノックすると、部屋の中からとたんに騒々しい足音が聞こえてきて勢い良く扉が開かれる。
「貴方がカレンさんね!いや~助かったわ!
ラップトップの研究は行き詰まるし、魔法陣も基礎解析は出来たけど、応用が進展してないのよ!」
自己紹介もせず用件を切り出すドリーにカレンは面食らうが、礼儀として名を名乗れと口を開きかけた所で機先を制される。
「ああ、ごめんなさいね。私はドリス・アボット この部隊の研究者兼後方支援担当よ。
ラップトップの取り出しは手続きとか面倒だから、今日の所は魔法陣の解析について教えてもらえるかしら?」
ツカツカと歩み寄ってがっしりと握手を交わしたドリーは、口を開きかけたカレンを強引に研究室へと連れ込まれる。
カレンがその日開放されたのは、最終的に日付が変わってからだった……
**********
翌日からカレンがドリーの研究室に監禁され、白山はミーティングに集まった教官達に王宮での出来事を報告していた。
白山の話を聞いていた教官達は、一様に渋い顔を浮かべていた。
「オースランドに部隊を派遣するのは問題ないだろうが、皇国への作戦は、正直かなりキツイな……」
ウルフ准尉の言葉に誰もが頷いて賛同を示す。
「やって出来無い事はないが、無理をすれば早晩任務に支障が出るだろうな。
いっそ今の編成を見なおして、直接支援中隊を新編するか?」
「いや、整備の教育やロジスティクスを教えるとなると、教育が長期になるし、何よりそっちの職種を教育できる人間が部隊にいない」
前川一曹が口を開き、それに土屋一曹が反論する。
先日の皇国への長距離偵察任務は、部隊として初めての本格的な実戦任務であったのだが、それ故に多くの教訓や反省点も露呈していた。
以前から指摘されていた通り、人員数と兵站面での脆弱性が浮き彫りになっている。
これは大綱を描いた白山が、兵站面を軽視していたと言う訳ではなく、想定していた役割と現実との相違が出てきたのだ。
『王立戦術研究隊』
この名前が示すとおり、白山は当初部隊の役割を王国軍への教導と遠距離火力を活かした、支援部隊としての役割を想定していた。
その為、有事の際には王国軍と行動を共にする事を想定しており、兵站面の整備については優先順位が低かったのだ。
しかし、情勢が緊迫化して白山達に求められる任務は、より戦略的に変化しつつある。
更に言えば皇国軍に数で劣る王国軍において、それを補う『数と火力』を揃える方向に動いたのは、間違った判断ではなかった。
一般的に戦闘部隊の行動を支えるにはその陰に、後方支援職種の人員数が数倍は必要と言われている。
衛生、補給、整備、輸送、どれも部隊の行動を支える上で必要不可欠な職種であり、現状での対策は急務と言える状況だった。
教官達の議論を黙って聞いていた白山は、手元の資料をめくりラップトップに表示されていた最新の魂の量に目を落とす。
現状プールされている魂は先の任務での戦闘もあり、2700近い総量を維持しているが、無計画な使用は厳に慎まなければならない。
ドリーの解析では最低でも1000柱を残しておけば、出生率や人口には影響は少ないと分析されていた。
それでも部隊の維持には月間で10柱程度を消費し、有事の緊急召喚に関する余裕も残さなければならないのだ。
向こうの世界では予算に縛られていたが、こちらの世界では召喚に使用する魂の総数に縛られている。
「編成予定を変更しよう。支援小隊の編成と火力支援中隊を優先する。戦闘中隊の充足については少し先に延ばそう。
支援小隊の基幹要員を優先して召喚。火砲の増強分と支援機材も必要になるな」
ため息を吐きつつ、必要な魂の量を考えてガシガシと頭を掻いた白山は、内心で愚痴りつつもそう決心する。
現状において王国軍は、国境線の防備で手一杯の現状なのだ。
こちらの兵站支援に手を借りることも考えたが、未だに根強い白山の部隊への対抗意識や反感があり一朝一夕には難しいだろう。
それに部隊の移動速度や戦術を理解していなければ、そもそも補給が追いつかない可能性が高い。
「現状、それが最善の手だろうな。よし、部隊編成計画を手直しするぞ」
ミーティングでのまとめ役であるウルフ准尉が、パンと手を打ち鳴らして皆の意識を集中させた。
そうして編成の見直しに着手しようとしたその時、バタバタと走り寄る足音がミーティングルームに近づいて来る。
その足音と気配に気づいた白山は、また難題が発生したのかと一瞬考えたが、それは杞憂だった。
ガチャリとノックもせずドアを開けたのは、無理やりといった体でカレンの手を引き、鬼気迫る表情で駆け込んできたドリーだった。
「今すぐラップトップを出して欲しいの!」
事務机にバンと手をつきながら鬼気迫る表情でそう訴えたドリーに、若干引き気味になりつつも白山は冷静を装い言葉を返す。
「そんなに血相変えてどうした? 召喚人員の選定もあるから明日出そうと思っていたが、それじゃダメなのか?」
「い・い・か・ら、今すぐ出して頂戴!」
「手続きと人員手配の手間を考えてくれよ」
クワっと目を見開きながら問答無用でそう迫ってくるドリーに、無駄と知りつつ白山は反論する。
するとドリーも負けじと、キャビネットからフォーマットを取り出しサラサラとその場でペンを走らせて書類を書き上げてしまう。
手続き上は、これで問題がない事になってしまう。
後は白山とウルフ准尉の決済で、承認は可能なのだが……
チラリと次席権限者であるウルフ准尉の方を見れば、すでに諦めているのか内線を手に取り、警備人員を当直から出すように連絡している。
「わかった、わかった」
そう言って書類にサインを書き込もうと、内容に目を向けた所で白山の動きが止まる。
「ドリー、この内容は本当か?」
自信ありげにゆっくりと頷いた稀代の天才女史を見て、白山は納得した様子で書類にペンを走らせた。
『召喚に使用される魂の効率化実装』
ドリーが走り書きした書類の使用目的の欄には、確かにそう書かれていた…………
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