魔法と封印と静かな怒り
突然迸った魔素の奔流は、一瞬のうちに診察室を木にロの光で満たし、やがて終息してゆく。
驚いたのは白山だけではなく、ソフィーも同様に息を呑み青い顔をしている。
異変に気づいた田中二曹が診察室へ駆け込んできたが、ようやく平静を取り戻した白山が、それを手で制する。
「驚かせてしまったようじゃな。
首輪で阻害されていた魔力が、一気に開放されたせいじゃ。害意はない、許せ」
一瞬、爆発かと覚悟を決めた白山も、大きく息を吐きだし、ようやく肩の力を抜いた。
気づけばじっとりと額と手のひらに、嫌な汗をかいている。
「予想出来ていたなら、先に言って置いて貰えると、助かるな……」
苦笑交じりにそう言った白山は、診察台の上に首輪を置くとタオルで汗を拭った。
「いや、我も魔力を封じられたのは初めての経験じゃ。まあ、詫びついでじゃ、お主こっちに来い」
いきなり手招きされた田中二曹は、意外そうな顔を浮かべ、よくわからないがカレンの言葉に従い診察室のベッドに腰掛けた。
それを見たカレンは、田中二曹の包帯越しに傷口に手をかざし、何かを唱え始める。
「精霊よ、我の意を汲みて彼の者に癒やしを……」
小さく唱えられた呪文とともに、カレンの手のひらに金色の魔素が収束して、包帯に浸透してゆく。
当の本人である田中二曹、そして白山とソフィーもその光景に魅入られるように、口を閉ざしていた。
やがて静かに消えていった光を意に介さず、カレンが次の呪文を唱え始める。
「精霊よ、我の意を汲みて我に癒やしを……」
今度はカレンの足元から沸き出した魔素が、カレンの体をなぞるように飛び始める。
その動きは途中までは均一だったが、ガーゼに覆われた傷口付近に達すると、そこに集中し静かに消えてゆく。
はじめに違和感に気づいたのは、田中二曹だった。
「えっ、痛みがない……」
三角巾に吊られた腕をわずかに動かして、それに気づいた田中二曹は、ゆっくりと腕を外し包帯を外してみる。
そこには見事にふさがったピンク色の表皮が存在しており、外見上は完治していると言っていい状態だった。
「ちょっと、どうなってるの!」
その不思議な現象に真っ先に反応したのは、やはりと言うか医療チームのソフィーだった。
それもそうだろう。先程自分がバタフライテープを張って、被覆した真新しい創傷が、一時間と経たずに完治したのだ。
傷口があった場所を丹念になぞり、しげしげと観察して、ソフィーが一言だけ呟いた。
「治ってる……」
するとカレンは、呆然とするソフィーに顔を向け少しだけ済まなそうに声をかけた。
「せっかくの治療をムダにするような真似をして、すまんな」
そう言ったカレンもまた、頬や腕に充てられてていたガーゼをはがしており、田中二曹と同様に傷が完治していた。
「これが、魔法の力……なのか?」
田中二曹とカレンを交互に眺めながら、白山はそう呟いた。
その言葉に、カレンはややドヤ顔気味に白山に視線を向け、ソフィーは生気のない視線を白山に投げかけていた。
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あの後、正気を取り戻したソフィーは、カレンを質問攻めにしてしまい、これでは落ち着いて話ができないと考え、白山達は診察室を後にした。
ようやく執務室へと到達した白山とカレンは、ソファーに腰を落ち着けた。
装備の片付けを終えたリオンが、執務室に現れカレンにはお茶を白山にはコーヒーを淹れてくれる。
そうして一息ついた段階で、白山は口を開く。
「さて、色々と聞きたい事は山積みだが、まずはラップトップ……つまり異界の鏡について聞かせてくれないか?」
カップを置きながらそう切り出した白山に、カレンは暖かなカップを両手で包むように持ち、それに応える。
「そうじゃな、まずは儂の母から語るべきか……」
そう言ったカレンは、ふと郷愁に駆られたのか、視線を彷徨わせそれから再び語り出した。
「深淵の大魔術師と呼ばれた我が母ディアナは、建国して間もないシープリット王国の宮廷魔術師として一時仕えておった。
その頃はまだ人間も魔法をある程度は使えたが、それでも森の民<エルフ>は、太古より魔法に長けておっての。
建国の祖であった初代シープリット王に請われ、宮廷魔術師となったディアナは、やがて大きな国難に立ち向かうことになったのじゃ」
「母の日記に書かれていた事柄じゃ」 と前置きして、続きを語り始めたカレンの言葉に、潤した筈の喉が乾いてゆくのを白山は感じ、思わずコーヒーに手を伸ばした。
「これは、母の日記から読み取った事実なのじゃが、魔王と呼ばれる何者かが突如として現れ、大陸に侵攻を始めたらしい。
それに対して南部のオースランド王国が対抗し、それに呼応する形でレイスラット、そしてシープリットも参戦したそうじゃ。
宮廷魔術師として母も参戦し功績を上げたが、やがて三国が相手でも魔王軍に圧され始め、母は後方に下がる事となった」
そこで話を切ったカレンが、一口お茶をすすり再び語り始める。その内容に白山は相槌を打つのも忘れ、真剣に聞き入っている。
自分の机で書き物をしていたリオンも、その手を止めて、カレンの言葉にじっと耳を傾けていた。
「魔王軍の兵士は死兵であり、感情を持たない恐るべき兵だったと書かれおった。
やっとの事で捕虜に取った敵兵は肉体こそあるものの、魂を持たない兵であったのじゃ。
これに対向するには大軍を持って迎え討つか、それとも同じ手段を用いるしか無い。
そして、先の戦闘で疲弊した三国には、選択肢は無かったのじゃ」
「そうして生み出されたのが、異界の鏡だと?」
「そうじゃ。しかし、その方法には魔王軍とは些か方法が異なったのじゃ。
たとえ大量の兵を喚び出すにしても、意思や感情を持たぬ死兵を呼び出しては、魔王と同じ外道に成り果てる。
そう考えた王達は、勇者を召喚する術を模索し、シープリット王と我が母が中心となって研究を行ったのじゃ。
完成した術式を、各国が分担し大きな魔法陣に書き起こす作業を行い、多くの魔法使いが魔力を注ぎ込み、一人の勇者を召喚することに成功したのじゃ」
「それが、初代勇者…… それも俺の知っている男だった」
白山は自分の目の前で頭を吹き飛ばされた、元ネイビーシールズのフランクを想い起し、静かに目を閉じる。
「そうじゃったか……」
白山の意外な言葉に、カレンも言葉短く答え、カップのお茶を少しだけ口元に運んだ。
「初代の勇者は、各国から選抜した少数の戦士を率いて、敵の本拠地へ乗り込み魔王に肉薄するが、あと一歩で取り逃がしたという。
そこで、武器が必要だと勇者が訴え、召喚の手法を応用し異界の鏡が出来たのじゃ。
異界の鏡で軍勢と武器を呼び出した勇者は、一進一退の攻防の末にようやっと魔王軍を倒し、平和を取り戻したそうな」
鉄の勇者の伝承、そしてラップトップに残されていたFAQ、カレンの話はそのいずれにも違和感なく整合し、無理な点もない。
裏付けとなる日記の現物がないのは致し方ないとしても、嘘や創作である可能性は低いだろう。
死兵の行にしてもそうだ。白山とドリーしか知り得ない、感情を持たない兵士の召喚用裏コードにもカレンは触れている。
「なるほどな……」
話の区切りがついたと思った白山は、何を聞くべきかと目を閉じたまま考えて、思考を整理する。
「この話に関連するのかどうかは判らないが、さっき俺の器がどうとか言ってたよな?」
その言葉に深く頷いたカレンは、もう一度グリーンの瞳でじっと白山を見つめ、首をひねる。
「異界の鏡は、お主も知っていると思うがこの世界と異なる世界の輪廻に干渉し、その写身を得る召喚術じゃ。
現世の過去や未来の輪廻に干渉するのは、死者蘇生にも繋がり禁忌とされておる。
しかし、この世界と異なる世界のであれば、それは死者の蘇生ではなく召喚と呼べる……
まあ、苦しい言い訳じゃな……」
そう言って自嘲気味に笑ったカレンは、もう一度白山に視線を向けると、表情を引き締めて言葉を続けた。
「お主の世界で死んでおる者が喚ばれておるのならば、お主は死者である筈じゃが、主の器には紛うことなく魂が入っておる」
「確かに、この世界に呼ばれる前は、確かに…… 生きていた」
白山は、召喚される直前の任務の状況を脳裏に思い起こし、自身の生存を強く確信する。
何があってもあの場では、死んでいないと断言できるだろう。
「なぜそのような事が起こったかは、詳しく調べなければ判らんが、通常の魔法原理ではないことは確かじゃ」
神の悪戯か、偶然の産物か。今の段階ではあれこれと考えても仕方が無いとも言える。
「わかった、この話はひとまず保留にしよう。それよりも今後の事について、考えた方が良いだろう」
「ふむ、過ぎた事は割り切り先に目を向けるか。なかなか前向きじゃな」
少し茶化すように呟いたカレンに、白山は自嘲的な苦笑を浮かべながらもすぐに意識を切り替える。
現実問題、この世界に召喚され部隊を任されている以上、優先すべきは今なのだ。
感傷や後悔など、一線を退いてから幾らでも出来るだろう。
「まず、カレンさんが出来る事や要望などあれば、聞いておきたい。
それを加味した上で、貴女の振り方について考えたいと……」
「まず断っておくが、儂は、直接戦闘には携わらん。腐っても森の民じゃ、これ以上禁忌を犯すつもりはない」
厳然とした口調でそういったカレンに、白山も頷いて同意を示した。
カレンの魔法攻撃力は確かに魅力だが、唯一といえる人材を前線に投入して頼るべきではないだろう。
それよりも魔法の知識を活かして、後方で研究や支援を行ってもらった方が、よっぽど有益だと白山は考えていた。
「それに、見た限り鏡の封印も未だに解いておらぬようだしのう……」
「鏡の封印……?」
聞き返した白山の問に、カレンは深く頷いた。
「その様子では、封印の存在も知らぬようじゃな」
互いに問いかけの続く会話に、白山は深く頷いてカレンからの答えを待った。
ふと、横に視線を転じればリオンが腰を上げ、飲み物のおかわりを準備していた。
それを見て気づいたが、カップに半分ほど残ったコーヒーは既に冷めており、白山はそれを飲み干し、カレンに向けて視線を戻す。
「文字通り封印じゃ……
魔王軍との大戦が終わった後に、鏡自体は再び魔王が復活した場合に備えて、王国の秘宝として保管する事は決まったのだが。
三国の王が協議してそれ以外の場合に悪用を防ぐ目的で、能力を制限する封印を施したのじゃ」
もっともな話だと白山は思った。
地球においても大戦が終結し、過剰な軍事力が冷戦を生み出したように、行き過ぎた玩具は猜疑や良からぬ事を想像させてしまう。
三国がラップトップの奪い合いや、他国への侵攻を企てなかったのは、余程の賢王だったのか、それとも何かの力が働いたのだろうか?
国というものは、その歴史と営みの積み重ねであるが、どういう訳かレイスラット王国では大戦前後から、記録が失伝しており、今となっては何が起こったかは判らない。
思考と考察のループから一旦抜けだした白山は、封印の事についてカレンに質問をする。
「封印が解けたなら、どうなるんだ?」
今の制限がついた部隊の能力が伸ばせるのか?それとも、パンドラの箱を開ける事になるのか……
言いようのない感情を押し殺して、白山はカレンにそう尋ねた。
「判らん」
「ん?」
「じゃから、判らん!」
白山は、ソファから身を乗り出して話を聞いていたが、脱力してしまい思わずコケそうになり慌てて体勢を立て直した。
「母の日記には封印したとの記述はあったが、具体的に何をどう封印したかについては、書かれていなかったのじゃ!」
「いやカレンさん、そこが肝心だと思うんですが……」
「ふむ、それもそうじゃが、文句なら母に言ってくれや」
開き直りというか、からかい半分というか、未だカレンの性格や動向が読めない白山は、乾いた笑いをこぼすしかなかった。
「まあ、異界の鏡に施された魔法的な要素については、大体覚えておる。
何とか封印を解けるように、努力してみるとするかの」
「わかった、詳しい事は明日以降に話そう。今日の所は、疲れているだろうからゆっくり休んでくれ」
そう言って白山は、ちょうどおかわりを持って来たリオンに、案内を頼んだ。
女性であるカレンの案内には、やはり女性が好ましいが、男所帯である部隊では医療班を除けば、リオンとドリーしかいない。
「今夜は、お屋敷に戻られますか?」
リオンが、白山の今夜の予定を聞いてくる。
これはカレンを屋敷に連れて行くかどうか?との質問も含まれているだろう。
「いや、今夜はまだ片付けなきゃならん問題が山積みだ。帰ってベッドで寝たいが、今日は基地に泊まる予定だ。
リオンもカレンの案内が終わったら、今夜はゆっくり休んでくれ」
なにか言いたげな表情を浮かべたリオンだったが、事あるごとに無理をするべき時と、休息の重要性を説いていた事もあり、少し躊躇ってから短く首を縦に振る。
リオンは、当初から白山に合わせて自分の休息時間を犠牲にしがちだったが、ここ最近では説得の甲斐あって、素直に従ってくれる。
リオンに導かれてカレンが執務室を出ると、途端に室内は静寂に包まれた。
白山は疲れからくる熱っぽさと眠気を誤魔化すように、二杯目のコーヒーを飲むと残った仕事を片付けようと、席を立った。
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白山が訪れたのは作戦室だった。
作戦は終わったが、各偵察チームが持ち帰った画像データや、簡単な報告聴取の内容は、既に作戦室に届けられている。
これらに目を通し、ある程度の分析をしておかなければならない。
明日には帰還の報告に王城へ赴くが、報告書は後ほど提出するにしても、首脳陣からの質問には、ある程度答えられるようにしておく必要がある。
作戦室には、眠そうな顔のドリーと少し目の赤いウルフ准尉、そして口数の少ない木崎が、パソコンやモニター、タブレットを睨み、画像を分析していた。
それぞれが疲労の色濃く見える表情で、画像を睨んでいた。
現場の隊員達にも無理を強いたが、後方支援を請け負った三人にもかなり疲労の色が見える。
ドリーがモニターから顔を上げ、入室してきた白山に気づくと、一旦立ち上がり大きく背伸びをしてから、机の書類を手に歩み寄ってくる。
「話には聞いていたけど、相当ひどいわね」
報告聴取で述べられた内容をまとめたレポートを白山に手渡しながら、ドリーは珍しく言葉少なく席に戻って行った。
田中二曹が負傷した件で、一発殴られるくらいは覚悟していた白山だったが、その表情に何かを感じて黙って自分も席に座った。
席に座り報告書の内容に目を通すうちに、ドリーが無口になった理由が判り、白山は画像を呼び出した。
報告書の内容に嘘は無いだろう。それでも文字で見る情報を信じられず、画像を表示させた。
『シリアットの街では皇国軍とみられる兵士が、市民を虐殺する光景を目撃』
『ルストレームの食料及び衛生状況は、極めて悪い』
観測所で隊員達が目撃した街の状況、それらが高解像度の画像でタブレットに表示され、白山は眉間にしわを寄せた。
「想像以上に、酷いな……」
歴戦のベテランであるウルフ准尉も、今回の惨状を見て表情を曇らせている。
白山は何も言わず画像に目を落とし、淡々と流し見てゆく。ふと、白山の手が止まる。
そこには我が子を守るように胸に抱き、そのまま倒れ伏した親子の姿が映し出されていた。
「ホワイト、貴方こんな状況を見て、放っておくつもりは無いわよね?」
ドリーが静かに怒りを押し殺し、白山に問いかけた…………
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